緑川さんの庭(2)
「み、緑川さんは、どれが1番オススメですか?」
「そうねぇー・・・・・
昨日収穫したばかりの『プチトマト』なんてどう?」
「___もしかして、このプチトマトを収穫してる時に、腰を痛めたんですか?」
「__________うーん、そうだな。
青山君になら、言ってもいいかな。」
自分が、ビニール袋に入っているプチトマトを十数個取り出し、水道水で洗っていると、緑川さん
は急に改まる。
座ることはできないから、体制だけ自分に向けて。そんな緑川さんを、自分は横目で見ていた。
「実はね、昨日、たまたま通りかかった近くのホームセンターで、『肥料』の安売りをしてたの。
___でさ、私、咄嗟に飛びついて、買ったのはいいんだけど。」
緑川さんの目が、明らかに泳ぎまくっている。
定まらない視点と、それだけの情報で、自分は何となく想像できてしまい、思わず笑ってしまう。
確かに、趣味にしている物が安売りされていたら、自分も飛びつく。
___そんな趣味、自分にはないんだけど。
要するに、緑川さんは安売りになっている肥料を買って、家に帰ろうとしたところで・・・・・
ゴキッ
ってなったんだろうな・・・
「_____ふふふっ」
「笑わないでよ、今もかなり後悔してるんだから・・・・・」
肥料って、かなり重そうだもんな。
でも、後先考えずに飛びつくあたり、本当に畑仕事が好きじゃないとしない。
どんなに大好きな趣味でも、注ぎ込むお金はなるべく倹約したい。
最近では『推し活』なんて言葉が流行っているみたいだけど、あれも相当お金を使う。
だから、その活動をする為に、生活に関わる、ありとあらゆるお金を節約する。
そんな話を、社内でもよく耳にしている。
それがアニメでもアイドルでも、応援するだけでも金がかかる今の時代。
自分は、特別推してる存在はいないものの、何かに夢中になっている人というのは、見ているだけ
でこっちもワクワクしてしまう。
何かに夢中になれる、それも一種の『才能』なのかもしれない。
数日前には、同じ部署の社員が、溜まりに溜まった有給を使い果たして、海外から帰ってきた。
どうやら世界的に有名な『サッカー』の大会を生で見るため、有給を貯めに貯めていたらしい。
自分としては、(ちょっと勿体無い有給の使い方なんじゃ・・・?)と思う節もある。
だが、その社員がテンションを上げながら、生で見た試合の感想を自慢している姿を見ると、『勿体無い』という言葉がお門違いに思えた。
そして、夢中になっているものが近くにあると、周りが見えなくなるのも、趣味を持っている人に
とってはあるあるなのかもしれない。
『お金』や『購入後』のことなんて考えず、趣味にお金を費やせる事に、一種の『達成感』を感じるのかも。
会社では、『一週間後』くらいの事まで、しっかり綿密に考えている緑川さん。
そんな彼女でも、自分が没頭しているものの事となれば、こんなにも盲目になってしまうのか___
緑川さんの趣味が『農作業』なのもびっくりしたけど、その熱中ぶりにもびっくりする。
よくプランターで野菜を育てている人の話を、雑誌やニュースで見た事があるけど、緑川さんの場
合、それとは規模が違う。
『プランター』と『畑』だと、その規模も管理の難しさも違う。
規模も違うけど、きっと出来上がる野菜の質も大きさも違うんだろう。
野菜室に詰め込まれた野菜たちは、野菜初心者の自分が見ても、どれもこれも美味しそう。
形が歪だったり、異様に大きいものもある。
けれど、市販で売られている野菜と同じくらい美味しそう。
ビニール袋から取り出したプチトマトたちも、旨味がぎっしり詰まって、今にもはち切れそうな風
船みたい。
しかも触った感触は、かなりがっしりしている。皮の中で、身がしっかり形を保っている証拠だ。
とりあえず自分は、棚から皿を取り出し、綺麗に洗ったプチトマトを並べてみた。
スーパーで売られているような、形や大きさも一緒にパッケージされているプチトマトとは違うけど、とてもみずみずしくて、見た目だけでも美味しそうなのが伝わってくる。
でも、どんなに見た目が綺麗でも、まだ自分の苦手意識の方が勝り、食べるのを躊躇していた。
そんな自分を、緑川さんがさっきからずーっと、食い入るように見ている。
どうやら、自分が食べて感想を言ってくれるまで、楽しみで仕方ない様子。
今更、「自分野菜嫌いなんですよねー」と言える空気でもなく、とにかく当たり障りのない感想を
言えば、満足してくれる筈。
