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展開した互いの魔力が、それぞれの特性を押し付け合うように削り合い、水と油のように二つの領域を生み出す。
睨み合い共に行われている主導権争いだが、どちらかに優劣が傾く気配はない。
魔力の強度ではレニが上だが、魔力の総量ではテトラの方が上で、総合的に五分を保っているためだ。
(……信じられない魔力、ね)
普段眠らせている両手の核や魔眼まで起動させて、それでも押しつぶせないという人間を相手にするというのは、テトラにとって生まれて初めての経験だった。
とはいえ、感心以上の揺らぎを覚える事もない。神などという、ふざけた連中の住まうあの天上の世界では、そんな化物が山ほど生産されていたからだ。少なくとも、不良品としてテトラが扱われる程度には。
(具現化は応用力の高い面倒な魔法。だけど距離減退が強く、自身を中心に置かないと魔法を成立させる事も難しい、だったかしら?)
頭の中に刻まれていた情報を読み返しながら、テトラは両手の魔力を解き放った。
白と黒に染まった魔力。
一般的に白は光――認識の拡張であったり、エネルギーの凝縮や拡散といった制御に長けた特性をもち、黒は確固――圧倒的な色格の高さ(要は色の強度)をもつ代わりに多様性に乏しい性質を持つとされている。
有名なところで言えば、触れたものを蒸発させるほどの高出力の閃光を操るゼベや、視覚による情報を完全に支配していたリッセなどが白であり、黒は今目の前にいる敵がその最高峰といっていいだろうか。
変化を与える事が極めて難しく、多くの者がただ魔力を叩きつけるくらいしかできない黒という色の魔力を具現化という形にまで昇華したレニ・ソルクラウは、間違いなく埒外の一人だ。
戦闘技術という点でも、テトラよりは上の段階にいる事だろう。
今有る情報を並べた限り、勝ち目はかなり薄いように見える。
きっと、レニの眼にもそう映っている筈だ。
そこが盲点であり、こちらの勝機にも繋がってくる。
(まずは鎧の価値を見誤らせて、私の攻撃では致命傷までは与えられないと思わせる必要がある、わね。そうしないと、当たらないかもしれない、し)
そのためにも、とテトラは全身から放出していた冷気を凝縮させつつ、そこに白の魔力を付与して、閃光として解き放った。
片方だけではゼベにも劣るが、二つを合わせる事によってその魔法の威力は格段に増している。
それを脅威と感じたかどうかは不明だが、レニは左に飛び退いて回避し、一息をつく間もなくこちらに向かって長剣を投擲してきた。
目を見張るほどの速さだ。掠っただけでも致命傷になりそう。
だから、こちらも大きく回避行動をとって――その移動先を先読みしていたかのように、レニは右手に新たに具現化した、長さ十メートルを超える長大剣を大上段から振り下ろしていた。
完璧なタイミングだ。躱す事は出来ない。
込められた魔力の強度のおぞましいほどで、単純な防壁などでは気休めにもならないだろう。
それを理解した上で、テトラは黒の魔力を宿す左手を長大剣に向けて突き出した。
「……とても早い展開速度、ね。私がアダラだったら死んでいた、わ。誰かと瞬時に位置を変えられる魔法があれば、あれを身代わりに出来たのに。残念、ね」
黒色の魔法が、磁石のようにレニの斬撃を寸前で停止させている。
どれだけ彼女が力を込めても、この拒絶を突破する事は叶わない。むしろ強ければ強いほどに、この魔法は猛威を増していく事だろう。それが今、正しく証明された。
「……そろそろこちらも反撃する、わ」
左の手首を捻って、凶悪な暴力を側面に流す。
結果、長大剣は左肩の脇を滑り落ちて、テトラが立っていた下地区では珍しい三階建ての家を袈裟懸けに両断しながら地面に叩きつけられた。
そうして後頭部がこちらに見えるほどに前傾になったレニに向かって、テトラは再度冷気の閃光を撃ち出す。
(今度も避ける? それとも――)
思考の途中で、結果が訪れた。
足元から出現した壁が彼女の姿を隠すと共に、閃光を完全にシャットアウトしたのだ。
さらに、その左右から凄まじい速度で、無数の刃の群れがこちら目掛けて疾走してくる。
拒絶の魔法を全身に展開する事が出来るのなら避ける必要もないが、この魔法が上手く機能するのは左手を中心としたごく一部のみだ。基本的に、全身を守る事は出来ない。
(これで気付かれた、かしら?)
