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そこに辿りつくのに時間は掛からなかった。
俺とミーアの手首を掴んだアカイアネさんが一歩踏み出した途端に、到着していたからだ。
上地区の、誰かの貴族の邸宅前。
見張りの類は見当たらない。
さっきまで傍にいたケイとダルマジェラさんの姿もなく、そもそも屋敷内にも人の気配は一切感じられなかった。
「彼等は同行させなかったのですね」
そういう流れだと思っていたらしいミーアが言う。
「戦えない子たちを連れてきても仕方がないでしょう? それに、私の魔法でもここまでしか近づけなかった。……人の気配は感じられないけれど、それもどこまで信じていいのか判らない。嫌な結界ね。一般的なものとは法則が違うような気がする」
淡々とした口調で言葉を返しつつ、アカイアネさんはなんの躊躇もなく正門を押し開き、屋敷に足を踏み入れる。
その後に続き、玄関のドアを開けたところで、指先に静電気のようなものが走った。
魔力による干渉だ。この身体に機能することはないが、なにかしらの仕掛けが作動したらしい。
視線をアカイアネさんに向けると、すぐに答えが返ってきた。
「貴女には刺さらなかったみたいね。でも、私にはそれなりに刺さったわ。魔法を構築しようとすると霧散するこの感覚。名称を付けるとしたら、分解、かしら。……ミーア、貴女の方は大丈夫? 体調に乱れとかはない?」
「ええ。他者への治癒は難しそうですが、魔力自体の行使が無力化されたわけではないので、動きに支障が出る事はなさそうです」
「そう、それは良かった。……それで、どうしようか? そのまま入る? それとも外から壊して安全にしてから入る?」
こちらの方に視線を戻して、アカイアネさんが訪ねてくる。
「此処に敵しかいない事が確定しているのなら、それもいいかもしれませんけどね」
「感知もあまり信用できない以上、目視で確認するしかないか。仕方がないわね。では、行きましょう。か弱い私を守ってね」
「か弱いって、貴女がですか?」
あまりにそぐわない内容だったからか、ミーアが苦笑とも呆れともとれない表情を見せて、
「あら? 変な事は言ってないでしょう? だって、この中で一番弱いのって、私なのだし」
「――」
切り返された言葉を前に、少し空気を強張らせた。
まさか、そこまで自身の変化を嗅ぎ取られているとは思っていなかったんだろう。洞察力の賜物か、それとも距離の魔法の応用による情報か……まあ、なんにしても、味方である以上は頼りになる話だ。
「もちろん、貴女が私を上回っていられる時間は、僅かなのだろうけれど」
どこか物憂げにそう言ってから、アカイアネさんは前を向き、
「お邪魔するわ。迎えがない無礼は、勝手に散策をするという無礼で帳消しにしてあげましょうか」
と、物凄く身勝手な言葉を盾に、屋敷内を歩きまわりだした。
そして左手のドアを開けて、
「ここは客間かしら? あまり使われた形跡はないわね。所々に埃も積もっているし、取引を相手の陣地で行う事の多い貴族にありがちな状態といったところかな」
と呟き、その隣のドアを開け、
「ここは寝室ね。お酒の匂いがうっすらとするけれど、安物の香りね。貴族が嗜むものとは思えない。別の誰かが使っていたのかしら。そしてその誰かは今どこにいるのか」
と、口元に手を当てて思案するように数秒ほど押し黙り、また別の部屋に足を運んでいく。
そういった行動を繰り返して一階部分を消化し、二階の奥の部屋にまで足を運んだところで、覚えのある魔力を捉えた。
リッセだ。酷く微弱で、でも隠密だとするのなら彼女にしては下手過ぎる。
つらつらと軽口を並べていたアカイアネさんもその部屋を視線に納めたところから、急に押し黙ってしまっていて……
「……嘘」
扉を開いて、それを目の当たりにした時、真っ先に声をもらしたのはミーアだった。
信じられないといった、痛々しいくらいに間の抜けた声。
一目で、それが本物だと受け入れた反応だった。
首だけとなったリッセは、憎悪に満ちた金色の眼差しを見開いて、歯が割れそうなほどに強く噛みしめて、鬼の形相でなにかを睨みつけている。
鮮烈すぎる死に顔。
でも、まだ、本物かどうかなんてわからない。だってリッセなのだ。幻影の可能性はまだ残っている。
そんな淡いにも程がある期待に縋って、瓶を開けて、俺は中身に手を伸ばした。
冷たい液体に包まれた小さな頭部に触れる。
……誤魔化しの効かない、確かな感触。
触れたことによって、その頭部に僅かに残されていた魔力を、これ以上ないくらいに精密に感知する事も出来た。
眼を閉じて、見えているものとの差異はないかと魔力を波紋のように広げてみたけれど、違和感もない。
「……レニ、残念だけど、それは間違いなく彼女の肉体よ。紛い物の類でもないわ」
感情を押し殺したような静かな声で、アカイアネさんが言った。
「死との距離が無くなっていたから、そういう事なのだろうとは思っていたけれど――」
言葉の途中で、激しい耳鳴りが襲ってくる。
と同時に屋敷の至る所に刻まれていたらしい魔法陣が起動して、室内が大きく揺れた。
咄嗟に踏ん張りながら、瓶の蓋を急いで閉めて、机の上にあった瓶を含めた諸々と抱きしめるようにして固定する。
そこで、瓶の脇に置かれていた小型の筒の存在に気付いた。上面部に覗き穴のようなものがある。
見覚えのある形状の代物。昔、家に置いてあったものとよく似ているような気がする。
「空間転移ね。……あぁ、私の目当てはこの先か」
渇いたアカイアネさんの声が届くと共に、今度は足元が消失した。
別の場所に飛ばされようとしている。規模は小さいので、近場だろう。おそらくは地下。
……どうでもいい。それよりも、彼女の遺体を傷つけさせないようにして、あとは、そう、ミーアを抑える必要もあるだろうか。
異変を察知した瞬間に、室内を埋め尽くした殺気は彼女から零れたものだったから。
(お、おい、大丈夫なのか?)
