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第七章/宿願の果て 01

 ……足首を掴むように、背後から無数の悲鳴が追いかけてきている。

 その中には、こちらに助けを求める声も多くあった。

 けれど、彼等に手を差し伸べる事は出来なかった。

 両腕に抱えているミーアの呼吸はまだ頼りない。傷口に手を押し当てて治癒を試みているのに、一向に再生の兆しが見えないためだ。

 そんな彼女よりも優先するべき他者はいない。そう自分に言い聞かせながら、前だけを見て街の外を目指す。

「レニ、さま、私は――」

「大丈夫だから!」

 なにかを言おうとしたミーアの言葉を遮って、俺は強い口調で言って。

 言いながら、少しだけ速度を上げる。

 直後、首筋に寒気が過ぎる。藍色の花が鎧を掠めた。

 花の広がる速度は思いのほか速く、ミーアの身体を気遣って速度を落とそうものなら、簡単にこちらを捕捉してくる。

 レニ・ソルクラウの身体能力をもって油断できないほどなのだ。この街で一体どれだけの人が独力でこの脅威を凌ぐことが出来るのか……。

 被害の規模を想像すると否応なく喉が渇き、指先が冷えていくのを感じる。

 その罪悪感を、歯を食いしばって堪えながらなんとか外に出たところで、街に雨が降り出した。

 城内だけだ。不自然な範囲。

 それに眉を顰める間もなく、雨は粘り気のある液体へと変化して、ドーム状に街を包みこんだ。

 そして、その枠の中に納まるように花の広がりが止まる。

 止まって、数秒ほどが経過したところで、べちゃ、とその膜に何かが衝突したような音が響いた。

 さらに数秒後、また音が響き、間隔を短くして再度音が届けられる。

 音は止まらない。

 やがて豪雨のように、べちゃ、という音は鼓膜を覆っていき――

「――っ!?」

 思わず、息を呑んだ。

 膜に張り付いた音源がなんだったのか、視界を一斉にその答えが埋め尽くしたからだ。

 それは、トルフィネの住人たちだった。

 無数の細長い花(その花びらか葉)の先端に串刺しにされた人々が、満員電車の中にいるみたいな密度で、びっしりと張り付いて、文字通りの肉壁を作りだそうとしていたのだ。

 あまりにもおぞましい光景。

 だけど、そこに恐怖より怒りを覚えたのは、見知った顔を見つけてしまったからだろう。

 この街に来て最初に知り合った宿の店主であるミザリーさんに、広場のお店の店員さん、図書館の司書に馴染みの解体師。みんな、友人といえるほどに親しいわけじゃないけど、好感を持っていた人達。

 そんな人たちがみんな、死んだ魚のような目で街の外を見つめていて――ばきっ、と奥歯が少し欠けるような音が鳴った。

 それは、助けないと、という衝動を堪える為に必要な力で……地中から迫ってきていた花の気配に向かって斬撃を叩き込み侵攻を一時的に潰してから、半径十メートル前後の地面に黒一色の床を具現化させて、俺はその上に台座を追加してミーアを下ろした。

