07
……全身に、悲鳴を上げたいくらいの痛みが襲ってきた。
ただ、これは物理的な痛みだ。激しい熱を帯びた、先程のそれに比べてあまりにも柔らかい痛み。
(屑が、余計な手間をかけさせるな)
微かに震えたレニの聲が届く。
辛辣だけど、縋るような感じ。……なんだろう、それを聞いた瞬間、ふとミーアの事が頭に浮かんだ。
母の件もそうだけど、早くトルフィネに帰って彼女に会いたい。
死にかけの身体に戻ってきた所為だろうか、突発的な寂しさに襲われた自分に苦々しさを覚えつつ、俺は今の状態を改めて確認する。
まず出血が酷い。右腕がない。内臓も多分破裂していて、肋骨も数本折れていた。
身動きすらろくに取れない。でも、そのおかげかノードレスはこちらから完全に意識を外してくれていた。きっと死んだと判断したんだろう。或いは、小石を蹴飛ばす事に飽きたのか。今は別の標的を探すように、上空でゆったりと首を動かしている。
――それにしても、酷い有様だな
(っ、誰の所為でこうなったと――)
――治癒にあれを使うのは止めておいた方がいい。それより、ナナントナさんは?
激昂しそうになった彼女の言葉を遮って、俺は訪ねた。
それに答えたのは、当人だ。
「私は此処に居ます。貴方が戻って来れたのは幸いでしたね」
視線を声の方に向けると、ゆらゆらとこちらに近付いてきたナナントナさんの姿が確認できた。
特に変化はなし。
「この身体を、治せますか?」
身体の主導権を取り戻し、ついでに痛覚を引き受けつつ、確認する。
「ええ、問題はありません」
言いながら、ナナントナさんは俺の身体に触れて、治癒の魔法を施し始めた。
じわじわと傷が癒えていくのが判る。即時再生させないのは、敵に気付かれるのを恐れての事だろうか。まあ、妥当な判断だとは思う。ただ、そんな猶予があるのかどうかは怪しいところだったけど…………どうやら、オイゲンさんが用意した戦力は、まだレニと戦えているようだ。
開幕に主戦力がやられた時はもう致命傷だと思っていたが、それは過小評価だったらしい。有難い誤算だ。とはいえ、拮抗しているわけじゃないので、限界は近い。あと数人も失えば一気に瓦解してしまうだろう。
「……グラ、時間を稼いでください。全てを賭して構いません」
静かな口調で言いながら、ナナントナさんがおもむろに自身の胸に右手を突っ込んだ。
まるで水の中に手を入れるようにそれは抵抗なく入り、肘のあたりまで沈んだところで止まる。
それから数秒ほどまさぐるように腕を動かしてから、ゆっくりと引き戻されたその手には、脈動する球体が握られていた。
「了解。了解。別離を理解」
球体は淡い光を明滅しながらグラの声を放ち、二階くらいの高さまで上昇したところで、最初に会った時と同じサイズのグラの姿へと変貌する。
ただし内包されている魔力の量は、その時の比じゃない。
流星のように、グラはオイゲンさんが用意した戦力の元へと飛来していく。
(……自らの核を媒体にしたのか)
微かな驚きを含んだレニの聲。
おかげで、ナナントナさんの本気具合が分かったわけだが、そこまでの投資をするだけの成果を、果たしてこちらが達成できるのか……まあ、こちらの腹はもう決まっているのだ。今更不安を抱いてもしょうがない。だから、今はしっかりと身体だけじゃなくて精神も休めて、その時に備えるだけ。
とりあえず目を閉じて、全身を弛緩させ治癒の温かさに身を委ねる。
(……ところで、どうして痛覚まで奪っている?)
――もちろん、打たれ弱い子が本番前に音を上げないようにするためだよ。
戸惑い混じりの問い掛けに皮肉混じりで返しつつ、ノードレスの方に意識を向ける。
グラの行動に対して、特に反応はなし。オリジナルの戦闘にも、相変わらず興味はなさそうだ。なら、回復にもう少し力を注いでも良い気がするけど、ナナントナさんはそれを行わない。
これだけ派手にグラを召喚した以上、もう隠密に意味はないと思うけど……
「どうやら、無法の王の準備が済んだようですね」
そのナナントナさんが、安堵の息を零しながら呟いた。
直後、回復の効果が跳ね上がる。
みるみるうちに復元されていく身体。血液以外のほぼ全ての要素が万全に近い状態になるまで、数秒と掛かりはしなかった。
悪い想像が色々と過ぎってしまったけど、シンプルに向こうの状況が整うまで急ぐ必要がなかったというだけの事だったようだ
それにこちらも安堵を覚えつつ、ゆっくりと身体を起こし、立ち上がる。
と、そこでノードレスがグラ達の方に向かってゆっくりと移動を開始した。両者の戦闘が本格化した事によって、ようやく興味を引かれたということなのか、それともまったく別の理由に拠るものなのか……正直、理由は皆目見当もつかないけど、仕掛けるには都合がいい流れだった。
(本番も、半分は請け負っておけ。私に最高の結果を求めるのならな)
早く主導権を明け渡せと、レニが言ってくる。
こういう勝負時において、戦場の華であった彼女に異論を挟む余地はないだろう。
――わかった。信じるよ。
苦笑いと共に頷きつつ、主導権と痛覚の半分を返す。
「上手く合わせさせろ。私たちの成果に泥を塗るような真似はさせるな」
ナナントナさんにそう言って、レニは軽やかに跳躍し、近場で一番高い右半分が溶け落ちた建物の上に降り立った。
「……」
