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02

「……すぐに結論を出してほしいとは言わない。まだ敵の居場所が判っていないわけだからな。あぁ、だから、それが判明するまでに決めてくれると助かるものだ」

 嫌な沈黙が過ぎる前に、イルが口を開いた。

 正直、向こうからの引き伸ばしには安堵を覚えたが、同時に強い焦燥感にも襲われる。

 その感情に追い打ちをかけるように、

「あぁ、それと、少し前に彼が目を覚ましたそうだ」

 と、イルは言った。

 彼というのが誰かは、俺とイル以外には判らなかっただろう。

 俺は小さく頭を下げて、足早に部屋をあとにした。

「レニさま?」

「先に戻っていて。少し、用事があるから」

 一緒に廊下を出たミーアにそう言って、イルの屋敷の外に出る。

 真夜中の中心に差し込む別世界の光は、そこだけを切り取れば幻想的なのかもしれない。

 街の有様を直視したくない心情で、最初に空を見上げた自分の精神状態に苛立ちを覚えながら、歯を食いしばって視線を真正面に、足早に目的地に向かう。

 道中、割れた携帯だったり、パソコンの残骸だったりが目に付いたが、死体の姿は見当たらなかった。大通りに限った話だとは思うけど、そういったものは最優先で回収されたらしい。もし見知った顔の同級生の死体が転がっていたらという不安は、とりあえず消えてくれたようだ。まあ、見えていないだけで、きっと誰かは死んでいるんだろうけど……。

「……」

 昏い想像に苛まされながら、上地区を抜けて中地区には入り、問題なく目的の場所に辿りつく。

 そこは普段は主に商人の子供たちの学校として使われている建物で、今は空から落ちてきた人達の避難所として開放されていた。

 その最上階の一室の前には警備の兵士がいて、俺を見ると小さく会釈をし、守っていた扉を開けてくれた。

 そんな彼にこちらも頭を小さく下げてから、深呼吸を一つ取って、中に入る。

 鎮静効果のありそうな香水の匂いと、新品のベッド。傍らには四人位が座れそうな大きなソファーが設置されており、ベッドとソファーに挟まれたテーブルにはジュースの瓶も置かれている。果物のジュースだ。相当に贅沢な逸品。でも、手がつけられた形跡はなかった。まあ、それはそうだろう、彼等からしたら得体の知れない世界の飲み物なのだ。まともな神経をしているのなら、少なくとも初日に手は出さない。

「――っ」

 ソファーの肘掛に身体を預けてうつらうつらと舟をこいでいた義父が、こちらの存在に気付いて身構える。その反応で、反対の肘掛に腰を預けてスマートフォンを弄っていた義弟の朱鷺弥が顔を上げて、息を呑んだ。

 レニ・ソルクラウの容姿に驚きを見せたのだ。それは良く言えば普段通り、悪く言えば状況に適応できていない反応と言えた。

 対する義父は、いつもの穏やかな面持ちが見る影もなく、焦燥に満ちた険しい気配を漂わせている。その姿で思い出すのは、母が死んだ日の事だ。あの日もこんな感じだった。下手をしたら、俺よりも喪失感を全面に出していた。

 そんな彼に、俺は日本語で話しかけた。

「身体の調子は、どうですか?」

「――」

 この世界で初めて意志疎通が円滑に出来る相手を前にしたからだろう、義父の表情に驚きと微かな安堵が浮かぶ。

 それだけで信用の一端を見せるあたり、人が良いところも変わってなさそうだ。

「……え、ええ、問題ありません。色々とお気遣いありがとうございます」

 硬さが少しほぐれた微笑を浮かべて、義父は言った。

 色々というのは、この待遇についての事だろう。他の人たちとは明らかに違う扱いなのは、義父もすぐに察したようだ。

 ただ、その理由について話すつもりはない。少なくとも、今そんな情報を押し付けるのは、義父にとって負担にしかならないからだ。

「なにか必要なものはありますか?」

 そう訪ねると、義父はベッドで眠る鶫に視線を向けて、

「娘の容体を、出来れば詳しく知りたいのですが。それは可能でしょうか?」

 と、躊躇いがちに言った。

 発見した時は全員気を失っていて、三人とも同じ状態だったように思うのだけど、鶫だけがまだ目を覚まさないのだから、心配になるのも無理はない。マーカス先生は深刻な損傷はなかったと言っていたが、明日になっても起きないのであれば、その診断を疑う必要もでてくるだろう。

