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身体が信じられないくらいに軽い。
今、間違いなく自分は全盛期以上の性能で動けている。その事実に否応のない高揚を覚えながら、ミーアは手にした細剣を力の限りに揮っていく。
壊れる気配はない。驚くほどに手にも馴染んでいる。それに少し熱い。
幸福すら感じる熱。
(変な話ね。不利な殺し合いをしていて、こんな気持ちになるだなんて)
これも、彼女の魔法の影響なのだろうか。
舌に、まだ血の味が残っている。
それ以上に、唇には体温が残っていた。
案外、胸の高鳴りはこれが原因なのかもしれない。だとしたら、これもまたおかしな話だ。彼女の行動の意図は判っている。魔法を流し込むのに血を使うのは、よくある事。他意なんてある筈がない。
彼女が男性であったのなら、期待しても良かったのかもしれないけれど……
(……莫迦ね。一体なにを考えているのか)
さすがに、これ以上は行動の邪魔だ。
余計な思考は早々に排除して、ミーアはバックステップを一つ取り、後ろから迫ってきていたレニを視界におさめる。
愚直とも言える接近に、倒すというよりも行動を阻害する事に重点を置いた攻撃。それらは全てリスクを引き受ける動きだ。
彼女は言葉の通りに、こちらが動きやすいように立ち回ってくれている。
その信頼に応えるべく、ミーアはレニの身体を死角にオリジナルへと攻撃を仕掛けた。
本来、攻撃の隙を埋めるための防御行動の大半を捨てて、三手先で詰むような状況になったところで、レニの背中に隠れてリスクを処理してもらうという戦いを押し付けていく。
当たり前の話だけど、少しでも息が合わなければ成り立たない戦術だ。
長い事一緒に暮らしていたと言っても共闘の経験は数えるほどしかないのに、百戦錬磨の騎士だろうと軍貴だろうと他人と完璧に合わせるというのは簡単な事ではないのに、それをこうもストレスなく行えるのは、本当に凄いとしか言いようがない。
「――目障りな」
オリジナルも、まさかここまで穴のない連携になるとは思っていなかったんだろう、忌々しげに毒づきながら、先にレニの方を処理しようと攻勢に出るが、もちろんそんな事を許すわけもなく、僅かに逸れた注意の間隙をついて、手甲越しに右の手首を切り裂いてやった。
すぱっと肉が裂けて、ドロドロ血が溢れてくる。
勢いがないので、動脈には届かなかったようだが、無理に動かせばどうなるかはわからない。これで、手首を使った斬撃の軌道変化などは潰せたといっていいだろう。レニの対処が少しは楽になる。
一歩前進だ。今はこちらが優勢に事を進められている。
なんて確信を覚えた矢先に、地面に流れたオリジナルの血がぶくぶくと泡を立てて沸騰し、そこを踏んでいたレニの右足を呑みこんだ。
ジュウゥウ、と音を立てて肉の焼ける匂いを届かせてくる。
「レニさま!?」
「焦らなくていい! ……大丈夫、骨まで溶かすほどの熱はないから」
その血溜まりから足をどかす猶予を生み出さんと反射的に前に出ようとしていたミーアを制止して、レニは短く息を吐き、
「それにしても、体内の血にそんな使い方をするなんて、ずいぶんと危ない真似をするね。もしかして、余裕がなくなってきたの?」
と、オリジナルに向かって、からかうような甘い声を零してみせた。
ギリッ、と歯を軋ませる音が聞こえてくる。
レニのように誤認を誘っての反応ではないだろう。連戦に次ぐ連戦で、オリジナルも疲れているのだ。
ここまで多くの犠牲を払って抗い続けてきた事は、無駄ではなかった。
それを、ミーアにこういう形で伝えてくれるあたりが、本当にレニらしいと思う。
「……もう喋らなくていいぞ、貴様は」
オリジナルの背後の地面から具現化された剣が、凄まじい速度で伸びてくる。
もし、レニが制止してくれていなかったら、奇襲として置かれていたこの一撃で体勢を崩されて、次の太刀で仕留められていただろう。彼女に殺されてきた者達と同じように。
