表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
66/118

02

 空間の孔から見えたトルフィネの街は近いようでどこまでも遠い蜃気楼のように、進めど進めど距離を埋める事が出来ないものとなっていた。

 これまで俺が経験してきた長距離転移と違って、やけに時間がかかっている。

 その事実に不審を覚えたところで、途端にトルフィネの景色がぐにゃりと歪み、程なくして地面が抜けたかのように重力が襲ってきた。

 これは、罠にでも掛けられたか……一瞬、そんな事が脳裏に過ぎるけれど、理由が見当たらない。そんな回りくどい真似をしなくても、こちらを処理する事などラガージェンには簡単な筈だからだ。だから、これはなにかしらの不具合で、彼にとっても想定していないなにかが起きた可能性が高い。

 まあ、それはそれでかなり不味い状況な気がするけど、不思議と不安を覚える事はなかった。多分、極度の疲労の所為だろう。

 或いは、本能的な部分で危険はないと感じていたのか――

「どうやら、転移の魔法が途中で崩れたようですね。おそらく、トルフィネの近くに落ちる事になると思います」

 俺の手を少しだけ強く握りしめながら、淡々とした口調でミーアが呟いた。

 そんな彼女の視線は真下に向けられており、その言葉を裏付けるように、程なくして覚えのある魔力をレニ・ソルクラウの感知能力が拾う。

 仕事ではあまり足を運ばないが、俺にとっては酷く特別な場所の空気。

「……あぁ、やっぱりそうか」

 真っ暗闇の足元に、深緑が顔を出す。

 新しい出口だ。その先にある地面との距離は、もうすぐそこまで迫っている。

 とはいえ、焦る必要はない。

 少しだけ感覚を尖らせながら、暗闇を抜けて、ぬかるんだ足場に着地する。

 そして即座に周囲に魔力を広げてクリアリングをしつつ、湿地の所為で足首まで埋まっていた両足を左右の順にゆっくりと引き抜いた。捻挫の痛みを味わう事はなかった。

「この空気は、私も覚えがあります。アルドヴァニアから空間転移を行って、最初に辿りついた森。……どうやら、ここはその奥地のようですね」

 ゆったりと視線を流して周囲の把握につとめていたミーアが、こちらと同じように足回りの問題を処理して、それから小さく安堵の息を吐く。

「問題なく帰れそうで良かったです」

「それは、本当にそう」

 俺も苦笑を返して、もう少し探知範囲を広げてみるが、街の気配はここからじゃわからない。俺がグルドワグラを狩った場所よりも、どうやらここは奥深くという事になりそうだ。

