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05

 ゆったりとした足取りでレニが歩んだ先には、一組の親子の姿があった

 十歳にも満たないであろう少女と、軽装の鎧を身に纏った父親らしき男。

「貴様がボルド・グラダか? くだらない小都市の取るに足らない小貴族」

「レニ・ソルクラウ……!」

 少女を庇うように前に出ながら、男は剣を構える。

 かなりの実力者なのは、返り血の多さと佇まいですぐに判った。といっても、所詮は常識の範疇。レニ・ソルクラウの足元にも及ばないのは明白だ。

 それを相手もすで理解しているんだろう。その表情には絶望になんとか抗おうとする苦さしかない。

「継承と呼ばれるものは神が与えた叡智の筈なんだがな、何故こうも愚劣な真似を許してしまうのか」

 微かに目を細めて、嘲りを全面にレニは吐き捨てる。

「都市を守るのが貴族の務めだ。道理を弁えぬ者に、非難される謂れはない」

 剣を握る手に力を込めて、グラダさんが押し殺した声を返す。

「国家の為に費やされるのが都市だろう? まして、敗残が搾取されるのは当然の事だ」

 その言葉で、こうなった経緯と帝国という国の在り方がまた少し見えた気がした。

「……あぁ、それが嫌だから反乱で滅びたかったのか? だとしたら、担当が私であったのは幸運だな。望み通りに滅ぼしてやる。皆殺しだ」

 愉しげに微笑みながら、レニは己が魔力を周囲に散布していく。

 具現化の魔法で広範囲に攻撃でもするのかと一瞬思ったが、魔力の色が違う。これは彼女が有するもう一つの魔法の色だ。

 それに俺が気付くと同時に、グラダさんの表情に驚愕が走った。

「この空気は、まさか……」

 転移門を使わずにレフレリに足を運んだ経験があるから、俺にも判る。

 この空気は、魔域に酷似している。レニはあの魔法を用いて、自身の魔力を魔域と同等の純度にまで引き上げたのだ。

「魔物の生態については、まだよく分からない事が多いが、奴等にとって人域が毒に塗れた世界である事と、魔域に入った異物を最優先で襲う事ははっきりしている」

「貴様っ……!」

 目の前の悪魔に、グラダさんが凄まじい怒りを爆発させる。

 それは彼がこの都市を大事に思っている証明であり、同時にレニ・ソルクラウが最悪の行いをした証明でもあった。

「国の利益にならないどころか害にすらなる屑どもを処分するのが罪などと、頭のおかしな事を並べる輩にも気を遣う必要があるというのは難儀な話だがな。まあ、そういう屑共も、いずれは処分するが」

