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急造の手足は思ったよりも動いてくれている。
ただ、冷気の影響は深刻であり、それでなくてもラウの圧倒的な身体能力を支えるには足りないものだったので、これ以上の戦闘は難しそうだった。
だからこそ、決着を急ぐ必要が出てきたわけだが、当然そんな事は戦う前から判っていた事だ。どれだけ足掻いたところで、今の自分ではせいぜい奇襲のお膳立てが限度なのもそう。
(……惨めな話だがな)
リッセの仇を前に、この手で決定打を与えられないというのだから、これ以上ないくらいの屈辱だ。
その屈辱を前にすれば、壊死を始めた身体など些末もいいところだった。
もちろん、刺し違えるなんて発想で戦っているわけでもないが……。
(お前なら、どうしたんだろうな?)
彼女なら、この場ではなく、きっと敵が目的を果たして愉悦に浸っているタイミングで絶望に叩き落としたのだろう。そういう我慢は出来た奴だった。だからこそ、ヘキサフレアスは他者から畏れられ、その身を守ることが出来ていたのだ。
自分には、それが出来ない。
こんなところでも喪失というものを覚えるあたり、双子であるからという以上にリッセ・ベルノーウは自分にとって大きな存在だったのだという事実を噛みしめながら、ラウは最後の攻勢に出る。
身体能力の強化に全ての魔力をつぎ込んでの接近。
ヴァネッサという邪魔者は気にしない。奴の攻撃で守るべきは心臓と頭だけ。
「勇ましい事、ね。でも、愚かだわ」
蔑みの微笑を浮かべながら、テトラがヴァネッサを盾にせんと密着する。
さまざまな状況に対応できるようにしていた間合いを捨てて、自身の安全を最優先にしたのだ。それは厄介な選択ではあったが、同時にこちらも視覚外からの挟撃の危険性をかなり減らすことが出来たので、最悪とまではいかない選択だった。
「愚かはお前だろう?」
同じように侮蔑を返しながら、ラウは生身の拳を躊躇なくテトラ目掛けて振り抜く。
朱い水の盾が障害となり、突っ込んだ拳を完膚なきまでにズタズタに溶かしてくれたが、衝撃を完全に殺す事は出来ずに、少し遅れたタイミングでヴァネッサの上半身が吹き飛んだ。
テトラを遮るものが一瞬だけ無くなる。その一瞬の中で見えた光景は、こちらに向かって伸びてくる氷の刃だった。完全にラウの行動を読み切った上での迅速さだ。
だが、そんなものは、こちらだって読めている。だからこそ生身の方を突っ込んだのだ。
血塗れにすることによって魔力をヴァネッサの体内で生成することが出来たし、この至近距離にして色食いの魔眼の視覚外に入る事も出来た。
(当たれよ)
血を媒体とした音の爆弾を解き放つ。
此処で魔法を使われる想定はしていなかったのだろう、テトラの反応が僅かに鈍った。
その油断を逃すことなく、ラウは氷の刃を粉砕しながら進む衝撃波を保護するように義手を真っ直ぐに伸ばしてテトラの視界を狭める。
「――っ!?」
ヴァネッサの背中を蹴って即座に跳び退けば無傷を徹されていただろうが、ワンテンポ遅い。
結果、蹴ろうとした右足の踵から脛辺りまでが音の爆弾に巻き込まれこちらの腕と同じような有様へと変貌を遂げる。
「あと二本だ」
その足を生身の方の手で掴んで力の限り握りしめて、ラウは直に魔法を流し込んだ。
テトラの魔眼は独立した存在なので、これを掻き消す手段はない。故に、彼女は心臓から溢れ出る冷気の魔法をもって膝から下を氷漬けにこちらの侵攻を遅らせながら、再構築した刃でその箇所を切り捨てた。
それとほぼ同時に、ヴァネッサの下半身から放たれた水の弾丸が、ラウの右肺と大腸の数カ所に穴を開ける。……安い対価だ。溢れ出た血液に含まれている魔力を操作して傷口を塞ぎつつ、攻撃を続行する。
「……死にぞこない風情が、臭い息を吐かないで欲しいもの、ね」
凍らせた空気を足場に、吹き飛ばしたヴァネッサの上半身に縋るように、テトラがそちらに向かって跳躍する。
「寝言だな。お前の方がよほど先に死にそうだぞ?」
掴んでいた氷漬けの肉片を握り潰しつつ、ヴァネッサの下半身を義足で蹴り飛ばし、その反動で距離を詰めながらラウは自身の血でテトラの包囲するように、血塗れの腕を振う。
純然たる魔力の塊である血液は、凍結の魔法程度では制止できない。そして色食いの魔眼は見えているものにしか機能しない。その弱点を突かれないようにテトラはさらに後方に跳び退いて視界内に全ての脅威を収める必要があるが、伏兵の存在が頭にあるために、即決は出来ない筈。
(――いや、そこまで莫迦でもなかったか)
テトラは殆ど迷うことなく、その場で耐える事を選んだ。
周囲に散らばった魔力では致命傷にまでは届かないと判断したのだ。要は、ラウと同じように肉を切らせてもいいから勝率を求めた。
(……だがまあ、とりあえず聴覚は奪えた)
血に込めていた魔法が発動して小さな音の衝撃波が連続して発生し、テトラの両耳から血が溢れ出る。
これで伏兵の音を消すという余分は減らすことが出来たし、多少は平衡感覚などにも影響を与えることが出来ただろう。
それを物語るように、テトラの身体は僅かに左に傾いていた。
そこに、肉薄したラウが槍のような蹴りを放つ。
速度の乗った一撃だったが、拒絶の左手が間に合った。
踵の骨の砕ける痛みと共に、完全に受け止められる。
