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レニは自身にそれを使う事は出来たが、他人にその魔法を使った事は一度もなかった。自分を殺せる可能性を生むような真似を、必要でもないのに行う理由などないだろうから、ある意味では当然だ。だから、こちらの魔法の使い方においては、俺の方が理解していると言ってもいい。
とはいえ完全とは言い難いし、今の行いが正しかったと断言できるような自信もなかった。もちろん、ある程度魔法の知識はあるので、まったくもって根拠がなかったわけでもないけど、殆ど直感に従った行動だったのは否めない。
或いは、そこには願望混じりの衝動も含まれていたのかもしれない。
だとしたら自己嫌悪もいいところだけど……とりあえず、効果のほどはあったようだ。
ミーアの体内に流し込んだ昇華の魔力が、彼女に溶け込んでいき、副作用への免疫を獲得したのが感覚でわかった。
これなら、ただ触れるよりも精密に、昇華の魔法を施す事が出来るだろう。たとえ一パーセントに満たないとしても、リスクを減らすことに成功したと言える。
まあ、新たに、無事に終わったあとどういう感情を抱かれたかを心配する必要も生まれたわけだけど、たとえこの行為の所為で距離が出来たとしても、安い代償だ。
終わってしまえば、改善もなにもないのだから。
「ミーア、身体の制御に集中して動いて」
唇を離して、血液を媒体に、昇華の魔法を発動させる。
持続時間も意識した行使だ。上手く機能してくれれば、再度、魔力を回復する事も出来るかもしれない。
――レニ、ぼけっとしないで。主導権をさっきの状態に戻すよ。
視線をオリジナルに戻し、胸の内にモヤモヤした感情をふりまく彼女を叱咤する。
(わ、わかっている)
上擦った聲。大きな動揺が見て取れた。
この状況だ。無視して進めても、さすがに大丈夫だとは思うけど、念のためにフォローを入れておくことにする。
――もし、今のが色気のあるシーンに見えたんだとしたら……
(だ、だとしたら、なんだというんだ?)
焦ったように口早に、レニが言う。
それに小さくため息をついて、
――今の行動の意味は判っているでしょう? 心配しなくても、この身体は女性だ。君が怖がるような出来事はこれから先も起こらない。俺も、そういう行為は嫌いだしね。
(……)
――納得したなら集中して。本物になるんだろう?
最後に背中を叩くように焚き付けて、俺はミーアに掛ける昇華の魔法に意識を集中させる。
そうして生じた身体の変化に、特に戸惑う様子も見せずに、
「――行きます」
と、淡々とした頼もしい声と共に、ミーアは地を蹴った。
先程よりも速い、けれど思っていたよりはずっと遅い踏み込み。これが緩急の緩ならいいが、そんな感じはしない。
今までとは違う行使の仕方だから、効果が薄いんだろうか。それとも、単純に個体差があるのか。どちらにしても、一気に形勢逆転を掴めるほどの武器にはならなそう。いや、でも、連携をする分にはこれくらいの方が丁度いいのか。
――レニ!
(判っている!)
少し遅れてレニも地を蹴った。
「私に合わせろ! 邪魔にはなるなよ!」
鋭い声を発しながら、左腕を振り抜く。
レニ・ソルクラウの物言いに、微かな戸惑いが伝わって来るが、
「気にしなくていい。彼女は味方だから」
と、俺が言うと、ミーアは小さく頷いて敵に焦点を絞った。
斬撃音が加速する。
それらを捌きながら、
「……この程度の変化か。虚勢もいいところだったな」
と、言いながら、しかしオリジナルは全身に鎧を具現化させた。自身の急成長を嗜むよりも、勝つ事を優先したのだ。
ようやくというべきか、完全に余裕を消すことが出来た。
つまり、ここからが本当の本番という事なんだろう。
そうして本来のスタンスに戻ったオリジナルは、右手でレニの攻撃を、左でミーアの攻撃を捌きながら、じりじりとレニの方に圧力を強めていく。
このまま押し切られたら不味いので、打開の一手を打ちたいところだけど、一人では無理だ。
それが分かっているからだろう、ミーアが攻勢を強めた。
正確無比な高速の連続刺突を鎧の関節部に放ちながら、頭上に強力な魔力を集約させだしたのだ。かなり露骨な気配なので、奇襲にはなりそうにないが、威力の方は申し分ない。
オリジナルも無視はできないだろう。上にも警戒が必要になる。
それでもこちらを優先するか、それともミーアを優先するか、どちらにしてもその時生じる変化こそが狙い目だ。
