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第八章/全ての決着 01

 途方もなく、長かった一日が終わった。

 判明した被害の規模は眩暈がするほどに大きく、幸いだったのは知人に死人が出なかった事くらいだった。……十二分の幸運だ。

 でも、それでも、気持ちが沈むのを避ける事は出来ない。

 元凶が誰かを知っているのだから当然だ。それを誰にも口に出来ないのだから、尚更だ。

「……」

 藍色の花の襲撃によってだろう割れた窓から、俺は少し身を乗り出して空を見上げる。

 本来なら夜空がある筈のそこにあるのは、コンクリートの地面だ。

 倉瀬蓮がいた世界はまだこの世界と繋がっていて、それどころか着実に広がりを見せていた。最初は都市の半分くらいを埋めていた裂け目は、もはやトルフィネの四倍ほどの大きさにまで膨れ上がり、結界によって影響が抑えられた今もまだ、向こう側の世界に強く干渉しようとしている。

 すでに中心部分の建物は全てこちら側に降り注がれて、いたるところに瓦礫の山を生み出していた。

 ただ、それによるこちら側の被害は特にない。トルフィネの建物には傷一つつくことなく、そこで暮らしている人達もまた怪我一つ負う事はなかった。

 この辺りは、学校で魔力の使い方を学び大抵の人が最低限の自衛手段を持っているトルフィネの水準の高さのおかげというべきか。

 逆に、落ちてきた人達は、その大半が墜落する前に亡くなっていた。一緒に堕ちてきた建物と衝突したり、急激すぎる気圧などの変化に耐えられなかったためだ。

 アカイアネさんは全力を尽くして多くの人の死を遠ざけてくれたのだと思うけど、多分、向こうの死者は優に五千人を超えているだろう。

 まるで地獄のように、今トルフィネの街には死体が溢れていて、アカイアネさんのおかげで生き残った人たちの行く末も不明なまま……。

「――レニさま」

 躊躇いがちな呼びかけに振りかえると、そこには神妙な表情を浮かべたミーアがいた。

 傷も塞がり、時間もある程度経ったけれど、やっぱりまだその顔色は青白い。

「どうしたの?」

「イル・レコンノルンが、今後の話をしたいと」

「そう、わかった」

 頷き、その彼が貸し与えてくれた客室を後にする。

 訪れた当初は傷だらけだった壁や廊下も、俺が身体を休めている間に全部修復されたようで、大貴族の邸宅らしい絢爛さを取り戻していた。

 彼自身も、あと数日もすれば全快できそうな状態だったので、この問題さえ解決すれば、トルフィネが日常を取り戻すのに、そう時間は掛からなそうだ。

 ミーアの後に続いて階段を下り広いホールを経由して、玄関から見て左手奥の、十数人程度の気配を孕んだ部屋に入る。

 中は会議室のようで、イルの他にも見知った顔が何人か、椅子に腰かけていた。

 そのうちの一人を前に、否応なく胸が締め付けられる。

「……ラウ……もう、大丈夫なの?」

 なんとか普段通りに接しようと思ったけれど、声はどうしても震えてしまっていた。

 彼もイルと同じく、連盟の拠点と思しき場所で発見されたが、目立った被害が衰弱程度だったイルと違って、その姿は本当に痛ましいものだった。

 四肢がなかったのだ。貴族の罪人のように、両腕両足の根元が切り落とされていた。

 あげく、長時間その状態を維持された影響だろう、設計図にも傷が入っていて、もうラウの右腕と右足は元に戻らない。

「お前もずいぶん、辛気臭い顔をしているな」

 つまらなげに、今も右半分の手足がないラウが言う。

 言いながら傍らに控えていたセラさんの鼻っ面を再生できた左手の甲で軽くたたいた。

「――っ!?」

 完全な不意打ちだったんだろう、吃驚した顔と共にセラさんが鼻を抑える。

 もちろん、加減に加減を重ねられていたので、単純に曇っていた表情を壊すためだけの行為だ。大事なものには荒っぽいけど優しいその姿勢は、今までのラウと何一つ変わらない。

