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05

 ちょうど帰宅ラッシュが終わった頃合いだったのか、バスの中にはそれほど客の姿はなかった。

 今、人口密度の不快に晒されていたら、衝動的にバスの中の人間を皆殺しにしていたかもしれないので、その辺りはお互いにとって幸運だったというべきなのかもしれない。

「……」

 後ろの方の窓側の席に腰かけて窓から流れる景色を眺めながら、華は自身の心音が普段より少し早くなっている事に気付く。

 緊張しているのだ。まだ肩透かしを食らう可能性が待ち構えているかもしれないというのに、再会を少し畏れている。


『――過ぎた結果を求めた者の、贅沢な不安だな』


 突然、頭の中に知らない誰かの聲が響いた。

 テレパシー、魔法の一種だ。

 先程まで居た世界でなら、それほど珍しい体験でもない。だが、此処は魔法なんてものが存在しない世界。つまり、世界を跨いで交信を行えるほどの力を持った何者かが、華に干渉してきているという事になる。

(……貴方、誰?)

『世界というものは多くに分岐しているが、基本的に自身が生まれ落ちた世界から抜け出す事は出来ない。あぁ、だからここは君が死んだあとの世界だ。君が死んだという結果を抱えて進んだ世界という事になる』

 こちらの問いに答えることなく、中性的なその聲は独白めいた言葉を並べてくる。

 普段でも眉を顰めるレベルの無礼だというのに、今の精神状態でそれをされたら、さすがに苛立ちを抑える気にもなれない。

(何が言いたいの?)

『基本的にという事は、抜け道が存在するという事だ。その世界が滅べば、君は君を縛っている世界から逸脱出来る。つまりだ、気に入らない世界なら滅ぼせばいい。私はリセットの方法を教えているのだよ。無償の愛に生きた、母である君に感銘を受けたが故に』

 ――あぁ、こいつは殺す。絶対に殺す。

 華にとって一番許せない事は、蓮への想いを勝手に定められることだ。

(自己紹介すら出来ない無礼者の戯言を、私が信じてやる理由はなに?)

 激しい憎悪によって、体内から魔力が溢れ出た。

 近くの席にいた人が、その分解という魔法の元を浴びて個体を失いどろどろの液体になったが、気付いた者はいない。気付けるような正常の認識など、もはやバスの中の誰も有してはいなかった。

 運転手も然りだ。

 バスは蛇行運転を始め、周りを走っていた車と接触したのか激しい揺れを車内に齎す。

 そんな異常事態を歯牙にも掛けず、華はいつのまにか自分に張りついていた薄い糸のような魔力を捉え、

(――下劣な覗き魔には、罰を与えてあげないとね)

 その糸に、分解の魔法を最大出力で流した。

 敵はおそらく、こちらが開いたままにしている門をつかって接触してきたのだろう。距離からすればまだ十キロも離れていない筈だ。

 それくらいの距離なら、一瞬で伝播させて本体にまで届かせることが出来る。

『――っ、貴様、なにを、あ、あ、うぇ、ぁあ、、、』

(杜撰な危機管理。……あぁ、思い当たったわ。貴方がテトラの言っていた壊れた神の眷属か。まさか、神そのものではないわよね? 人間如きに頭の中を分解させられる神なんて、笑い話にもならないし)

 最後に侮蔑を送ってから糸を切って、華は席を立った。

 色々と思わせぶりな台詞を並べて、此処で暴れて欲しいみたいな思惑を垂れ流していたが、そんなくだらない事は別の誰かに頼んでいろという話だ。

 倉瀬華は今、非常にデリケートな問題に直面しているのである。

(――まあいい。処分も済ませたし、ここでいいかしら)

 もう、まともな運転も出来そうにないので、事故に巻き込まれる前に外に出ようと、華はゆっくりと座席から立ち上がり、半径一メートルの大気とアスファルト以外の全てに分解の魔法を施した。

 直後、座席が、床が溶けるように分解され、次にアスファルトに両足が着くなり迫ってきた後方の席や人も同じ運命を辿る。

 そうしてバスを出た華が後ろを振り返ると、軽自動車がこちらに迫ってきていた。

 運転席にいるのは三十代くらいの男性だ。前方を走っているバスの怪しい挙動を警戒して、速度を落としそれなりの間隔を保っていたが、こちらを躱す気配はない。

 それもそのはずで、彼には華が見えていないからだ。

 視認に関係する要素も分解しているので、彼どころか誰も今の華を認識することが出来ないでいた。だから、ここでどれだけ騒ぎが起きようとも、華が関与したと疑われる事もない。

「この辺りは、変わってないな……」

 降りる予定だったバス停を見つけ、車の行きかう車道を堂々と横切り、対向車線に流れてそのままどこかの建物に突っ込んだバスと、たった今右半分を無くした軽自動車の断末魔を聞いたところで、バス停の前に辿りつく。

 ここから自宅までは徒歩で三分程度だ。

 たった三分で、答えが出てしまう。

(――今更臆してどうする? 蓮に会えるのよ! ようやく、ようやく会えるの……!)