オリジナルは後者を取った。より防御を固めて、受け切る選択だ。
だが、そうはさせないとレニはリスクをとって両手に剣を構え、姿勢が崩れるのも厭わずに全力の一撃を叩き落とす。
一対一なら回避して反撃すれば決着がつくレベルの大振りだけど、ミーアがいる以上、そう簡単には徹らないだろう。
案の定、オリジナルは回避ではなく防御を選んだ。ほんの少し昇華の魔法を左腕に宿して、完璧に受け止めてくる。
ただ、ほんの少しだとしても、途端に身体の制御が格段に難しくなるのがこの魔法だ。
圧倒的とも言えるミーアの精密さに合わせる事は不可能になり、大雑把な対処を余儀なくされる。……というか、ミーアも同じ条件かつ、今初めて昇華の魔法の変化を味わっている筈なんだけど、動きにまったく乱れがないのが凄いところだった。
「――っ」
そのミーアの三蓮突きが、オリジナルの鎧を砕き、右肩を軽く抉る。
昇華の魔法は、無事に彼女が手にするナイフにも伝播して殺傷力を披露してくれているようだ。
でも、強度まではカバーしきれていない。
刃こぼれの痕。今までオリジナルの攻撃を受け続けていたおそらくは逸品であるミーアのナイフが、たった三度で駄目になるほどに威力が出てしまっている。この分だと、あと数回で折れてしまうだろう。代わりとなる武器が必要だ。
どういう武器が今好ましいのかは訊かないとわからないが、ミーアが普段帯刀している得物の形状は覚えている。とりあえずはそれを具現化するのが一番だろうと頭の中でイメージしつつ、手渡すタイミングを見計らう。
だが、その機会はなかなかやってこない。
オリジナルの行動を封じる為に、お互いがお互い前のめりの攻撃を打って連携は取れているが、それ以上の余分にまでは手が回らないためだ。
戦闘巧者同士、呼吸は合っているんだけど、ところどころで気持ち悪い齟齬があるような感じ。
時間が解決してくれる問題ではあると思うけど――
「――ぐぅ」
思考を中断するように、鋭いローキックがレニの右膝の脇を捉えた。
防具越しに骨の中心にまで届く痛み。同時に生じた痺れが、動きも規制する。
その隙を逃さず、オリジナルの左腕が横一閃に振り払われた。
なんとか回避するが、さらなる一撃が振り下ろされる。
それもかろうじて受け流したところで、互いがフォローできない完璧な挟撃の形が出来上がってしまった。
「即席の連携など、どれも同じだな」
つまらげな呟きと共に真後ろに突き出されたオリジナルの左足が、無理してフォロー出来る位置に移動しようとしていたミーアの脇腹を射抜いた。
直撃する寸前に身体を捻ってダメージを殺したみたいだけど、おそらく肋骨が数本は折れた。再生には時間がかかる。その間の動きは否応なく鈍るだろう。
「弱い方がすぐに死んで、終わりだ」
血に塗れた方の目をゆっくりと開いて、オリジナルはそこに光が灯ったことを俺たちに知らしめる。
思っていたよりもずっと早い回復。
まだ視界はぼやけているだろうが、死角をつくという手を打つ前に、弱点が消えてしまった。――いや、自己治癒能力に昇華の魔法を使ったんだとしたら、それはリスクだ。
治癒に関してはかなり怖い副作用があり得る。身体の制御とは違い、そもそも使用機会も少ない。多分、その点はオリジナルも変わらない筈。だとしたら、それだけのリスクを犯してでも視覚の不備を修復したかったという事になる。
余裕がないのは向こうも同じなのだ。前向きにそう考える事にして、ミーアが体勢を整えるまでの間、オリジナルの猛攻に耐えられるように備える。
体感にして十秒にも満たない時間。
だが、その十秒で四度の傷を負った。うち一つは下手をすれば右の足首を失うほどに鋭いもので、咄嗟に骨の手前に具現化を割り込ませていなかったら、彼女の言葉通り終わってしまっていただろう。
「――っ、愚か者が! 足手まといだ!」
焦ったような声をあげながら、レニが右腕を振り抜いた。
その矛先がミーアだったことに気付き驚愕するが、止める間もなく鋭い打撃を受けたミーアの身体が吹き飛ぶ。
けれど、その一撃が無かったら、少し離れた地面から突き出された剣によってミーアは串刺しになっていただろう。
そういう意味では彼女の行動には感謝しかないけど……代償はなかなかに重く、右手の感覚が無くなった。手首から下が切り飛ばされたのだ。
噴水のように鮮血が溢れる。
その血で無数の針を放射状に具現化させる事によって、レニはなんとかオリジナルを下がらせる事に成功し、
(貴様も余計な事はするな。魔力の回復だけに努めていろ!)
