08
そこらの金属よりもずっと硬質な拳が、それ以上に強固な鎧に反発されて、大気を幾度となく弾けさせる。
全ての攻撃を受け止め不動の構えを崩さないレニと、瞬き一つの間すら同じ場所に留まることなく全ての攻撃を躱し切るラウ。
それは、一見すると五分の戦いに見えた。いや、むしろ攻撃を当てられている分、ラウの方が有利と捉える人だっていそうなくらいだった。
けれど、実情はまったく違う。
(粘るものだな。そろそろ逃げる足もなくなりそうだが……まあ、前から斬るか後ろから斬るかの違いでしかないか)
レニは酷く冷めた目で、ラウの限界が近い事を感じ取っていた。
両足に込められている魔力の翳りが、俺にもそれが事実であることを教えてくれている。
このままいけば、間違いなくラウは死ぬだろう。
とはいえ、そんなのは今更だ。一騎打ちが始まった時点で判りきっていた事。だから俺が今気にしなければならないのは、その未来ではなく、その未来までの猶予。要は、俺が傍観者のままでも許されている時間だった。
一見すると此処にはレニとラウしかないが、倉瀬蓮という不確定要素も間違いなく存在しているわけで、厳密に言えば一騎打ちではないのだ。そして聞こえるようになったレニの思考。それは、こちらにとって良い兆しと見てもいいだろう。
この身体の主導権は、危機の度合いによってオセロのように変化する。
以前、俺がオーウェさんとの戦いで意識を失い、そのままでは殺されるという状況で今表に出ているレニに切り替わったように、あともう一撃でもラウがこの命に大きな負荷を与えてくれれば、またひっくり返る可能性だって十分にあるはずなのだ。
もちろん、ラウに全てを委ねるわけにもいかないので、そのチャンスは俺が作る必要があるんだけど……干渉できそうで、干渉できない現状が続いている。
爪先は掠っている気がするのだ。実際、動かせそうな感じになった時、レニはその箇所に意味もなく力を加えたりしていた。そういう意味では既に干渉出来ていると言ってもいいのかもしれない。
ただ、それじゃあ足りない。ちょっとした違和感を与えているだけだ。集中力を多少乱す程度の役割は果たせているのかもしれないけど、有効打というには程遠い。
まあ、程遠くても今のところこれしか出来ていないんだから、これを続ける以外にないんだけど――
(自滅を待つのもいいが、少し単調が過ぎるか。傷を広げるのは癪だが、切り札の類を使わせる前に処理したほうが結果的には良さそうだしな)
右手にただ持っていた細剣を強く握りしめて、レニが動いた。
こういうのを戦士の嗅覚とでもいうのか、待ちに徹すると読んでいたらしいラウの表情が微かに曇る。その顔に風穴を開けんと背後の建物から剣を伸ばしつつ、レニは横一線の斬撃を放った。
最高に最悪のタイミング。だからだろう、ラウは背後からの攻撃を致命傷だけを外す最小の回避で済ませて、正面からの一撃にカウンターを叩き込んだ。
死角から飛んでくるフックが、鎧越しに衝撃と耳鳴りを運んでくる。
でも、脳を揺らすほどじゃない。見えていなくても、来ることが分かっている攻撃では、大した痛手にはならない。
対するラウは、今のでかなり不味い状態になった。臓器をすり抜けたとはいえ、胴体に穴が開いたのだ。動きに支障が出ない筈がない。
(私ほどではないにしても、なかなかに色が強い。体内の剣に瞬時に棘を生やすのは、さすがに無理か)
攻撃後にすぐにまた移動して、突き刺さった剣を引き抜いたラウを目で追いながら、レニは追撃の一歩を踏み出す。
どうやら、このまま畳み掛けるつもりのようだ。
ブレードを装飾した左腕を乱暴に振り抜きながら、右手の細剣が喉元を狙う。
ラウはかろうじてそれらを躱すが、体勢が悪い。
「終わりだ」
その言葉と同時に、レニの右足がラウの左足の甲を踏みつけた。
骨が粉々に砕ける音と共に、ラウの動きが止まる。
それに合わせてレニは右手の武器を細剣から肉薄した距離に適した大型のナイフに変えて、逆手に持ったそれを容赦なくラウの胸元目掛けて振り下ろした。
深々と肉を貫く感触。心臓はギリギリで外れたが、それでも致命傷と言ってもいい深手。
だが、次の瞬間、ラウのは微かに笑って――暴力にまで昇華された異様なほどの大音が、突然響き渡った。
発生源はナイフを刺した箇所と、踏みつぶした足の二つ。
まるで、そこで発生したエネルギーの全てが音に変換されたみたいで、右の鼓膜が破れ、鼻からも大量の血が溢れ出た。
当然のように三半規管もやられて、レニは真っ直ぐ立っている事が出来ずに、ぐらり、とよろめく。
それを支えるように、ラウの左手がこちらの胸ぐらを掴んで、
「あそこに突っ立ったままなら、意識も持って行けたんだろうが……少し、音が足りなかったか」
少しだけ残念な声で呟きつつ、骨が軋むほどに拳を強く握りしめ、ラウは無防備なレノの顔面に渾身の一撃を叩き込んだ。