 だからこそ、余計に失われたものが目立って見えたのは、こびりついた罪悪感の仕業か。

「……ごめん」

「お前が謝るような理由があったか?」

 思わず口に出た言葉に、ラウが不審そうな反応をみせる。

 そんな彼に、自分の感情を押し付けるのは、それこそ謝罪ものの独りよがりだろう。

 俺は呼吸を一つ整えて、

「そうだね。無事で良かった」

 と、なんとか微笑を返す。

「あぁ、無様な負けではあったがな」

「その時の事を、具体的に説明してもらいたい」

 静かなイルの声が、間に割って入ってきた。

 この場にいる全員の視線が、そちらに向く。

「正直なところ、テトラ・アルフレアにそこまでの価値があるとは認識していなかった。もちろん、枷を解いた上での話だ。なにか、他に切り札でもあったのか?」

「別に、奴一人に負けたわけじゃない。その前にゼベとアダラの二人を始末する機会があったからな」

 淡々と、ラウはそう返す。

 瞬間、二人の顔が脳裏に浮かんだ。

 ヴァネッサの側近である二人。どちらも物騒な人物という印象が強いけれど、どちらも嫌悪を覚える対象じゃなかった。話した事もあったし、日常の一部というほどではないにしても、知人と呼べる程度の関係ではあったのだ。

 リッセの件があった所為か、自分の知らないところであっさりと見知った誰かが死んでいたという事実がなんとも苦々しくて、これが抗争や戦争の味なのかという思いに満たされる。

「なるほど、たしかに無傷であの二人を処理するのは難しいか。後詰めとしてテトラが控えていたのだとしたら、不意打ちも成立していそうだ。奴の魔法は、使い方によってはそちらの感知の網を潜り抜ける事も可能だろうしな。そこまでいけば、そちらの敗北にも納得がいく。……それで、今の状態でテトラ・アルフレアに勝てる見込みは、どの程度ある?」

 不躾な視線をラウの欠けた箇所に向けながら、イルが言う。

「貴方っ――!」

 当然と言うべき怒りを、セラさんが露わにした。

 それを平然とした表情で受け止めながら、幼い少年の姿をした大貴族は揺るぎない口調で応える。

「この街最大の恩人への配慮に欠けた言葉である事は判っているが、必要な確認だ。答えてもらいたい。どこまでの事が出来る?」

「足止め程度なら、一人でも可能だろう」

「それは素晴らしい。選択肢が大いに越したことはないからな」

 涼しげな微笑を浮かべて、イルはぴんと伸ばしていた背中を、椅子の背凭れに深く預けた。

 余裕綽々といった様子だ。

「そういう貴様は、どういう経緯で捕まった? そういう事態には誰よりも気を配っていただろうに」

 冷ややかな眼差しをもって、ラウが問いかける。

 それに対して、イルは特に不快を示すこともなく、

「ヴァネッサとディアネットの二人にやられた。いや、この場合は一人というのが正しいか」

 と答え、それからヴァネッサがディアネットの人形である事、騎士団の指揮を執っていたディアネットもまた人形である事、そして本物のディアネットが地味な見た目をしていて、創造と分解という二つの魔法を所有している事などを提供してきた。

 ただ捕まっていたわけではなく、部下などを用いて必要最低限の情報は手に入れていたという事らしい。

「本当にそんなデタラメな力を持ってるような奴なの? 正直、疑問なんだけど」

 と、ドアから見て左手側にいたミミトミアが、眉を顰めながら口を開いた。

「ナアレ・アカイアネほどではないだろう。それとも彼女だけが例外だと?」

「――む」

「それよりも、彼女の容体の方はどうなっている?」

 真っ当な指摘にたじろぐミミトミアから視線を左に少しずらして、イルが訪ねる。

「……魔力の使いすぎで、へばってるだけだ」

 視線の先に居たザーナンテさんが、やや躊躇いがちに答えた。

 それに続いて、ミミトミアが補足を入れる。

「それでも十二分に戦う事くらいは出来るでしょうけどね。あたしたちが代わりに来たのは、あくまで大事を取ってってだけなんだから、そこんとこ間違えんなよ?」

「妙な心配などしなくとも、我々がナアレ・アカイアネに危害を加える理由は存在しない。都市の整備も急務となっている現状で、レフレリと事を構えるような恐れがある選択を取るなど、愚の骨頂だからな」