ただ、その綺麗な丸い球体に、フォークや箸で刺すのが勿体なく感じた自分は、あえて『スプーン』で食べる。
コロコロとスプーンの上で踊るプチトマトを、どうにか落ち着かせながら、頑張って口に運ぶ。
この時点の自分は、そんなにじっくり味わう気はなかった。
ちょっとでも油断すると、野菜嫌いなのがバレそうな気がして。
___でも、そんな自分を、この『紅い夏の小さな旬』は
『驚き』を隠せないほど裏切ってくれた
「う・・・・・んめぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」
思わず腑抜けた声が出てしまう。
普段の自分を忘れてしまうほど、そのプチトマトは美味しかった。
『酸味』と『甘み』が良い具合に混ざり合い、まるで『果物』のような味わい。
その上、味自体がとてもさっぱりしている為、いくらでも口に入れられる。
『ボール状のアイス』を食べているような気分にもなれる。
トマトによっては、酸味がキツすぎて口に余韻がいつまでも残る。
でも、このプチトマトはいくら食べても口の中や胃が爽やか。だからいくらでも食べられる。
夏の日差しの強さと、翠さんが手間暇をかけた優しさが、味の奥でほんのり感じられる。
じっくり味わいたい気持ちと、もっと食べたい気持ちが混ざり合う。
一つ食べただけで、頭の中では『実家の風景』が思い浮かんだ。
コンビニやスーパーがすぐ近くにない、辺鄙な場所だったけど、それでも忘れられない場所。
新鮮な野菜が食卓に並ぶのが、当たり前だった場所。
野菜嫌いな自分だったけど、自分で収穫した実家の野菜は、不思議と苦くも不味くもなかった。
学校で自分が育てたピーマンは、そんなに美味しく感じなかったのに・・・
そして、都会のスーパーで売られている野菜に失望した時も、同時に思い出す。
自分が実家で食べていた野菜は何だったのか。
何故、野菜嫌いな自分でも、実家の野菜は食べられたのか。
何故、暮らすのに不自由しない都会で食べられる野菜は、何か物足りないのか。
その疑問の理由が、緑川さんの野菜を食べて、何となくだけどわかった気がする。
「___青山君?
ちょっと?! ちょっと、ねぇ!!」
「__________はっ!!
す、すみません。あまりにも美味しくて、つい意識が・・・・・」
「そんなに?」
「はい、本当に。
_____実は自分、あんまり野菜が好きじゃなくて。普段から滅多に食べなかったんです。
でも、緑川さんの育てた野菜は、そんな自分の野菜嫌いを、一瞬にして払拭してくれたんです。
どう表現したらいいのか、うまく伝えられないくらい美味しくて・・・・・
あの、まだ冷蔵庫に残っているプチトマト、もう全部食べちゃっていいですか?
お皿に乗せた分だけ食べようと思ったんですけど、美味しすぎて、もっと食べたくて。」
「___じゃあ、そこの戸棚に『ミキサー』があるから、それで全部混ぜて、『100%トマトジュー
ス』にしちゃえば?」
「え、ミキサー持ってるんですか?」
「私の朝ごはんは、いつもミキサーで作ってる『野菜ジュース』とか『スムージー』だもん。」
「へぇー、どうりでスタイルがい・・・・・・・
い、いやいやいや!! なんでもないです!!
あ、でも半分はジュースにしないで、そのままで食べます。そのままでも美味しいので。」
「そう・・・・・
ありがとう、私の作った野菜、沢山褒めてくれて。」
ちょっとだけお邪魔するつもりだったのに、結局数時間も、緑川さんのアパートで過ごしてしまっ
た自分。
生のプチトマトも美味しかったけど、ミキサーで作ったトマトジュースも美味しかった。
普通のトマトではないから、量はそんなに多くなかったけど、ジュースにしてもトマトの旨味が全
然逃げてなくて、いくらでもグビグビ飲めそうだった。
自分はお酒をほんの少し、嗜む程度なら飲めるけど、お酒より断然美味しい。
市販の野菜ジュースも、野菜不足を解消する為にちょくちょく飲んでいるけど、全然味が違う。
緑川さんのトマトジュースは、そこまで甘くないのに、味がしつこくない。
市販の野菜ジュースの場合、味がしつこくて、口の中にいつまでも余韻が残ってしまう。
それに、野菜ジュースなのに砂糖が割と入っていたり。
今まで『健康的な食事=物足りない食事・満足感のない食事』だと思っていた自分。
そんな考えも含め、自分にとっての色々な常識や意識が、一晩で全部ひっくり返ってしまった。
『野菜嫌いな自分』というレッテルが、まだしつこく張り付いてはいるものの、半分以上剥がれた
気がする。
そして、本来の『野菜ジュース』の味にも感動した。あれなら毎日飲み続けたいくらい。