そういう狙いをもって、オリジナルは手傷を許したのだ。
「ミーア、離れないでね」
その思惑を台無しにしてみせたレニは軽やかにそう言うと、左手を横薙ぎに払いながら大きく距離を取って、纏わりつく事をやめた。
これが急に行われていたら少し対応に迷ってしまっていただろうけれど、前もった言葉のおかげで、ミーアも即座に彼女の移動した方向に向かって跳び退いて、一瞬でも孤立する事態を避ける事に成功する。
あとはまた同じ状況を作りだせれば良かったんだけど、思った以上にレニの動きが悪い。血に焼かれた足の状態は再構築された具足によって見えないが、おそらく指を全部やられているうえに、足首にも力が入らないんだろう。
つまり、殆ど片足のバランスだけで立ち回る必要があるという事だ。オリジナルも最低限、代償に見合った戦果を挙げたというわけである。
それでも、こちらには治癒師でもある自分がいる。立て直しは十分可能だ。
とはいえ、攻撃の手を緩めてそちらを優先すれば、オリジナルの猛攻にレニが耐えられない。
(頭上の牽制をそろそろ使うか……)
戦っている最中にも大気中の魔力を吸収して、肥大化した雷の塊だ。今なら、それなりの脅威になる程度の威力を保ちつつ、三十発程度は落とす事が出来る。上手く用いれば、片足の不備を完全に消すくらいの時間は稼げるだろう。
だが、当然だが、使い切ったあとは一気に不利になる。
注意しなければならない事が一つ減るというのは、それだけ大きな要素なのだ。
(……レニさま)
答えを求めて視線を送ってみる。
すると、彼女はオリジナルの方を向いたまま、
「ずいぶんと、頭上が気になってるみたいだね」
と、見透かすようなトーンで言った。
オリジナルは無言だ。肯定も否定もしない。まあ、正直どちらでもいい。だってこれは、ミーアに向けられた答えなのだから。
雷撃はまだ落とさない。その上で、レニを守り抜きながら彼女の治癒も行う。
なかなかに高いハードルだが、不思議とプレッシャーはなかった。
一緒に死にたいと言ってくれたのが、此処でも強く機能しているという事なのか。
(レニさまは、私の事、どれだけ判ってるんだろう……?)
知りたいようで知りたくない気持ちを抱えながら、ミーアは剣をもって踊る。
そして、その合間に空いている左手でレニの身体に触れた。
触れた途端に、オリジナルの斬撃が飛んでくる。
(やはり警戒されているか)
しかも、想定以上の警戒度だ。
治癒される事だけではなく、昇華の魔法を付与される心配もあるからだろうが、それにしても神経質に見えた。
この精神状態は、逆手に取れる。
(……いや、既に取っているのか)
どうやら、レニの治癒はフリだけで良さそうだ。
オリジナルの圧力に押されるように後退しながら防戦に転じるレニの姿は、片足が不自由だからこそ自然に見えるが、そうでなければ、僅かだとしてもどこかに誘導しようとしている事を匂わせてしまっていただろう。オリジナルが手首から溢れた血を武器に変えていたように、レニもまた足を潰される事を伏線にしていたのだ。。
(裏でなにかを用意したのはナナントナだとして、仕掛け場所はおそらく、レニ・ソルクラウの感知範囲外)
そこが何処か分かれば、落雷を使うタイミングも判ってくる。
もっとも、それだってレニが教えてくれる気がするけれど――
「――っ!」
思考を遮る一際甲高い金属音と、それに紛れてレニの呻き声が届く。
オリジナルの攻撃の質が変わったのだ。
頭部どころか大地すらかち割らんとするような振り下ろしに、腕が千切れそうなほどの横薙ぎ、そのエネルギーを生かした回転から振り抜かれる後ろ回し蹴り。
カバーしてくれる相手もいないというのに、捨て身にすら近い怒涛の猛攻だった。おかげで何度も肉を裂くことが出来たが、オリジナルは気にする事もなくレニを殺しに来る。
(気づかれた?)
