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03

 レニ・ソルクラウの中身が異世界の人間である事を、ミーアは既に知っていた。

 だから、倉瀬蓮という名前がラガージェンの口から零れた時も、それが彼女の向こうの世界での名前なんだという感想以外のものは出てこなかった。

 もちろん、興味を引かれなかったというわけじゃない。むしろ、これ以上ないくらいの好奇心がふつふつと胸の奥から湧きあがってきていて、多分この機会を逃せば二度とその話題に触れられないという予感も相まって、いくつかの逡巡を飛び越えて口から飛び出てしまったのだ。

 自制が利かなかった。

 おかげで、即座に後悔するはめになった。

 胸が締め付けられるような、レニの沈痛な表情。これは、訊いてはいけない事だったのだ。自分が思っているよりずっと、彼女にとっては触れられたくない話題だった。

 出来ることなら、今の失言を完膚なきまでに消し去ってしまいたい。

 でも、吐いた言葉をなかった事にはできない。今更、なんでもありませんと言っても、しこりは残る。

 人間関係というのは繊細だ。どれだけ信頼があったって、壊れる時は簡単に壊れる。命と同じように、あっけなく。

 そんな事、経験してきた多くの修羅場の中で嫌と言うほど見てきたはずなのに……

「……そういえば、ラガージェンがそんな名前を口にしてたね」

 微かに震えた声で、レニが言った。

 自虐的な微笑が本当に痛ましくて、ますます後悔が増していくのがわかった。

 ただ、同時に、そこには怒りや侮蔑といった感情はなく、むしろ自分が今感じているのと同じもので埋め尽くされているのも何となく感じ取れて、少しだけレニの心境のようなものが窺えた気がした。

(もしかして……)

 いや、もしかしなくても、レニはその隠し事に負い目をもっているのだ。

 こちらに対して裏切っているような気持ちを抱いている。ミーアがそれを知った時に、リッセのおかげもあって解決した気持ちの整理が、レニの中ではずっと終わっていないのだ。それこそ、トルフィネで生きていくと決めた、あの時から。

 だとしたら、自分がするべき事は簡単だ。

 気にしていないって、もう受け入れているって、伝えればいい。

(本当に簡単な事ね)

 なのに脊髄反射で怯えて、悪い想像を広げて、レニの負い目を余計に大きくさせるなんて、莫迦にもほどがある。ここまで莫迦だと自己嫌悪よりも先に、呆れの方が顔を出すくらいだった。

 そんな心境に背中を押される形で、ミーアは言った。

「実は私、前から知っていたんです。レニさまが正確にはレニ・ソルクラウじゃなくて、異世界からきた魂を宿した器だったって」

 微かにレニの瞳に動揺が過ぎる。

 けれど、すぐに彼女は納得したように自嘲的な微笑を浮かべ、焚火で温まるようにその場にしゃがみ込んで、

「……まあ、言葉にされる前から、おかしな状態にはさせられてたからね」

 と、呟いた。

 おかしな状態というのは、表に出てきたレニ・ソルクラウの人格の事だろう。

 自分を殺そうとした彼女。たしかにあの段階で、疑わしき部分は多かった。

 とはいえ、今ミーアが口にした真実は、その出来事だけで辿りつけるようなものではない。普段の彼女ならすぐに判った筈だ。

「いえ、私がそれを知ったのは、レフレリに赴いた時の事です」

「……え?」

 まったく想像していなかったのか、彼女にしては酷く間の抜けた反応だった。

 不謹慎かもしれないけれど、ちょっと可愛いと思ってしまう。

「…………あぁ、アカイアネさんか。たしかに、彼女はこの身体の事情を知っていたね。口を漏らすとは思わなかったけど」

 やや棘のある呟き。

 はっきりとした憤りが気配に滲みだしている。大事な秘密を勝手に暴露されたわけだから、まあ当然と言えば当然の感情だ。その点にフォローは出来ないが、彼女のおかげで今の心境で居られる身としては、あまり責めないでやって欲しいという気持ちもあって――

「私は、変わって見えましたか?」

 自身の胸に手を当てながら、ミーアは言った。

 真っ直ぐにレニを見つめながら言った。

「それが私の答えです」

「……」

 ちゃんと、伝わってくれただろうか。もっと雄弁に語った方が良かっただろうか。でも、自分はもともとそんな口達者というわけでもないし、下手な事を付け加えるよりは、本当に必要な言葉だけを届ける方がいい気がしたので、このまま口は閉じたままでいる。