緑川さんの意外すぎる一面も、野菜の出来を見れば、不思議と納得できた。
彼女の野菜に対する熱量は、「バズるから」とか「流行っているから」とか、そんな話ではない。
純粋に野菜作りが好きでないと、こんなに出来が良い野菜が、ポンポン収穫できるわけがない。
実家の近くで農家をしている祖母の親戚と張り合えるくらい、緑川さんの野菜は本格的。
緑川さんは、育てた野菜が褒められたのがよほど嬉しかったのか、プチトマト以外にも、冷蔵庫に
ある野菜を全部自分に食べさせる勢いで色々と自分に勧めてきた。
でも、さすがにそこまではできない。それはさすがに図々しい。
でも、緑川さんお手製の野菜を、もっともっと沢山食べたい気持ちもあった。
プチトマトだけではない、それこそ、夏が旬の野菜は沢山ある。家庭科で習った。
『きゅうり』 『トウモロコシ』 『オクラ』
緑川さんが育てた野菜なら、どんな野菜でも美味しく感じられそう。
長年自分から離れてくれなかった、野菜の苦手意識なんて、緑川さんの作る野菜をもっと食べれば、あっという間に剥がれてしまいそうだ。
逆に、美味しい緑川さんの野菜に慣れてしまったら、市販の野菜が食べられなくなるかも。
___それもそれで、まぁアリなのかも。
「今日はありがとうございました。
なんか、自分が看病するために来たのに、こっちがお世話になったみたいで・・・」
緑川さんに渡す資料などは全て渡し、自分は帰る支度をする。
会社を出たのは6時過ぎなのに、スマホで今の時刻を確認すると、もう8時になっていた。
1時間半も、緑川さんの部屋で一緒に過ごしていたなんて、ちょっと信じられない。
それくらい自分にとって、この1時間はたくさんの実りを得られた。
最初はあんなに入るのを躊躇していたのに、今では帰るのが惜しくなるくらい、心も体も緑川さん
で染まっている気分。
緑川さんの体調は、まだあまり芳しくないものの、命の危機を感じるほど重症じゃなくてよかった。
「なに言ってるの、お礼を言わなくちゃいけないのは私の方だよ。今日は本当に楽しかった。」
___今気づいたんだけど、上京して初めて人をアパートに呼んだ気がする。」
「え? 他の女子社員とか、呼ばなかったんですか?」
帰る支度をしている最中、ふと疑問に思った自分が質問する。
すると、緑川さんの表情が一気に暗くなってしまう。
さっきまで、とても楽しげにしていた緑川さんの顔に、暗雲が立ち込める。
自分は焦って、今の質問を撤回しようとした。
でもそれより先に、緑川さんが、今まで話したこともないであろう、自分の内に秘められた『本音』を話してくれた。
でもその内容は、あまり緑川を知らない自分でも、何となく納得できる話だった。
別に特別な話ではない、誰もが抱えているであろう、『距離感』の話。
学生時代でも、社会人になっても、結局悩むのは『人間関係』
それは、緑川さんも同じだった。交渉も無敵な緑川さんですら、悩んでいた。
「___呼びたい気持ちもあったよ、でもね、呼べなかった。」
「どうしてですか? アパートの部屋が狭いから・・・とか?
緑川さんの部屋、結構綺麗だから、そこまで狭くないですよ。」
「そうじゃないの、部屋どうこうの問題じゃないの。
__________引かれないか、怖かった。」
「___引かれるって、何に?」
「あははっ、青山君は男性だからね、『女性の言葉の重圧』って、恐ろしいものなのよ。
例えばだけどさ、女性の放つ「意外ー!」って言葉はね、裏を返すと「イメージと違ったー」と
か、『失望』という意味にも捉えられるの。」
「___なんだが学生時代の『古典』みたいな話ですね。」
「まぁ、要するに、女はそれくらい怖い存在ってこと。
どんなに表面上は仲良くしていても、裏では何を考えてるか分からない。
その場では褒めてくれるかもしれないけど、後から
「緑川さんの家、泥臭かった」とか
「もっと綺麗でおしゃれな趣味を持っているかと思ってたのに」
とか言われたらさ、嫌なわけよ。」
切実な表情で話す緑川さん。そんな表情の彼女も、見たのは初めてだった自分。
喉の奥で「大袈裟じゃ・・・」という言葉が、口に這い出てきそうになったけど、午前中に女子トイレから聞こえた話を思い出すと、その言葉は一瞬にして引っ込んだ。
確かに、緑川さんの言っていることは本当だ。
どんなに表面上は、緑川さんと仲良くしていても、彼女が休むと同時に、言いたい放題の女性社員。
「だから私は、青山君に来て欲しかったのよ。
