13
この時、俺には二つの選択肢があった。
一つはヘキサフレアスの面々と一緒にヴァネッサさんの動向を追いかける事。もう一つは、連盟の拠点に探りを入れて化物と呼ばれた誰か(おそらくはラウ)を救出する事。
俺は後者を取った。理由は明白で、まだ心の準備が出来ていなかったからだ。
今、自分が色々な事に臆病になっているのを嫌というほどに思い知る。
多分、それが表にも出てしまっていたんだろう。
「そちらは私達二人で行います」
普段なら特になにかを主張する事もないミーアが、やけに強い、否定を許さない口調でそう言って、俺の手を掴んで歩き出した。
酷く、温かい手だった。それだけ自分の手が冷えていたんだと、おかげで気付くことも出来た。……まあ、気付いたところで、なにが良かったというわけでもないけれど。
「待ってください。場所を判っているんですか?」
数秒後、小走りになって追いかけてきたケイが言う。
「では、先程のように頭の中に場所を提示して頂けますか?」
いっそ冷たいミーアの物言い。
「……ええ、わかりました」
少しむっとした様子で頷き、ケイが魔法を施してくる。
それから、イヤリングを一つこちらに向けて差し出してきた。
「こちらの状況は、おおよそそれで判ると思いますから。そちらも報告は逐次お願いしますね」
「ありがとう」
受け取り、右耳に付ける。
付けたところで、ダルマジェラさんの声が鼓膜に届いた。
『聞こえるか? 聞こえるのなら右手をあげてくれ。……よし、問題なさそうだな。では、幸運を祈る』
ざざ、とノイズのようなものが走り、通信が途切れる。
外に出ると、ぱらぱらと小雨が降っていた。
雨は魔力の気配が広がるのを抑えてくれる。隠密行動には有利な状況だ。
脳裏に浮かんでいるルートを頼りに下地区に向かう。
この雨の所為というわけでもないだろうけど、人通りは少なかった。
『――あぁ、そうだ、なにか聞いておく事はあるか?』
下知区が見えてきたところで、またダルマジェラさんの声が鼓膜を震わせる。
「突然、どうしたんですか?」
『その声は少し大きいな。もっと小声で大丈夫だぞ』
「……それで、突然どうしたんですか?」
要望通りにボリュームを下げて、俺は同じ質問を繰り返す。
『儂は基本的に後方支援だからな。今はやる事がない。……それに、お前さんたちも色々と訊き忘れている事があるのではないかと、ふと思ってな。目的地に着くまでに情報の整理なんかをしておくのも悪くはないだろう?』
「そうですね」
リッセの事を思い出しながら頷き、少し考えてから、
「そういえば、どういう理由で外に出る事が禁止されているんですか?」
と、俺は訪ねた。
『魔域がこちら側に少し近づいてきているから、慎重を期してという事らしいな。もちろん、そんな事実はないが、貴族共がそれを発表して、三日でそれに纏わる法まで制定させた』
「イル・レコンノルンが捕まっているから、ですか?」
『奴がもし死ねば、この都市の半分の重力が狂って機能不全を起こす。本当に捕まっているのだとすれば、無視はできない』
ため息交じりにダルマジェラさんは言った。
つまり、実際に捕まったという確認は出来ていないという事だ。
『奴には身代わりの人形もある。儂らですら、本物の居場所は突き止められていないんだ。外からやってきた連中に、それが出来るとは思えない。まったくもって、厄介な話だ。その可能性を考慮しているのが、ヘキサの中で儂しかいないというのだからな。……まあ、それはともかく、そういうわけだから、あの子供の姿をした呪いの権化を助ける場面が訪れたとしても、けして気を許さない事だ』
「……ええ」
頷きながら、そういえばディアネットも同じような仕組みの中にいる事を思い出した。
人形。はたしてその魔法は、一体どれだけの人が扱える類なのか。それについて訪ねると、ダルマジェラさんは、ふむ、と小さく唸るような声を漏らしてから、
『唯一無二ではないが、極めて特殊な魔法である事に変わりはないだろうな。少なくとも、儂が知っているのは一人だけだ。そういう意味では、その人形師が両者と繋がっている可能性もないとは言い切れない。仮にそうだとしたら、最古の貴族すらも――』
「――レニさま」
緊張を帯びた鋭いミーアの声が、会話を切る。
なにかあったのか、と訪ねる間もなく、場の空気が急に冷えだしたのを肌が捉えた。
禍々しい魔力だ。覚えがある。
発信源は、頭の中にある目標地点から放たれていた。
「これは、待ち構えていると言った感じだね」
俺たちが近付いたのを感知して魔力を展開したのではないのは、路上に倒れ込んでいる何人かの顔色が教えてくれていた。
魔力に乏しい人にとって、それはもはや毒に等しいものなんだろう。
あげく、その凶悪な圧力はじわじわと強さを増していっていて、やがてそれだけで死を齎しかねない空気まで漂わせていた。
「まるで、早く来いと言っているみたいな、好戦的な気配ですね」
その気配以上に冷え冷えとした声で呟き、ミーアが歩調を速める。
横目に見た彼女の眼差しはどこまでも剣呑で、リッセをあんな姿にした相手に対する殺意に溢れていた。
「……ずいぶんと、冷えて来たね」
土を踏む音に、霜が混じりだす。
吐き出す息は既に白い。
目的地に近付けば近付くほどに、そこは極寒へと変わっていく。人一人の魔力で、環境そのものが変わっているのだ。
もはや間違えようがない。この先にいるのはテトラ・アルフレア――あのラウを打ち負かした相手で、おそらくリッセの死体をあんな風に加工した相手だった。
「こんな場所の警護なんて、どこかの天才坊やにでも任せておけばいいと、最初は思っていたけれど、私で正解だったみたい、ね」
氷漬けにされた転がされた死体に腰を下ろしていたそのテトラが、ゆっくりと立ち上がって、背後にある施設の扉を完全に氷結させる。
「レニさまにミーアさま、お久しぶり。二人とも、以前よりもずっと凛々しい色をしていて、すぐには判らなかった、わ」
ゆったりと、微睡の中にいるようなトーンで彼女は言う。
淡い微笑み。
「……一つだけ、訪ねます。リッセ・ベルノーウを殺したのは、貴女ですか?」
淡々とした口調で、ミーアが訪ねた。
「いいえ。でも、そうね、死体の一部を砕いたのは私。そして、この後、置いてきた首から上や、結晶化させた肉片を所有するのも、私」
口元に両手をあてて、テトラは上品な仕草でくすくすと笑う。
「そうですか」
瞬間、静電気が走る音と共に、ミーアの身体が弾けた。
眼を見張るほどの速度をもってテトラに肉薄し、腰の細剣を振り抜く。
電光石火。そこらの達人程度なら、気付くことなく絶命していた事だろう。
だが、テトラはその一撃を造作もなく回避しながら、自身の両手を一括りにしていたベルトのようなものをミーアの斬撃によって断ち切らせた。
そして彼女は完全に自由になった右手で眼帯取り外し、ゆっくりと目を見開いて――
次回は四日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。