 という事は、あの化物と同等以上の魔物が生息している可能性があるという事にもなるけど……まあ、あの当時の自分ならともかく、今はそれを恐れる必要もない。

 それより、俺たちが姿を消していた間に、トルフィネで起きていた問題はどうなったのかの方が気がかりで、

「でも、まだ全部が無事に片付いたかは判らないし、急いで帰った方が良さそうだね」

「それは駄目です」

「駄目?」

 まさかそんな答えが返って来るとは思っていなかったので、思わず鸚鵡返ししてしまう。

 すると彼女は、またこちらの右手を握る手を少しだけ強めて、

「レニさまの魔力はまだまだ不安定な状態です。もし、問題がまだ片付いていなかった場合は、それこそ、この森で回復をしきってから赴いた方がいい」

 と、真っ直ぐに俺を見ながら言った。

 確かにその通りだ。それに、振り返ってみればディアネットという人物にはそこまでの脅威を覚えなかった。そんな相手に、リッセたちが遅れを取るとも思えない。

 むしろ、不安があるとしたら、その厄介者を処理する中での横槍だろうか。なにせリッセは敵が多いのだ。まあ、それ以上に怖い味方も多い気がするけれど――

「――魔物が近付いてきていますね」

 不意に、ミーアが醒めた口調で呟いた。

 ほどなくして、俺もそれを察知する。

 数は七。それほど強い魔力は感じない。脅威になる心配はなさそう。……つまりは、ちょうどいい獲物という事だ。

「ミーアは今、火石持ってる?」

「火石ですか?」ごそごそとポケットを漁り、ミーアは二つの石を取り出した。「中身はそれほどありませんが、調理をする分くらいの火力は出せそうですね。水石もあります」

「そう、それは良かった。けど、もしかして、ミーアもお腹が空いていたりした?」

「あれだけの激闘をすれば、補充が必要になるのは当然ですし、お腹が空いていなくとも、それくらいの察しはすぐにつきます」

「それもそうだね」

 ちょっと不貞腐れたような澄まし顔で答えるミーアに和みつつ、右手を横一閃に振り抜きながら彼等に届く射程の長剣を具現化する。

 結果、長剣は周囲の大木もろとも、一体の魔物を切り裂いた。

 忍び寄ってきていた残りの六体が一斉に逃げ出す。どうやら、無事に追っ払う事にも成功したみたいだ。

「食べられる魔物ならいいんだけど」

 呟きながら、動かなくなった気配に向かって歩を進める。

 進めながらその確認もせずに殺した自分の短絡さに少し呆れを覚えたけれど、まあ、食べられない魔物の方が少ないので、無益な殺生になる事はないだろう。

「……これは、ナムデモか。たしか、肝臓と胸肉が美味しいって話だったかな」

 四つの首を、ダルマのような胴体の左隣に転がして絶命していたその魔物は、市場ではあまり見かけない類だった。図書館で得た情報のものよりは幾分大柄で、三メートルはありそうだ。といっても、その大部分はキリンのように細く長い首に拠るものなので大きいという印象はなかった。特に、今の状態なら尚更だ。

「杭のように鋭い嘴ですね。武器になりそうです」

「そうだね」実際、その箇所は武器の素材として高値で売られていたりした。「……一応、持っておく?」

 なんとなく提案してみると、ミーアは口元に手を当てて数秒ほど思案し、

「そうですね。やはり得物がないというのは不安ですし、お願いします。あ、出来れば、一番奥に転がっている嘴で」

「うん、わかった」

 右手に一般的なサイズの剣を具現して、根元の部分を断ち切る。

 死体になった時点で血液の流れは止まっているので、派手な出血はない。

 このままでは少し持ちにくそうなので、握りやすい形に根元の部分をカットして、ミーアに手渡す。それから、ナムデモのごわごわした毛皮をリンゴの皮と同じように剥いて、それで切り取った食材部分を包んだ。

 この手の作業はあまりしないけど、思いのほかスムーズに出来たと思う。仕事の度に解体師の工程を見ているおかげだろうか。

 まあ、なにはともあれ、あとはこの湿地帯を抜ければ、ようやくゆっくりできる。

 ……というか、既に一刻も早くここを抜けたい気持ちでいっぱいだった。もうなんというか、湿度が高すぎて息苦しいのだ。嫌というほどに汗も噴きだしてくるし、本当、この森に虫の類がいなくてよかったと心底思う。居たらきっと地獄絵図だった。

「水を飲みますか?」

「まだ大丈夫。それより、トルフィネはどっちだろう」

「魔力の濃度が薄いのは向こうですから、おそらくは向こうに進めば大丈夫かと。確実なのは樹の上から見渡す事ですが――」

 言葉の途中で、轟々とした咆哮のようなものが頭上から聞こえてきた。

 空の上になにかいる。こちらに敵対はしていないし、ドラゴンの類ではないと思うが、なかなかに大物そうだ。

「下手に知覚されるような真似をするのは、避けた方が良さそうだね。慎重に……うん、慎重に、ほどほどの速度で足場のマシなところまで行こう」

 さすがに歩いていたら湿地帯を抜けるだけでも日が暮れそうなのでそう言って、木の幹をとんとんとテンポよく蹴りながら、湿地に足をつけないようにミーアが指差した方向に向かって移動していく。

 それを三十分くらい続けたところで、森の景色が変わりだした。

 湿地帯は秋の山のような風情に、蒸した空気は涼しげなものへ、相変わらず外の世界は変化の度合いが劇的だ。

 おかげで急に肌寒くなったけれど、その辺りは魔力で肌を保護すればいいだけなので、風邪を引く心配なんかはない。

「方向はあっていたみたいですね。人の気配を捉えました。おそらくは下知区の人達でしょうか、ところどころで小競り合いをしているような魔力の衝突がありますが、これはいつもの事ですね」

 地面に着地して、足を止めたミーアが言った。

 感知能力は彼女の方が上なので、俺にはまだそれが感じ取れないけれど、疑う理由もない。

「とりあえず、ここで色々と補充しようか」

「はい」

 頷いて、ミーアはナムデモの嘴を鋭く振って、周囲の枝を切り落とし、薪をこしらえていく。

 それを横眼に、俺も包みを地面において細長い串を具現化し、食材に突き刺して食事の準備を済ませる事にした。

 お互い、その作業に専念して少しの間無言が続く。

 でも居心地の悪さはない。なんというか、いつもの感じだ。

 ここで、ようやく戻ってきたという実感を覚えた。たった数時間の筈なのに、ずいぶんと長い間、手放していた気がするのは、それだけ濃密な数時間だったからだろうか。

「点きました」

 ミーアの一言と共に、視界に炎が灯り、森の暗闇を少しだけ払拭する。

 そういえば、今は何時なんだだろう?

