13
……流れた血は二種類だった。
オリジナルの右目の眼球から溢れ出たものと、彼女がその瞬間に具現化した長大たる剣によって切り裂かれた伏兵たる現『銀の色冠』ザグナフのもの。
前者は重傷だ。この戦いで片目が治る事はないだろう。でも、戦いが終わりちゃんとした治癒師の元に行けば、問題なく元通りになる。
対して後者の方は致命的だった。胴体が真っ二つになったのだ。即死していてもおかしくはなく、仮にミーアがすぐに治療を施したところでどうしようもない。ナナントナなら蘇生も可能なのかもしれないが、この状況で動くことはないだろう。それを行おうとした時点で、オリジナルはナナントナを標的にするのが目に見えているためだ。たかが人間一人のために、神がそのようなリスクを犯すはずもない。
手に入れた戦果と、失った戦力。果たして、その対価は妥当なものだったのか……もちろん、妥当なわけがない。
(やられたわね、これは)
本命が何処かに潜んでいる事を、オリジナルは想定していたんだろう。
そして攻撃の瞬間、どうあっても隠し切れない魔力の繋がりを察知するなり、肉を切らせて骨を断ってきた。
正直、格下相手にリスクを取るとは思っていなかったので、完全に読み負けだ。
(……いや、でもまだ終わってはない)
沈みそうになった心を叱咤しつつ、ミーアは雷撃を適当にばら撒きながら距離を取る。
オリジナルはその場に留まったまま、具現化によって左腕のリーチを変化させて追撃をしてくる。
片目が奪われた影響か、精度は若干落ちているが、こちらも今の勝負手で足が痙攣を始めていた。綺麗に受け流す体捌きが出来ない。
鞭のようにしなやかな一撃が、太腿を抉る。
その隙を逃すようなオリジナルではなく、即座に右手にナイフが具現化された。
閃光となって迫る三本。
全弾防ぐ事は出来るが、それをしたら左腕の本命を凌げなくなる。
それが分かっていて尚、ミーアは姿勢を崩しながら全弾弾き返し――
「――終わりだ」
冷たい一言と共に、左腕が振り抜かれた。…………ミーアにではなく、背後から迫っていた彼女の細剣に向けて。
そうして、最後の力を振り絞って放たれていたザグナフの一撃は、無情な粉砕音と共に完全に沈黙し、また彼の命もそこで潰えた。
「他人を切り札にした時点で、貴様の底も見えたな」
失望するような眼差しと共に、オリジナルが吐息を零す。
酷く、胸に刺さる台詞だった。それこそが、今の自分が本当に無くした強さだったと気付かされたからだ。
当然といえば当然だけど、自分の力一つでは解決できないから他人の手を借りて行うという方針が、この身には染みつきすぎていたのである。百戦錬磨の相手には、透けて見えるほどに。
(……どうする?)
太腿の怪我は単純な時間稼ぎすら難しくしている、そしてオリジナルはもうミーアだけに集中すればいいのだ。
しかし、これまでこちらに集中していたようで別の標的に気を張っていた相手に、今の状態で果たしてどこまでやれるというのか……。
彼女の回復が済むまで、というのは、どう考えても無理だろう。
ならば、せめて逃げる猶予くらいは稼がなければ、此処に来た意味がない。
「……レニさま、この場は退くべきです。私でも、それくらいの時間は稼げますので」
彼女の方に視線を向けている余裕はないので、敵を見据えたままに言って、ミーアは決死の覚悟を決めて前に出た。
上限一杯の最高速度だ。
命一杯に心臓に悲鳴を上げさせて、釘付けにする。
釘付けに……
「……そこが上限か。速度だけを見ても、私の底の方が深かったようだな」
一瞬たりともこちらを見失うことなく、出遅れることもなく、全ての攻撃を造作なく受け止めながら、オリジナルは冷めた声で言う。
言っている間に、同時に放った斬撃が先にこちらの髪に触れた。
その事実に、背筋が震える。
こちらの魔力の色は銀なのだ。光や雷といったこの世界で最速の現象の源と言ってもいい力を有している。その力に満たされた身体を動かしている。なのに、重たい黒がそれを上回るなんて……。
(……理不尽も、いいところね)
渇いた笑みが浮かぶほどだった。
