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「……貴様っ、私に、一体、なにをした?」

 舌すら麻痺したみたいに上手く動かない。

 おかげでレニはずいぶんと呂律の怪しい言葉を並べていたが、一応俺だけじゃなく、ラハトにも伝わったようだ。

「少し考えればわかる事だろうに。相変わらず人の話を聞く能力には欠けているようだな。生まれてすぐに貴様の核に刻ませた魔法陣を起動しただけだ。それが、貴様を生かしておく条件として、私が出したものだからな」

 つらつらとラハトが説明をする。

 その少し後ろにいるシシはニヤニヤと笑っている。


(――殺してやる)


 ようやく普段のレニ・ソルクラウの気性が出てきたみたいだけど、かなり手遅れだ。

 今の状況じゃ虚勢にしかならない。

「不快な目だ。それが貴様のような汚点を生んでやった実の父に向けていいものだとでも思っているのか?」

 静かな口調と共に、鼻っ面に衝撃が走った。

 膝蹴りを喰らったのだ。その衝撃で鼻血が噴き出て、ただでさえ安定的に供給されなくなっていた酸素が更に薄くなる。

「シシ、止めさせなさい」

 レニの肩から落ちそうになっていたナナントナさんが強い口調で言った。

「これは、私が指示しているわけではないよ。気に入らないなら、力尽くで止めればいい。もっとも、今の貴方には彼すら御せないだろうけれどね。……まあ、そう焦る事もないよ。どうせ模造品でしょう? 本物には絶対勝てないし、その子がリフィルディールへの対抗策になる事もない。そんな愚かな抵抗をするよりも、私は逃げる事を奨めるね。あぁ、もちろん、貴方が私と同じところまで堕ちて来てくれるのなら、それ以上に嬉しい事はないけれど」

 何処か期待に満ちた眼差しでシシは語る。

 ナナントナさんは無言だ。同調されなかったのは幸いだが、打つ手はなさそう……いや、そもそも自分がなにかをする必要はないと思っている可能性の方が高いか。

 俺の方が得意としている魔法を使えば、この手の魔法陣は簡単に自壊させる事が出来るからだ。副作用が怖いところではあるけど、理解も深まった今なら、致命傷を引くこともない。

 原因さえ見つけられれば、すぐにでも実行できる。原因が核にある事も分かっているのだから、それほどの時間もかからないだろう。

 事実、大まかな構造はもう掴めていた。そして、具現化に必要な魔力はロックされている(おかげで鎧も完全に解けてしまった)が、こちらに必要な魔力は自由に体内を行き来している。まあ、そういう魔法だ。リフィルディールという神が求める唯一無二のなにか。人の法などで縛れるものじゃない。

 だから、その点について皇帝の思惑などは絡んでいないと思う。

 絡んでいるとしたら、シシの方だ。

 少なくともナナントナさんが、出会った当初からこちらの状態やらなんやらを把握していた以上、同じ神である彼女もそうであると考えるのが自然。だとしたら、俺が魔法を使う状況をお膳立てしたと考える事も出来る。

 そんな状況で、果たして安易に実行してもいいものなのか……なんてことを悩んでいる間にも、ラハトの暴力は続いていた。

 魔力が上手く使えない所為で、それなりのダメージだ。といっても歯や骨が折れるほどじゃない。そのあたりの部位は元々魔力の密度が高いので、今のレベルの暴力で壊される心配はなかった。

 心配があるとすれば、むしろ言葉の方だろう。

「そもそも、貴様は何故此処に来た? 私を殺しに来たのであれば、問答無用で攻撃を仕掛けてきた筈だ。だとしたら本当に対話でも求めてきたのか? 気持ちの悪い話だな。血が繋がっているだけの他人が馴れ馴れしいにも程がある。増長が過ぎるぞ」

 嫌悪を露わに、ラハトは倒れたレニの頭を踏みつけながら吐き捨てる。

「……殺して、やる」

 こちらの脳裏に響いた聲と同じ、憎悪に満ちた声。

 でも、それ以上にショックに震えた声音。

「ふん、図星か。まったく、幻想とはおぞましいものだな」

「でも素敵だよ。私はそれが見れて嬉しい。あの時、貴方を止めて良かったと思うくらいにはね」

 ぴたりとラハトの身体にくっついて、シシが言う。

 その言葉によって、当時の構図が少し見えた。見えたからこそか、レニの感情が激しく揺らぐのを感じる。

「そうか。なら、許可した甲斐はあったな。後悔だけでないのなら、それで良い。……それで、もう処分しても構わないか?」

「駄目だよ。まだ貴方が一方的に話しているだけじゃない? 彼女の話も聞いてあげないと。彼女は貴方の口から、色々と真実を知りたいんだよ。きっとね」

 いっそ慈悲深い微笑をもって、シシがこちらを見下ろしてくる。

 おかげで確信できた。やっぱり、この女が全ての元凶だ。

 いい具合に、ハラワタが煮え繰り返ってくる。……でも、その熱を冷ますように、レニの方の体温は低下を続けていた。

(違う、違う……! そんな事の為に、私は――)