 ふと気になって条件反射的に懐に手を伸ばして懐中時計を探すけれど、見つからない。どうやら戦闘の最中に失ってしまっていたみたいだ。

 愛用していただけに結構ショックだった。

 体内時計を信じるなら、多分今は夕暮れあたりなんだけど……森はただでさえ暗いし、レニの眼は良すぎる故に暗さの違いを区別できない(結局真夜中だろうが周囲の状況を視認できる)ので、あまり信用は出来ない。そして、時間が判らないというのは、どうにも落ち着かなかった。

 別に明日予定を入れていたわけでもないのに、本当、損な性分だ。

 そんな自分にちょっとした面倒臭さをおぼえつつ、

「ミーアは明日、なにか予定とかあった?」

 と、訊いておくことにした。

 その答え次第で、此処で夜を過ごすか、回復は最小限に留め多少無理をしてでも帰るか、決めようと思ったのだ。

「……そう、ですね、おそらく怪我人がたくさんいるので、その治療に駆り出されるのかもしれませんが、今の私の魔力量では満足な治療も出来ないので、騎士団に出勤してもあまり意味はなさそうですね。そもそも一人で処理できる量でもないので、既に外部に応援要請もされているでしょうし、素直に自分たちの治癒に専念する事にします。試しておきたい事もありますし」

「試しておきたい事?」

「私の心臓には今、紛い物の核があります。正しく自分のものというわけではないので自己回復などは出来ませんが、何かしらの方法で魔力を満たす事が出来れば、私も狩りを主軸にする事が出来るのではないかと思いまして。もちろん、あまり期待はしていませんが」

 薪の火を見つめながら、ミーアは淡々と呟き。

「それはそうと……その、レニさまは、私の匂い、大丈夫ですか?」

 と、なにやら躊躇いがちにそんな事を訊いてきた。

 蒸し暑くて森の匂いが濃かった湿地帯から匂いの薄い場所に来た事で、自分の匂いが酷く気になってしまったようだ。

「それ、私に言う?」

 呆れ交じりに、俺はそう返す。

 ここに臭さの度合いを観測する機器なんかがあれば、間違いなく俺の方が高い数値を出した事だろう。なにせ身体に纏わりついている血の量が違う。

「あ、えと、その、そういう意味で言ったのではなくて……」

「家に帰ったら、真っ先にお風呂に入りたいね。――あぁ、もう本当に、臭い!」

 服の袖とくんくんと嗅いでから顔を顰めて恨みを込めつつ吐き捨てると、ミーアはくすりと微笑んで、

「そうですね。私も今鼻呼吸が出来ません」

 と、可笑しそうに言った。

「今のうちに、どっちが先に入るか決めておこうか?」

 炎の中に肉が入るような角度で串を地面に刺しつつ、俺は言った。

 すると彼女は、

「そんな事を決めなくても、一緒に入れば良いと思いますが? これはもう十分に急を要する状態なわけですし」

 と、真面目な顔をして返してくる。

 もちろん、その提案を受けるわけにはいかない身としては非常に困るもので……

「確かに、それも悪くはないかもね。あぁ、でも、考えてみたら家まで直行というわけにもいかないんだった。その嘴を売る必要があるしね。だから、私が仕事を済ませる前に先に戻って済ませておいてくれると嬉しいかな」

「そうですか。それは、残念です」

 本当に残念そうにミーアは俯いて、焚火にまた視線を落とした。

 そしてまた沈黙が訪れるが、今度は少し居心地が悪くて……それを嫌ってかどうかは判らないけれど、

「あ、あの、レニさま、一つ訊いてもよろしいですか?」

 と、顔をあげたミーアは、どこか神妙な面持ちで言った。

 この時、俺はその表情の意味を深く考えてはいなかった。ちょっとした気まずさから来ているものくらいにしか捉えていなくて、

「倉瀬蓮とは、その、どういった人物だったのでしょうか?」

 ……だから、この問いを投げかけられた時、自分でもびっくりするくらいに狼狽えて、すぐに反応する事が出来なかった。

 色々と恐ろしい想像が頭の中を駆け巡って、ネガティブな結論の数々が心臓を締めつけて、仕方がなかったのだ。



次回は四日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