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「……以上が、ヘブラスカの現在の状況となっております」

 やけに強張った口調を最後まで引きずったまま、目付け役の男の説明が終わった。

 レニ・ソルクラウとの戦争を契機に反抗の意志を明確に示すようになったその都市は、かつてレニ・ソルクラウが洗礼を受けた都市でもある。つまり、自らの特異な魔法とその絶対的な価値を世界に証明した場所というわけだ。ある意味で、彼女の人生において最も重要なターニングポイントだったとも言えるだろう。

(皇帝陛下と誰とも知らない女性の間に生まれた子供、か。皇族が不倫だなんて、前代未聞もいいところね)

 都市の説明ついでに齎された衝撃的な情報をゆっくりとかみ砕きつつ、ミーアはヘブラスカに向かう特車の座席に身を預けて、窓越しに高速で流れていく外の景色に眼を向ける。

 ヘブラスカの転移門は現在機能停止しており、隣街(というほど近くもないが)であるターンナバウからのを経由しての移動が最短のルートとなっているのだが、到着までにはまだしばらくかかりそうだった。

(……それにしても、意外と乗り心地は良いものなのね。この特車というものも)

 特攻戦技車両という正式名称をもつそれは、名前の通り都市から都市への強行突破に用いられる装甲車だ。

 基本的に早期制圧が必要な場面においてのみ使用が許可されており、一切の回り道をせずに最短ルートで目的地に向かう性質上、搭乗者には遺言を書く事が推奨されている。

 目付役の彼――たしか名前はマノフ・デオンだったか――も、おそらくその性質を知っているからこそ、緊張に緊張を重ねているんだろう。

 昔なら、そこに何も思わなかっただろうし、このまま無言を徹して景色だけを眺めていたところだけど……なんだろう、ちょっと気まずい。

 元とはいえ同輩だし、やはり少しは緊張を解してやった方がいいのだろうか? 

(レニさまなら、どうするかな?)

 考えるまでもなく、彼女なら場の空気を整えていた筈だ。

 だったら、自分もそれをやれる人でありたい――という事で、極めて不慣れではあるが、ミーアはマノフに声を掛ける事にした。

「どれだけ警戒をしていようと死ぬときは死にます。ですが、逆を言えば、魔域の魔物と出くわさない限り心配するほどの脅威はないとも言えます」

 そしてマノフの話を聞く限り、この進行ルートに魔域はない。

 もちろん、準魔域と言っていいラインにまでは踏み込むことにはなるが、本物の化物が出てくる心配は薄いだろう。仮に出てきたとしても数体程度が限度で、それくらいならおそらく対処できる。だから、大丈夫だ……と伝えてみたが、あまり効果はなかったようだ。

「そ、そうですよね。……はい、それは十二分に理解しております」

 俯いたままにマノフが強張りきった声で答えて、またも沈黙が過ぎった。

 お互い必要な話題を消化しきって、もう喋る事もなくなったと言った感じ。まあ、それはそれで別に構わないのだが、正直徒労感はぬぐえない。せっかく慣れない事をしたのだから、少しくらいは成果が欲しかったのだが――

「――あ、あの! ルノーウェル様は、普段どのような訓練をしているのでしょうか?」

 意を決したように、マノフが声を張り上げた。

 こちらとしては、かなり突拍子のない質問である。それに眉を顰めると、彼は慌てて、

「あ、いえ、その、なんと言いますか、私はまだまだ執行者としては未熟な部類なので、少しでも参考に出来ればいいなと言いますか、単純に歴代最高と謳われたルノーウェル様がどのように強さを追求していたのか興味があるといいますか、あの稲妻の一太刀の美しさが忘れられないといいますか……」

 ごにょごにょと、連ねるたびに小さくなっていく言葉を並べ立てた。

 最後の方はろくに聞き取れなかったが、どうやら色冠だった頃のミーアの戦いを見たことがあるらしい。

(そういえば、一度だけ施設内で人を斬った事がありましたね)

 ミーアがその立場にある事に不満を抱いた者が、一騎打ちを申し込んできたのだ。

 たしか、三番か四番目くらいの序列に位置していた人物だったと思う。顔はもう覚えていない。

 覚えているのは、どういう酔狂か司祭がその方式での序列の変動を許可したという事実だけだった。彼に限って私的な理由ではないと思うが、だとしたら政治的な理由か、或いは他にも多くの者がミーアに不満を抱いていて、それを黙らせる手っ取り早い手段として用いたのか……まあ、なんにしても、それ以降ミーアに突っかかってくる者がいなくなったので、ミーアにとってもあれは必要な手間だったんだろう。

(でも、そうか、この人は私が色冠に抜擢された頃からいるのね)

 だとしたら、最低でも五年は務めている事になる。

(五年、か)