「……ずいぶんと、大胆な発言だな。自身の言動にはお咎めがないとでも思っているのか?」

 今すぐにでも斬りかかりたい、そんな激情を必死に堪えながらグラダさんが押し殺した声で問う。

 暴力では勝負にならない以上、言葉で崩しにかかるのは道理だけど――

「頭の悪い男だな。くだらない監視含め、ここで魔物の餌になる者達が、どうして帝都に報告など出来るというんだ?」

 ……本当に、最悪だ。

 この女に言う皆殺しとは、文字通り自分以外の全てだったのである。

「侵攻に用いた転移門が再び使用可能になるまで、あと二十分はある。それだけあれば、なにも残りはしないだろう。私が護る転移門以外は」

 残虐な説明をしながら、レニは視線を右手に流す。

 その先にあるのは、急速にこちらから離れだした一つの気配だった。

 結構な距離があるが、盗み聞きをしていたらしい。優秀な監視役だったんだろうが、今の話からして逃げる事に意味はない。

「さて、無駄話は終わりだが…………そうだな。ここを見せしめに使わせてくれた貴様には、一つ救いをやろうか」

 微かに甘い笑い声を漏らして、レニは右手に顕した剣の切っ先をゆっくりとグラダさんの背後にいる少女に突きつけた。

「その娘を殺せ。そうすれば、貴様だけは生かしてやる」

「――」

 グラダさんの眼が大きく見開かれる。

 次いで憤怒に全身を震えせ、彼は低く吠えた。

「おぞましき悪魔が……!」

「見当違いも甚だしい言葉だな。誰がどう見ても、これは慈悲だろう? 皆殺しの予定を少しだけ変えてやると言っているんだ。その血の価値に免じてな」

 その憎悪すら凍えさせる魔力を溢れさせながら、レニが怖いくらい静かな口調で告げる。

 それで、多少は冷静になったのか、

「……だったら、この娘を生かせばいい。私よりもずっと優秀な後継者だ。記憶の操作なども容易いだろう」

 と、少女の手を強く握りしめながら、グラダさんは言った。

 瞬間、彼の右太腿に、レニが左手に具現化させた杭が突き刺さる。

「本当に頭の悪い男だな。誰が前提を崩していいと言った?」

 杭を左右に動かして傷口を広げながら、レニは彼の呻き声を大きくしていく。

 それが更にエスカレートして外気に晒されてしまった骨までへし折ろうとしたところで、その杭に小さな手が触れた。

「貴女様が約束を守る保証はあるのですか?」

 真っ直ぐにこちらを見据えて、少女が問う。

 子供とは思えない、驚くほどに怜悧な眼差し。

「保証を要求できるだけの力が、貴様たちにあるのか?」

 小馬鹿にするように、レニは言葉を返す。

「……つまり、全て貴女様の気紛れという事ですね。私達はただそれに縋るしかない」

 数秒ほど瞑目してから、少女はグラダさんに視線を向けた。

「お父様、やってください。どの道この都市は滅ぶ。ならば、せめて血だけは残す努力をするべきです」

 揺るぎのない声。古い貴族である事を、これ以上なく明確に物語る姿勢だ。

 だが、グラダさんの方は、その在り方を徹す事は出来なかったのか、真っ当な人としての感性が顔をだしていた。

「わ、私は…………」

「――興が醒めた。時間切れだ」

 冷え切った一言と共に、レニが少女の首を撥ねる。

 一片の躊躇も力みもない、枯葉を踏むような殺人。

「屑が、選択すら出来ないとはな」

 蔑みに満ちた眼差しが、グラダさんに向けられる。

 その時、彼が感じた怒りはどれほどのものだったのか。

 奥歯が割れる音を鳴らしながら、グラダさんはおそらく自身が引き出せる最大の速度と、最大の力を持ってレニの喉目掛けて剣を突き出した。

 それが彼の最期。

 剣は為す術なくレニの鎧に粉砕され、その音が響くや否やグラダさんの首もまた宙を舞い、少女の隣に転がった。

「どこまでも愚かな選択だったな。それなりに血も重ねている貴族が何故こう何度も間違える? 間違えないための継承だろうに……」

 手にしていた得物と身に纏っていた鎧を消し去って、レニはゆっくりと長く細い息を吐き出す。

「それとも、情などというものに、それ以上の価値があるとでもいうのか? …………私が生まれた事にも」

 か細い最後の呟きを掻き消すように、魔物の咆哮が轟く。それが届くほどの距離まで、魔物たちが近付いてきているのだ。

 じきに、この名前も知らない都市は滅び、此処での人の業の全ても魔物たちが呑みこんでしまうのだろう。

 そんな絶望的な現実を見渡しながら、レニは自嘲気味な笑い声をあげて、

「莫迦らしい。くだらない幻想だな。いずれにせよ、役目を正しく果たせない人間など、この国には必要ない。やはり一刻も早く全てを歯車にしなければな。私の護るべきアルドヴァニアが衰退する前に」

 ……どうやら、それが手酷い裏切りを経験したレニ・ソルクラウが辿りついた答えらしい。

「膿取りは、それまでの辛抱か」

 そうして、この都市を膿と呼んだ女は、最後の抵抗をみせている集団の気配に向かって膨大な量の魔力を奔らせ――そこで、ようやくこの救いのない悪夢の終わりを告げるように、左手に骨まで響いた衝撃と共に、俺の意識は現実へと帰還した。



次回は四日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。

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