03
一瞬、何が起きたのか理解出来なかった。
だが、分解された瞬間に、彼の体内から微かな魔力が零れたのを前に、母がおぞましい怪物だという事を改めて思い知る羽目となった。
これは、人形だ。母が姿だけを真似て作った粗悪な人形。
「いや、いや、、、いやぁあああああああああああああああ!」
鶫が悲鳴を上げる。
「そうだ、その顔が見たかった。思い出したんだ。お前は昔、あの子を傷つけていた。だから、潰れて死ぬだけでは足りない。もっと苦しめ、苦しみながら死ね」
義父の姿をした人形が、淡々とした口調で母の伝言らしき言葉を並べた。
そして、鮮血を蒼く染め上げて、そこに毒性を孕ませる。
微量な毒だ。この世界の人間にはおそらく何の影響もないだろう。けど、魔力を持たない人間にとって、それは十分致命傷になる。
ただ、幸いそういった人間を前提に制作された存在のため、全てが遅い。
おかげで、身体能力を調整し、慎重に鶫と朱鷺弥の二人を抱えて、部屋から出るという選択を取ることが出来た。
緩慢ながらに忙しい避難。その最中に、
「……しかし、私が機能するとは思わなかったな。やはりナアレ・アカイアネは警戒するべき対象。それを彼女に伝える事が出来ただけでも、慰み以上の価値が私にはあったという事か。喜ばしい話だな。あぁ、喜ばしい話だ」
と、人形は満足げな呟きを残し、ドロドロに溶けて消えていった。
「ど、どうかしたのですか?」
悲鳴に驚いたんだろう。外に居た兵士が強張った表情で訊いてくる。
部屋の中の様子を見ながらのことなので、最低限の情報は言わずともわかるだろう。正直、説明する気には到底なれなかった。
二人を床に下ろして、俺は言う。
「すみませんが、新しい部屋を一つ用意して頂けますか? ……お願いします」
「は、はい。すぐに手配します」
最後の言葉に込めた威圧に怯えたように、兵士は逃げるように去って行った。
完全なとばっちりで申し訳ないが、嫌いだとしても身内なのだ。プライドの高い鶫のこんな醜態をいつまでも他人に晒すわけにはいかない。ただでさえ打たれ弱いのだ。これ以上余計な痛みを許すのは酷だろう。
「……嘘よ、嘘よ、あんなの、あんなの、、う、うぅ、あ、あぁ、ああ、ぅぅ、」
涙を流し嗚咽を零しだした鶫の両眼を覆うように右手を押し付けて、軽く脳に衝撃を与えて眠らせる。これで、泣いている姿を朱鷺弥や俺にも殆ど見せずに済んだ。
「お、お前! こいつになにをしたっ!?」
鶫の異変に気付いた朱鷺弥が、こちらの胸ぐらを掴んでくる。
不良っぽい真似をして学校では怖がられていたが、女子に手をあげるような乱暴さは持ち合わせていなかった彼がこういう暴挙に出てくるあたり、なんだかんだ鶫の事が好きなんだというのが伝わってきて、その相変わらずさに少しだけ安堵を覚えた。
「気絶させただけだよ。それとも、泣き叫んでいる彼女の姿をもっと見ていたかった?」
「はあ!? そんなわけねぇだろ! てめぇ、喧嘩売ってんのかっ!」
唾を飛ばしながら、朱鷺弥が叫ぶ。
純粋な怒りに満ちた目。でも、真っ直ぐ見つめていると、その色はすぐに動揺を宿していく。そんなところも変わっていない。
「君は元気そうだね。その元気を使って、ちゃんとお姉さんの事もケアしてあげてね」
「――っ、言われるまでもねぇよ!」
そう吐き捨てると、朱鷺弥は俺から手を離して、人形がいた部屋の方に視線を向け、少しだけ歯を食いしばるような仕草を見せた。
鶫が先にパニックになったから、喪失よりもそちらを優先していただけで、朱鷺弥にとっても義父は大切な人だったのだ。受け入れるのには、きっと時間がかかるだろう。
「……すぐに新しい部屋が用意される。君たちの世界の言葉を話せるのは私だけだから、必要なものがあるなら、今のうちに言って欲しい」
「別に、さっきの場所以上のもんなんて望んでねぇよ。けど、そうだな、説明はして欲しい。こいつもそれを望んでたしな」
鶫に視線を向けて、朱鷺弥が言う。
「判った。なにが訊きたい?」
そうして、俺は彼の疑問に一つずつ答えていき……用意された新しい部屋に移動してからも、一時間程度の時間を費やして、最後の質問まで付き合った。
「なぁ、親父を殺した奴は、一体誰だったんだ? 親父の再婚した相手が殺したってのは、本当なのか? だとしたら、死人が親父を殺したのか? どうして親父は、殺されないといけなかったんだ……?」
「……それは、私にも判らない。…………ごめん」
その最後の問いに、俺にはそう答える事しか出来なかった。
§
外に出ると、もう朝が顔を出していた。
懐中時計がないのが不便で仕方がないけど、多分今は一時くらい(倉瀬蓮の世界で午前六時)なんだと思う。
さすがに疲労も無視できなくなっていて、欠伸が零れた。
でも、眠る事は出来そうにない。精神と身体の乖離を感じる。
(――私に代われ。さすがにそろそろ自由が欲しいぞ)
と、突然レニが催促をしてきた。
言葉通りに受け取っても良かったが、現状誰よりも近い他者故か、それがこちらへの気遣いだというのはすぐに理解出来た。
甘えてもいいのかもしれない、という気持ちが一瞬過ぎる。が、そういう訳にもいかない。
――ありがとう、でも大丈夫だよ。
(感謝の意味が不明だが、まあいい。……だが、私への気遣いを忘れるなよ?)
