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ぞわりと全身が総毛立つ感覚と共に、世界から色が消えた。
比喩でもなんでもなく、カラーからモノクロに変貌を遂げたのだ。
そして、露わになったテトラの瞳に虹色の光が宿っていく。この世界にあった色のすべてが、その瞳に吸収されたみたいに。
「……あぁ、やっぱり、この世界は眩しすぎる、わ。その所為で、よく見えない。我ながら不便な目、ね。本当に、一つの事しかろくに出来ないの、だから」
眉を顰め、目を細めて、数度ほど瞬きをし、一滴の涙を垂らしてから、テトラは俺と隣に飛び退いて戻ってきたミーアに視線を向けてきた。
「――っ!」
粟立つ感覚が強くなる。
ラウを倒した相手、という情報がじわじわと信憑性を増していく感じ。
そんな相手を前に、
「この女は私が始末します。レニさまは、どうか居るであろう人質の救助を優先してください」
と、ミーアは淡々とした口調で言って、細剣を構えた。
研ぎ澄まされていく魔力と、大気に鳴り響く静電気の音が、全力で殺しに行く事を示している。
「そうね、急いだ方がいい。彼等は、逃げるのだけは上手だから。ふふ」
微笑みながら、テトラは足元の死体を蹴飛ばして、その死体を粉々に砕いた。
二人の言葉に従って奥に進むべきか否か。
俺は少しだけ自分で考えて、
――レニ、ミーアは上手くやれると思う?
と、訪ねる事にした。
――嘘は許さない。正直な意見を聞かせて欲しい。
ついでに、脅しも付け加えておく。
(……その女の事は確かに気に入らないが、私はそんなつまらない真似はしない。あぁ、貴様が危惧する通り、その女には不安要素が多い。私の方が適任だろう。短期決戦になろうと長期戦になろうと、負ける要素がどこにもないのだからな)
――そう、わかった。ありがとう。
ミーアが復讐する機会を奪いたくはなかったけれど、百戦錬磨のレニの判断を無視する事はできない。
「行って。リッセへの償いは、私がさせるから」
右手に剣を具現化しながら、一歩前に踏み出す。
「早く。敵に先手を取られる前に」
「……わかりました」
握りしめていた拳を和らげて、ミーアが地を蹴った。
それを確認すると同時に、俺も身体の主導権をレニに明け渡す。
「――む」
決定的なその変化を、おそらく魔力の色の変化で感じ取ったんだろう、テトラが微かに腰を引いた。
その隙間をつくように、レニが右手の剣を投擲し、氷結されていた扉をぶち抜く。
直後、回避をとっていたテトラの脇をミーアが駆け抜けて、その姿は瞬く間に見えなくなった。
扉の奥には色のある世界が広がっている。どうやら、彼女の眼の効果範囲は正しく有限のようだ。
(そこまで大した規模ではない色食いだな。この程度で、私を相手にするなど万死に値するが……)
俺が償わせると言ったからか、自分で殺すかどうか迷っているらしい。
それはある意味で望ましい事だったけれど、ある意味では悩ましい事でもあった。
目の前の相手は、母の友人かもしれないのだ。或いは彼女が母である可能性も、まだ考えられる。
(……わかった。なにかあったら、私が始末してやる。それまでは勝手にやればいい。その代わり、私に痛みを与えるたびに私の要求を呑んでもらうからな。私なら、無傷で始末出来る事を忘れるな)
こちらの葛藤を読み取られたのか、身体の主導権が戻ってきた。
ちょっと、レニに対して気を許しすぎているのかもしれない。でなければ、こんな風に一方の意志だけで主導権が返上されるなんてこともなかっただろう。
そんな自分の迂闊さにため息をつきつつ、
「……始める前に、一つ訊きたい」
右手に新しく三メートルほどの長剣を具現化しながら、俺は言った。
「どうぞ」
「リッセの脇に置かれていたあの奇妙な筒は、なに?」
ついさっき答えを出すのを避けたというのに、それがはっきりできるかもしれない状況を目の当たりにしてしまったら、選ばずにはいられない。……我ながら、本当に面倒くさい性格だと思う。
「ただの鑑賞品、よ。彼女はマンゲキョウ、と呼んでいたかしら」
「彼女っていうのは、誰?」
「妙な事を気にする、のね? 私にとって、彼女は一人しかいない、わ」
……これで、確定だ。
