04
圧倒的な速度に全身が軋む感触を覚えながら、瞬き一つの間をもってレニ・ソルクラウの身体はフィネさんの元に駆けつけた。
丁度そのタイミングでブレスが放たれる。
この身一つなら回避は余裕だけど、フィネさんを抱えてそれを行えば彼女の身体がバラバラに千切れてしまう事だろう。
(――こちらにも使え! 間に合わせろよ!)
切迫した聲と共に、レニが全身を熱耐性に特化した構造の鎧で纏いつつ、足元から巨大な盾を具現化する。
建物よりも巨大な盾だ。ありったけの魔力を注ぎ込んだ今行える最大の防御。
そこに昇華の魔法を用いて、ついでにフィネさんの身体を包むように、耐熱性に特化した棺桶のような箱を俺の方で具現化する。
直後、凄まじい暴風が吹き荒れた。
左右にあった建物が冗談のように簡単に溶解していく。自身の魔力がノードレスのブレスによって削られていく、嫌な感覚。
昇華の魔法をもっても、長くは防ぎきれない。
(それで、このあとはどうするつもりだ?)
――……考えてない。身体が勝手に動いたからね。
(なんだとっ!?)
驚愕に引き攣ったレニの聲が響く。
うん、我ながらこれは衝動的だった。でも、後悔はしていない。フィネさんを失ってしまったら、最大の成果は得られないという確信があったからだ。それに、子供がいる人をみすみす死なせるというのは、よほどの事がない限りは避けたかったというのもあった。それが悪い親じゃなさそうなら、尚更だ。
(そんな愚行が許されるものか! 挽回しろ! 早くっ!)
――そう簡単に言われても困るんだけど、あと数秒くらいは持つでしょう? だったら、矛先は変わるはず。
(何を根拠にそんな――)
その言葉の途中で、ノードレスの意識が頭上へと移った。
と同時に、激しい爆発音。
それは、一瞬とはいえこの場全ての魔力を蹂躪するほどに振り絞られた無法の王の一撃だった。フィネさんが殺されるかもしれないと、一足遅れで察知した結果――というよりは、それを察知して対応できる人格が表に出て来てくれたおかげ、というのが正しいだろうか。
まったくもって幸運以外の何者でもないので、次も同じような期待をすれば命はないだろう。
(……情報はちゃんと共有させろ。不愉快だ)
焦った自分を見せた事が気に入らなかったのか、拗ねるようにレニが言う。
――そうだね、これからはそうするよ。それよりも、早く安全な場所に。もちろん丁重にね。
(……分かっている)
フィネさんに施していた具現化を解き、レニは彼女の身体を躊躇いがちに抱き上げて、抑えた速度でひとまずナナントナさん達の元に向かって跳躍した。
その最中に、ノードレスに視線を向ける。
まったくの無傷。再生と破壊を同時並行しながら、決死の攻撃を続けている無法の王の行いなど、意にも介していない。
シシの件を抜きに、あれを殺すのなら内側から仕掛けるのが一番良さそうだ。そういう意味でも、無法の王がこの戦いの最大のキーパーソンになる気がする。
(……もういいな。代わるぞ)
丸投げしていた身体の主導権が戻ってきた。
と、同時に昇華の副作用が襲ってくる。全身が激しい筋肉痛に襲われるような感じ。でも、骨が軋んだり、筋組織が断裂するような事態にはなっていないので、十分に軽症と言えるだろう。
とりあえず早鐘を鳴らしている心臓を落ち着かせるように、ゆっくりと深呼吸を一つしてから、俺はフィネさんを地面に降ろした。
「大丈夫ですか?」
「え、ええ、大丈夫です」
「それは良かった。でも、どうして此処に?」
「あ、ええと、少し目を離した間に、あの人がいなくなって、探しに行こうって決めて部屋を出たら血塗れのあの人がいて、それで、まだ匂いが残ってるって言って、私の手を掴んで――そうしたら突然外に出ていて……ごめんなさい、私も状況がよく判っていなくて」
「いえ、十分です」
おそらくはラガージェンの仕業だろう。
俺たちを此処まで連れてきたあの男なら、その程度の空間転移は造作もない筈だ。自分勝手な都合を他人に押し付ける事になんの罪悪感もない奴等だっていうのも、よく知っている。
「……」
フィネさんの身体は、小さく震えていた。
無法の王の魔力によってある程度守られているとはいえ、その身には火傷の痕もある。人食いの結界の影響も、ゼロではないだろう。
そんな状態の彼女に頼み事を押し付けるというのは、酷く嫌な気分だったけど、放っておけば彼女を含めたこの都市の人間すべてが死ぬのだ。
不意に滲んできた罪悪感を噛み殺して、俺は言った。
「今、私達は非常に不味い状況に置かれています。そして、その問題の一つを解決できる可能性を持っているのは無法の王しかいない」
「……そうですか、それは良かった」
良かった?