まあ、そう考えて動くべきだろう。
テトラは左手の高いビルに跳躍し、その壁を蹴ってさらに跳躍しながら、今度は冷気の波を地上に目掛けて叩きつけた。
一部の隙間でもあれば、たちどころに侵入して、生物の熱を奪い取る攻撃だ。
完璧に防ごうとするなら密閉された空間が必要になる。だが、それをすれば感知能力が鈍り、こちらの位置を敵は見失う事になるだろう。
(これは避けて欲しい、ところね)
その期待通りに、レニはまたも回避を選択して、テトラと同じように周囲の高い建物の壁を利用して上空に身を預けた。
具現化を用いれば多少は軌道変化をする事も出来るだろうが、地上にいるよりはずっと行動が制限されているわけだ。更に言えば、彼我の距離もずいぶんと縮まった。
あらかじめ雲の上に散布しておいた仕掛けも、すぐに撃てる。もちろん、その程度でレニの鎧を破れるとは思っていないが、
(こうすれば、守りに徹する事は出来なくなる、かしら?)
ミーアが入って行った建物の真上に、テトラは閃光の雨を降らせるべく膨大な魔力を集めていく。
中にいる人間が何人死のうがどうでもいい。テトラが此処にいる理由は、グゥーエ達を突破した敵が訪れた際に処理する事であり、それ以外は別に命令されているわけではないからだ。それを勘違いした連盟の汚らしい男共が馴れ馴れしくしてきたので感情に任せて殺してしまったが……せっかく氷漬けにしたのだから砕いてデコレーションして、自分も万華鏡を作ってみればよかった、と今になって少し後悔する。
あんな汚らしい肉の塊でも、あれだけ綺麗な見世物になれたかもしれないのだ。無価値な屑に、ほんの一時の価値を提供できた。或いは、これからそうする予定の彼女と比べて、素材の違いを実感するなんて事も出来た事だろう。
(――と、余計な思考はここまで、ね)
そろそろ本格的に戦闘に集中しようと、足元に黒い塊を具現化しそれを蹴ってこちらに向かって突っ込んできたレニに向けて、テトラは左手を突き出した。
前面に展開された拒絶の力が、横薙ぎに払われていた斬撃を逸らし、僅かにレニの体勢を崩す。
その隙を、逃す理由はない。
ミーア側に向けていた殺意を一斉に目の前に迫る脅威に変更して、同時に仕掛けの方の閃光も追加でばら撒きながら右手に最大限の冷気を込め、それを白の魔法で極限まで凝縮させ、すれ違いざまにレニに向かって伸ばす。
狙いは脇腹あたり。だが、当たったのは肘で、それも掠める程度にとどまった。
もし、直撃していたら、どうなっていたか……。
(……ほんの少し肉を抉る程度で終わり、といったところね)
激しい出血とは無縁そうだ。
砕けた鎧の一部が、瞬く間に再構築されていく様を目の当たりにしながら、テトラは小さくため息をつこうとして、そんな暇がない事を、眼前に迫っていた短槍を前に理解した。
ギアを上げてきたのは向こうも同じで、気を抜いたらすぐに死んでしまう。
「あまり、急かさないで欲しいのだけど、ね」
紙一重で左手を差しこみ凌げた事実をほっとしつつ、背後のビルの壁に着地してすぐに左腕を巨大な魔物の三本爪のように変貌させながら再びこちらに向かって突っ込んできたレニを見据え、テトラは魔眼の力をもう一段解放した。
色を失った世界から、今度は輪郭が失われていく。
物体と物体の境界線の崩壊。全ての個体が液体に変わって、混ざり合っていくような、そんな混沌。
テトラ・アルフレアが持つ切り札の一つだ。この魔眼の本質といってもいい。
だが、そんな切り札を前にしてもレニ・ソルクラウは崩れない。
やはり瞬間的な暴力に比べて、この手の魔法は強度が上の相手には分が悪いという事なんだろう。……とはいえ、まったくもって効果がないというわけでもない。
「――、」
一瞬、自身の背後に向けられたレニの意識。