 すると、レニは小さく吐息を零して

「倉瀬蓮は、そうだね、つまらない人間だったよ」

 と、先程の問いに答えてくれた。

「小賢しく立ち回るのだけが得意な、なんのために生きているのかもわからないような男だった。まあ、その辺りは今もあまり変わってないかな」

「そんな事――」

 咄嗟に気遣いの言葉を並べようとしたところで、さらっと流しそうになってしまった、でも、絶対に無視できないワードにミーアは言葉を失った。

 それに気付かずに、レニは良い匂いを放ちだした肉に視線を向けながら

「ミーアも、そんな事が聞きたいわけじゃないか。……向こうでは学生だった。年齢は十七、いや十八歳だったかな。魔法のない世界だったから、此処で経験した多くはまるでお伽噺のようだった。でも、文明の発展に寄与したのが魔法か科学かっていう違いだけで、社会の本質的な在り方はそう違わない気もするかな。もちろん、ここまで個人が本当の意味で特別であるっていうのは、私がいた世界じゃ、なかなかないものだったけどね」

 と、淡々とした口調で話してくれて、それから再びミーアの方に視線を向けた。

 他になにか具体的に聞きたい事はある? といった眼差しだ。

 ただ残念ながら、その意図を組むことは今のミーアにはまったく出来なくて、

「あ、あの、その、私の聞き間違いかもしれないので、もう一度答えて頂きたいのですが、レニさまは、その、あの、ええと…………だ、男性なのですか?」

 俯きながら、これ以上ないほどの勇気をもって、絞り出すような声で、肝心要の問いを口にした。

 結果、数秒ほどの沈黙が過ぎり、

「それは、知らなかったんだ……?」

 という、戸惑いに満ちた返答が齎された。

 つまりは肯定だ。聞き間違いじゃなかった。

 時折、男性的な一面を見せる事はあっても、基本的には優雅で淑やかな女性であり続けたレニが、実は男性だったという事実。

 それを受け入れた瞬間、脳裏に過去の出来事が泡のように浮かび上がってきた。

 たとえば風呂上りに下着姿でリビングに姿を晒した事とか、寝惚けて一緒のベッドに入った事とか、一緒に料理をしている時に同じスプーンで味見をした事とか、異性相手には絶対にしないであろう数々の大胆。

 思い出すたびに体温が上がっていく。

 自分でも判るくらいの火照りだ。多分、顔も真っ赤で、混乱もしていて――

(――あ)

 それでも、不意に陰ったレニの表情を見逃すことはなかった。

 レニは今こちらを見ていない。戸惑いを見せたあとにすぐ視線を落としてしまっていたからだ。だから、その反応は深刻で――自分でも珍しいと思うくらいに、それを察する事が出来た。

 此処で何もしなかったら距離が生まれてしまう気配がしたのだ。

 こういう直感はまず当たる。そして、当たると判っているのなら、無視なんて出来ない。

「確かに性別に関しては知りませんでしたけど、それでも私のレニさまに対する想いは変わりません」

 言いながら、ミーアはレニの隣に座って、肩に身体を預けた。

「ほ、ほら、変わってないです……! いつも通りの、距離です……!」

 声は上擦ってしまっていたけれど、こうして触れあってみても、怖いとか、嫌だとか、そういう感情が生まれる事はなかった。

 むしろ、なんというか、目を逸らしていた自分の感情が、ある意味許されるものだったと知って、更にドキドキしている。心臓の音が聞こえないかと不安を覚えるほどだった。ばちばちという焚火の音がなければ、もしかしたら本当に聞こえてしまっていたかもしれない。

「……無理、してない?」

 横目にちらちらとこちらを見ながら、レニが言う。

 勇気を出した行為に対するリアクションとしては、少々気に入らないものだ。

 ならばと、顔を近づけて、

「そう、見えますか? ……レンさま」

 と、彼の名前を呼んでみる。

 呼びながら、我ながら本当に勇ましい接近をしたものだと、どこか他人事のように思う。

 吐息が届く距離での見つめ合いだ。その所為か、仄かにレンの頬も赤らんだような気がした。

 焚火の灯でそう見えただけなのかもしれない。

 でも、それがきっと引き金で、ミーアは引き寄せられるようにもう少しだけ顔を近づけて――柔らかい感触が、唇に触れた。


次回は三~四日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。

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