言葉の意味するものをすぐに掴めずに、困惑を覚える。
その気配を察知してか、彼女は自虐的な微笑を浮かべて言った。
「ただで助けられることほど、居心地の悪い事はないですから」
「……そうですね」
少し、判る気持ちだった。
「でも、私の言葉が全部あの人たちに届く保証は、その、ないですよ?」
「私達よりも可能性があるのなら、それで十分です」
努めて明るいトーンで俺は言う。
「わかりました。じゃあ、出来るだけ長く表に出ていられる人に出て来てもらうように頼んでから、それを伝えてみます。上手く行くかどうかは判りませんけど、それでいいですか?」
「ええ、ありがとうございます」
とりあえず、これで最初の段階はクリアした。
あとは、無法の王とフィネさんが話せる状況を用意して、オリジナルのレニの居場所を特定し奇襲に備えられるようにして、無法の王がノードレスの体内に侵入できるようにお膳立てをするだけだ。
並べてみると、高いハードルばかりである。へそのあたりどころか、胸の上くらいはありそうだ。
それでも、やる事がはっきりしている分、気分は楽だった。
俺は視線をオイゲンさんに向けて、訪ねる。
「色冠の人達はいつ援護に動けそうですか?」
「彼等の半数は帝都の外にいる。内にいる者達にしても、すぐにとは行かない」
「では、本物の所在は判りましたか?」
「……あぁ、帝都の隅で発見した。一番高い建物の上で、ただ佇んでいるようだ。高みの見物という事なんだろう。つまり、今奴は一番強い立場にいるという事になるな」
やや強張った声で、オイゲンさんは言った。
どうやら、音の魔法を使ってこちらが聞こえないように部下たちとやりとりをしていたようだ。それをこうして明かしてくれたという事は、彼の方も色々と腹を決めたという事なんだろう。
「貴方たちは、どちらを担当しますか?」
と、俺は訪ねる。
すると、オイゲンさんは数秒の沈黙の後、ため息を一つ交えてから、
「ノードレスだったか? あんな化物を前にすれば、まともな護りをもたない者は余波だけで死ぬだろう。それは色冠とて例外ではない。だが、奴との決戦は多くの色冠が想定していた事態だ。死体が見つからなかった時からな」
と、力強い口調で答え、
「……身体が重たくなってきた。私ですらこうなのだ。一般的な市民の限界はもう近いと見てもいいだろう。ナナントナ、貴公が本当にその名をもつ神だというのなら、あの化物の行動に干渉する事も出来るな? 出来ないのであれば去れ。此処に役立たずは必要ない」
挑むような視線をナナントナさんに向けながら、そう吐き捨てた。
殺すという選択を保留する代わりに、つきつけた条件だ。ナナントナさんは、それにどう応えるか……
「……そうですね。シシの支配さえなければ、多少の誘導は私にも可能でしょう。体内で目的を達成した無法の王を中継点に使えれば、ですが」
口元に手を当てながら、ナナントナさんは思案気な表情で呟くように言う。
そんな事が出来るとは思っていないが、他にこちらが妥協する選択もなさそうだから、仕方がなくといった感じだろうか。
なんにしても、これで光明は見えた。
オイゲンさんも近い感情を覚えたんだろう。小さく頷くような仕草をみせて、
「聞こえているな? 作戦を始める。先走るなよ。それと間違えるな。敵は高見の見物を決め込んでいる一人だけだ。奴の行動を封じ込め、苦渋に満ちた貌を私に拝ませてくれ」
と、部下にそう命じ、こちらに視線を戻した。
「私は彼女の護衛を務めよう。……クラセよ、武運を祈る」
真っ直ぐな言葉だった。
少なくとも、今この瞬間は信じても大丈夫だと思えるくらいに。
「お願いします」
頭上でまた激しい音が弾け、間髪入れずに地面が揺れた。
ノードレスの尻尾によって、無法の王が叩き落とされたのだ。即座に立て直して反撃をしないあたり、気絶したのかもしれない。
割って入るには、これ以上ないタイミングだった。
「失礼する」
そう言って、オイゲンさんがフィネさんを抱き上げ、墜落した無法の王の元に向かって駆けだす。
その後ろ姿を少しだけ見送ってから、俺は胸に内に問い掛けた。
――レニ、準備はいい?
(良い訳がないだろう? だが、貴様に任せてすぐに死ぬよりはいい。……行くぞ。私は戦闘と最低限の具現化にのみ集中する。だから、他は任せてやる。そちらの魔法の準備を怠るなよ)
――わかってる。ありがとう
ふん、と鼻を鳴らす音をこちらに届けて、レニは右手に長剣を具現化して、ノードレスに向かって弾丸のように跳躍した。
そして振り抜かれる一閃。
硬い手応えと共に、剣が欠ける。
ノードレスにダメージはない。が、こちらへ注意を向ける事には成功した。
昇華の魔法で強化すれば、届いてくれるだろうか? ……多分、届きはするだろう。
でも、一撃で致命傷を与える事は出来ない。
出来るのであれば、ここまでのお膳立てをリフィルディールがするとは思えないからだ。だから、迂闊には使えない。
この手の化物は頭も廻るのだ。今は脅威として認識されていないから避ける事もしていないけど、痛手を負えば当然安全策をとってくるし、こちらの射程外から一方的な攻撃を仕掛けてくる事も想像に容易い。そうなれば絶望的だ。
そうならないで済む状況で使う必要がある。
それがいつなのか……なにか合図でもしてくれればいいんだけど、あのリフィルディールがそこまで優しかった記憶もなし、状況の変化に最大限気をつけつつ、俺は自分が一番うまく使えるらしい昇華の魔法に意識を傾けて――そこで、なにかが昇華の魔力に絡みついた。
まったく同じ色の魔力。
「――繋がった。御使いとやらが、ようやく役に立ったな。あとは、貴様の魂の色を手に入れれば、私は完成する。あぁ、ようやくだ」
それは、オリジナルのレニ・ソルクラウの声で――
次回は四日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでいただけると幸いです。




