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04

「……何故だ? 何故私を裏切った? ――答えろっ!」

 世界が切り替わった途端に、今にも泣きだしそうな怒声が喉から溢れ出た。

 ぼやけた視界。そこから零れて頬を伝う雫はきっと涙で、これが遠い記憶だという事を滲むように理解させてくれる。

 レニ・ソルクラウの昏い過去。

 それ故にというべきなのか、当たり前のように周囲はこんなにも真っ赤に血生臭くて、人の形すら許されない死体ばかりだ。

 そんな中で唯一まだ生きている男が、憐れむような眼差しをこちらに向けている。胸に空いた風穴から止めどなく血を流し、じきに死ぬことを物語りながら、怖いくらいに静かな視線を向けている。

 その瞳に映るレニは、やはりまだ少女の面影を残していて――

「人は、裏切りるものさ。いい経験になっただろう? 普通は、生娘のままじゃ得られない経験だ。残念な事にな」

 渇いた微笑と共に並べられた下品な物言いが、両者の関係を示唆する。

 そこには侮蔑も多分に含まれており、

「――っ!」

 レニは怒りに身を任せるように、手にしていた剣を男の太腿に勢いよく突き立てた。

「信じてたのにっ! 貴方だけは、違うって……!」

 息の根を止めるのではなく、ただ痛みを与えたところに彼女の淡い期待が窺える。

 要は言い訳が欲しいのだ。これは何かの間違いだと、自分を騙せる程度の言い訳が。

 でも、それは一目で無意味だと判るくらいに贅沢な願いだった。だって周りの死体はおそらく男の仲間のもので、なにより男はとうに自身の死を受け入れている。そうでなければ、こんな落ち着いた表情ではいられないだろう。

 どういう背景で彼がレニを裏切ったのかは、この場面からだけじゃさすがに読み取れないけれど、彼は初めからこうなる事を理解していた。奇襲を成功させレニに手傷を負わせる事が出来ても、決定打にまでは届かないと判っていたのだ。

 或いは、この先の流れも十二分に想定出来ていたのかもしれない。

 今、レニは驚くほどに隙だらけだった。夢だから痛みはないけど、右足と背中に相当な深手を負ってただでさえ動きが鈍っているうえに、男にばかり気を取られてまったく周りが見えていない。

