08
息を止めて、レニがナイフを力一杯に投擲する。
昇華の魔法によって極限の貫通力を有した閃光の如き一撃。
それは着弾する瞬間を視認する事すら許さず、代わりに凄まじい衝突音が肌を叩いた。
続いて、左手にあった建物の上半身が吹き飛ぶ。オリジナルが右手に具現化させた剣によって弾き返されたナイフが、そこを通過した際の余波だけで、それほどの破壊を発生させたのだ。
本当、この魔法は極端な現象を容易に引き起こしてしまう。
ただ、それを前にしても、ノードレスは呑気なものだ。まだ警戒には至っていない。
自分に向けられたらという想像力がないのか、それとも、この程度ではまだ届かないのか……。
前者である事を願いつつ、俺は足場の鱗に向かって昇華の魔力を流してみる。自壊させる事が可能かどうかを、一応調べておこうと思ったからだ。
というか、出来るのならさっさとやってしまいたい。それで仮にナナントナさんと揉める事になろうと、リフィルディールの要望をクリアできるのなら、そちらの方を優先したいというのが正直なところだった。
……でも、まあ、そんな簡単に解決できる問題なら、ここまで回りくどい流れにはなっていない。
昇華の魔法は、ノードレスには一切流す事が出来なかった。完全に拒絶されているといった感じだ。つまり、間接的にこの魔法を使って突破する以外に、こいつを殺す手立てはないという事である。
もちろんある程度は想定していた事なので落胆もない。一つ重要な事が確認できた、と前向きに受け止めつつ、戦闘に意識を戻す。
「――煩わしいな」
苛立ちを滲ませながら、オリジナルが後方に大きく飛び退いた。
直後、ノードレスのブレスが真下に吐き出される。
大地を溶かす炎は同時に空にも噴き上がり、こちらに対しても猛威を振るってきた。それを狙っての行動だったんだろう。
だが、さすがに直撃でもない限りは、持久戦が出来る程度の耐性は用意できる。
鎧に昇華の魔法を行使しながら、俺はレニの視界がオリジナルを真ん中に捉えたのを確認したところで、右手に具現化されていたナイフの切れ味にもその魔法を施していく。これには、先程以上の魔力を込めた。
それに対応するために、オリジナルも同等以上の魔力を剣に込めて弾き返す準備を取るが、その邪魔をするように、彼女の真上から凄まじい速度で乱入者が降ってくる。
巨大な斧を持った、十歳くらいの青髪の少女。
年不相応の醒めた横顔は、トルフィネのイル・レコンノルンを思わせた。
(ベリアデア家の傑作、たしか名前はナーヴェラだったか。次代の色冠の評価に負けない程度には抗えそうだな。それに、こちらの攻撃の価値をよく理解している)
遅れてやってきた援軍に僅かな感心を覗かせながら、レニは右手に昇華の魔法を施して、ナイフを握る力を強める。
でも、投擲はしない。
放つという気配だけで、オリジナルの行動を制限するつもりのようだ。
それが効果的である事を物語るように、オリジナルはナーヴェラへの攻撃をかなり渋っていた。
その気になれば斧もろとも両断する事なんて容易いだろうに、その余分をした瞬間に自分の胸が射抜かれる可能性に気付いていたからだ。
「改めて確認をする。――オイゲン、今攻撃した方で合っている?」
「あぁ、問題ない。そのまま続けてくれ」
頷きを鋭敏なこの耳が拾った直後、オリジナルの背後にオイゲンさんが現れ、甲高い金属音を立て続けに三度鳴り響かせた。
オリジナルの鎧に欠損が生じる。皮膚にまでは届かないが、即座に再構築しなければならない程度には深い連撃。
(……ただ切り裂くという一点にのみ特化した魔法か。貴様の世界の居合というものに似ている感じだな。狭いが、この状況なら無視は出来ない。攻勢を強めるぞ? 気を抜くなよ)
手綱を握らせていた左手を自由に、代わりに胴体にそれを巻きつかせるようにして、レニはノードレスへの警戒を緩め、その左手を鞭剣へと変貌せていく。
傍からだと、ノードレスにもう一本尻尾が生えたように見えただろうか。
「能無しが、勝手に離れるな」
鬱陶しそうにこちらを振り払おうとしていたノードレスの顎に鞭剣を叩き込んで、軌道を無理矢理変えつつ、レニは返しの刃をオリジナル目掛けて振り抜いた。
それがイラついたのか、今までこちらにしてこなかった尻尾攻撃をノードレスが仕掛けてくる。
レニは完全に無視。でも、喰らえばただでは済まないのは明白なので、直撃しそうな箇所を強化して凌ぐ。
骨に響くほどの衝撃が全身に走り、しばらく痛みが残ったが、その程度で済むのなら、あと十数回程度なら問題はなさそうだ。
(……下手糞が、もう少し上手く受け流せ)
――だったら代わってくれる?