まあ、それがオリジナルの魔法という事なんだろうけど、いよいよもって自分がここにいる価値がなくなってきた。
無駄死にが濃厚だ。
(彼等はもう退かせるか)
補佐をしてくれる者達も、こうなっては意味がない。
見逃してもらえるかどうかは知らないが、今なら運さえ良ければ生存も可能だろう。
そんな事を考えながら、戦闘技術の優位を最後の砦に抗う。
といっても、言うほどの差があるわけでもないので、本当に微々たる抵抗だ。せいぜい上手くやれて数手、延命できる程度。
(ここまでね)
その数手が差し迫ったところで、当然の諦観が過ぎり――そのすぐ後に、身震いするほどの焦燥に襲われた。
ミーアでは響かる事の出来ない、重たい剣戟の音。
「……どうして?」
視界に飛び込んできた、見慣れた背中に思わず呟く。
返ってきた反応は、呆れるようなため息。
「あんな台詞並べられて、逃げる奴がどこにいるの? 逆効果もいいところだ。ミーアは本当、人を動かすのが下手だね」
「手間が省けたのは良い事だが、愚かにもほどがあるな」
オリジナルが侮蔑と共にレニに左腕を振り抜くが、それはより力強い一撃によって弾き返された。
微かな驚きが、オリジナルの表情にも過ぎる。
「……今、使うとは、本当に愚かだな、貴様は」
大きく距離を取った彼女は、いっそ嫌悪すら滲ませて呟いた。
「大事な話の邪魔になる奴を、追い払うのに必要だったんだから、仕方がない」
涼しげにそう言って、レニはミーアの方に視線を向けた。
明白ではないにしても、十分な隙。だが、オリジナルは仕掛けることなく、ただ身構える。
あまりに堂々と愚を晒しているから、なにか裏があるのではないかと、警戒しているといった感じだろうか。
「どうしてここにいるのかとか、色々と訊きたい事はあるけれど、とりあえず変わりがないようで安心したよ。まだ、大きな怪我もしていないみたいだしね。……あぁ、でも、今の台詞には本当、ちょっとムカついたけど」
突然、棘を突き付けられて、別の焦りが込み上げてくる。
「わ、私は、合理的な事を言っただけです。他に、私に出来る事もありませんでしたし」
レニみたいにオリジナルを完全に視界から外すことは怖くて出来ないので、ちらちらと彼女を見ながら言うと、
「私と一緒に死ぬのは、嫌だった?」
と、彼女は淡くどこか寂しげに微笑んだ。
「そ、そんなこと――」
「私は、死ぬならミーアと一緒の方がいいな」
真っ直ぐに、そういった事まで言ってくる。
おかげで、どくん、と心臓が跳ねた。と同時に、胸を埋めていた後悔や無力感の類が不思議なくらいに綺麗に洗い流される。
そんな中で、彼女は言った。
「もちろん、生きて帰る場合もね」
晴れやかな声だった。
微かな自信すら、そこには滲んでいるようで、
「……勝算が、あるのですか?」
躊躇いがちにミーアは訪ねた。
すると、彼女は少しだけ痛みを堪えるような、自虐的な微笑を浮かべて、
「私に、命を預けてくれるなら」
と、言った。
愚問もいいところだった。
だから、ただ頷く。
と、そのタイミングで警戒は無意味だと結論が出たのか、オリジナルの重心が前傾したが、
「レニ・ソルクラウ。今から、この魔法でお前には出来ない事を見せてあげる」
出鼻を挫くような彼女の発言によって、次の行動を制止する事になった。
よほど無視できない発言だったんだろう。結果、悠長な時間がまた少し伸びて、
「……ごめんね」
ぶちっ、とレニの口の中でなにかが切れる音がして、背後でノードレスが墜落する轟音が響き、それに一瞬気を取られた隙をつくように、唇に柔らかな感触が触れた。
「――っ!?」
思わず目を見開く。
驚くほどの近距離にレニの顔があって、触れた感触は彼女の唇で、入り込んできた舌が酷く熱かった。
熱の発生源は、血だ。
彼女は舌を噛み千切って、血液をミーアに呑ませようとしていたのだ。
初めての口づけは、多量の血と、そこに充満していた黒ではない魔力の味がした。
次回は四日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。




