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(奇襲が成功したのはナナントナの眷属が周囲に隠密を施したからだろうが……凄いものだな。私でも出来ないぞ、今のは)
この場で唯一、生贄ではなく観客席にいるラガージェンは、戦火のギリギリ外にある建物の上から、今の交錯を前に感嘆の息を吐いた。
レニ・ソルクラウが黒の色冠にしてアルドヴァニア最強だった頃、唯一彼女に対抗できる戦力として銀が抱えていた切り札であるミーア・ルノーウェルの能力は、ある程度情報として仕入れてはいたが、実際に目の当たりにするとそれが過大評価ではなかったことがよく判った。
力や防御、魔力の総量では劣るが、速度と技術においては間違いなくかつてのレニを凌駕している。特に目を見張るのは空間の把握能力とタイミングの良さだろうか。
極限化されたレニの踏み込みに合わせて、すれ違いざまに頸動脈を切り裂いたのだ。あげく、一瞬でもズレたら接触すら叶わないシビアな条件の中で、細剣の一番切れ味が出せる箇所を滑らせていた。刃の角度も完璧。あと少し、刀身に魔力が込められていたら骨まで食い込ます事も出来ただろう。
「また、戦況が判らなくなってきたな。しかし、この拮抗にはどのような意味があるのか。……昇華というのは我々が適当につけた名称だが、その効果は果たしてどこまで波及するものなのか」
口元に手をあてながら、ラガージェンは愉しげに呟く。
「私は共闘による打倒を目指しているものだとばかり思っていたが、どうやらこの認識も誤りだったようだな。互いがその魔法をもって衝突する事によって、一時的なものではなく、本質的な進化を齎す事こそが、彼女の目的だったということなのか。…………やれやれ、もどかしい話だな。いつも思う。私が訪ねても彼女はけして答えを教えてはくれないんだ。それを知る事によって私が取る行動が、彼女にとって望ましくない未来を連れて来る可能性を孕んでいるからという事なのだろうが、それは信頼がないと受け取るべきなのか。それとも私の自由意思を尊重しての事なのか、お前さんはどう思う? 倉瀬蓮」
レニ・ソルクラウの耳は非常に優れている。だから、この呟きもきっと届いている事だろう。
「まあ、なんにしても、これでノードレスの処理は問題なく行えるようになった。ノードレスの方の問題も……あぁ、もう少しで終わりそうだな。安心していいぞ。順当に、無法の王が勝ちそうだ。その時、ナナントナはどの程度制御出来るか。そしてノードレスの精神は何に抗うのか――」
言葉を遮る咆哮が、大気を震わせた。
地面に墜落していたノードレスが大きく羽ばたいて上昇していく。
どこまでもどこまでも、成層圏に届くほどに高く、離れていく。
そのまま逃げるのかと思ったが、そこでノードレスは上昇を止めて、大きく口を開いた。
「……ふむ、やる気だな。ところで、お前さんはあの神をどの程度信じているんだ? 私がお前さんの立場だったら、絶対に背中など預けないだろうが」
くつくつと嗤い声をもらしながら、ラガージェンは空に新たに生まれた灼熱の真紅の星を見上げる。
最大火力のブレスを放つまでに、一体何秒ほどの溜めが必要なのかは判らないが、この都市を消し飛ばす事くらいは容易いだろう。つまり逃げ場はもうない。
(さて、この局面、どう動く?)
注目するべき対象は、もちろんオリジナルのレニ・ソルクラウだ。
彼女は今、無視できない乱入者によって止血を優先しているが、守りに専念する事で受け切る事を選ぶのか、それとも邪魔者を瞬殺してから上空の脅威を排除するのか。
「届きますか?」
吐息交じりに、ミーアが訪ねた。
「愚問だ」
淡々とした口調でオリジナルはそう答え、なんのタイムラグもなく後方に跳び退いたミーアを前に、不快気に鼻を鳴らす。
「……いいだろう。どちらが速いか、思い知らせてやる」
相手が軍貴故の意志疎通の円滑さというべきか、今の後退をオリジナルは、上を先に潰すための刹那の休戦だと受け取ったようだ。
それを物語るように、彼女はノードレスとの距離や位置を補足するために一瞬だけ、そちらの全ての意識を傾け、具現化と昇華の魔法を施して、左腕を振り抜いた。
と同時に、ミーアが地を蹴る。
信じがたい事に、先程の奇襲よりもずっと鋭い踏み込み。
――グァウアア、アアアアアアアアアアアアア!
