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8. 謎の体調不良



 気がつくと、いつもの屋敷の天井だった。


 (うしお)がのそりと起き上がると、額から生温い手ぬぐいが落ちた。身体が鉛のように重かった。

 見渡すと、枕元に洗面器と体温計が置いてあった。先程まで誰かがいたのかも知れない。それに、今の潮の服装は外出したときの洋装ではなく、寝間着に着ているいつもの木綿の浴衣だった。


 倒れてからの記憶がない。カフェーで意識を失って、気づけば帰ってきていた。また浅葉(あさば)達に運ばれてここまで帰ったきたのだろうか、と潮は項垂れた。

 これで倒れたところを運ばれるのは二度目だ。いい加減、迷惑をかけ過ぎである。


「起きましたか」


 突然入り口から声がしたので振り返ると、こん太が洗面器を持って入室してくるところだった。


「申し訳ありません、寝ているものだと思っていたのでノックをせず」


 こん太は枕元の洗面器を交換する。潮はまだうまく働かない頭でそれをぼーっと見ていた。もともと線の細い潮だが、布団で小さく座っていると更に儚げに見える。


「……どこかまだ痛みますか?」


 反応の薄い潮に、こん太が気遣わしげに声をかける。


「あ、いえ。痛みはもうありません」

「それはよかった。今あるじを呼びますので。しばらくしたら来るでしょう」


 こん太は空中で手を広げて手首を回す動作をする。何かを引っ張るような仕草だ。


「何をしているんですか?」

「あるじと繋がっている“糸”を引っ張ったのです。私が合図したと気づくので、糸を辿ってあるじはこの部屋まで来るはずです」

「すごい……」


 そんなことができるんだと、潮は驚く。


「式神と式神遣いは、魂の片割れとも言われるほど深い関係です。目には見えませんが確実に糸で繋がって、お互いの存在を感じ取ることができるんですよ」


 こん太の大きな手のひらが潮に向けられる。潮からは何も見えないが、こん太には浅葉と繋がる“糸”とやらが見えるのだろう。

 

「あるじの霊力が尽きれば私は霧散しますし、私が霧散すればあるじの生命も長くは保ちません。式神と式神遣いは、切っても切れない関係なのです」


 こん太の狐面がぐっと潮に近づく。彼の服からは線香のような匂いがした。


「潮殿、あなたに魂の片割れはいないのですか?」

「覚えていないですが、絶対いないかと。霊力もないですし」


 式神遣いには霊力が必要だ。一般人にはない、式神を励起するための生まれ持った特殊な力が。

 そんなものが自分にあるはずはないと潮は首を振るが、こん太はおもむろに長い人差し指で潮の首を指差した。トン、と喉仏のあたりをさされる。

  

「霊力はあると思いますよ。日によって波はありますが」

「…………え?」


 予想外の返答に潮は固まった。こん太の落ち着いた声が鼓膜を揺らす。


「それは、どういう……」

「そのままの意味です」

「からかっているんですか?」

「私がそのような輩に見えますか」


 冗談をいうような雰囲気ではない。

 こん太を凝視すると、彼は小さく息を吐き出した。心臓がどくどくと音を立てる。


「潮殿、あなたは――」


 こん太が何かを言おうと口を開くのと、襖が勢いよく開くのは同時だった。


「はーーーい!! そこまでっ!! こん太離れて! 近い近い!!」


 浅葉は埃を立てて部屋に入ってくると、こん太と潮の間に割って入った。


「病み上がりに無茶をさせたらいけないよ!ほら潮、寝てなさい!」

「先生……」


 潮は声の大きい浅葉に抗議のつもりで袖を引いたが、無視された。

 

「あるじよ」

「こん太も知らせてくれてありがとう。もう戻っていいよ」

「……あるじ」


 こん太の物言いたげな視線を無視して浅葉は潮を布団に転がす。

 こん太はしばらく浅葉と潮を見つめてたが、はあと大仰にため息を落とすと影に溶けていった。


「ごめんねぇ、変なことされなかった?」

「お話していただけなので……あ、先生。服が」


 布団に転がった潮の目の前には、浅葉のはだけた胸元があった。和服が着崩れている。性格の割に普段着崩すことのない浅葉がここまではだけているのは珍しかった。


「走ってきたからかな」

「直します」


 潮は手早く襟元を合わせて形を整える。

  

 最近の潮は掃除洗濯、たまに炊事まで。朝は浅葉を床から引っ張り出し、夜はちゃんと布団で寝たかの確認までしている。やっていることは最早母親。産んだ覚えのない男の世話をしている。

 

 三十を超えた男にする扱いではないとわかっていても、浅葉を見ているとつい手が出てしまうのだ。浅葉本人も世話されることに慣れきっていて、何も言わないあたりが何とも言えない。


