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「……それは、私の質問の答えにはなっていないよ?」

 こちらと同じように鼻から溢れる血を手の甲で拭いながら、シシが眉間に皺を寄せた。

 苛立ちの感情が伝わってくる。けれど、攻撃の姿勢は見せてこない。どうやら暴力では勝てないと自分で言った事は、ちゃんと覚えているようだった。

 その点に少しだけほっとしつつ、俺はありったけの侮蔑をため息に乗せて呟く。

「可哀想な奴だね、お前」

「――」

 シシの表情が、一瞬強張った。

 狙い通り、刺さる言葉を選べたようである。掴みとして上々。素直な反応も大きな収穫だった。

 やっぱり、こいつはリフィルディールみたいな理解不能の埒外じゃない。思考も精神も人間と大差のない存在だ。ラクウェリスのようなしたたかな狂人にも劣る。だからこそ、こいつは見下している人間に見下されるなんて真似をされて怒りを見せたのだ。

 よほど慣れない経験だったんだろう。まあ、それも必然。そんなのはラハトという調教された人間を見れば明白だ。自分の傍に自分の思い通りにしからならないような奴を置いている小物に、対等という条件で他者と向き合えるような度量はないのだから。

「それ、どういう意味かな?」

「神なら解るはずだろう? 少なくともナナントナは私を知っていたぞ?」

 小馬鹿にする口調で俺は言う。

 するとシシは驚いたように、ナナントナさんの方に視線を落とした。

「どうやら、貴女に制限を掛けた者がいるようですね」

 神妙な面持ちでナナントナさんが答える。

「制限? 私にそんな事が出来る者なんて――」

 言葉の途中で、シシはその相手に辿りついたようだ。

 といっても、最初から候補なんて一柱しかいなかったとは思うけれど。

「……なんで彼女がそんな事を私だけにしたっていうの? 意味が分からない」

 受け入れがたい事実だと言わんばかりに、シシが首を振る。

 そんな半身を前に、ナナントナさんは微かに眼を細めて、

「レニ・ソルクラウは彼女の計画の核となる存在です。その状態に細心の注意を払うのを殊更不自然な事ではありません」

「これはただ複製品でしょう!? 彼女の魔法で生み出された生贄だよ! 私は、彼女と事を構える気なんてない! 無抵抗に殺されたっていいくらいに!」

 自身の胸に手を押し当てて、眼を剥いてシシは叫ぶ。

 こちらが驚くくらいの取り乱しっぷりだった。どうやら、思っていた以上にリフィルディールという存在はこの女にとってのトラウマだったらしい。まあ、その点だけは、大いに共感できる部分ではあったけれど、今、都合よく乱れてくれた精神に追い打ちをかけない理由にはならなかった。

「それは無理な話だろう。だってお前は彼女にも嫌われているんだから。殺される程度で済むわけがない」

 ため息交じりに、俺は言う。

 もちろん、これは混じり気のない本心でもあった。

「――っ、勝手に喋らないでよ! 大体私の質問になんでまだ答えないの! 早く答えろっ!」

「耳障りなヒステリー、さっそく嫌われる要素の一つが顔を出したな。そのざまで、よく他人の事が言えたものだと感心するよ。そんなお前に一ついい事を教えてあげる。さっきお前が自慢げに話していた男の話だ。レニ・ソルクラウを抱かなかった男の話」

「――」

 関心を引く話題だったようで、シシは短く息を呑んだ。

 この事からも窺えるように、こいつは女としての自分に強い顕示欲をもっている。性行為という遊びに耽っているのも、その一端だろう。……正直、この内容を口にする気はなかったんだけど、気付いていたら口から飛び出ていたんだから仕方がない。

 相手も十二分に聞く耳をもったところで、俺は言葉を続けた。

「予定調和の人形しか相手にしてこなかった惨めな女には判らないんだろうけど、男っていうのは顔と身体さえ良ければ別に誰だっていいんだよ。ヤルだけが目的ならね。そしてレニ・ソルクラウは見ての通りの器量良しだ。お前よりずっと」

「……何が言いたいの?」

 微かに震えた声で、シシが問いかけてくる。

 それと同じような疑問が胸の内側から漏れていたような気がしたが、それはとりあえず見ない事にして、俺はしっかりとした微笑を装いながら言った。

「相手との関係を大事にしている事が判る、そんな男に安易に抱いてもいいって判断されたような安い奴が、空に唾を吐くような真似をして粋がるな。この女が滑稽だって? あぁ、確かにそうだよ。本当に莫迦みたいな奴だ。でもね、それでもお前よりはずっとマシだよ。哀れで薄汚いアバズレ女。……あぁ、俺は金を積まれたって御免だね。お前みたいな汚らしい腐肉に触れられるのは」