 まあ、そんな事はないと思いたいが――

「――うぅ、うわ、ぁあ、、」

 思考を遮るように、件の鶫から声が漏れた。

 なにかに魘されているような反応は発見時もそうだったが、今回は意識の浮上を感じる。

「鶫……鶫!」

 ずっと、不安を抱えていたんだろう。普段の義父なら、乱暴に起こすなんて真似はしなかったと思うが、鶫の肩を揺らして覚醒を促す。

 それが功を奏したのかは不明だが、鶫はゆっくりと眼を開いて、

「……パパ?」

 と、ぼんやりとした声で義父を呼び、それからなにかを思い出したのか、怯えたような表情を見せたのちに、躊躇いがちに義父の手を掴み、

「冷たい手。でも、生きてる。……そうよね。あんな非常識、夢じゃないわけない」

 と、小さな声で呟いた。

 呟きながら、感触を確かめるように強く強く義父の手を握りしめる。

 酷く、必死な有様だった。

 義父が死んだと思うような何かがあった? まあ、向こう側では多分色々とんでもない事が起きていた筈だから、ないとは言い切れないが……なんにしても、義父たちの生存は間違いなくアカイアネさんの魔法のおかげだろう。

「……鶫、残念だけど、全てが夢という訳じゃないんだ」

 辛そう表情で義父が言う。

 その一言を前に、今自分が全く覚えのない場所で眠っていた事を自覚したんだろう。鶫は周囲をキョロキョロト見渡し、俺の存在に気付いた。

 一瞬目を見開いて、次に眉を顰めて、険しい空気を滲ませる。

「……父さん、そのヒト誰?」

 実に刺々しい口調。

 なんというか、思わず笑ってしまいそうになるくらい想像通りの反応だった。

 義父への呼び方が先程と違う点からも判る通り、彼女は昔から隠してはいるけど義父に対して依存気味だったのだ。そんな子だったから、当然のように再婚には反対していたし、その相手である母に対しても警戒心と嫌悪感をずっと滲ませていた。あげく、俺に対しても攻撃的で、母がいない場所でよく俺に向かって母の悪口を言ってきたものだった。

 まあ、可愛らしい反抗の一種だ。それを聞き流していた俺に腹を立てて突き飛ばしたところを、母に見られていなかったら、の話ではあるけれど。

 あの時は、本当に一種のホラーだった。鶫の後ろに立っていた母の表情は今でもよく覚えている。俺が後でなんの問題もないと、義父の事が大好きなのが判って、家族思いの子だというのが判って、むしろ仲良くやれそうだと言い繕っていなかったら、どうなっていたか。

 母が死ぬまで、彼女は本当に呆れるくらい無自覚な自殺未遂を繰り返していたのだ。そういった経緯もあって、俺は鶫の事がかなり嫌いだった。母が死んでからは殆ど干渉される事もなくなったけど、その気持ちが薄らぐこともあまりなかった。

「どうやら、目を覚ましたようですね」

 ため息交じりに、俺は言った。

「どういう状況なのかしら? 説明してくれる?」

「鶫!」

 上から目線にも挑戦的にも聞こえる物言いに、義父が焦りをみせる。

 こういうところも変わっていない。基本的に莫迦なのだ。それも自分を賢いと思っている類の莫迦。それで高校入学当初痛い目に合ったというのに、学習もしない。……そういえば、あの時もこっちは結構な面倒をかけさせられたのだ。思い出したら苛々してきた。

 ただでさえ鬱々としているわけだし、この際、繰り返される前に強めの釘を刺しておくのも悪くない――と、ここに義父がいなかったら、きっと思っていた事だろう。

 だが、義父には色々と恩がある。その人が大事にしている娘を追い詰めるというのは、さすがによろしくない。

 だから、溜息を一つで水に流す事にして、俺は本題に入る事にした。

「そちら側で一体何があったのか、聞いてもよろしいですか?」

「え、ええ」

 義父は小さく頷き、

「あの世界の全てが壊れる前に、死んだはずの妻が現れたのです。……そして妻は、私を殺しました」

 と、答えた。

 答えた直後、義父のこめかみのあたりからと血が垂れだして、身体の至るところに紅い線が走りだし、

「こんな風に」

 その言葉と共に、義父の身体は頭部を除いた全ての彼女がバラバラに分解されて、血の海を溢れさせた。


次回は四日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。

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