 恐ろしい事に、その時の記憶は決闘で打ち破った者と同様にまったくといっていいほど思い出せない。もちろんそれは記憶喪失というわけではなく、司祭に命じられ誰かを殺すという繰り返し以外に、思い出がないためだ。

 仕事場で司祭以外の誰かと喋るようになったのは、色冠になってから二年か三年後の事で、そう考えれば本当に昔の自分は狭い狭い世界で生きていたのだという事がわかる。

 今となればぞっとする話だけど、これから先はそのぞっとする感覚の方が必要なのかもしれないと思うと、少し不安な気持ちになった。

 果たして自分は昔のように戦えるのか。いや、それ以前に、心臓の空白を埋めてくれた新しい核は、本当に失った力と同等のものなのか。

(――それを試すのに、都合のいい相手ならいいのだけど)

 胸に手を当てて、核の波長に向けていた意識を外に戻す。

 高速で進む特車の側面から、それ以上の速度で迫ってくる気配。相当に上手い魔力制御だ。

(彼はいつ気付くかしら?)

 それを確かめるのも悪くはないが、相手が相手だ。

 そろそろ臨戦態勢に入らなければ不味いだろう――と、感覚を切り替えようとしたところで、対面に腰かけているマノフの表情が強張った。

 思っていたよりも早い察知。司祭が抜擢しただけの事はあるという事か。正直、戦闘能力に期待は出来ないと思っていたのだが、補佐の方では十二分に役立ってくれそうだ。

「どうしますか?」

「迎え撃ちます。援護を」

 特車の天井にある分厚いハッチを開いて、外に顔を出す。

 迎えてくれたのは見渡す限りの荒野と灰色の空。そして、車内には届かなかった無数の泡が弾けるような音だった。

 大地が液状化していたのだ。

 その元凶は、高速でこちらに迫ってきていた飛行するイカのような生物。全長は大体十メートル弱で、地表すれすれを飛翔している。

 触手から放出されているのは尿かなにかだろうか。それが、大地をこのように変貌させているのだから、体液全般に細心の注意を払う必要がありそうである。

(皮膚の方はどうだろう?)

 今履いているブーツは市販品だ。せいぜい持ち合わせている特性は耐水性くらいだろう。よってイカを足場にする事も出来そうにない。

(敏捷性次第では、厄介な事になりそうね……)

 とりあえず、懐に揃えているナイフを一本、投擲してみる。

 狙いは顔から半分ほど飛び出ている巨大な目玉。技術自体はそれほど落ちていないので軌道は上々。速度の方も、トルフィネのミーアしか知らない者からしたら目を疑うほどの速さが出ていた。

 が、イカに類似した魔物はそれを左に急速移動する事によって難なく回避してみせる。

 翼種の類とは決定的に違う、異様な動き。

 触手から出ている紫色の液体ではなく、透明な液体を胴体部分から超高速で放出する事で、急激な移動変化を行ったのだ。

 想像以上に面倒そうな相手。ここで足を潰されても手間だし、全力を出す必要がありそうだ。

 そう決意をした瞬間、警鐘のようにラガージェンの言葉が思いだされた。

『それはお前さんの核を複製したものだが、私が拵えたものだ。なにが言いたいかというと、レニ・ソルクラウの器と違い、本物になれるほどの存在ではないという事だな。この核は強度に欠陥を抱えている。要は使用回数に制限があるというわけだ。使い方にもよるだろうが、全力で戦えるのは三回だと覚えておくといい』

(……そして限度を越えたら核は砕け散り、その破片が心臓に突き刺さる、か)

 なんとも大きな代償だが、既に受け入れた現実でもある。

 そもそも戦うべき場面で臆すような精神など、軍貴の血であるミーアにはない。

 腕だけに込めていた魔力を、全身に充足させていく。

「――っ!」

 久しぶりだからか、魔力の制御が少し乱れたようだ。臨戦態勢時の余波がマノフにまで届いてしまった。

 本来なら謝罪の一つでもしておく場面だが、込み上げてきた高揚感がそんなものは後にしておけと、敵の打倒と自らの存在証明こそが今はなによりも優先するべき事項だと囁いてくる。

 まったくもってその通りだ。今、余計な思考は要らない。

 バチッ、バチッ、と周囲に響く空気の悲鳴を大きくさせながら、ミーアは銀色の雷光を纏っていく。

 その光と並ぶ速さに倣うように、時間が凝縮されていく感覚。

(……あぁ、本当に、私はかつての私の力を取り戻したのね)

 懐かしいに目を細めながら、ミーアは特車の上に立ち、大きく息を吸い込んで――無呼吸の内に終わる、気が遠くなるほどに永い一秒間の戦闘を開始した。


次回は三日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。

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