 ここで彼が自身にもう少し注目を集めるように仕向ければ、用意されているであろう後詰めが役目を果たしてくれる。

 もちろん、それが成功しなかったからこそ、レニ・ソルクラウは英雄にまで至れたんだろうから、この裏切りが失敗に終わったのは確定しているんだけど。

「――おい、隙だらけだぞ?」

 自身の感情に押しつぶされるように深く俯いて敵からも視線を逸らしたレニに、不意に立ち上がった男が肉薄する。

 伸ばされた手が襟首を掴み、息が掛かるほどの距離で見つめ合う二人。

 動揺で大きく目を見開くレニの首筋に、男は後ろ手に握りしめていたナイフを突きつける。

「覚えておけ、レニ。……誰も、お前を愛しはしない」

 柔らかな微笑。

 それを寂しそうだと感じたのは、俺が完全な部外者だからか。

「生まれるべきではなかった者。子も産めない貴族の女。そんな奴を、一体誰が本気で求めるという?」

 ナイフを引き抜けば、今のレニの頸動脈を切り裂く事くらいは出来ただろうに、男はそれをせずにただ言葉を続ける。

「人間など信じるな。お前にそんな資格はないんだから。あははっ」

 嘲笑のような、自嘲のような笑い声。

 それは互いの感情のずれを決定的に突く一押しであり――

「……黙れ」

 首筋を漆黒の護りで固めながら、レニは押し殺した声と共に左手を乱暴に振り抜いて、男の顔を周囲の肉片へと同じものへと変えた。

 あっけないほどに、容易い死。

 その余韻に怯えるように、

「黙れ、黙れ、黙れ、黙れ、黙れ――黙れっ!」

 怒声と共に無数の刃物を具現化させて凶器と化した左腕を振り払い、レニは彼という存在を細切れにしていく。

 そうして涙が止まるまで暴力に浸ったところで、こちらに接近してくる複数の存在に気付いた。

 後詰めだ。男が上手く注意を引いていれば、奇襲を成功させる事が出来たであろう人達。奇襲でなければ、絶対に叶わない人達

 憎しみが一点に向いている事を好機だと捉えたのか、彼等は察知されている事も知らずにじりじりと近付いてくる。

 その距離が一定まで縮まった時、ゆらりとレニは彼等の方に振り返った。


「聞こえなかったのか? ――黙って、死ね」


 感情を押し潰したような低い声と共に、右腕を横一閃に振り抜く

 長大たる漆黒の刃。それが彼我の距離を一瞬で消し去り、敵の大半の上半身を奪い去ったのをこの眼が捉えたところで、不意にまた、世界が切り替わった。


       §


「聞こえなかったのか? 早く片付けろ」

 硬質で渇き切ったレニの声が、フルフェイスの兜越しにくぐもって響く。

 目線が先程より少し高い。つまり此処に居るのは大人になったレニ・ソルクラウだ。

 一体、何年後なのかは不明だけど、右腕を失う前なのは感覚で判る。

 周囲に広がっているのは、先程と同じ血みどろの赤。いたるところから怒号と悲鳴が聞こえてくる。

 朱く燃える空には不穏さしかなくて、さっきいた薄暗い廃墟とは争いの規模が違うのを嫌味なほどに知らしめていた。

 此処は戦場だ。どこかの都市の中心部が、戦場になってしまった。

 だから、兵士以外の死体もあちこちに転がっていて、今目の前にも死にかけの誰かがいる。掠れた声で「助けて」と訴えている子供がいる。

「……出来ません」

 その子供に剣を向けていた兵士が、苦しそうな声で言った。

「必要ないでしょう? 決着はついた。もう彼等には降伏しかない。だから……!」

 振り返った彼の表情は、恐怖に歪んでいる。

「……こんなものに上位の席を与えるのか。末期もいいところだな」

 ため息交じりのレニの声。

 そこに潜んでいた殺意に嫌な予感を覚えた時にはもう、全てが手遅れだ。

 漆黒の剣が、なんの躊躇もなく兵士とその背後にいた子供を串刺しにする。

 少し離れた位置でそれを見守っていた他の兵士たちが息を呑む音が、嫌なくらいによく聞こえた。

「なにをぼけっとしている。まだ敵は残っているんだぞ? それとも、貴様たちも逆賊か?」

「――た、直ちに処理します!」

 レニに一瞥された彼等は、引き攣った声で応え、逃げるようにまだ戦いの続いている場所に向かって駆けだしていく。

「どいつもこいつも、使えない屑ばかり」

 と、彼女が手酷い毒を吐いていると、鋭敏な聴覚が不快な音を拾った。

「さっさとくたばれよ、ババア。もう十分活きただろう?」

「おい見ろよ? こいつ、ずいぶんと蓄えてたみたいだぞ?」

「おぉ、これは凄いな」

「どうする?」

「聞くまでもないだろう? 戦闘が終わる前に懐に隠しちまえばいい。バレやしないさ。今回だってな」

 ……略奪に関するやりとりだ。

 前回とやらで味を占めて、大胆になっているといった感じか。

「本当にこんなものしかいないのなら、やはり皆殺しにするのが正解か」

 ぞっとするような殺意と共に、大きく振り上げたレニの右手に漆黒が宿る。

 それは雲すら突き抜けるほどに長大な剣となって、音源に向かって振り降ろされた。

 当然、悪巧みに夢中な二人が反応できるわけもなく、片方の頭上に直撃し、血の海を生み出す。

「得物がまだ薄かったか。まあいい」

「――は?」

 残った一人が間の抜けた声を漏らしている間にレニは更なる魔力を込め、剣に急速な変化を与え――それはさながらウニのように鋭利な針を無数に突き出して、残った一人の身体に無数の穴をあけた。

「国家の財産に手を出す汚物が。苦しみ抜いて死ね」

 その一言を合図に、遅れて伸びた二本の針が、そいつの両眼を串刺しにする。

 だが脳までは届かない。……いや、言葉の通りに、即死させないために届かせなかったのだ。

 血反吐を吐きながら、痛みに呻く男の声が、戦場の喧騒に追加される。

 ここではありふれているSEだ。誰も気にはしないし、彼が助かる事もない。

 その当たり前の事実に吐息を零しつつ、

「……そこか。反乱の首謀者がこそこそと、まったくもって見苦しいものだな」

 と、レニは視線を左の方に流しながら、少しだけ嬉しそうに呟いた。

 途端、世界にノイズが走りだす。

 どうやら、意識が現実に戻ろうとしているみたいだ。

 出来れば一刻も早く戻って欲しい。これ以上、戦争の狂気を見せられたって、気が滅入る以外になのもないし、それにこの先にある光景は、前の二つ以上に性質が悪いもののような気がしてならなかったからだ。

 けれど、そんな希望が叶う事はなく、悪い予感が外れる事もなく……その先にあったのは、嫌気がするほどの、救いのなさだった。


次回は三日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。

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