確定するまでは保留にしておきたかった事からも、もう目を逸らせなくなった。
「そのヴァネッサ・ガルドアンクは、どうしてディアネットと手を結んだの?」
ずいぶんと乾いてしまった声で訪ねる。
「さあ、気分じゃないかしら? 貴女だって、意味もなく、こうやって手を組む事くらいする、でしょう?」
そう言って、テトラは自身の両手を繋ぎ合わせて淡く微笑んだ。
つまり、ヴァネッサとディアネットは同一人物の手によって動かされている人形だと明かしたのだ。
おかげで色々と腑に落ちた。
まったくもって、彼女らしいと思う。生前となにも変わっていない。
様々な顔を使い分けて、幸福な生活を求めた彼女。その結果、多くの恨みを買って、最終的に誰かに殺された彼女。
「彼女にとって、貴女はなに?」
最後の問いとして、俺はそれを投げかけた。
こういった質問をされるとは思っていなかったのか、微かな戸惑いが数秒の沈黙として表わされる。
「……便利な道具、よ。こんな風に簡単に、手放せない程度には、ね」
絡めていた両手を離して、テトラは完全な臨戦態勢に入った。
倉瀬華という人間の事をよく知っている発言だ。心酔はしているけれど客観的であり、そんな扱いに不満も覚えていない。
母が死んだあと、それでも自分に優しくしてくれた、母にとって都合の良かったある人の事を少し思いだす。彼は明らかに普通の職種ではない人だったけれど、今も向こうの世界で元気でいるだろうか。
「そう、じゃあ、貴女は殺さないでおくよ。人質に使えそうだしね」
全身に鎧を展開して、長剣を大上段に、俺は地を蹴った。
戦いの始まりだ。気持ちを切り替えて、適当に剣を振りまわしながら、まずは相手の能力の把握に努める事にする。
――レニ、色食いというのは?
(名称のままだ。その魔眼は他者の魔法を掻き消す。といっても、私の魔法を消すほどの強度はない。だから、その点については無価値だな)
――別の点では価値があるということ?
(気付いているか? 奴の核は両手にそれぞれ一つずつある。心臓のものと魔眼を合わせて計四つ。つまり四種類の魔法を行使する事が出来るというわけだ。ずいぶんと歪な構造だな。どういう過程を辿ったのかは知らないが、生まれつきのものではないだろう)
――核を移植されたって事? でも、それは――
(たしかに、死んだ人間の核はすぐに機能を停止させてしまう。だったら、生きたまま核にしてしまえばいい。人間の形を核に変えて、別の人間に取りつける。……かつて、帝国で行われていた実験の一つだ。結果、複数の魔法を宿すだけの人間を生み出すことには成功した。だが、成功したのはそこまでで、誰も複数の魔法を自在に操る事は出来なかった。それどころか拒絶反応で殆ど人間がすぐに死んだ。たった一つの例外を除いてな)
――つまり、拒絶反応や魔力同士の齟齬を中和する役割を、あの魔眼は担っていると?
(そういうことだ。殺す気がないのなら、目は潰すなよ。それなりの魔力量だ。魔法の種類次第では周りも消し飛ぶ。……まあ、私にはどうでもいい話だがな)
少し親切過ぎたと思ったのか、最後にやや苦々しい声を残してレニが引っ込む。
そのタイミングで、
「貴女にはこの魔眼が通じないよう、ね。まるで消える気配が、ない」
と、テトラがため息を零した。
そして、こちらが払った横薙の一撃を大きく跳躍して回避し、左手の屋根の上に降り立つ。
「仕方がないから、残り三つも全力で使いましょう。あまり消耗したくはないのだけど、仕方がない、わ」。
服に隠された両手の甲のあたりに白と黒の光が灯りだした。
さらに、彼女の身体を中心に鎧に霜が出来るほどの冷気が迸る。
(……おい、不味いと思ったら、すぐに代われ。私に後悔させるなよ?)
どうやら、彼女が想定していたよりはずっと不味い類の魔法のようだ。更に言えば、此処で説明をしてこないあたり詳しい特性まではわからないんだろう。
それでも、一応は俺にまだ任せる姿勢でいるのは、こちらの戦闘能力にも多少は信頼があるからか……そうである事をとりあえず信じることにして、俺は今から始まる本格的な戦闘への心構えを改めるように腰を落とし、剣を強く握りしめた。
次回は三~四日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。