最初の不意打ち以上のインパクト。
けれど、レニの意識は途切れない。むしろ途切れたのはラウの方で、彼は鼻と耳と目、そして口から大量の血を溢れさせて、糸の切れた人形のように崩れ落ちた。
レニがそれをまったく想定していなかったところから見ても、今のは相当な捨て身技だったんだろう。
(……やはり、優先しておいて正解だったな。しかし、満足に動けない状態での始まりだったとはいえ、まさか一人にここまで手間取るとは、想像以上に錆びているという事か)
踏みつけの為に足に力を注いでいたおかげか、吹き飛ばされる事なく地面を数メートル程度削る程度で踏みとどまる事が出来ていたレニは、おぼつかない足を無理矢理前に出して彼我の距離を少し戻し、右手に大剣を具現化してラウにトドメを刺さんと振り上げる。
狙いは首。ギロチンのように勢いよく撥ねるつもりのようだ。
ただ、それが振り下ろされる事はなかった。
当然の結果だ。この状況で、誰がそんなふざけた真似を許すかという話である。
(なんだ、念動の類か? ……いや、その手の脆弱な魔法が私の色に届くはずがない。まして、ここまで干渉されていて魔力を感じない事など、あり得ない)
レニは動揺と共に自身の右腕を見つめながら無理矢理攻撃を続けようとするが、右腕は小刻みに震えるだけで、それ以上進む事はない。進ませはしない。
完全にラウのおかげだけど、ようやくこの身体の手綱を半分程度取り戻せた。その事実を実感しながら、具現化させた剣を消そうとするけど、大剣の方も消えてはくれなかった。
こういうところが半分だ。まだレニの方にも主導権がある。それが拮抗して、今この身体は金縛りにあったみたいに動けない。
(一体どうなっている? なぜ動かない……!?)
こちらの思考は漏れていないようだ。相当な焦りが伝わってくる。
そこを突いて、もう少し優勢を取りたいところだったけど、むしろレニは躍起になったかのように更に右腕に力を注ぎこんで、自分の意志を通そうとしてきた。
なんとか堪えようとするが、五分という見積りは少し甘かったか、じわじわと押されていく。
ラウはまだ意識を失ったままだ。負けるにしても、彼が目覚めるまでは凌がなければならない。
止まれ、止まれ、止まれ! と必死に念じながら、感覚だけは普段通りの右腕に全神経を注ぎこむ。
そうしてかろうじて侵攻を抑えて、十秒くらいが経過したところで、
「――ぐぅ、ぁ、あ、、」
全身が軽く痙攣するほどの激しい頭痛が、この身体に呻き声を上げさせた。
立っていられなくなって、その場に膝をつく。
じわり、と脂汗が噴き出てきた。呼吸も乱れ、心音が滅茶苦茶なリズムを取り始める。
きっと、脳に多大な負荷が掛かった影響だ。別々の強い命令を同時に受けて、拒絶反応でも起こしたんだろう。まあ、これはただの推測でしかないけど、動きが止まってくれたなら俺にとっては上々――と、そんな事を朦朧とする意識の中で思っていると、かろうじて機能している片耳が不穏な言葉を捉えた。
「それで、両方やればいいのでしたか?」
「それが許されるのは、無法の王が完全に終わった時だけだ。鎧の方だけを殺せ」
「貴女にしては、ずいぶんと強い言葉ね。……全力で、やっていいの?」
「両手の拘束は外そう。だが、目は、そうだな、状況を見てから決めようか」
……どちらも覚えのある声だが、痛みの所為かそれが誰なのかはすぐに思いだせない。距離感も曖昧だ。そこまで近くはないが、遠くもないと言った感じだろうか。
(……もういい。片腕での戦いにも慣れた。なら、ここにいる意味はない)
これ以上ここで、ラウを殺す事に固執しても仕方がないと判断したのか、レニは凶器の具現化を解いた。
なら、こっちもいったん休憩だ。
頭痛の激しさに嫌気を覚えながらも、なんとか警戒は保ちつつ、右腕への干渉をやめる。
それで、身体の自由を取り戻したんだろう。レニは、忌々しげに一度歯を軋ませてから、大きく後方に跳躍して、まだ倒壊していない建物の上に降り立ち――そこに、冷気の刃が迫ってきた。
咄嗟に鎧を具現化し直して防ぐが、それを貫いて肌を浅く切り裂くだけの威力。
ラウの攻撃ほどじゃないけど、今の状態で対処するのはレニも嫌だったのか、
(忌々しい屑共が……!)
と、毒を吐きながら再び跳躍し、ざっと周囲を見渡してから中空に四角形の塊を具現化し、それを足場に力の限り全力で人の気配のない方位へと飛び立つ。
その結果、この身体は城壁の上を易々と超えて街の外へと移り、やがて以前一度だけ足を運んだ事のある森へと向かって、放物線を描きながら落ちて行く事となった。
そう、俺が初めてレニ・ソルクラウの力を揮った、あの森に……。
次回は三~四日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。