10
薄っすらと漂っていた血煙が晴れ、熱された大気が急速に冷えていく。
気味の悪い変化の終わり。それを受け入れたところで、
(私に感謝しておけよ。貴様の展開速度では犠牲が出ていただろうからな)
と、つまらなげに言うと共に、レニが具現化させていた防壁を解き、皆の無事を見せてくれた。しかも、すぐに主導権も返してくれる。
その怖いくらいの優しさに素直に感謝を返しつつ、そこで俺は一つの疑問を覚えた。
いつからこの件は始まっていたのか、という疑問だ。
「レニさま、これは……」
「……あぁ、うん。以前にも同じような目に合ったね。あれは広場のあたりでだったかな」
あの時はリッセとラウがいた。この街に来てまだ間もない頃の話だ。
人間爆弾を使った不意打ち。
さすがに時間が経ちすぎているので、同じ相手がこれを仕掛けてきたのかどうかまでは判別できないけれど、この一致をただの偶然とは思えなかった。
「……ケイ、頭の中はどれだけ覗けた?」
溜息を一つついてから、レドナさんが言う。
どうやらケイの魔法は、他人の思考や記憶にも干渉できるようだ。
「委ねられていたわけでもありませんでしたから、苦しみだした数秒の間に少しだけです」
レドナさんの問いに淡々と答えつつ、ケイはシェリエの様子を窺って、怪我のない事に安堵するように微かに強張っていた表情を和らげた。
彼にとっては彼女が第一という事なんだろう。
それは、普段ならきっと微笑ましく映るものだと思うけど、今のレドナさんにとっては進行の邪魔でしかなかったのか、やや苦い表情を浮かべて、でも、なにかを言う事はなく、その感情を呑みこむように目を閉じ、
「有益な情報は、なにもなかったのか?」
と、それでも呑みこみきれなかった感情を圧力に、普段よりも幾分低い声で言った。
それに対し、ケイは表情をまた引き締めて、
「ルーゼはゼルマインドと契約をして、休戦条約を破棄させたかったみたいですね。彼女はその交渉役だった。でも、失敗した」
「失敗した?」
「先約がいるから手は組めないと、そういう返答があったみたいです。最近で、当人の印象に残っていたのはそれくらいですね」
「そう、か。……ご苦労様。とりあえず、本当に場所を変える必要があるな。こちらの方の安全確認もしたいところだし」
眉間に険しい皺を寄せたレドナさんが、未だに眠っているルハに視線を向ける。
彼女にも爆弾が仕込まれている可能性を危惧しているのだ。でも、爆発するまでそんなものが仕込まれているとは、此処に居た誰も気づかなった。どうやって確認するつもりなのか――
「――ん? ダルマジェラか? どうしたの」
イヤリングに触れながら、レドナさんが微かに驚いた表情をみせた。
それから十秒ほど耳を傾けるように押し黙り、
「……そうね。どちらにしても断る理由はない。すぐに向かう」
と答えてイヤリングから手を離した。
それから、こちらに視線を向けて、
「有益な情報を提供してくれそうな相手が見つかった。名前はナアレ・アカイアネ。貴女たちは、よく知っているな?」
「ええ、それはもちろん」
「貴女を指名している。ケイ、案内をしてあげて。私とシェリエは、そうだな、彼等の安全確保を済ませてから、向かわせてもらう」
そう言って右耳のイヤリングをケイに放り投げたレドナさんは、やや神妙に見える表情をもってルハの方に歩を進めた。
そこに少し嫌な感じを覚えたのは、ただの気の所為なのかもしれないけれど、
「いえ、ルハは一緒に連れて行きます」と、俺は咄嗟にそんな事を言っていた。「なにか仕込まれていたとしても、アカイアネさんの魔法で対処できると思いますので」
「そうか、わかった。ではそうして」
やっぱり、ただの杞憂だったのかもしれないと、あっさりと了承したレドナさんの態度にちょっとした罪悪感を覚えつつ、ミーアに視線を向ける。
「ミーア、お願いできる?」
「はい、問題ありません」
横になっているルハをひょいと抱き上げてから、器用にその身体を背中の方へともっていき、おんぶする。
その作業をしている間に、
「シェリエ、レドナさんの言う事はちゃんと聞くんだよ」
と、ケイが真剣な表情で言っていた。
「いつも聞いてるよ?」
「聞こえている時は、でしょう?」
「?」
不思議そうにシェリエが首をかしげる。熱中すると周りが見えていない性質を、当人はあまり気付いていないと言った感じだろうか。
確かに、こういう子を一人にするのは色々と不安なので、過保護気味になるのも理解出来る。
「心配するな。貴方がいない場所で無理はさせない」
アネモーさんを肩に担ぎ、ドールマンさんの脛を爪先で軽く蹴飛ばしながら、レドナさんが言った。
「僕がいるところでも、させないで欲しいんですけど……ええ、判っていますよ。それだけ現状が油断ならないという事くらいは」