一瞬そう思うが、だとしたら追い足を止めればいいだけだ。無理にここまでのリスクを取る事もない。
だから、少なくとも誘導されている事には気付いていない筈だ。
でも、なんとなく、この状況に付き合いすぎるのは良くないと感じたのだろう。
ミーアにも経験がある。根拠なんてどこにもなくても本能が嫌がって、行動を急かしてくる瞬間というものが。そしてそういう感覚は、まず裏切らない。
裏切らないが、どうやら一足遅かったようだ。
「時間切れだよ。その鎧じゃ、もう防げない」
静かな口調で言うと共に、レニは自身に昇華の魔法を用いて、反撃に打って出た。
「ミーア!」
短い呼びかけに応えるように、ミーアも空に溜めた魔力を一つにまとめて雷を解き放つ。
これでオリジナルは、頭上への警戒を最大に高める事だろう。更に言えば、落ちた稲妻は一体に高濃度な魔力を散布して、感知能力を妨害する。
そのタイミングでなにが行われたとしても、すぐには把握できない。
恩恵を受けた、当人以外は。
(――ぐぅ、つぅ)
不意に、心臓が激しく脈動すると共に、全ての感覚が異常な程に研ぎ澄まされていく。
淡く灯っていたレニの魔法の恩恵が、本格的に回転を始めたような感じ。
足元にしかれていた魔法陣の影響だ。昇華と強化の重ね掛け。
(これなら、追えるか)
本来なら一瞬で地面に到達するはずの稲妻が、やけに緩慢とオリジナル目掛けて疾走する様を見ながら、ミーアはその道筋を標的の動きに合わせて対応させ、ゆっくりと深呼吸を一つ取った。
昇華の効果が臨界点を迎えるまでは、まだ時間がある。
「――っ、貴様!」
まるで因果の糸にでも繋がれたかのように迫る、近づくごとに威力を高めていく雷を前に、オリジナルが微かに引き攣った声を漏らした。
直後、視界全てを白く染め上げる眩さと共に、着弾の轟音が響き渡る。
それに重ねるように、レニが落雷の回避に下がったオリジナル目掛けて突っ込んだ。
「屑共が!」
殺意を声に、オリジナルが二つの魔力を凝縮させて迎え撃つ。
その瞬間、ミーアは自身への注意が完全に外れた事を感知し、同時に訪れた臨界点に合わせて細剣を両手に構え、狙いを一点に地を蹴った。
§
……ミーアは、こちらの意図をちゃんと読み取ってくれただろうか。
決着の一手として、落雷に合わせて踏み込み、腕が砕けても構わない力で斬撃を振り切りながら、俺は背後の視線に意識を向けていた。
「これで終わりだ!」
そんな俺に、憎しみ満ちた眼差しをもってオリジナルが吠える。
勝利を確信しての事だろう。事実、右手の剣は断ち切られ、ミーアが放った落雷も、直撃はしたもののオリジナルの強化された鎧を完全には突破する事が出来なかった。
俺の方は打つ手なし。返し刃を凌ぐ守りも足もない。
だからこそ、オリジナルは躊躇なく、流れに身を任せるように俺に向かって攻撃をして――
「……あぁ、そうだね。それで終わりだ」
鎖骨を断ち、心臓目掛けて斬りこんでくる痛みを受け入れながら、俺は落雷と、両断された瞬間に前に伸ばしてなんとか肩に叩きつけた斬撃の結果、罅だらけになっていた鎧の隙間を縫うようにしてオリジナルの心臓を貫いた細剣の、稲妻よりも速い一撃をしっかりと見届けながら、静かにそう返した。
次回は三日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。