と、俺に向かって切迫した聲で吐き捨てて、右手の針を剣へと集束させ、オリジナルに向かって地を蹴った。
そしてなりふり構わない連撃を繰り出していく。
神経が焼き切れそうなくらいの集中に、全身の筋組織が千切れそうなほどの身体行使。それはさながら全てが決死のラストスパートであり、自滅に突っ込むチキンレースだった。
傲慢だけど、臆病で慎重な彼女には到底似合わない無茶。
(あぁ、くそ! くそ! なんで私がこんな――)
自分でもそう思っているんだろう。後悔が漏れてくる。
つまり自棄ではないという事だ。その先に勝機があると信じての行い。
根拠がどこにあるのかは判らないし、訊けるような場面でもないけど、ここまで来たら英雄レニ・ソルクラウを信じるしかない。
信じて、意識を外から切り離し、昇華の魔力の源である心臓の核の波長を整える事だけに専念する。
それで劇的に回復速度が上がるわけでもないけど、ミーアが状態を立て直す時間ではギリギリ間に合わないギリギリの分を、間に合わせる程度の効果はあるだろう。
泣きの一回分の切り札を必死にかき集め、時間の経過を待ち望んで…………足りたと確信を覚えたところで、意識を外に戻した。
途端、全身に激痛が襲ってくる。痛覚の主導権を明け渡した覚えはないんだけど、それを感じていなかったあたり、俺も相当に集中出来ていたみたいだ。もしくは、無意識にそれを彼女に押し付けていたのかもしれないけど……なんにしても、まだ生きているのは僥倖だった。
とはいえ、少し目を離している間に、満身創痍もいいところで、昇華の魔法一つ取り戻したところでどうにかできる未来も見えなかったが――
(……遅い。私を、あまり待たせるな)
弱りきったレニの聲。
と同時に、彼女の抵抗の記憶が脳裏に浮かび上がってくる。
本当に、綱渡りも綱渡りの駆け引きを繰り返して、ここまでの延命を可能にしていたのが、神経にこびりつく不快な熱からも伝わってきていた。
(向こうの修復も終わった。一呼吸する猶予もある。……交代だ。私の命運、貴様に任せてやる。……貴様の方が、私よりは上手くやれるだろうしな)
レニの意識が急速に薄れていくのを感じる。
言葉通り、俺に全て預けるつもりのようだ。そこに苦々しさの類がない事が、酷く複雑で、さすがに他人に幻想を抱きすぎだと呆れたくもなった。……まあ、それは彼女を信用して外の情報をシャットアウトして回復に努めた俺も同様なのかもしれないけれど。
(これだけやってやったんだ。終わっても、私を無碍にするなよ……)
最後に不安に満ちた聲を残して、レニの意識は完全に途切れた。
ずいぶんとしおらしい発言。
……いずれにせよ、任された以上はやるしかない。
俺自身がこれまで築き上げてきたこの器の練度と、ミーアとの相性を信じて、レニから手綱を受け取り、全ての主導権を強く握りしめる。
握りしめて、真っ先に彼女に声を掛けた。
「ミーア、私の事は気にしなくていい。さっきまでと同じように、好きなように動いて」
今の言葉で、こちらの状態は大体わかってくれたと思う。
もちろん、ミーアの怪我が完治したのを見て、警戒を強め少し距離を取っていたオリジナルにも把握はされただろうが、それはどうでもいい。どうせ、少しでも手を合わせれば看破されるような内容だ。
それよりも、今は意志疎通が必要で、
「大丈夫、きっと上手く噛み合わせられる。その程度には、長い付き合いでしょう?」
本当、大した根拠もない言葉を、でも、不思議なくらいに自信をもって吐き出して、俺は真紅に染まった剣の右手を構え、今まで以上に捨て身に攻勢に出たミーアの隙を消すように、オリジナル目掛けて踏み込んだ。
次回は四日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。




