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13

 また、あの世界の終焉のような場所に帰ってきた。

 嫌でも肌が泡立つ、最悪の空気。

 もちろん、それ以上に最悪なのは、ここには倉瀬蓮という魂が鎮座しているという事実だが……

「……無様だな」

 どうやら煩わしい言葉に悩まされる事はなさそうだと、地面に転がっていた彼を前に、レニは乾いた呟きを零した。

 まったくもって酷い有様だ。四肢が欠損していて、身体中血塗れで、耳を澄まさなければ聞こえないようなか細い呼吸で、全体的に自分よりずっと深刻で……でも、それがこの男が背負った負担なのだと思うと、強い言葉を吐き捨てる事は出来なかった。罵声を浴びせる絶好の機会だというのに、気が引けたのだ。自分では、こんな状態になるまで痛みを引き受けて、その上であの扱いにくい魔法を維持する事など不可能だとすぐに判ったから。

「……」

 当然と言えば当然だが、倉瀬蓮からのレスポンスはない。

 いつ消えるかわからない浅い呼吸だけが、この静か過ぎる世界に繰り返される。

 それが、不意に止まった瞬間、酷く嫌な感じがした。

「……おい、間違っても奴を殺すまで死ぬなよ? 私との契約を違えるな。…………黙っていないで、なにか言え。私を――」

 不安にさせるなと、漏れそうになった言葉を慌てて呑みこむ。

(愚かしい。こいつはおぞましい敵だぞ。今だけ、特定の状況だけで役に立つ駒に過ぎない。間違っても心など許すな。私は一人でいいんだ。私は一人で十分なんだから)

 強くそう言い聞かせて、レニは胡坐をかいていた状態を止め、仰向けに倒れた。

 そして燃えている星々を少しの間見つめてから、目を閉じる。

 倉瀬蓮ほどじゃないが、こちらも相当な重傷なのだ。回復には眠りが不可欠。

 願わくば、目を覚ました時、忌々しい軽口が届けられる事を祈りつつ、レニはゆっくりと精神を弛緩させていって――


「――っ、ぐぅ」

 物理的な痛みと共に、目が覚めた。

 感覚のない四肢が激しいもどかしさを齎してくれる。

 視線を彷徨わせると、深海の中のような部屋と、見知った誰かの死体が迎えてくれた。

「覚醒を、確認。覚醒を、確認」

 頭部と上半身の大半を失っていたその死体の傍らにいた小さな結晶体が、機械的な音声を繰り返す。

 煩わしい音だ。衝動的に壊してやりたくなる。が、そんな事に回せる力など、今のレニにはない。

 まずは止血だ。血を止めなければ死んでしまう。

(……意識を失っていたのは、大体二、三分程度か)

 床に広がっていた血液の量からそう判断しつつ、処置を済ませる。

 次いで、欠損部分を具現化で埋め立ち上がろうと試みるが、足に力が入らない。

 まあ、とりあえず危機は脱したと見てもいいので、すぐに動ける状態を作る必要はなさそうだが……

「状況を説明しろ。事と次第によっては、無事では済まさないがな」

 と、レニはずいぶんと小柄になってしまったグラに要求した。

 しかし、グラは答えない。

 居心地の悪い沈黙が続く。

 それに業を煮やし、本当に破壊してやろうかと左腕を凶器に変えたところで、

「彼女の目を掻い潜ったつもりだったのですが、どうやら逆手に取られてしまったようですね。貴女と一緒にやってきたらしい人物を感知できなかった」

 と、結晶体からナナントナの声が響いた。

 正確に言うと、結晶体の菱形の頂点の位置から、空気を伝ってそれは届けられた。

 その箇所を凝視したレニは、微かな驚きに眉を顰める。

 菱形の突起にぶら下がるように、そこには掌で包めるほどのサイズの小人と化したナナントナの姿があったのだ。存在が不安定なのか若干透けていて、心臓の部分に小さな核をちらつかせている。

「おかげで、核の大部分が破壊されてしまいました。万が一の保険として欠片をこの子の身体に預けていなかったら、劣化を余儀なくされていた事でしょう」

 微かに目を細めて、ナナントナは結晶体を撫でる。

「劣化とはなんだ?」

「言葉通りの意味ですよ。能力も、役割も、自我も、なにもかもが生前よりも劣った存在となる事。つまりは神としての存在意義の欠損です。多くの神が、彼女によってそうなってしまいました」

 その背景があるからこそ、ナナントナは万が一に備えていたという事のようだ。まあ、その割には紙一重もいいところの生還だが。

「それよりも、酷い怪我ですね。治癒師が必要でしょうか?」

「見てわからないのか? それとも、人間一人の治癒すら今は満足に出来ないほど弱っているという、遠まわしな自己申告か? どちらにしても使えない神だな」

「ごもっともですね。……では、代わりに一つ情報を提供しましょう」

 微苦笑を一つ見せてから、ナナントナは少し言葉を選ぶような間をもって言った。

「私の大部分を殺したルベル・ローグライトは、シシを標的にしています。そしてシシは今も、王宮にいます。貴女の実父であるラハト・エイル・アルドヴァニアの傍に」

 突然出てきた忌々しい名前に、心臓が跳ねる。

「……それは、どういう意味だ?」

 嫌な想像が駆け巡った所為か、問い掛けは震えていた。

 そんなレニに淡い笑みを浮かべてから、ナナントナは部屋の外の深海に目を向け、

「オリジナルのレニ・ソルクラウはひとまず休息を取る事にしたようです。彼女にとって今の帝国を白紙にする事など、造作もないでしょうからね。急ぐ理由もない。そして彼も、先程の戦いの影響でしばらく目を覚ます事はないでしょう。つまり、今だけ、貴女は完全な自由を手に入れた」

 そこで、視線をこちらに戻して、

「どうしましょうか? この子の得意分野は空間転移ですから、帝都まで飛ばす事は今の状態でも可能ですが」

「……」

 開かれた空間――帝都への扉を目の前に、レニは息を一つ呑み、まるで誰かに手を引かれるように、そちらに向かって覚束ない足を踏み出した。


次回は四日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。

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