「――人間風情が」

 表情が消えたシシから、殺意が溢れ出る。

 明確な攻撃意志。

 それを感じ取った瞬間、俺は右手に顕した槍をもってシシの胸を貫いた。

 回避の動作はなかった。戦いが得意じゃないというのも事実だったんだろう。まあ、どうでもいい事だ。

「最初から利口ぶってないでそうしてろよ。俺がやりやすいように」

 言いながら、左手を振り抜いて、抵抗の意志を見せようとしたシシの右肩を切り落とす。

 呻きや悲鳴の類はなかったが、表情が微かに強張ったところから見て、一応痛覚はあるのかもしれない。もっとも、あろうがなかろうが、こちらのする事は変わらない。

 そのまま立て続けに右手に新しく具現化した剣を横一閃に振り抜いて、両足を切り落とす。

 これで、とりあえずは無力化に成功したと言ってもいいだろうか。

 あとは、トドメの一手だけ。

 俺はゆっくりと左腕を振り上げて、シシの脳天に照準を定め――

「それ以上の行いは、止めて頂けませんか?」

 浮遊する菱形のグラの上に乗って、お互いの間に割って入ってきたナナントナさんが、やや強い口調で言った。

 どうやら庇うつもりみたいだ。まあ、これは想定内。だから大事なのはこの後だ。

「貴方がここに来た理由はなんですか? 半身との溝を埋める為? それともリフィルディールとの衝突を少しでも有利にするため?」

「それは――」

「仮に両方であったとして、貴方が今優先するのはどちらですか? ……まさか、今のやり取りを見て、まだどちらも選べるだなんて思ってはいないですよね?」

「……」

 小さなため息。

 そこに込められていたのが諦観である事を物語るように、ナナントナさんは脇に移動して見届ける立場を取った。……精神的な報復も、これで最低限は済ませたと見てもいいだろうか。

 普段は口にしない言葉やら、吐き出さない感情やらを色々とぶちまけたおかげか、少しすっきりもしたし、レニの精神も多少は持ち直したんだろう。身体に渦巻いていた熱やら寒気が消えていくのを感じる。

 その状態の変化を最後に少しだけ気にしつつ、俺はシシに向けて言った。

「本当に哀れだな。土壇場で助けてくれる相手もいない。……俺以外は」

(――っ、なにを、言っている?)

 案の定のレニの反応。

 でも、すぐに怒りを見せるのではなく戸惑いの方が強い感じなのは、悪い流れじゃなかった。


 ――同情は此処まで。今ので足りないっていうなら、それは後で清算すればいい。まあ、なんの補強もせずにオリジナルとまた戦って、勝てる目途があるっていうのなら、今させてやってもいいけどね。


 我ながら酷く嫌な物言いをしたものだけど、今はこれくらいが丁度いいだろう。

 レニは押し黙り、特に言葉を返してこない。なんとなく葛藤しているのが伝わってくる。……色々と、酷い目に合った身だ。それでなんの収穫もなしというのは彼女にとっても望ましくなくはないが、プライドがそれを許したくないといった具合だろうか。もちろん、こんなのはただの憶測だけど、黙ってくれているのならそのまま話を通すだけである。

 俺はゆっくりとした足取りでシシの元に向かい、しゃがみ込んで視線を合わせ、

「良かったね。その程度の価値はあって。――戦力になる人員を出来るだけ用意して。その程度の労力で、リフィルディールに殺される未来を避けられるかもしれないんだ。断る理由はないでしょう? ……ほら? 返事は?」

 最後の煽りは、まるで悪趣味モードに入った時のリッセが乗り移ったみたいに甘い声が出てくれた。

「……わかったよ。貴方に、従ってあげる」

 しおれた声でシシが頷く。完全な戦意喪失だ。

 これで、ひとまずこの問題は片付いたし、戦力の獲得にも成功したといえるだろう。まだまだ足りる気はしないが、それでも――


「――っ、離れてください! 早く!」


 突然ナナントナさんが叫んだ。

 本当に、それは突然の事だった。

 誰に向けられたものなのか、何から離れろというのか、まったく分からないままに俺は反射的にバックステップをして――直後、部屋の半分が消失した。

 そうとしか言えないくらいに、急襲してきた情報は速すぎた。

 理解が追い付いたのは、全てが終わった後。

 ……目の前にドラゴンがいる。

 他に思い浮かぶ名称がない巨体が、部屋の半分ごとシシを丸呑みにしたのだ。

 この身体の感知範囲の外から瞬き一つの間にこの距離まで接近したというのに、風音一つ立てずに、まるで空気の上を踏むように中空で静止したソレは、斑色の眼でこちらを見下ろして……身体が、まったく動かなかった。

 ヘビに睨まれたカエルのように、このレニ・ソルクラウの身体が、威圧感一つで為す術なく死を受け入れてしまっていたのだ。


 それが、俺がこの世界に呼ばれた最大の理由との、邂逅だった。


次回は三日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。

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