06
真っ先に視界に入ってきたのは、眩い火花だった。
剣と剣、魔力と魔力が凄まじい力で衝突した際に生じる反応。
次に情報として届けられたのは、吹き飛ばされる鎧の男。そして、それを影で作ったネットのようなもので庇う女性の姿だった。
イル・レコンノルンの側近だ。鎧の男は右足がなく、影の女は脇腹から夥しい血を流している。
「――潰れろ」
彼等の主の声と共に、頭上から凄まじい圧力がかかった。
超重力。並の人間など瞬き一つでミンチに出来てしまうほどの魔法だ。大地を割き、半径二十メートル以上を圧殺する一撃。
だが、この身体には届かない。せいぜいそこらのジェットコースターの急上昇と同程度の体感で、大した支障も出る事はなさそうだった。
「煩わしい魔法だな。それだけだが」
唇が勝手に動いて、冷たい声が出る。
もちろん俺の意志じゃない。
まだ夢の中にいるのかと思いたかったが、記憶を失う前に突き刺された傷口が酷く痛む。鎧の彼と打ちあっていたんだろう左手も、ジンジンとした痺れを訴えていた。
最悪の夢からは抜け出せたが、どうやら現実の方も相当に不味い状況にあるみたいだ。
「今ので足りないか。私の魔法では打倒できそうにないな」
「だから、私に頼りたいって言うのかしらぁ? さっきまで私を殺そうとしていたくせに、ずいぶんと都合のいい話よねぇ」
五十メートルほど上にある梯子に佇んでいたラクウェリスが不満げな声を漏らしながら、周囲に風を纏いゆるやかな落下を開始する。
と、同時に彼女を取り囲んでいた建物に描かれていた魔力の模様――いわゆる魔法陣が淡い輝きを放った。
「まあ、貴方たちの時間稼ぎは有効に使ってあげたけれど」
虫を払うように、こちらに向けて右手を軽く振り抜くラクウェリス。
直後、全身が総毛立つほどの気配と共に、無数の巨大な風の刃が殺到する。
魔法陣によって強化された魔法だ。これはさすがに具現化された鎧でも防げない。――そんな俺の直感を小馬鹿にするように吐息を漏らし、レニは身に纏っている漆黒の鎧に魔力を流して、瞬き一つの間をもって先程までの斬撃に強い構造から、魔法に強い構造へと変化させた。
信じられない速度。そして、圧倒的な防御性能だった。
魔力の使い方一つで、ここまで変わるのかというのを、まざまざと見せつけられた感じ。
「……あー、ちょっと体調が悪くなってきたわぁ。帰ってもいいかしら?」
二十メートルほどの距離で別の梯子に降り立ったラクウェリスが、本当に顔色を悪くしながら言う。
それに対して、イル・レコンノルンは淡々とした口調で答えた。
「好きにしたらいい。そのような隙を許してくれる相手だと思っているのならな」
「……まったく、最悪だわぁ、どうして私がこんな目に合わなければならないのかしら?」
「元はと言えば、お前が勝手に攻撃を仕掛けてこうなったんでしょう?」
影を使う女性が、苛立ちを露わに吐き捨てる。
おかげで、この戦闘が始まった経緯がなんとなく掴めた。
不意打ちを仕掛けてきた無法の王がどうなったのかは不明だけど、そいつを倒すなり追い払うなりしたあとで、ラクウェリスはこちらにちょっかいをかけてきたんだろう。その理由が乱戦になる事を期待してか、ただの気紛れかは知らないが、行動から見て今戦っている相手がレニ・ソルクラウである事には気付いていない可能性があった。
まあ、魔力の色は同じでもその質が変わり過ぎている上に、今は全身を鎧で纏って素顔も体型も判らないので、それも仕方がないのかもしれない。……いや、たとえ気付いていたとしても、仕掛けてきそうなのがラクウェリスという女なので、実際のところは大した問題でもないのかもしれないが、気になるのはイル・レコンノルンの認識だ。
彼は敵が誰か気付いて戦闘を続けているのか、それとも気付かずに戦闘を続けているのか。
まあ、どちらにしても、今俺が主導権を失っているこの身体を相手に交渉は無意味だろうから、こちらも差異はないんだろうけど……
「でも、どうするのぉ? 私でも貴方でも届かないとなると、厳しいわよ」
「殺す事だけが無力化ではない。強固な魔法はその分損耗も激しいものだ」
「時間稼ぎをするというわけ? 魔法陣を用意する以上の? 疲れるのは嫌いなのだけど……そうも言っていられないのかしらねぇ」
イルの言葉に、ラクウェリスは気だるげな猫背になる。
その間、レニは攻撃を仕掛けるわけでもなく、小刻みに繰り返し複数の箇所を動かしていた。
おそらく、久しぶりに使った自身の身体に戸惑いを覚えているんだろう。これは、その齟齬を無くすためのチューニングなんだと思う。
つまり、馴染んでも居ない状態で、この二人を相手に圧倒しているという事だ。
正直、どちらの人物にもこれといった思い入れはないし、彼等の死で心が痛むこともないが、イル・レコンノルンに死なれるのは、この街で生きている人間としては看過できない。
だからこそ、一刻も早く主導権を取り戻してレニ・ソルクラウを無力化させる必要があるが、どうすればいいのかが分からない。
でも、無力という事はないはずだ。ラガージェンの言葉を信じるのなら、勝算はある。……本当に信じられるのなら、だけど。
「……」
とりあえず、なにか喋れないかと試みてみるが、唇はぴたりと閉じたままだ。
だったらレニが今動かしている右手の指に干渉できないかと、次はそこに全神経を注いでみるけど、やっぱり微動だにしない。
こういう事ではないのか。だとしたら、何に抗えばいいのか……いや、その前に、まずはなにが出来るのかを整理するのが先か。
今の所、こうして色々と考える事は出来ている。フィルターの類もかかってはいないと思う。
痛み以外の感覚も共有できている。後者はかなり気持ち悪いが、自分の状態が判らないよりはいいだろう。
「……無駄話はもう終わりか? では、私に手を出した事を後悔して死ね」
チューニングを最低限済ませたのか、静かな声でレニが言う。
と同時に、足元から波紋のように魔力を広げた。
圧倒的な速度で、全てが黒に染まっていく。それを塗り返れるだけの魔力の強度をもった者は、この場にいない。故に、範囲はどんどん広がっていく。
争いを嫌ってだろう、今のところその枠の中にまだ一般人はいないが、今だけだ。このペースで攻撃範囲を広げられるのだとしたら、じきに無関係な人達の足元にもそれは忍び寄る。そして、レニ・ソルクラウが無関係な人達を巻き込むことに躊躇なんてするはずがない。
それを、イルも肌で感じとってか、険しい表情を浮かべて、
「……いいだろう。その条件を呑もう」
こちらに視線を向けながら、誰かに向かって頷いた。
それが誰なのか、俺にはすぐには判ったけど、レニには判らなかったようだ。不可解そうに眉を顰めて――
「――っ!?」
気付いた時には、それはもう鼓膜を破るほどの音と共に、この身体に突き刺さっていた。
視界に無数の光が飛び散り、兜が凹むほどの衝撃。
ふんばりが効かずに派手に吹き飛ばされながらもこの眼で捉えたのは、案の定の真紅の髪――俺が知る限り、この街で最強と言っていいラウ・ベルノーウだった。
次回は三日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。