一瞬の硬直。その隙間に滑り込むように、ヴァネッサの刃が膝から下を切り落とした。
鮮血が噴き、テトラの眼に飛び散る。視界を遮るには十分な量だ。狙ったわけじゃないが、この連携の不備を活かさない手はない。
「――っ、人形が、邪魔ばかりしてっ!」
怒りを吐き出しながら、テトラが更なる冷気を放出させる。
今まで手加減をしていただなんて自惚れていられる状況でもなし、いわゆる火事場の馬鹿力のような類なんだろう。それは思いのほか強力で、ラウの動きを瞬き一つ分の時間止める事に成功したが、立て直しを図るには足りない猶予だ。
「今だ、やれ」
はっきりと聞こえる音量でミーアに合図を届けながら、ラウは切り飛ばされた自身の足を掴み取ってリーチを確保し、それをテトラの側頭部目掛けて叩き込む。
確実に捉えた――その確信を掬い取るように、視界に閃光が横切った。
それは完全に感知範囲外から齎された暴力。初手の奇襲をもって吹き飛ばしたテトラの右腕の核から放たれた一撃だった。
「元の状態に近づけてあげたわ。感謝、して欲しいもの、ね」
得物を握っていた手の感覚がなくなり、空振りの風切り音だけが虚しく響く。
と同時に、背後から迫ってきていたヴァネッサの下半身が巨大な一本の槍となって、ラウの背中に吸い込まれた。
完璧な形のカウンターだ。こちらに対処する術はない。
傍から見てもそれが分かったんだろう。水の杭が肉を破って心臓を撫でようとしたところで、落雷の音が響いた。
ミーアが言っていた一度きりの援護だ。
「中途半端な事、ね。貴方のお姉さんなら、きっと自分が死んだとしても私を狙うように指示した、でしょうに」
いっそ憐れむような声を漏らしながら、テトラは援護と共に飛び出していたミーアに視線を向けて、自ら距離を埋めるようにして迎え撃つ。
ヴァネッサの上半身の背後に隠れなかったのは、仕掛けられているであろう魔法を警戒しての事だ。そちらはヴァネッサに引き受けさせて、あとは拒絶の手で防ぐ。テトラが今居るのはそれが出来る絶妙な立ち位置であり、ミーアもそれを感じてか舌打ちをする始末だった。
それでも彼女が強引に仕掛けたのは、此処がラウの限界だと看破しての事だろう。二対二であるうちに、少しでも優位を取れる選択を取ろうとした。ミーアに落ち度はなく、ひとえにテトラがこの駆け引きに勝ったという事実だけが其処にはある。
(……伏兵が、一人だけだったらな)
胸の内で、静かにラウはそう呟き。
直後、ヴァネッサの上半身が蒸発する音が響いた。
「――な!?」
テトラが驚愕に目を見開く。
魔力の色で、それがミーアの放ったものではないと解ったからだろう。或いは、突如として浮上した膨大な魔力に慄いたのか。
「一撃だけであるのなら、まだまだ全盛期の自身とも張り合えそうですな。まあ、本当に一撃だけですが」
「……オーウェ・リグシュタイン」
震えたテトラの声に応えるように、もはや遙か下方にある地上に一人立つ老人が腕を突き出す。
今の雷撃は、ただの道筋だ。本命の最大火力を真っ直ぐ徹すための下書きのようなもの。
「お嬢様を傷つけた罪、その身をもって償って頂きます。覚悟はよろしいですかな?」
かつて騎士団を努めていた男は、低く押し殺した声をもって、天に向けて巨大な雷を解き放った。
ヴァネッサが防波堤となるが、ぎりぎりだ。
あと何度、その残り滓の魔力体は盾の役割を果たせるか。
「余裕ですね? 貴女」
「――ぐぅっ」
呆れるような呟きと共の放たれたミーアの鋭い突きが、テトラの鎖骨を穿つ。
さらに追い打ちをかけるように、その側面から炎の塊が迫っていた。オーウェやミーアに比べればか弱いな暴力だが、それでも火傷程度では済まない程度の暴力は孕んでいるだろう。
「他にも居るのっ!? なんで、こんなに――」
「気付けなかったのか、か? 当然だろう? お前が今相手にしているのが誰か忘れたか?」
思わず本気の嘲りが零れた。
ヘキサフレアスとは音と光を主軸に、トルフィネを支配してきた暗躍者たちなのだ。そしてリッセとラウ以外の誰も、組織の構成員の正確な数や能力を知る者はいないという、未知という名の武器を抱えて続いてきた。
もっとも、仮に既知になっていたとしても、この状況を避ける術はテトラにはなかった事だろう。その程度で対策出来るものが、この時の為に用意した『必殺』である筈がないのだから。
「正直、あたしは手伝うつもりなんてなかったんだけどね! でもさ、やっぱやられっぱなしは癪でしょう!」
二つほど先にあった建物の三階部分から火球を放ったユミルのやけくそ気味な叫びを聞きながら、ラウはトドメを担う少女に視線を向けた。
「――捕まえた! 死んじゃえっ!」
オーウェの雷撃の中に孔を開けて、その中に潜伏していたシェリエは、怨嗟に満ち満ちた声と共にヴァネッサの身体を容易く貫きながらテトラの背中に触れて、その胴体に巨大な風穴を生み出す。臓器の全てを呑みこむ孔だ。
ヴァネッサと同じように身体が半分に千切れ、上半身がこちらに降ってくる。
ラウはその頭部を義手で鷲掴みにして、手首から先のない腕をしっかりとこめかみに固定して、
「報復の時だ。惨めたらしく潰れて死ね」
ぐちゃっ、という音と共に、言葉通りの結末を復讐相手に齎した。
次回は五日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。