 自身を叱咤するように、太腿二度ほど握りしめた右手で叩いてから、華は止めていた足を前に踏みだした。

(この道で、合っていたわよね……?)

 近所なのに、覚えのない建物が多い。

 そんな街の新陳代謝を噛みしめながら、所々で覚えのある家を前に、懐かしさと寂しさに襲われる。

 その繰り返しの果てに、短くも長い三分が終了した。

『倉瀬』と書かれた表札。

 砂利が敷き詰められた小さな庭に、ワゴン車が置かれたガレージ。このあたりは昔のままだった。引っ越しはしていなかったのだ。おかげで、きゅっ、と心臓が縮んだ。

「……大丈夫、大丈夫だから」

 心を落ち着かせる呪文を口にしながら、先程携帯で見た時刻が21時15分だったことを思い出す。

 灯りもついているし、寝ているなんて事はないだろう。

 躊躇いがちにインターホンを鳴らす。

 数秒ほど待つが応答はなし。

 彼は華が再婚する相手に選ぶくらいに真面目で誠実で、誰に対してもちゃんとした対応をする人物だった。アポイントなしでとなると多少非常識に取れる時間でも、居留守を決め込むような事はしない筈。

 だとしたら、まだ仕事から帰ってきておらず、子供たちが警戒しているという状況なのかもしれない。

 少し迷ったが、もう一度インターホンを鳴らす。

 すると、それから十秒ほど経ったところで、玄関のドアが開いた。

 出てきたのは比較的端整な顔立ちの、ところどころに白髪の混じった四十代手前の男性――華が蓮の為に結婚した、倉瀬隼人その人だった。

 十年経っても、彼はあまり変わっていない。……いや、少し痩せただろうか。健康的な痩せ方には見えないので、やつれたと表現した方が的確なのかもしれない。

 そんな彼は、まるで重りでもつけたような足取りでこちらにやって来て、強張りきった表情を街灯の下に晒した。もちろん灯りなど関係なく、表情の細かな変化までこの眼は捉えることが出来ていたが、彼はこちらの顔を見る前からその表情をしていた。

 なにかしらの魔法で覗き見していた? 

(そんなわけないでしょう? 此処に魔法はないんだから)

 ぱっと浮かんだ発想を小馬鹿にしつつ、さっと周囲を見渡して防犯カメラを発見する。華が生きていた頃にはなかった代物だ。

 華が死んだ事をきっかけに取りつけたのか、単純にこの街の治安がそこまで悪くなったのか……まあ、なんにしても、カメラを使ってこちらを目視していたからこそ、すぐに出て来れなかったのだというのは理解出来た。

 その上で、どういう言葉を最初に送るべきか……

(まずは、私の証明をした方が良さそうね)

 本物だという事を受け入れさせる。

 一番手っ取り早い方法は、二人だけが知っている思い出なり秘密なりを披露する事だろうか。

(なにがあったかな……)

 初対面の見合いの時は、これといって踏み込んだ話はしなかった。強いて言えば、お互い子供がいる事は判っていたので、子供の話を中心に親としての顔を見せ合ったくらいだろうか。ただ、そんなものはお互いの経歴を調べれば容易に想像出来るものなので、説得力としては弱い。

(やっぱり、結婚を決めた時の事がいいか)

 見合いのあと何度かデートをして、彼から改めてプロポーズを受けた時の事だ。

 思えば、あれだけ真剣に告白をされたのは初めてだった。商売をしていた時に自分を口説いてきた男たちとは根本的に違う。だからだろうか、それだけはよく覚えていて……

「結婚してからも一度も抱けなかった女の顔は、もう忘れてしまった? 貴方がそれでも一向に構わないと言った筈なのだけど」

 からかうように華は言った。

 再婚するにあたって一番のネックがそこで、それをあっさりと受け入れてくれたからこそ、華はこの男を選んだのだ。

 傍から見れば間違いなく仲の良い夫婦だったし、事実、夜の営みを除けば、華と隼人は良好な関係だったという事もあり、当然この秘密を知っているのは当事者の二人だけだった。

「華さん、なのか? 本当に……?」

 震えた声で、隼人が呟く。

 事実を受け入れた反応としては妥当なのかもしれないが、未だにその瞳に恐怖に近い色があったのは気になった。蓮を冷遇していた可能性が、嫌でも浮上してくる。

 でも、まだ判らない。ただの杞憂かもしれない。魔力を吐き出すのは、早計だ。

「十年近くも離れていたのだもの。別に貴方が今誰を心の中心に置いていても私は怒らない。貴方の生活を破壊するつもりもないわ。そんな事はどうでもいいの。それより……蓮は、元気にしている?」