 潮が襟を閉める直前、浅葉ののぞいた胸元から薄黒い痣が見えた。左胸の上あたりだ。

 拳大の大きさで、花の形にも見える。式神遣いに現れるという痣だろうか。

 思わず視線がいくが、すぐに見なかったふりをする。男の胸を凝視するなど、はしたない行為だ。


 この痣は、式神遣いの証というだけでなく、家柄をも現すという。血筋によって、浮き出る痣の形は同じなのだそうだ。

 浅葉の出生がわかるかもと思うと見たい気持ちもあるが、理性の方が上回った。

 

 だが、浅葉は視線が挙動不審の潮に気づき、自身の襟元を見てニヤリと笑った。


「潮のすけべ」

「なっ……!? そんなんじゃありません!!」

「ぐふっ」


 つい勢いよく浅葉の腹を殴ってしまった。鳩尾にキマった様子で、浅葉は呻きながら蹲った。


「も、申し訳ありません」

「いや、僕もふざけましたごめんなさい……」

 

 しばらくして、浅葉の顔が持ち上がる。

 

「カフェーでは災難だったね」


 さっきまでの流れをなかったことにしようとしている。潮もありがたくその流れに乗っかることにした。

 

「度々倒れたところを運んでいただいて、ありがとうございます」


「いいよいいよ。君はあの式神の霊力に当てられたんだよ。格の高い式神はそれだけで周りを萎縮させるから」


 浅葉は潮の枕元に胡座をかいて座る。


「店内であんな式神を呼び出して、一般人に向けて術を使うなんて非常識だよ。ほんと、僕達は運がなかった」

「そう、なんですか」

「ありえないよ。僕なら絶対にしない」


 憤る浅葉に、潮はそういうものなんだと思った。霊力にあてられるという話も初耳だった。

 あの黒犬の式神のことを思い出すと、まだ心臓が早鐘を打つ。確かに周囲を圧倒するような何かを感じたが、それが霊力のせいなのかは潮にはわからない。


「式神にも格というものがあるんですか」

「あるよ。主たる式神遣いの霊力に比例するけど、成熟した人型をとれる式神は総じて格が高い。弱い式神ほど、幼子だったり動物や昆虫の形をしているね」


 その理論でいくと、こん太も格の高い式神ということになるのだが、それは如何に。

 

 潮は無言で首を傾げる。

 彼や浅葉とともにいて倒れたことはないが、それはどういう仕組みだろうか。単なる体調や状況の違いだろうか。

 浅葉は浅葉で思案顔である。

  

「彼女、柊紫(ひいらぎゆかり)……だったかな。あれほどの式神を連れているのに、柊家にあんな子がいるとは聞いたことない。おかしな話だよ」


 浅葉の節くれ立った指が顎を滑る。

 しばらく天井のあたりを眺めていた浅葉だったが、ゆっくりと瞬きをして焦点を潮に戻した。


「潮は、彼女について何か知ってる?」


 茶がかった浅葉の瞳に潮が映る。

 紫はあの御三家のひとつ、柊家の人間だ。潮と面識があるはずはない。

 

 潮がすぐに首を横に振ると、浅葉はゆっくりと微笑んだ。


「……ま、そうだね。知らないよね」


 浅葉が伸びをして立ち上がるのを、潮は目で追う。


「まだ仕事が残ってるから、僕はもう行くよ。この後は三つ子が来ると思うから、夕餉に食べたい物でも言ってやって」

「はい、先生」


 大きな欠伸をしながら退出する浅葉の背中を見送ってから、潮は布団に倒れ込んだ。

 まだまだ、身体がしんどかった。


「早く、よくなるといいな……」


 この妙な虚弱体質も、突然の体調不良も、記憶喪失も。何一つ進展しない。

 せめて体調だけでも戻れば、浅葉達の手伝いがもっとできる。記憶も戻らない、体調も戻らないなんてただの厄介者である。

 記憶が戻れば、これ以上迷惑をかけることなくここを出ていくことができるのに、と潮は天井を見上げる。


「私は、先生の役に、立ってるのかな……」


 浅葉の面倒を見るのは、存外楽しい。せめている間は、何か役に立ちたい。

 それは潮の考えであって、浅葉から見たらそうじゃないかもしれない。こんなに倒れてばかりでは、面倒な娘だと思われていても仕方がない。

  

 後ろ向きな思考に支配され始めた。よくない傾向だ。そういうときは寝るに限る。早く治すには、とにかく寝るのだ。

 

 思考を振り払って目を瞑ってしまうと、案外簡単なもので、眠りに落ちるのは一瞬だった。

 

 

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