第五章/舞台上の生贄たち 01
オリジナルのレニ・ソルクラウはアルドヴァニアに再び降り立つ際、一つの事を決めていた。
それは、不要な人間の根絶だ。
愛しき祖国は無駄な贅肉をつけすぎた。昔は、それは国の豊かさを象徴するものだと言い聞かせていたが、裏切りを契機にその容認も潰えた。
「ど、どうしてですか? 我々は貴女様の味方です! なのに――」
目の前で、死にぞこないの男が喚いている。
この都市での内乱の首謀者だ。アルドヴァニア最大の国賊となった今の彼女なら、現政権と敵対する者同士として取り入る事が出来るとでも思っていたんだろう。
「味方というのは価値ある者の事だ。貴様たちのどこにそんなものがあると言う? この程度の戦力すら打ち崩す事も出来ない無能共。まさに贅肉だな。醜くて仕方がない」
「わ、我々は――」
これ以上雑音で耳を汚すつもりもないので男の首を斬り落として、彼女は眼を閉じる。
最初は煩かったこの都市も、ずいぶんと静かになった。
だが、まだ息遣いが聞こえる。不要な生命共の自己主張。
(……試してみるか)
倉瀬蓮に接触した事によってずいぶんと理解が進んだように思える昇華の魔法を、具現化に用いる魔力に込めていく。
ごく少量ずつだ。加減を間違えると心臓にある核にまで影響が出かねないので、此処での殺しとは比較にならないほどの集中力でそれを実行する。
そして必要十分だと判断したところで、魔力を足元から都市全体に広げ、具現化の魔法を解放した。
イメージしたのは無数の剣の山。昇華抜きではせいぜい百メートル程度を埋め尽くすのが限界だった攻撃手段の一つだ。
(…………まあ、有象無象の皆殺しには使えるか)
都市全域に数十メートルほどの高さまで伸びた巨大な剣の群れを前に、次の都市では開幕にこれを行使しようと心に決めつつ、剣山を解き、彼女は誰も居なくなった都市をゆったりとした足取りで進んで、転移門の前にたどり着いた。
ここだけは誤って傷つけないように攻撃を外していたので、特に欠損の類は見当たらない。
(道はまだ繋がっているな。悠長な事だ)
まあ、潰されていたところで、直接向かえない距離でもないので大した問題はないが、あまりの危機感のなさには眩暈すら覚えそうだった。
その憂鬱にため息を零したところで――不意に、本当の眩暈に襲われた。
最初は昇華の魔法の副作用かと思ったが、違う。
これは外的な要因だ。
異様な魔力が、これから向かおうとしている都市の方から伝わってくる。
しかも、それはどんどん膨らんでいっていて――
(――いや、違う。これは近付いてきているのか?)
「そうでなはないわ。貴女の方が近付いているの」
突然、背後から声が響いた。
まったく気配を感じられなかった事に眉を顰めつつ振り返ると、そこにはネムレシアがいた。
オリジナルのレニからすれば無能の代名詞のような小娘だ。はっきり言って軽視しかしていない存在。
だが、今の彼女は違う。
そもそも放たれた声自体が、ネムレシアのものではなかった。
「……リフィルディール、貴女か」
微かに嬉しさを滲ませた声。
かつてのレニを知っている者なら、それだけで驚愕に震えた事だろう。
明確に立場が上の者に対してすら侮蔑を露わに「貴様」と呼称するような無礼者だったのだ。それが敬意と親愛をもって誰かを「貴女」と呼ぶなど、空から槍の雨が降るに等しい異常な対応だった。まして、そこに無理がないとくれば、もはや同一人物であるかどうかも疑わしい。
紛い物のレニも感じていた事だが、オリジナルのレニもリフィルディールとの交流によってそれだけの変化を得ていたのである。
「こんな場所に来ても大丈夫なのか?」
「私は予定通りに此処に居るわ。する事は、ないけれど」
「そ、そうか。それならいいが……私の方が近付いているというのは、どういう意味だ?」
「目を閉じて、意識を済ませば、すぐに判るわ。人の感知能力は、物理的な距離に大きく左右されるものだから」
あいも変わらず、ぞっとするほどに美しい声。
つまらない御使いの身体の所為か、前に聞いたものと比べれば少し淀みがあったが、それでも、心が安らぐ。
だからだろうか、自分でも驚くほどに素直に、レニは眼を閉じて彼女の言う通りの行動を取り、
(……なんだ、この音は?)
ぞぞぞ、と下品に汁物を啜っているような音を捉えた。
直後、凄まじい揺れが大地に駆け巡る。姿勢を落とさなければ、レニであっても倒れてしまいそうなほどだった。
まるで、勢いよく引き摺られた机かなにかの上にいるみたいな――
「面白い喩え。それに的も射ている。やっぱり、貴女の勘は優れているのね。とても」
微かに微笑みながら、リフィルディールが左手をこちらに伸ばしてくる。
「……」
レニは、おずおずとその手を取り、足元から半径十メートルほどの巨大な柱を具現化させて、街全体が見渡せる高さまで上昇した。
何故、そんな行動を取ったのかは自分でもよく分からなかったが、彼女の手を見た瞬間にそうするべきだと思ったのだ。
そして、レニは地上で起きている異常を目の当たりにした。
これから向かう予定だった小都市アルノアに、大地が呑みこまれている。正確にいえば、都市の周りに発生した次元の歪みたいな真っ黒なサークルが、周囲を吸引しながら地面を粉砕していっているのだ。それこそ、大陸を縮小させる規模で。
外に出る時は、色々と異常なものに出くわすことが多いこの世界だが、それでもここまでぶっ飛んだ光景を見たのは初めてだった。
「星の内部にある核が成長を止めなかった所為で、この世界は年々膨張しているの。ノードレスはそれを制御するために生み出された装置。でも、今はただ無秩序に、世界を削るだけの存在になってしまった。彼はもう、他者にそれを気付かせずに行うという最低限の制御すら、満足にやりきれない」
この揺れが錯覚だと思ってしまうくらい優麗に佇みながら、リフィルディールは独白のように語る。
その視線を追いかけた先にあったのは、息を呑むほどの凝縮された龍という名の魔力の塊。
「神の魂も食べさせたから、それらの消化作業によって、この国を全部呑みこむほどの規模にまで拡大する事はないけれど、三つの都市の距離はなくなってしまう。……ナナントナは、そんな事も忘れてしまったみたい。だから、悠長な事を考えているのね。でも、それは年月による劣化の所為ではなく、ルベル・ローグライトの抜け殻のおかげ」
……揺れは、一分ほどで収まった。
彼女の言葉のままに、アルノアはこの都市に肉薄したところで大地の咀嚼を止め、転移門を利用する必要性を完全に奪っていた。
さらにその奥には、最終目的でもある帝都の姿もあって――
「今、全ての条件が整った」
淡い微笑をもって、彼女は仄かに甘えた声で言った。
「レニ・ソルクラウ。白陽の騎士となった貴女は、私の悲願を果たしてくれる?」
「……当然だ」
力強く、レニは頷く。
頷きながら、少しだけ握りしめていた手の力を強めた。
「よかった」
微かな安堵を感じさせる吐息。
直後、彼女の気配が消えるのを感じた。
「――ん、え?」
間の抜けたネムレシアの声。
それを聞いた途端、レニはさっと手を離し、
「いつまで寝惚けている。じきに決戦だ。先程のような無様は晒すなよ? 抜かりなく、倉瀬蓮を私に迎え入れるための準備をしておけ」
と、冷酷な声で告げてから、軽やかにアルノアに向かって跳躍した。
次回は三日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。