 微かに目を細めて、隼人の変化を一つも逃さないように観察しながら、華は訪ねる。

 すると彼は強張っていた表情を崩し、泣きそうな顔を隠すように俯きながら両手を強く握りしめて、

「……すまない。……本当に、すまない。あの子は、もう、いないんだ」

 と、よく判らない事を口走った。

「いないって、どういうこと?」

「通学途中に、車に轢かれて……」

「くだらない冗談ね。笑えないわ。これっぽっちも笑えない」

 能面のような表情で、怖いくらいに淡々とした声を返しながら、華は隼人をどけて、土足のまま家の中に上がりこんだ。

「蓮! 蓮! 私、帰ってきたの! 嘘みたいな話かもしれないけど、帰って来たんだよ! だから、ねぇ、顔を見せて!」

 階段を上って、二階の左奥の部屋に向かう。

 そこが、生前の華と蓮の部屋だった。家の構造は大きく変わっていないように見えるし、きっとそこにいるのだろう。

 今の大声で出てこないという事は、もう寝ているのかもしれないけれど、

「……蓮、入るよ?」

 ゆっくりと、あまり音を立てないようにドアを開ける。

 ベッドが一つに、クローゼットと勉強机、あとはノートパソコンがベッドの脇の棚に置かれた、簡素な部屋。そこが蓮の部屋だと教えてくれている要素は、机の上に立てかけられた再婚前に二人で撮った写真だけだった。

 肝心の蓮の姿はない。

「蓮、いないの? どこにいるのっ?」

 声が、少し上擦ってしまった。

 恋人の家に泊まりに行っている可能性が浮かんだからだ。それ以外ないし、それ以外を許容するつもりもない。

 華は廊下に出て、隣の部屋を乱暴に開ける。

 此処にも、誰もいない。

「……ねぇ、これ、どういう悪趣味なわけ?」

 乱暴にドアを閉めて次の部屋に移ろうとしたところで、階段の方から声がした。

 程無くして黒髪を綺麗に切りそろえた雰囲気のある少女が二階に上ってきて、こちらを険しい表情で見据えてくる。美醜についてはそれなりにシビアな華から見ても、美少女と評価していい容貌に、モデルような細い体型の少女。

「……あぁ、貴女、鶫ちゃんか。大きくなったね」

 相変わらず感情のまったく篭ってない声と共に、華は挑むような視線に迎え撃つ。

 五秒ほどしたところで、鶫が先に視線を逸らした。

「でも、中身の方はそれほど変わっていないか。弱いくせに強がる癖、早く直した方がいいよ? 取り返しのつかないような痛い目を見る前に、ね。……まあ、そんな事はどうでもいいけど。ちょうどいいわ。お姉さんの貴女なら、わかるわよね? 蓮が今、どこにいるのか」

「……一階の、物置の隣の部屋にいるわよ」

「あの空き部屋だった場所?」

「ええ……」

「そう、ありがとう」

 陽だまりのような笑みを浮かべて、華は階段を駆け下りる。

 そこで隼人と出くわしたが、あんな不快な嘘を並べた奴など、もはや視界に入れるのも耐えがたい。蓮が気に入っていなかったら、即刻処分してしまおう。

 そう心に決めながらドアを開けて――そこが仏間だという事を、仏壇から漂う線香の匂いと、高校の制服を着た、(多分入学式の時の写真だろう)大人びた少年の遺影によって、思い知らされた。

 年月を跨いでも、すぐにそれが蓮だと確信できたのは、面影をけして忘れる事がなかったからか……。

「……嘘よ。こんなのは、嘘」

 自らの言葉を否定するかのように、勝手に涙が零れ落ちた。

 それは、必死に目を逸らしてきた現実から、ついに逃げられなくなった証明であり、先程分解してやった神の眷属の言葉を思い出すトリガーでもあって――

「……あぁ、いいわ。どの道、あの子を殺した世界なんて、存在させておく価値もないものね。――テトラ、聞こえている?」

 意識の断片をヴァネッサに繋げて、傍らにいるであろうテトラに呼びかける。

『――ええ、聞こえている、わ。どうしたのかしら?』

「扉を最大まで開いて」

『最大? 本当に最大でいいの?』

「ここは違ったわ。外れも外れだった。だから、全部壊して。私の為に」

 底冷えするほどに乾いた声を貸してヴァネッサとの繋がりを切ったところで、隼人が仏間に入ってきた。

「華さん、私は――」

 今更どんな言葉にも意味はない。

 華はおもむろに、隼人の胸に手を当てて、

「役立たず。あの子の為に選んでやったのに」

 分解の魔法を解き放ち、その身を細切れの肉片へと変えてやった。

 飛び散る血が仏間を汚す。

「――は? あ、あんた、なにして、パパ……?」

 その後ろについてきていた鶫が、呆然とした表情を浮かべていた。

 ついでに殺してやろうかと思ったが、激しい建物の揺れがその衝動を制止する。

 テトラが門を開いた影響だろう。じきにこの世界は、開いた孔に呑みこまれ空に堕ちていく。

「鶫ちゃんは、そうね、潰れて死ねばいいんじゃない? それですぐにパパの元に行けるわ」

 冷たく言い放ってから、最後に蓮の遺影に視線を向けて、

「大丈夫。大丈夫よ。私の心は折れていない。何度だってやり直してやる。そして必ず、貴方を取り戻すわ。……必ず」

 その遺影を愛おしそうに撫でてから、唾棄すべき、もしもの世界を後にした。



次回は四日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。

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