天上で絶叫が鳴り響き、翼を切り落とされたノードレスがきりもみ回転しながら落ちていくが、その様を確認する事もなく、オリジナルは即座に右手に剣を具現化して、ミーアの一撃に間に合わせた。
「遅いな。千載一遇の機会でこれか?」
「心配しなくても、まだ準備運動です」
素っ気なく、ミーアは言葉を返しつつ、鍔迫り合いを嫌うように手首を鋭く振って剣を叩きつけ、その反動で僅かに距離をとる。
「それは奇遇だな。私もまだこの状態に慣れていない。……すぐには死ぬなよ?」
最後の言葉は本心だろう。
久しく対等の敵がいなかった彼女の対等以上の敵としてラガージェンが戦闘訓練に付き合っていた時も、彼女は自身の成長に高揚を覚えていた。
ラガージェンには縁のない要素だが、成長というものはそれだけ人にとっては格別たる経験のようだ。
それを羨ましいと思いながら、ラガージェンはその視線を倉瀬蓮に向けて――
§
「――急いで呼吸を整えるといい。決死の時間稼ぎだ。無駄にはしてやるな」
言われなくても判っている内容が、耳障りに鼓膜に届いた。
その直後に、鋭い刃と重たい鈍器がこすれ合うような、激しい音が連続する。
音は四方八方に跳び散りながら、徐々に俺がいる場所から離れていく。
(速い、な)
驚きと微かな悔しさを滲ませたレニの聲。
たしかに、ミーアの速度は昇華を施したオリジナルに匹敵するほどに速く、彼女以上に無駄がなかった。この速度領域に慣れているのだ。
彼女が、昔とても強かったのはなんとなく察していたけれど、これが全盛期の彼女の強さだとするのなら、それは本当に想像の遙か上だった。
ただ、そこに心強さを覚える事はない。むしろ、覚えるのは不安だ。何の代償もなく取り戻せるものなら、とっくに取り戻していなければおかしいのだから。
「……お前、ミーアになにをした?」
自分でもびっくりするくらい、低い声が出た。
「望んだのは彼女だ。そして私は、自身の価値を誰かに求める少女に機会を与えに過ぎない。あと、彼女をここに連れてきたのは私ではないぞ? そのあたりも間違えない方がいい」
酷く楽しそうに、ラガージェンが声を返してくる。
そこに向けて剣を叩きつけてやりたい衝動に駆られつつ、感情を沈めるように深呼吸を一つしてから、俺はナナントナの気配を探る。
探るまでもなく、そいつはこちらに近付いてきていた。
程無くして視界に入ってくる。
「要らぬ誤解は避けたいので捕捉しますが、この大陸に彼女を戻したのは私ではありません。そして彼女は貴方を探していました。このタイミング以外では、おそらく再会は叶わなかったでしょう」
……確かに、その通りなのかもしれない。
けれど、だからといって納得出来るものでもない。とはいえ、ここで文句を続けてもそれこそ不毛なので、怒りを噛み殺して別の事を訊く。
「魔力の回復は、出来ますか?」
「それは私には無理ですね。貴方の魔法は特別ですから」
「グラでの援護は?」
「そちらは可能ですが、状態としては貴方と同じです。長期の運用は難しいでしょう。それに、彼女たちの戦いに入って行けるほどの性能もありません」
「身体能力の補助などは出来ないんですか?」
「それは既に行っています。私が、というわけではありませんが」
言われてミーアに周りに意識を傾けると、確かに彼女と複数の魔力が薄い糸でつながっているのが視て取れた。覚えのある魔力。ナナントナを崇拝していた彼等のものだろうか。
微々たる力だけど、ないよりはずっといいだろう。
「では、ノードレスは何が出来ますか?」
「彼はもう逃げるだけです。私の操作は受け付けません。彼が最優先する事は生存ですから」
「そのために仕向けさせたと?」
「攻撃が徹る事は既に確認済みで、レニ・ソルクラウの攻撃範囲も想定内でした。……それよりも、彼女が稼ぐ時間で回復できるのは長く見積もっても二回分程度。もう乱発は出来ません。貴方の選択が、この戦いの結末を決めるといっても過言ではないでしょう」
他人事のような淡々とした口調で呟き、ナナントナはミーアとオリジナルが戦っている事を示す音源に視線を向けてから、
「貴方は、その魔法をどう使うつもりですか?」
と、まるで答えなど一つしかないと言わんばかりの強要を孕んだ眼差しをこちらに戻し、淡く微笑んだ。
次回は三日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。