狼狽えたようなレニの聲が聞こえてくる。
大丈夫ではないけれど、比較的冷静だとは思う。
そう、言葉を返そうとしたところで、空間転移が終了した。
待ち受けていたのは無言の集団。彼等が全て人間爆弾なのは一目でわかった。
「洗脳されてか自らの意志でかは判らないけれど、私の仲間に手を出した以上、慈悲はないわよ?」
微かに目を細めて、アカイアネさんが言う。
静謐ゆえに凄味のある警告。
だが、あまり意味はなかったようだ。
「「――全ては、あの方の為に」」
だだっ広いホールのような場所で、こちらを取り囲んでいた性別も年齢もまちまちの集団は、ほぼ同時に同じ言葉を並べて、こちらに向けて突貫を開始する。
と同時に、足元の魔法陣が輝きを放ちだした。強化の魔法陣だ。それによって爆弾の威力は飛躍的に増すことだろう。近距離で喰らえば、鎧越しでも少しは効いてしまうかもしれない。
更に天井に亀裂が走り、崩落による追撃も顔を出していた。
「執拗な罠ね。――もっとも、届かなければ全て無意味」
瞬間、アカイアネさんから凄まじい魔力が解き放たれて、全ての脅威が動きを止めた。
いや、正確に言うと止まったわけじゃない。止まって見えるくらいにスローになったのだ。
「……行きましょう。彼等が其処に到達するまで待っていたら、貴方たちの寿命が終わってしまうしね」
どこまでも冷たい声で言って、アカイアネさんが奥の通路に向かって歩き出す。
本来なら十数メートルの距離を、永遠に近いほどに引き延ばした結果が、これという事なんだろう。
彼女の後に続いてホールを抜けて通路を進んでいく。
二十秒ほどが経過したところで、背後から無数の爆発音が響き渡った。
「やっぱり、不利な環境で無理に魔法を使うのはダメね。長時間維持できない。消耗も激しいし、少し眩暈がするわ。だから、奥にいる者達の始末は貴女たちに任せる。それまでに、少しは冷静さを取り戻しておきなさい」
ミーアの肩を軽く叩いで、アカイアネさんは歩調を速める。
「……ええ、そうですね」
拳を強く握りしめながら、ミーアが頷く。
その様子に心配を覚えながらも、俺はアカイアネさんの隣に並んで、
「アカイアネさんは、これが何か判りますか?」
と、具現化を調整して左手に掴ませていた小さな筒を差し出した。
今、このタイミングでそんなどうでもいい事を訊いてきた事がよほど意外だったんだろう。アカイアネさんは不審そうに眉を顰めるけど、一応受け取ってくれて、
「初めて見る代物ね」
と、答えた。
間違っても無知には程遠い、むしろおそらく俺が知る人の中でも一、二を争うくらいに知識と経験を持っている彼女がそう答えたのだ。
おかげで、一つの確信を得た。
直接的か間接的かはわからないけれど、リッセを殺したのは……母だという確信を。
「綺麗だわ。回すと色々な顔を見せる。でも、これは……」
覗き穴に目を近づけて中身を見ながら、アカイアネさんは複雑そうな表情を滲ませる。
手渡す間際にちらりと見えたのは赤と白の世界。きっとそれは氷漬けにした彼女の血と骨を素材に構築されたものなんだろう。
「万華鏡って言うんですよ。それ」
リッセを抱える右腕に不必要な力が入るのを感じながら俺は静かにそう言って、その時、自分の表情が微かに歪んだのを、泣きだしそうな感情と共に自覚した。
次回は四日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。