そこにあったのは彼女が地を蹴った直後に発生し、自身の背中を使って隠していた奇襲の一手だった。
もし、テトラが魔眼の第二段階を解放していなかったら、それが途中で破綻する事はなく、無事にテトラの身体を貫いていただろう。
「この状態なら届く、かしら?」
心臓が痛むほどに魔力を高め、右手が凍りつくほどに冷気を籠手のかわりに、三本爪を受け止めてみる。
先程までなら、こちらの手がズタズタになっていた筈だが、そこまで酷い有様にはならなかった。ちょっと肉に食い込んだくらいだ。具現化された凶器の硬度が落ちている。当然、鎧の方も同様だろう。
それを確かめるべく左手の拒絶を解除し、単純な暴力として黒の魔力をレニに振り下ろした。
防御されると想定していた事もあってだろう、ずいぶんと綺麗にその掌打は胸部に吸い込まれる。
「――っ」
掌の骨に罅が入る感触と引き換えに、魔力が鎧を突き抜けて刺さったのが確認できた。
その直後、胴体同士が正面衝突して、貧弱な方のテトラが派手に吹き飛ばされ、背後のビルの壁を何枚もぶち抜いて乱雑なトンネルを一つ作り、中空に放り出されて落下を開始する。
(……痛い、わね)
衝撃で一瞬、意識も飛んでしまっていたが、敵を見失う前に戻って来られたようだ。
レニの方からは、ごほごほ、という血反吐を吐く音が響いていた。
ダメージとしては同じくらいだろうか。
(でも予定通りに進めているのは、私)
鼻から垂れてきた血を右手で拭いつつ、淡く微笑む。
微笑みながら、姿勢を制御し地面に着地して、
「これで死んで、くれる?」
即座に凍りついた掌の血液を握り潰し粉状に、それをふっとレニの方に向けて吹きつけた。
瞬間、艶やかに輝く紅い吹雪が発生し、周囲にばら撒きつづけた魔力が呼応して支配的な領域を作りだす。
此処でなら、最大級の一撃を放てる。
(……ここまでしてあげたのだから、愛でるような看病を期待したいもの、ね)
そんな願望を抱きながら、テトラは一度目を閉じ、ゆっくりと長く息を吸い込むと共に副作用の憂鬱さを呑みこんで、魔眼に含まれている全ての魔力をもってレニの魔法を抑止しながら、ばら撒いていた白の魔法を全方位に展開し、紅い世界を全て白に染め上げるようにレニ目掛けて殺到させる。
その行為によって神経を焼き切る寸前――血の涙が溢れ出たところで魔眼の機能を停止させると、ゆるやかに世界に輪郭と色が戻ってきた。
溶けて混ざり合った世界は、相変わらず不気味で……だというのに、まだ正しく一つの個を保っている女は、それ以上におぞましかった。
「……酷い話、ね」
まだミーアが狙われる可能性を危惧して専守を取ることもしなかったというのに、レニは鎧を半壊させて凍傷と切り傷めいた火傷の痕を見せるだけで、右手と心臓と魔眼の魔力をほとんど使い切ったこちらの方がずっと重傷に見える。
「認めない、わ。……こんなものは、認めない」
掠れた声をもらしながら、残り滓の力を右手に集約させて、テトラはレニ目掛けて地を蹴って渾身の突きを放つがあっさり躱され、お返しとばかりに振り抜かれた左腕を防ごうと左手を差し込もうとするが、右手に握られていた短剣によってその前に手首ごと斬り落とされた。
「これ以上の抵抗は――」
「無意味、ね。だって私は、貴女を殺すもの」
レニの言葉を遮って、テトラは微笑む。
それを合図とするように、切り落とされた左手が――右手と魔眼によって抑え込まれていた、全ての存在を一色に染め上げる拒絶の黒が、一瞬の収縮の後、花火のように弾けた。
当初の狙い通りに、切り札が起動した瞬間だった。
次回は五日後の土曜日に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。




