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09

 フィネ・ルールーは都市に愛されなかった人間だった。

 都市にとって必要な魔法を宿せずに、夢見がちな親が求めた特別性も持ち合わせなかった女。

 そんな女が辿る道というものは大体決まっていて、ただ生きるためだけに彼女は娼婦になった。そして誰とも知れない男の子供を産んで、親と同じような道を歩むことになった。

 寂しかったのだ。それだけの理由で後悔を生んだ。

 結果、当然のように生活は苦しくなって……何度、あの子を殺そうと思っただろうか。

 その度に、全てが嫌になって、でも死ぬことも出来なくて……楽になりたくてクスリにまで手を出した。

 ルベル・ローグライトと出会ったのは、そういったどん底の中でだった。

 彼には不思議な力があった。彼の炎には浄化の作用があったのだ。おかげでクスリは抜けて、特別な力を持っている彼の援助のおかげで生活も楽になった。

 同時に、彼に出会って初めて、自分も誰かの特別になれる事を知った。それが、誰かに酷く似ているという、偶然以外の何物でもない理由だというのは、なんとも気分の悪い話ではあったけれど、それでも愛されるという事は幸せだった。ずっと、こんな日々が続くことを夢見るほどには。

 ……こういうところまで、親譲りだったということなんだろう。

 だからなのかもしれない。ただ甘えていたから、二年前に彼を失った。

 不用意に人の悪意を連れて来た所為で、彼に深刻な深手を負わせてしまって、

『ずいぶんと錆びついているな。それでは困る。荒療治が必要だな』

 突然現れたラガージェンという男が、一方的な言葉と共に、そんな彼の心を破壊したのだ。

 そして、元々彼が抑え込んでいたらしい力と無数の人格が支離滅裂に顔を出すようになり、無法の王と呼ばれる怪物が誕生した。

 本来なら、そこでフィネたちの生活はまたどん底に戻る筈だった。

 けれど無法の王は何故かフィネだけは共通認識していて、カタチは違えど同じように大事に扱われることになった。

 その結果、無法の王の女という唯一の立場を手にして、フィネはあの危険な下地区の中でも特別な人間として認識されるようになったのだ。誰か一人ではなく、不特定多数の人間に特別だと思われるようになった。おかげで彼と過ごしていた日々よりずっと、生きるのも楽になった。

 だから、フィネは過去への未練と今有る利益を失わないために、無法の王のそばにいる事を決めたのだ。酷く自分本位な理由で寄り添っていた。

(でも、それももう、終わり……)

 シシという名の元凶は、ノードレスという化物の中にいる。

 その事を彼等に伝えた時、もういない筈のルベルの匂いがした。

 正確には、彼が自分の中に残した遺言が、残り香を伴って再生されたというべきなのか。

『ラガージェンの目的は、ノードレス内部の浄化にある。とっても、その単語ほどの成果を私が与える事は出来ないだろう。私は小さな歯車だ。一度はその役目すら果たせなかったような出来損ないだ。だが、そんな歯車でも、小さな齟齬を生むことは出来る。そして、それが結果として大きな変化を齎す事もあるだろう。私が否定された時、イニタはそう言ってくれた。彼女だけが、私の存在理由だった』

 穏やかでいて、どこか突き放すような淡々さをもった懐かしい口調で、彼は言った。

 それから、淡い、昔よく見た微笑みを浮かべて、彼は真っ赤な羽のようなものをフィネの胸に押し付けた。

 それはフィネの胸に溶けて、仄かな熱を残して消えていって……そこでフィネは本当に彼なのだと確信して名前を呼んだけれど、反応はなかった。

『ノードレスの中に留まれば、ようやく本当の死を迎える事が出来る。かの龍の色は、私達の呪いすら消滅させるほどに強い。そして、この身体の中にある多くは、それを願っている。……さよならだ。出来ればこんな形ではなく、面と向かって伝えたかったが、まあ仕方がない。どうか幸せであってくれ、彼女の分まで』