(奴等が死んでもいいのならな)
小馬鹿にするような聲と共に、レニは鞭を振るい続ける。
それに合わせて、ナーヴェラとオイゲンさんも攻撃を重ねて、オリジナルに防戦を強いていく。グラもそんな二人のフォローに回る動きを見せていて、より攻撃に専念できる状況を作っていた。
この調子なら、最後まで時間稼ぎが出来そうだけど、結局はノードレスの行動次第な部分が強いので、まだまだ楽観はできない。
それにオリジナルもまだ様子見といった印象が強くて――
「――いいだろう。貴様たちは後回しだ」
不穏な発言が鼓膜に届いた直後、オリジナルは右手を高く振り上げて此処まで届く長大な剣を具現化した。そこには昇華の魔法も込められている。
さらに全身の強化にも魔法を用いて、オリジナルはこちら目掛けて剣を振り下ろした。
それが精度に欠けた大雑把なものである事を、強化した視力が捉える。つまり、ノードレスに当たっても構わないという判断から繰り出された一撃だったというわけだ。
ノードレスはもちろん回避なんてしない。そんな必要どこにもないという傲慢さが、そこには溢れ出ていた。
故に、クリーンヒットの衝撃が背中の上にいる俺たちにもダイレクトに伝わり、額から噴き出た血が炎となって大気を溶かす様も、しっかりと目の当たりにする事になった。
見事なくらいに効いたのだ。
「――グゥア、グゥアアア、グアアアアアアアアアアアアア!!!」
凄まじい咆哮が、鼓膜を破りにかかってくる。
その圧に眉を顰めながら、レニがこちらに迫っていた追撃の斬撃を右手のナイフで受け流した。
受け流された斬撃が翼の付け根を切り裂き、再びノードレスは光り輝く真紅の血を噴きながら、地面へと墜落する。
(……浅いな。それに傷もすぐに塞がるか)
敵の傷口を冷静に観察しつつ、レニはやや深刻そうなトーンで呟き――次の瞬間、小さな悲鳴を漏らして、陣取っていたポジションからなんの躊躇もなく飛び退いた。
……結果的に、それは正しい判断だった。
あと少しでも同じ場所にいたら、きっと両足が炭化していただろう。
それほどまでの灼熱が汗のようにノードレスの全身から吹き荒れたのだ。それに伴い、まるで自身がマグマになったかのように赤橙色に染まっていく。
そうして臨戦態勢に入ったノードレスは大きく口を開くと、もはやブレスというよりは光線といってもいいような魔力の塊を解き放った。
その先に齎されたのは、完膚なきまでの消滅だ。
今まで吐き出していたブレスが本当にただの吐息に見えるくらいにそれはデタラメで、レニの視覚をもっても破壊の終点が見えないくらいの距離まで、横幅二十メートルはあるだろう真紅の直線が刻まれていた。
幸いなのは、余波の範囲はかなり絞られているようで、グラもオイゲンさんもナーヴェラも回避する事が出来た事だろうか。
当然、オリジナルも安全圏に逃れていて、
「……ずいぶんと、化けるものだな」
なんて、感心とも後悔とも取れる言葉を漏らしていた。
(間抜けが、増長したな)
どうやら、後者だったらしい。
本人に極めて近い存在が近くにいると、こういう時は便利でいいが……いや、それにしても、これは色々と想定以上だ。最低限、これくらいは出来るだろうという見積りが、秒ごとに潰されていくのを肌が感じている。
「……警戒をしてください。彼には貴方と彼女の区別はつかない。殺しやすいと思った方から襲う事でしょう」
不意に、背後から声が響いた。
振り返るなんて余裕はないので、ノードレスを見据えたままでいると、視界の隅にナナントナさんが入ってくる。
その神様を咄嗟に抱き寄せつつ、何故か急にこちらを向いて怒りに目を血走らせたノードレスを前に、慌てて昇華の魔力を行使した。
殆ど衝動的な行動だったけど、おかげで突進攻撃を紙一重で回避する事に成功する。
本当に紙一重だった。
粘土のように潰された建物群から、真紅の洪水が溢れだす。
その一帯にはもう生きている人はいないが、この速度で暴れ回られたら、都市の人間が全滅するのも時間の問題だろう。
「彼は、以前観測した時よりも遙かに強大になっています。これは果たして、リフィルディールの想定内の成長なのか……」
不穏すぎるナナントナさんの言葉を助長するように、ノードレスが緩やかに上空へと羽ばたいて、炎の翼と尻尾を新たに具象化し、地平を見下ろして咆哮を上げる。
出会った時も結構な絶望を感じたが、逆鱗に触れた今は、それが恋しいとすら思えるくらいだった。
本当、よくもまあ短絡的な事をしてくれたものだと文句が言いたいが、盾に使ったこちらも同罪なので口には出せない。
(内側でも同じような変化が起きていなければいいがな……)
ぽつりと、レニが心の内を漏らしてくる。
その呟きに一番の不安を覚えつつ、俺はノードレスのお腹に意識を向けて、人食いの結界の効果が上昇している事に気付き、悪い流れが勢いを増しているような感覚を前に、思わず暗澹とした息を吐きだした。
次回は三日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。