――判ってる。この件が片付いたら、そうだね、丸一日身体の主導権を渡してもいい。もちろん、常識の範囲内の行動を取ってくれるなら、だけど。
(貴様、私を非常識な人間だとでも思っているのか?)
――それは当然思っているけど。……うん、そうだね、最初に比べればその印象も少しは薄れたかな。
(どこまでも不敬な奴だ)
――対等の相手に、必要以上に敬う必要はないからね。
そう言うと、レニは(……ふ、ふん)と鼻を鳴らして引っ込んだ。
当初は想像もしていなかったけど、彼女との会話のおかげで少しだけ気が晴れたような気がする。あまり気を遣わなくていい相手だからだろうか。
ともあれ、最悪の一歩手前まで改善した精神状態でイルの屋敷に戻り、与えられた客室の中に入る。
(やっとか、遅い修繕だな)
やや不機嫌そうに、レニがそう零した。
留守にしている間に窓が直されていたのだ。たしかに、客に痛んだ部屋を提供するのは、あまり褒められたものではないけど、向こうも向こうで色々とバタバタしていたのは想像に容易いので、目くじらを立てるようなことでもない。
とりあえず、テーブルに置かれていた飲み物と非常食に手を付ける。
空腹を満たしたら、少し仮眠をしよう。……あぁ、でも、その前に、心配しているだろうし、一応隣の部屋にいるミーアに一言声を掛けておいた方がいいかもしれない。……あぁ、でも、もう寝ているかもしれないし、どうするか――なんて事を考えた所為だろうか、無意識に聴覚を強化してしまったのか、不意にミーアの声が耳に入ってきた。
「……莫迦な人。弱いくせに、前線なんかに出て」
ぽつりと零された呟き。
独白はそれきりで……でも、そのあと小さな小さな嗚咽が届いて、彼女が泣いているのがわかった。
感傷に浸る余白が出来たから、リッセの事が頭に過ぎったんだと思う。
最初は凄く仲が悪くて、殺し合いだってした二人だったけれど、そういった経緯があったからこそ、ミーアにとってはきっと凄く自然体で居られる友達だったはずで――
「……」
鮮烈な朱色の髪の、あの少女の姿が脳裏に浮かび上がる。
熾烈で悪趣味で他人を使うのが上手くて色々と手広くて、お酒が好きで美食家で、小柄な事を気にしていて、お洒落で、敵には冷たいけど身内相手には面倒見が良くて気前も良くて、ミーアと同じくらいに長い付き合いで……彼女は、俺にとっても大事な友人だった。この街で彼女に出会っていなかったら、今の自分は絶対に居なかっただろう。
……解っている。
とっくに、解っているのだ。
母が彼女に手をかけた時点で、きっと、もう全て手遅れだった。
ラウは、必ず復讐を果たすだろう。ラウだけじゃない、他の多くの人にとって母はすでに殺すべき対象で、そして今の母を殺すのはきっと簡単だ。
だったら、俺が自分の手で終わらせてやるのが、きっと一番マシな結末になる。
元より自分でまいた種だ。あの男を俺が殺してさえいれば、きっと母は怪物なんかにならずに済んだのだから。
次回は四日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。