「それって、時期次第ではそうでもないって事?」

「全ての安全性を、私が保証しなければならないのか? それはそれで愚かしいな」

 さすがに無駄話を続ける気分でもないのだろう。微かに、イルの空気に棘が浮かぶ。

 その不穏な気配を察知してだろうか、

「おい、ユミル、話を長くしないでくれよ。内容、忘れちまうだろう?」

 と、ザーナンテさんが言った。

「ここでのやりとりを覚えて、それをナアレさんに伝えるのが俺たちの仕事だ。他の事は他の奴等に任せるのがいいさ。だろ?」

「っ、判ってるわよ、んなこと! ……ほら、引っ込んでやったんだから話進めたら?」

 目の前の長机の上に頬杖をついて、ミミトミアがそっぽを向く。

「では、そうさせてもらおう」

 ゆっくりとまた背筋を伸ばして話す姿勢を整え、イルが口を開く。

「今、トルフィネに降りかかっている脅威を排除することが出来るのは、この場にいる者達の力だけだ。この街の代表者として、皆の手を借りたいと思っている。無論、報酬は最大限のものを用意しよう」

「別に報酬とかはどうでもいいけど、具体的にどうするつもりなんだ?」

 あのあと無事に地面に着地し、ミーアの治療を受けたらしいドールマンさんが訪ねた。

 この場所に俺より先に来ていた知人は、彼を含めた五人で全てだ。残りの七人とは初対面だったが、イルに意見をしたり、自分から発信しようとする人はいなかった。

 身なりからして貴族のようだし、全てイルに一任しているという事なのかもしれない。

「ディアネット・ドワ・レンヴェリエールとテトラ・アルフレアの行方は現在不明となっている。ゼベとアダラがすでに処理されたというのなら、脅威となるのはこの二人だけとなるだろう」

「新しい人形が生み出される可能性は?」

 鋭い視線と共に、ラウが問う。

「もちろんその可能性もあるが、ヴァネッサほどの質になる事はない。あの手の魔法は時間を掛けて構築する必要がある。強固な存在を生み出すのには、最低でも数年単はいるだろう」

「詳しいな」

「私も人形は使っていた。……あぁ、だからこそ、人形の特性を読み切られて居場所を把握されることになったのかもしれないがな」

「……」

「ふむ、訝しげな視線だな。共謀の線でも疑っていたか? だとしたらそれは間違いだ。或いは、血の深さによって未然に防がれた可能性とでもいうべきか」

「どういう意味だ?」

「分解という魔法のことだ。あれは貴族の継承すら破壊する。スクイリズの件を覚えているか? エレジーのような浅い家ならともかく、何故それなりの歴史を持つスクイリズの娘が暴挙に出たのか、ずっとそれが疑問だったが、ディアネットを前にして理解した」

「つまり、他の貴族は絡んでいるかもしれないという事か?」

「どうだろうな、否定は出来ないが、今となってはそれもあまり意味を持たないだろう」

「何故だ?」

「今ある状況が酷く杜撰だからだ。狡猾に物事を進めてきたのだろうに、敵は最後の最後で全てを台無しにした。まるで、この世界での今後になどもう興味がないとでも言うかのように、事を急いだのだ」