___それに、私が丹精込めて作った野菜を、女性社員とかじゃなくて、青山君に食べてもらいた
かったの。」
「え?」
「だって青山君なら、『嘘のベタ褒め』なんかしないでしょ?」
「で、でも・・・・・」
緑川さんの言っている事は、ほぼ当たっている。
自分が、『お世辞笑い』だけで精一杯なのを、緑川さんは知っていた。
人によっては、『正直者』と言われるかもしれないけど、仕事の場では、そうゆう技術も必要。
でも自分は、まだそうゆう技術がしっかり身についていない。
それすら、緑川さんは見抜いていた。
でも、そんな自分だからこそ、緑川さんが頼ってくれた。それが嬉しい。
自分でも、早く『作り笑い』くらい、自然にできるようになりたくて、今も鏡の前で何度も練習し
ている。
でも、それがなかなか上手くいかない。『基準』がないから、余計に分からない。
緑川さんの場合、社内にいる時は表情を変えなくても、取引先と話をする時に関しては、しっかり
自然な笑みを浮かる。
そして、その表情のまま、テキパキと相手と話し合いをして、会社に戻るとまた元に戻る。
一部の女性社員は、そんな緑川さんを『ゴマ擦り』と呼んでいるけど、仮に取引先の相手が無表情
のまま話し合いを始めたら、それこそどんなゴマ擦りも上手くいく筈がない。
彼女の切り替えの速さと、作り笑いの自然な出来栄えは、自分がどんなに真似ても上手くいくわけがなかった。
そんな自分だからこそ、緑川さんは信じて、自分をアパートへ呼んでくれた。
嬉しい気持ちもあるけれど、その端の端で、悔しい気持ちがある。
何に対して悔しいのか、それは自分ではなく、緑川さんに対して。
でも、決して『恨み』とか『妬み』とか、そんな負の感情じゃない。
自分のことを、自分以上に知っているのが
憎らしいほど 優しくて
憎らしいほど 嬉しい
「___じゃあ仮に、時野菜を食べた自分が、緑川さんを気遣って、『嘘のベタ褒め』をしたら?」
「そんなの、見ればわかるよ。私たち、そんなに浅い仲じゃないでしょ?」
微笑みながら、そんな事を言う緑川さんも、俺は心底恐ろしく感じた。
『女性は怖い』 そう言っておきながらも、自分の心を簡単に見透かして、部屋に呼び込んだ緑川さんも、十分怖いと思う。
自分はまるで、『上手く調教・誘導された動物』のようだ。
___美味しい思いをしたから、文句は言えないけど。
「緑川さん、腰はどうですか?」
「だいぶ良くはなってるけど、もう一週間くらい、有給まとめて使っちゃおうかな。
無理して、本当に腰がダメになったら怖いし・・・」
「はい、しっかり治してから来てください。
会社で大惨事を起こしたら、それこそ周りから何を言われるか・・・・・
もし、お邪魔じゃなかったら、明後日とか明明後日にも、自分ここに来ます。
何か欲しいものがあったら、メッセージくださいね。」
「__________ふふふっ」
「???」
「今日だけで青山君のこと、色々と知れたから、嬉しかった。」
そう言いながら、満足そうに笑う緑川さんに、自分までにやけそうになったが、顔に全力を注いで
堪えた。
意図してアパートに連れ込んだのも怖いけど、そんな『無防備な笑み』を見せつけられたら、もう『自分のなかの色々なアレ』が、一気に崩落しそうになる。
緑川さんが職場でも見せなかった、少女のような純粋な笑みは、一瞬にして自分の心を丸ごと奪っ
ていった。
まるで、『宝石の入ったショーケースごと奪う怪盗』の如く。
きっと自分は、緑川さんのアパートに来た時点で、彼女の術中にはまっていたのかもしれない。
緑川さんにも事情があったのは理解しているけど、事情の中に、ちゃっかり彼女の私欲もいれてしまうところ、緑川さんらしい。
自分は今日初めて、緑川さんを『先輩』としてではなく、『女性』として意識してしまった。
こんなに複雑な気持ちになるのは、学生時代以来だ。
二十歳にもなって、こんな気持ちが再熱するのは、自分がまだ若い事を、心が証明してくれた。
「自分も、今日は緑川さんの色々な顔が見れて、すごく嬉しかったです。
また緑川さんと一緒に仕事ができる日を、心待ちにしてますから、ゆっくり休んでください。
___仕事はだいぶきつくなると思いますが。」
「復活した時には菓子折り持って来るからさ、それまで頑張ってよ。
青山君だって、以前と比べたら、まだドジはあるけど、仕事ができる方になってきたよ。
あとは、ミスをしないように心がける事と、これからも頑張る気持ちを持ち続ける事。」
「はい、じゃあ・・・・・おやすみなさい。」
「うん、おやすみ、またねー」