 淀みなく、独白のように言葉を続けて、彼は眼を閉じた。

 再び目を開けた時にいたのは、いつもの誰かだった。

 その誰かはフィネに一瞥だけを寄越してから、

『……なるほどな、これなら最後まで起きていられるか。く、はは、俺を選んだことは正解だぞ、ルベル』

 と、掠れた声で嗤いながら、憎悪に目を血走らせて、ノードレスへと向かって行った。

 咄嗟に伸ばした手がその背中を掴むことは、叶わなかった。

 こうして酷く唐突に、彼女は無法の王を失い、ただの女に戻った事をじわじわと滲み出て零れた涙と共に痛感するのだった。

 それが、神の都合に振り回された人間の結末であり――


       §


 この世界には、リフィルディールという名の世界の敵に立ち向かうという大義の元に、神が用意した歯車がいくつも転がっている。

 より優れた魔力を生み出す『継承』というシステムや、魔法の効果を最大限に高める魔法陣の技術などが人間にとっては馴染み深いものだろうか。

 それらの多くは彼等が順調に進歩させていき、狙い通り立派な武器となった。

 けれど、それだけでは全然足りなかったから、神々は異世界にも手を伸ばすようになった。直接、または魂だけをこちら側に招いて、この世界では得られない可能性を取得しようとしたのだ。

 そこで得た様々な情報を元に生み出されたのがルベル・ローグライトという存在だった。

 複数の魂を宿す事が出来る器を用いる事によって、膨大な数の魔法を扱える兵器としての進化を期待された試験体

 結果として、ルベルは汎用性を得る事は出来なかったが、代わりにどれだけ魂が死んでも機能し続ける不死性から、永遠の炎を得た。

 とはいえ、その代償は大きく、ルベル・ローグライトの精神は常に別人格の浸食に晒されていた。

 それらの干渉を沈める役目をもって生み出されたのがイニタという名の御使いだった。

 彼女は伝達と浄化いう魔法をもって、ルベル・ローグライトの中にある全ての人格と根気よくコミュニケーションを取り、やがて唯一無二の信頼を勝ち取った。

 その先にあった日々は歪ではあれど、幸福でもあったのだろう。もう、誰も思い出せないけれど、きっとそうだったのだろう。

 けれど、そんな奇蹟はやはり長くは続かなかった。

 我らの産みの親であるシシは変化という過程に焦点を当てるようになり、過激化した実験によって多くの魂がルベル・ローグライトの中で死んでいった。その度に新しい魂が補充され、飽和寸前にまで膨れ上がったそれを、イニタも制御する事が難しくなっていった。

 きっと、その負担で限界を迎えていたんだろう。彼女は主であるシシに疑問を投げかけた。

 何故、こんな事をしてまでリフィルディールの行いを否定するのか? 神として正しい姿勢を取っているのは彼女なのに、と。

 それが壊れた神の逆鱗に触れて、イニタは殺された。器も中身もグチャグチャに弄繰り回されて、見る影もない人形にされた上で廃棄された。

 その場にいたルベル・ローグライトの身体は必死に抗ったが、イニタを失ったショックが大きすぎてまともに戦う事も出来なかった。

 あげく、ナナントナという邪魔者までいて、敗北と共に天上から落とされたルベルは長いあいだ魔域を彷徨うことになり……色々なものを摩耗した末に、トルフィネという街で彼女に出会った。イニタの魂の欠片が宿っていた彼女に。

 彼女がいなければ、そのまま抜け殻のように廃人になっていた事だろう。

 あぁ、でも、どうして彼女が人間の中に入っていたんだろうか?

「……別に、なんでもいいだろう? それよりも目的地だ」

 面倒くさそうな声が漏れた。

 なにかしらの結界によって灼熱の効果が弱まったのか、どうやら喋れるだけの原型を取り戻すことに成功したようだ。

 そして誰かの声のままに、目の前には焼け爛れた女の姿があった。

「久しぶりだなぁ、主よ」

 にこやかにあいさつを交わす。

 対するシシは驚愕と恐怖にひきつったような気配を滲ませていた。

 愉快極まりない。

 不愉快極まりない。

 今すぐ殺したい。

 絶対にすぐには殺さない。

 無法の王に相応しい、二律背反の感情が迸る。

 それを全部ゆっくりと咀嚼しながら、今表に出ている彼は言った。

「もういないアイツに代わって、御礼をしにきたぞ? この身がもつ唯一の総意だ。イニタを辱め、俺たちから奪った罪を、今償わせてやる。――さぁ、最高の虐殺をさせておくれよ、神様!」

「出来損ない、風情がぁあ……!」

 声帯を焼かれた肉体から汚らしい濁音をもらしながらシシが吠え、身体を包むようにしていた生贄たちの魔力を周囲に展開して、激しく肉を焼き緩やかに魂を溶かしながら、臨戦態勢に入る。

 こうして予定調和のままに、神に落とされた者と神から堕ちた者の、結末を決める戦いは始まったのだった。


次回は三~四日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。

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