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幕間1/倉瀬華の回想

 子供を産むという行為に愛は要らない。

 少なくとも、倉瀬華にとって性行為というものはただの苦痛でしかなく、出産もまた望んだものではなかった。

 それでも我が子を大事に思えたのは、哀れなその子と自分を重ねてしまったからか、それとも親というものが元々そういう性質を抱えているからなのか。

 いずれにせよ、華にとってそれは生きる原動力であり、数多の苦しみを噛みしめられる理由にもなっていた。……赤子の泣き声を聞くたびに、こっちが泣き叫びたくなりそうだった、最初の頃の話だ。

 あんな最低な男と、同じくらいどうしようもない自分との間に生まれた子供が、どうしてああも聡明で、そのうえ他者を気遣える無責任な理想のような在り方を得られたのか、今でも不思議でならないけれど、蓮と名付けた我が子は、会話によるコミュニケーションが取れるようになってからすぐに血の繋がりなんか関係なく華にとっての特別になった。

 彼は幾度となく、自分に出来る方法で華が暴力を振るわれる機会を逸らしてくれたし、いつも欲しい反応をくれたのだ。それが偶然じゃない事に気付いたら、もうダメだった。

 前向きに、この子の為に生きようと思えた。

 多少やりすぎてもすぐには死なない程度に大きくなったと感じたからか、あの男がついに蓮にまで本格的な暴力を揮いそうな気配を滲ませた時は、本気で殺す事すら考えるようになっていた。ずっと受動的で、ただただ誰かの命令に従うだけだった自分がだ。

 劇的な変化だった。

 それに身を任せるしかないような状況も手伝って、華はついに自由になる事を選んだ。

 計画的な行為ではなかったけれど、全て上手く行った。それもこれも全部蓮のおかげだった。成り行きであの男を撲殺して動揺していた華を落ち着かせてくれた上に、死体の処理についても助言してくれたのが彼だったからだ。

 後になって知った事だけど、蓮もあの男を殺すつもりだったらしい。華と違って、色々な本を読んで、計画を立てて……もし、あと数日我慢してしまっていたら、きっと知らない間にあの男は死んでいたのかもしれない。

 本当、そうならなくて良かったと今でも思う。

 蓮はとても優しい子なのだ。殺人なんて似合わない。それに、人を殺したおかげで、自分は能動的になにかを得るという行為の価値に気付けた。

 昔のままの華だったら、あの男がいなくなったところで、けして幸せにはなれなかっただろう。目先の今だけを見て、最低限の生活を蓮に強いるだけの存在になっていた筈だった。

 本当に、受動的でくだらない女だったのだ。

(あの頃は、楽しかったな……)

 夜を中心にした生活は、最初の一年くらいは大変だったけれど、邪魔な人間を蹴落とし、利用できる人間には片っ端から首輪をつけてのし上がっていく感覚は新鮮だったし、その度に生活レベルが上がっていくのも愉快で仕方がなかった。

 こんな簡単な事をどうして今までしてこなかったんだろうと、かつての自分を心底馬鹿にしたくなるくらいに、それは倉瀬華に適した生き方だった。

 才能があったのだ。おぞましいといって差し支えがない程度には。

(でも、それも長くは続かなかった)

 蓮が、昔のように笑わなくなった事に気付いてしまったからだ。

 気付いた途端、そんな自分の全てが嫌になった。

 だから辞めた。それはもうきっぱりと、積みあげてきた地位を投げ捨てて、華は普通の女に戻る事にした。

 そして、戻るにあたってなにが必要かと考えた時に、片親である点が蓮にとってマイナスになるのではないかと思ったのだ。

 再婚を考えた。

 幸い、商売を通して男を見る目は昔とは比べ物にならないほどマシになっていたし、今ならまともな相手を選べるだろうという事で、お見合いなんて古風な真似をしてもみた。

 とんでもなく極端な行動だと、今では思うけれど、それくらい蓮との間に距離が生まれてしまっていた事実に焦っていたのだ。

 でも、結果的に、その短絡的な行動は正解だったんだろう。

 そこで出会った男は、実に蓮の父親をやるに相応しい人物だった。

 誠実で、謙虚で、それでいて仕事も良く出来て、見た目も悪くはない。

 あの男とは正反対もいいところで、探偵を雇い過去を洗い尽した上でも、それが真実だと受け入れるまでに時間がかかる程だった。念入りに騙されているのではないかという不安を拭えなかった。

 その一方で、彼の連れ子たちに対して不安を覚えることはなかった。邪魔になれば消してしまえばいいと考えていたからだ。子供なんて、簡単に事故で処理できる。

(処理、しておけばよかったな。最後の悪い事として)