 こちらをちらりと見てから、イルが言う。

 俺が向こうと繋がりを持っている事を、完全に確信している仕草だ。

 まあ、その要因を作ったのは俺自身の要望だったので、仕方がない。

「じゃあ、もう相手は空の上にある世界にいるって事か?」

 ドールマンさんが口を挟んだ。

 それに対して、イルは呆れるように吐息を一つこぼし、

「もしそうであるなら、とうに空の異常も消えているだろう。……話を戻すが、敵はおそらく地下に潜伏している。そしておそらく、再び儀式を行うつもりだ。まずは居場所を突き止めて貰いたい」

「ちょっと待て、そうだと決めつけるのは少し早計なんじゃないか? あの手の魔法は規模が大きくなればなるほど、すぐには消せないって聞いた事がある。だとしたら、もうとっくに逃げてる可能性だって捨てきれない筈だ。……もし、そうだった場合、向こうの世界まで追いかけるのか?」

 疑念と警戒を強めた表情で、ドールマンさんが問う。

 その先に異世界との本格的な争いを想像しての事だろう。まあ、実際、こちらと向こうでは多分戦争になんかならないけど、それがはっきりと解っているのは、この場では俺だけだろうし、当然の心配だった。

「では、その場合の皆の意志も、確認をしておくとしようか」

 椅子から腰をあげて、ゆっくりとこの場にいる人たちを見渡しながら、イルが言う。

「私は、見逃すつもりはない。ここまでトルフィネを傷つけてくれたのだ。奴等には必ず死んでもらう。背後に何かがいるのなら、それも含めて全てな」

 力強く、揺らぎ一つない完璧な宣言。

 元より強固たる血の歴史を持つ大貴族だ。彼はその言葉以上に徹底的に、今回の件の清算をヴァネッサたちに求める事だろう。

「――お前に、その機会はない」

 片足ゆえにか、勢いよく椅子から立ち上がったラウが吐き捨てる。

 そして、寒気がするくらいに禍々しい魔力を放出させながら、イルを見据え、

「この報復の邪魔をするのなら、誰であろうと殺す。俺も、自分の手でやらないと気が済まない性質なんでな。……もう此処に用はない。帰るぞ」

「ひ、一声言って! 吃驚するから!」

 おもむろに身体を傾けたラウの身体を慌てて支えたセラさんが、ちょっと泣きそうな声を漏らし、それから申し訳なさそうにぺこりと頭を一度下げて、ラウと一緒に部屋を出て行った。

 扉を閉めたのはラウだろう、派手な音が鳴る。

 その反響音が途絶えたところで、

「悪いけど、俺たちはそこまでは付き合えないな。向こうに既にいるのなら、そこで終わりだ。面子やらなんやらは、一介の冒険者が抱えるもんじゃない」

 と、ドールマンさんが答えた。

「あたしたちも同じく、って言いたいところだけど、ナアレさん次第ね。明日にでも本人に訊けばいいんじゃない? あたしは、止めといた方がいいって強く勧めるけど」

 元よりこの街の人間じゃないミミトミアも、ある意味で当然の答えを口にして、そうして三人もまた部屋を去っていく。

 そこに特に落胆の色を見せることなく、イルは俺の方を向いて言った。

「どちらを取っても、現状はそちらの要望通り、落ちてきた者達の安全は保証しよう。彼等に脅威は感じないが、それはこの世界に堕ちてきた弊害による可能性も捨てきれないしな。交渉材料をもっておくに越したことはない。……だが、向こうに行った後も、その認識が変わらないのであれば、ただで彼等を保護する理由は無くなる」

「……」

「他の者と違って、この件にレニ・ソルクラウは外せない。何故なら、テトラ・アルフレアを犠牲なく始末出来る者は他に居ないからだ。だから、改めて依頼をしよう。この都市の為に、元凶であるディアネット・ドワ・レンヴェリエールの首を、私の元に届けて欲しい」

 押し黙るこちらを真っ直ぐに見据えながら、俺に母を殺せと、それが出来なければ俺がいた地域の人間を見捨てると言い放ったのだった。



次回は四日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。

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