そこでしっかりと溜めの動作を作るように膝を曲げて、上空のノードレス目掛けて飛び立つ。
異常な熱を帯びた空気を切り裂く、気持ちに悪い感覚。
それを嫌うようにノードレスの一撃で半壊していた鎧を再構築しつつ、レニは右手に五メートルほどの長さの剣を具現化した。
普段ではまず使用しない、超高密度の魔力で構築された黒剣。
その脅威を察知したのか、それとも単純にある程度の距離まで迫ったものを自動で迎撃する仕様なのか、ノードレスの長い尻尾が翻る。
信じられないくらいの豪速だ。
これほどの巨体の動きをこの目で追えない時点でどうかしているが、それを当たり前のように凌ぐどころか、その尻尾を足場にして頭上を取るレニも、大概どうかしている。
「堕ちろ!」
裂帛の気迫と共に、長剣を振り下ろす。
凄まじい手応えに、右手が痺れた。
無敵にすら思える鱗に傷をつける事は叶わないが、その衝撃でノードレスの高度が少し下がる。
「――グゥゥ、グゥアアアア!」
苛立ちを滲ませた咆哮が、肌を叩いた。
全身に鳥肌が立つを覚えながら、レニは更に斬撃を叩き込んでノードレスを地面へと追いやっていく。
そうしてちょうど二十メートル程度の高さにまで落としたところで、視界の隅に無法の王の姿が見えた。
今、ノードレスは完全にこちらに意識を戻している。
これなら、ある程度の接近は容易いだろう。ただ、口の中に入るとなれば話は変わってくる。無法の王は一体どんな方法で、それを実現させるつもりなのか――
「ふふ、あははは! ようやくだ! ようやく貴様を殺してやれるぞ! 私からイニタを奪った罪を贖わせてやる!」
大声を上げながらバカみたいに魔力を噴出させて、そいつは見事なくらいに綺麗に、こちらの誘導をぶち壊し、真正面からノードレスに向かって突っ込んで――かの龍のブレスの直撃によって、跡形もなく消滅した。
「……」
レニが凄い形相を浮かべたのが、顔の筋肉の硬直で判った。
うん、その気持ちはよく判る。俺も、きっと引き攣った表情を浮かべていた事だろう。
でも、その憤りはすぐに拭われることになった。
ブレスを吐き終わったノードレスの鼻の上に、無法の王の手首がどさっと落ちてきたからだ。タイミング的にブレスを吐かれる前に手首を斬り落として、放り投げていたんだろう。そして自分を攻撃させる事で、ノードレスの顔の位置を調整した。
ブレス以外の攻撃が来ていたらどうしていたのかとか、色々と運任せたところもありそうだけど……いや、仮に違う攻撃が来ても体内に侵入する事は可能だったか。
這うようにして鼻の中に自ら入っていく手首を前にそんな事を思いつつ、俺は左腕の主導権を少し取り戻して、そこから馬の手綱のようなものを具現化し、ノードレスの首に掛けた。
(何をする気だ?)
――最低限の目的は果たしたわけだけど、問題が解決されるまでの間、この化物を放置しておくわけにもいかない。でも、一人でそれをやるのは荷が重い。だから、分担してもらおうと思ってね。
視線を、オリジナルの方に向ける。
(なるほど、これを盾にするわけか。まあ、悪くはない考えだな)
――その盾の攻撃とは向き合う必要があるけどね。
(だが、奴に対して強気に出れる。ならば、見返りとしては十分だ)
レニは加虐的な微笑を浮かべ、右手に新たにナイフを具現化して、それをオリジナル目掛けて投げつけた。
距離が距離なのでさすがに簡単に防がれてしまうけれど、こちらには昇華の魔法があるのだ。ただ鎧さえ展開していれば無視していいという事にはならない。あげく、下手に反撃しようものならノードレスの標的になるかもしれないのだから、オリジナルにとってはかなり嫌な状況になっている筈。
それを物語るように、彼女の気配が少し硬くなったのを肌で感じ取る事が出来た。
「――グゥ、グゥウァア?」
困惑するよな唸り声をあげながら、ノードレスがこちらを振り落さんと飛行速度を上げて、高速回転を始める。
空と地面が凄まじい速度で入れ替わり、遠心力が力一杯に頭に血を運んでくる。ここまで酷いジェットコースターがあったら、クレーム必至もいいところだろう。
けれど、尻尾や翼による攻撃はない。
(自分に当たる事を嫌っているのか……なんにしても、想定していたよりは温い攻撃だな。今のところはだが)
再度右手に得物を具現化して、レニはオリジナルに目掛けて投擲する。
これだけ派手に動き回っている状況でも、狙いに狂いはなかった。
(次は渾身を放つ)
先の二本と比べて一回り大きなナイフを具現化しながら、レニが強化を要請してくる。
意図せずではあるが、ノードレスがオリジナルに急接近したのが勝負を仕掛けると決めた要因だろう。
望むところだと、昇華の魔法をナイフに流し込む。
これで、オリジナルが自身の鎧に同じ魔法を掛けない限りは突破できる。仮に使われたとしても、この魔法は使用するだけで十二分の負荷となる。
この状況下なら、削り合いは上等。
「……小賢しいものだな」
目の前で対峙していた相手から、こちらに視線を移して、オリジナルが呟く。
見上げる彼女と、見下ろす俺たち。
そうして、今この瞬間だけは、こちらが優位に立っているのではないかと錯覚しそうになる戦況の中、オリジナルとの二度目にして最後の殺し合いは幕をあけた。
次回は四日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。