 自分が殺される事が判っていれば、間違いなくそうしていただろう。

 彼は誠実だったから、華の死に罪悪感を覚えて蓮の事を一層大事にしてくれたと思うが、その子供たちが蓮にどう接してくるのかは、安心できない部分が多かった為だ。

 支配するには時間が足りなかった。そのうえ、姉の方の倉瀬鶫は華にずっと警戒心を抱いていた。父親が大好きな子だったから、華の事が出会う前から嫌いだったのだ。

 弟の方はそうでもなかったが、蓮と比べて不出来が過ぎたから、いつか嫉妬絡みで関係が悪化するのも眼に見えていた。そういう、つまらないプライドの高さを内包しているのは窺えていた。きっとあんな聖人に見捨てられるような女の血が原因なのだろうけれど。

(蓮の事だから大丈夫だとは思うけど、やっぱり心配よね)

 毎日、その事については思考を巡らせる。

 悪い未来、愉快な未来、自分にとっては不快な未来を色々と想像しては、元の世界への帰還を渇望する。

「……よし、出来た」

 そんな不毛な時間も、もうじき終わりだという事を示すみたいに、目の前に懐かしい姿が完成した。

 倉瀬華という名の人形。鏡と写真でしか見る事の出来ない、かつての己の模造品だ。

(こんな造形だった、はずよね……?)

 この世界に来てから、もう二十年以上経っているので、正直記憶はおぼろげだった。

 化粧映えは良かったので仕事では得をする事が多かったが、素顔は地味なもので、自分の顔を見るのが好きじゃなかったというのも大きな要因だろう。といっても、地味ではあるが整った顔立ちという自負くらいはあったが。

(まあ、あとから修正すればいいし、気にするほどの事でもないか)

 狙い通りの時間に飛べる保証があるわけでもないので、死んだ直後なんてシビアなタイミングではなく、おそらくある程度過去に跳ぶ事になるだろうから、生きた倉瀬華の姿をしっかり見てから模倣する事が出来る。なんなら、そこで気に入らなかった部位を変えるのもいいだろうか。

(……いや、蓮は繕わない私の方が好きな筈だし、それは止めておこうかな)

 ともあれ、この世界で使ってきた身体ともお別れだ。

 華はなんの躊躇もなく自身の胸にナイフを突き立てた。

 返り血が目の前の椅子に腰かけていた制作物に飛び散り、意識が入れ替わる。

「お疲れ様、この世界の私」

 膝から崩れ落ちてそのまま倒れようとしていたディアネット・ドワ・レンヴェリエールの本体を支えながら、華はナイフを握りしめ、傷口を大きく広げて、心臓から核を取り出した。

 普通の人間なら、この時点で機能停止するのが常識だが、器の定義が他とは違うディアネットの核は心臓ではなく魂を器にしているため、当然のように人形の身体に吸い込まれて作り物の心臓に収まる。

 そして、人造ではなく本物の魂が宿った事により、人形は一個の生物として確立された。

 これが一部の人間に人形師と呼ばれた本物のディアネットの魔法の一つ――自らの魂の一部に人格を設定し、複数の自己を運用する事も出来る、この世界においての倉瀬華の才能だった。

「……あぁ、蓮、待っていてね。もうすぐだから」

 込み上げてきた想いを思わず漏らしたところで、ヴァネッサとのリンクを確認する。

 もしかしたら、今の独白が向こうにも反映されてしまったかもしれない。が、まあ、それでなにかが変わるという事もないだろう。

「そう、準備は全て終わったのね。こちらも肉体の移行が済んだ。貴女はいつも通りトルフィネの私を続けておきなさい」

 リンクを切断して、シャワーを浴びて血を洗い流し、ベッドの上に置いてあった元の世界に溢れているようなブラウスと膝丈のスカートを身に着けて、外に出る。

 出たところで、新しい花が空に咲き誇る様を目視することが出来た。あれがヘキサフレアスの花すらも覆い尽くすまでに成長すれば、いよいよ儀式は大詰めだ。

 それまでに工程を全て片付けて、調律も済ませる必要がある。

 ここからが本番。もう二度と、失敗は許されない。

(さぁ、気を引き締めて行こうか、華)

 いつもは人形たちに贈る言葉を自身に向けて吐いて、そこで華はふと見落としていた点に気付いた。

(……そういえば、私はどんな喋り方をしていたか。ヴァネッサやディアネットとは違うのだけは確かだけど…………ブランクというものは厄介なものね。あの子に会う前に、全部解消できるかしら?)

 そんな呟きを掻き消すように、いたるところで悲鳴が聞こえてくる。

 藍色の花が捕食を始めたんだろう。だが、対象外である華にはどうでもいい事だ。

「……不安だわ。あぁ、本当に不安ね。少し、怖いくらいだわ」

 こちらに向かって逃げてきた男の胴体に穴が開いて、そこから花が咲く様を認識する事すらなく、華は儀式の中心地にゆったりとした足取りで向かいながら、ただただ蓮との再会についてのシミュレートだけに没頭し、時間を消化してゆくのだった。


次回は四日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。

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