言葉を終えたところで、ケイが舌打ちをついた。
ここまで冷静な印象を持っていた分、その子供っぽいストレートな不満の吐き方に少し驚く。が、考えてみればそれが自然な反応なのかもしれない。
「ついてきてください」
素っ気ない口調をもって、ケイが歩き出した。
その後を追いかけて、俺たちは部屋を後にする。
ドアを閉める直前に、ドールマンさんの目覚めの呻き声が鼓膜に届いた。
§
蟻の巣のように張り巡らされていた、人一人が通れる程度の狭さのトンネルを使って中地区を移動し、ハシゴを上って地上に出る。
結構広い建物の中だ。
照明や家具の類はなく、窓だけがカーテンで全部塞がれている。
「ここは建設途中の複合施設です。予定だと服屋と料理店、あとは宝石の専門店が入るんだったかな。全部、ダルマジェラさんが出資しているものです。だから、うちの拠点の一つといっても別に問題はないのかな」
こちらが抱くであろう疑問に先回りして答えるような感じで、ケイが言った。
それに対して、
「いやいや、問題大ありだ。これはただの商人としての私の投資であり、ヘキサとは関係ないのだからな」
という声が、背後から届けられた。
まったく気配を感じなかったので驚きと共に振り返るが、その理由は肥満オヤジことダルマジェラさんの右隣にいた、軍服のような服に軍帽のような帽子を被った人物を見てすぐに理解できた。
彼女の『距離』の魔法によって、感知に至るまでの間隔が引き延ばされている所為だ。きっと、俺たちだけではなく、全ての対象に機能している隠密性なんだろう。
「色々とあったみたいね、レニ。以前とは気配が違っているわ」
優艶な微笑を湛えて、アカイアネさんが言う。
「……実際、色々とありましたからね」
苦笑気味に俺はそう答えた。
「全てはあの方の予定通りという事なのかしら? なんにしても、貴女たちが帰ってきてくれて私はとても嬉しいわ。――あ、お菓子食べる? さっき買ったの」
上着のポケットから飴のようなものを取り出して、アカイアネさんは途端に緊張感のない発言と共に、それをこちらに差し出してきた。相変わらずマイペースな人だ。
「それじゃあ、ありがたく」
断っても彼女が悲しむだけなので、飴を受け取って口の中に放り込む。
ざらついた食感と、オレンジに近い味。たしかに美味しい。
「ミーアもどうぞ」
「はい、ありがとうございます」
「貴方も」
「結構です。それよりも、早く本題に入ってください」
飴の受け取りを拒否して、ケイは鋭い視線をアカイアネさんに向けた。
「そう……美味しいのになぁ……」
残念そうに呟きつつ、その飴の包みをポケットに仕舞い直して、
「ユミルとガフが捕まった。どこにいるのかは判っているわ。でも、私一人では少々手間取りそうなの。だから、手を貸してほしい」
「貴女が手間取るのですか?」
戸惑いをもって、ミーアが訪ねる。
それに対して、彼女は可笑しそうに微笑んで、
「重要な情報でしょう?」
と、返してきた。
たしかに、それだけ厳重な場所であるのなら、こちらが求めている手がかりだってあるかもしれない。
「ところで、その子はどうしたのかしら?」
アカイアネさんの視線がミーアの右肩の上に流れた。
ちょうどいい。関心を抱いてもらえたところで、事情を説明する。
「確かに心配な話ではあるわね。でも、大丈夫。死の気配は多くの人同様に遠いわ。なにかをされた形跡はない」
「……ずいぶんと、便利な魔法ですね」
ぽつりとケイが呟いた。
「だな。こちらとしては是非ともその魔法で、うちの女王様の居場所も教えてもらいたいものだ。……あぁ、それを、この状況を用意した儂への報酬にするとしようかね。儂個人には、あまり得もないが」
軽く肩をすくめて、ダルマジェラさんがどこか投げやり気味に言う。
その言葉に、アカイアネさんは微かに驚いたように眉を顰め、
「なに、リッセも捕まっているの?」
と呟いてから、口元に手を当てて目を閉じた。
魔力が周囲に広がる感覚。要望通り探してくれるようだ。
数秒後、アカイアネさんはゆっくりと目を開けて、
「捉えたわ。どうやら、同じ場所にいるみたいね」
と、答えた。
「そうか、それは朗報だな。一つ手間が省けた」
「ですね」
ダルマジェラさんとケイの表情に明るさが灯る。
でも、それはすぐに掻き消されてしまった。アカイアネさんの表情には、隠し切れない暗さが滲んでいたからだ。
嫌な予感が、どんどん現実を浸食してきている。
そして、その畏れは最悪の形で結論を示した。
向かった先にあったものは……ホルマリンのような液体に漬けられた、リッセの、生首だったのだから。
次回は四日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。