 断片的に届く彼女の聲。

 程なく齎される『真実』とやらに怯えているのがよく判る。

 思えば、ここまで立て続けに自身の存在を否定され続けてきた彼女だ。最初は俺に、次はオリジナルに、そして今、多分彼女にとって一番無視できない父親に。

 ……利益だけを追求するなら、俺にとってそれはけして悪い状況というわけじゃなかった。オリジナルの時とは違って、今心が折られたら不味いというわけでもないので、彼女の戦闘技術が使い物にならなくても特に問題はないし、むしろ徹底的に弱っている時こそ、人の心は支配しやすいものだから、彼女を本気で従順な駒にするのなら絶好の機会と言っても良いくらいで………………こういう時ほど、自分の中途半端さを痛感させられる。

 そうするべきなのだ。この女はミーアを傷つけた。そしてそれはこの先も拭いきれない不安として存在している。不安要素は排除するべきだし、一時の感情なんかで優先順位を間違えるなんて論外。そんな事を続けていたら、いつか必ず後悔する。

 判っているのだ。十二分に理解している。

 でも、気分じゃなかった。

 気分だなんて曖昧なもので自分の行動を決めるというのも愚か極まりない事だけど、選べそうにないのだから仕方がない。……それに、こういう奴等の胸糞悪いやり口に乗っかってなにかをするというのが、そもそも生理的に無理だった。

「……仕方がない」

 盛大なため息と共に、ラハトが口を開く。

「では、疑問に思っていそうものを適当に答えていくとしよう。やはり、このような愚物と会話をするなど不毛でしかないしな。まだ独り言の方がマシ。いや、シシ、貴女が代わりに質問してくれる方がずっと良いな。是非そうしてくれ」

「中継役がないと話せないだなんて、不器用な父親だね、ラハトは。でも、いいよ。応じてあげる。……ええと、じゃあ、そうだね、どうして貴方は彼女を生んだのかを、まずは訊かせてもらおうかな?」

「くだらない女が堕胎をしなかったからだろう。あぁ、あれは教訓になったな。用が済んだら処分する。当たり前の予防法を教えてくれた」

「では、せっかく生かした彼女の成長についてはどう感じていたのかな?」

「ソルクラウ家が上手くやったのだろう。殺してしまっても一向に構わないと命じたのだがな、手緩い事だ。まあ、おかげで貴女が喜ぶ程度の存在にはなったようだが……」

「あれ? もしかして妬いていたの? だから私に無断で刺客まで送ったのかな?」

「そ、それは――」

「別に責めているわけではないよ。そんな者に殺される程度の玩具は要らないし。その一件のおかげで、彼女はより先鋭な凶器へと進歩したわけだしね。……さて、あと彼女が聞きたそうな話はなにがあったかな? あぁ、そうだ、厄介な奴の討伐を終えた後の話かな。ここまで生かしておいたのに、何故今になって切り捨てる事にしたのか」

「別に理由などない。私が提案した事でもないしな。議会で勝手に決まっただけの話だ。対処に困る脅威がなくなった今、誰もレニ・ソルクラウには生きていて欲しくなかったのだろう。事実、反対する者は一人もいなかった。あぁ、あれには私も少し驚いたものだ。まさか、あそこまで人望というものがないとは思ってもいなかったのでな」

「……貴様らが、全部仕組んだことだろうが!」

 血を吐くような怨嗟が声となって、レニの口から零れた。

 同時に、涙が頬から零れる。国家というものに偏執的な感情をもっている彼女にとって、国の重役全てから切り捨てられたという話は、それほど受け入れがたいものだったみたいだ。或いは、人望のなさという言葉が、実のところ一番刺さったのかもしれないが、なんにしてもその言葉はレニを傷つけるには十分すぎるもので……それを吐いたラハトという男は、そんな彼女を前に嫌悪を露わに吐き捨てた。

「まさか自分に暴力以外の価値が一片でもあると思っていたのか? おぞましい自意識だ。あぁ、だからこそ、貴様は一人きりで生きて、独りきりで死ぬのがお似合いなのだろう。私が手を下すなど、寛大が過ぎたな。今なら他の者でも十分やれるのだし、それで良いか」

「そうだね。それが一番正しい結末なのかもしれないね。用済みになったゴミはポイッと捨てるのが自然――」

 と、そこでシシは甘く妖艶な面構えを急に崩して、

「ふ、ふふ、あははは! ……あー、もうダメ。澄まし顔を維持できないよ。なにその顔? 不細工にも程があるでしょう? 鼻水まで垂らしてさ。本当、最高だよ。最高に滑稽だ。滑稽、滑稽!」