「……魔法は、まだ効かない?」

「すみま、せん……」

「ミーアが謝るような事じゃないよ。じっとしてて」

 街を覆い尽くした膜と同じように、足場から魔力を伸ばして完全な密室を作りだす。

 これで、昇華の魔法に全神経を傾ける事が出来るようになった。元よりヴァネッサの言葉なんて信じていたわけじゃなくて、昇華の魔法に集中するために此処まで離脱したのだ。

 邪魔な鎧を解いて、右手を、傷口を抑える彼女の手の上に慎重に重ねる。

 掌を埋める真新しい血の温かさと、ぬめりとした感触

 眼を閉じて魔力に意識を傾けると、ヴァネッサの魔力が血液に混ざっていて、魔法の機能を阻害しているのがよく判った。

 ただ、その気配は徐々に衰えているようにも感じられる。

 嘘はついていなかった、と見るには早計だけど、悪化する心配は今のところなさそうだ。

 とはいえ、治癒を急がなくていいというわけでもない。昇華を使うかどうか、迷うようなライン。

 ……結果として、此処で迷ったのは正解だったんだろう。

「少し、楽になってきました。あとは一人で大丈夫です」

 まだ何もしていないんだけど、気の持ちようという奴なのか、ミーアは淡く微笑んで治癒に込める魔力の量を増やしていく。

 治癒と毒の力関係が逆転し、徐々に癒えていく身体。

 順調だった。この状況を維持出来れば、リスクを犯すことなく問題は解決してくれる。

 ひとまず、その事実に安堵の息を零したところで、俺は密室を解除した。

 藍色の花は最初に地面から顔を出した物以外、全て街の中に留まっている。そして耳を澄まして分かったことだけど、花に串刺しにされた人たちもまだ死んでいない。少なくとも心音は聞こえる。

 つまり、殺すのが目的じゃないという事だ。

 どちらかといえばそれは手段であり、目的(おそらくは儀式の生贄としての役割)を果たすまでは猶予がある。

 その猶予で、俺は何をするべきなのか……

 迷っている間に、状況が動いた。

 地中からモグラのようにシェリエが姿を見せたのだ。

 でも、相棒のような存在と認識していたケイの姿はなくて、

「……良かった。来て。早く! 早く来て! ケイを助けて!」

 泣きそうな顔で、こちらに駆け寄ってきた彼女が叫んだ。

「行ってください。私はもう大丈夫ですから」

 身体を起こしたミーアが即座に言う。

 確かに、毒の心配はもうないのかもしれない。とはいえ、他の攻撃を受けた時に対処できる状態にまではまだ回復していない。そしてレニの具現化は、自分が触れている場合を除き、長時間維持する事が出来ないので、此処に密室を――安全を確保する事も出来ない。

 だから、動けない。動くわけにはいかない。

 無言をもって、拒否を示す。

「……仲間だと思ってたのに! もういい!」

 ぼろぼろと溢れ出た涙を乱暴に拭って、シェリエはこちらに背を向けた。

 その背には骨が見えるほどの激しい裂傷が多く刻まれていて、さらに右の太腿には藍色の葉が深々と突き刺さっているのも確認できた。動けるのが不思議なくらいの重傷だ。

 それを目の当たりにして、俺は咄嗟に彼女の手首を掴んでしまっていて、

「そんな状態で戻っても、無駄死にするだけだ」

「じゃあ助けてよ! 邪魔だけするならお前なんて要らない!」

 シェリエの全身から禍々しい魔力が溢れだし、それとほぼ同時に彼女を掴んでいた右手に、指三本並べても徹せそうなくらいの大きさの風穴が開いた。

「――ぐぅ!」

 突然の激痛に思わず手を離す。

 その隙を逃さずに彼女は駆けだしたが、無駄死にをさせるわけにもいかない。

 流れた血液を媒体に、黒いワイヤーを具現化して彼女の手首を再度拘束する。

「……本当に殺すよ? 殺してやる」

 一気に感情が抜け落ちて、表情が消えた。

 それが、シェリエの臨戦態勢の形なんだろう。おそらく、もう説得の類は通じない。気絶させて大人しくさせる以外になくなった。

 こんな時に内輪揉めとか、莫迦にもほどがある。

 そんな自分の迂闊さや相手への苛立ちに神経を掻き乱したところで、不意に場違いな音を捉えた。

 歌声だ。楽器一つないアカペラ。

 魔力を乗せた、美しい旋律だった。

 それがセラさんのものだと気付くと同時に、シェリエが両膝を地面について急に脱力して、街全体にも新しい異変が訪れた。

 おそらく、セラさん以外の誰も想定していなかったであろう異変が、訪れたのだ。



次回は六日後の土曜日に投稿予定です。少し間が空いてしまいますが、よろしければ、また読んでやってください。

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