 と、眼を剥いて声を張り上げた。

 それから、ケタケタとお腹を抱えてひとしきり笑ったあと、嗤いすぎて目尻から零れた涙を拭いつつ、

「私は、貴女を結構な時間見ていた。誰よりも特別で、傲慢で、冷徹で、世界の全てを一人でどうにかできるって顔をしていた英雄を見ていた。格好良かったよ。どこまで上り詰めるのか、期待でいっぱいだった。それがなに? まるで強姦にあった夢見がちな生娘のような目をして。――あぁ、ごめんごめん。貴女はまだ生娘だったね。その価値すらなかったんだった。だって、抱かれもしなかったんだものね。私の事は貪欲に抱いたあの男にも」

 と、どこまでも優しい声で言う。

 最後の言葉はラハトにとっても無視できないもののように思えたが、反応はなし。どうやら都合の悪い発言は全て聞こえないままのようだ。……いや、そうじゃなくて、もしかするとそんな真っ当な感情すらないのかもしれない。というか、正直なところ本当に自分の意志で喋っているのかすら怪しくて、俺から見たラハトという男はもう人形に等しいなにかでしかなかった。

 それを、レニも感じたのかどうかは知らないけれど、

「う、うぅ、ぐぅぅ……」

 と、彼女はついに啜り泣きを――歯を折れるくらいに食いしばっても抑えきれないくらいの胸中を晒してしまう。

 はっきりいって、最悪の光景だ。

 だというのに、そんなものを前にシシは恍惚とした表情で呟いた。

「……あぁ、愉しかった。時間を掛けた遊びが終わる寂しさも込みで、最高の娯楽だったよ。ありがとう、レニ。だから最後に慈悲を上げる。男を教えてあげるよ。それで仕上げだ。ラハト、父親としての最後の務めだよ。愉しませてあげるといい」

「――」

 あまりに狂った発言に、レニの息が止まる。

 だがラハトは「あぁ、そうだな」と淡々と頷き、レニの髪の毛をつかんで、ベッドの方に放り投げた。

 突然の事に対処できなかったか、ナナントナさんが床に落ちる。

 そちらの方に視線を落として、シシは言った。

「ナナントナ、私は貴方に手を貸せない。でも、壊れた玩具くらいは提供してあげる。ほら、見て? あと一押しで簡単に精神支配が成立する素敵な状態だ。思う存分使い潰して、リフィルディールとの戦いに活かしてやってあげるといい」

「や、やめろ、……やめてっ……!」

 レニの拒絶など気にも留めずに、ラハトが覆いかぶさってきた。

 瞬間、迷っている全てがどうでもよくなった。だって、レニの事など抜きに、こいつらは殺しておくべき害悪だと俺の人生観が叫んでいたからだ。


「――見つけた」


 今この身体を無力化している、おぞましい悪意の根源。

 副作用への畏れなど、今有る感情の前には歯止めにすらならない。

 躊躇いなく、魔法を起動する。

 どくん、と心臓が跳ねる音。

 血流が急速に早さを増し、視界が明滅する。……だが、それだけだ。少なくとも今は。

「……人の身体に気安く触るなよ。ケダモノが」

 身体の自由が戻ったと同時に、レニから全ての主導権を取り返して、右腕を思い切り振り払う。加減するという意識はまったくなかった。

 これが一般人だったら、きっと上半身が赤黒い液体に変わっていた事だろう。幸いな事にラハトはそうではなかったようで、床に勢いよく頭をぶつけて、床に穴を開ける程度で済んだようだけど。

「――え?」

 間の抜けたシシの声。

 これはまったく想定していなかったらしい。という事は、俺の存在をこの女は把握できていなかったというわけだ。

 それが何故かは、今は置いておくとして、とりあえず手駒を使って蹴飛ばされたお礼をまずはしておこうと、俺はベッドの上からシシの足元に向かって魔力を走らせながら、自らの身体も軽く踏み込ませ、間合いに入ったタイミングで具現化させた刃によって両足首が切断されて倒れるシシをゆっくりと見降ろしながら、その顔面に目掛けて爪先蹴りを叩き込んだ。

 残念ながら、それは紙一重のところで両腕によって防がれてしまったけれど、まあ両足は潰せたので物理的なお返しとしては十分だろう。

「……貴方、誰?」

 凄い速度で両足を再生させながら距離を取り、壁に背中を預けてなんとか姿勢を取り戻したシシが問いかけてくる。

 それに対して、俺は垂れる鼻血を服の袖で拭きながら少し悩んだのち、でも、きっとこれが一番、目の前で悦に浸っているゲスを叩き潰すのにふさわしい返しになるんだろうと、ため息交じりにこう答えた。

「味方だよ。愚かで傲慢で胸糞の悪い英雄だった女の、ね」


次回は四日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。

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