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――不意に、痛みが途切れた。
傷が治ったわけでもなく、熱が消えたわけでもないのに、痛みだけが消失したのだ。
同時に、脳裏を埋めつくしていた忌々しい過去の記憶も、波に攫われるように遠ざかって行って、代わりに倉瀬蓮の聲が聞こえてきた。
――っ、これは、なかなかにシンドイな。
こちらに向けた言葉じゃない。独白のようなものだ。
どのような意図なのかは判らない。今まで、そのような漏れはなかったから、きっとなにか意図はある筈なのだが……
「――っ!」
疑問を抱くことを良しとしないように、オリジナルの斬撃が鼻先を掠めた。
痛みで反応が鈍ったままだったら、骨まで届いていた事だろう。
その恐怖に冷や汗を覚えつつ、レニは回避をしながら義足になった右足を思い切り振り上げ、オリジナルの顎を打ち抜いた。ずいぶんと綺麗に入った。
兜によってその顔を拝む事は出来ないが、驚きが伝わってくる。
(確かに、私が相手なら驚くか)
大したダメージにもならないのに、傷付いている箇所を更に傷つけるなんて、レニ・ソルクラウがする事ではないからだ。
まあ、それが分かっていたからこそ行った奇襲であり、確認でもあったわけだが、やはり痛みはない。あまりの負荷に耐えきれず、感覚が麻痺してしまったんだろうか。
そんな事を思ったところで、
――ぐぅ、つぅぅ……この状態で、出来るか?
と、倉瀬蓮の呻き声と共に、不安げな声が届けられた。
どうやら、向こうは明確に痛みを感じているようだ。だとすれば、こちらが無痛なのは、倉瀬蓮の所為という事になる。
激痛とトラウマの所為で蓮の言葉をまったく聞き取れていなかったレニは、そこでやっとその事実に気付いたのだ。気付いて、悔しさと安堵という相反した二つの気持ちを抱いた。
(異物が、余計な事を……)
――もう、平気みたいだね。それじゃあ、元に戻そうか?
(や、止め――)
――冗談だよ。立ち直りが早いのはいい事だ。その状態なら、まだ粘れるよね? こっちとしてはやっぱり、向こうが仕掛けてきたタイミングで勝負をしたい。じゃないと、あの守りを崩せるとは思えないしね。だから君は、目の前の敵をもっとイラつかせて。効果的なやり方は判るだろう? 自分の事なんだから。
(貴様の方が、得意だと思うがな)
――あまり時間は掛けないでね。君ほど弱くはないけど、俺も、そんなには耐えられないそうにない、から。
語尾が少し震えていた。
でも、それ以外の部分は落ち着き払っていて、つくづく理解出来なかった。レニの分の痛みまで引き受けていて、どうしてそんな風に居られるのか……?
(……なんにしても、猶予は出来たということか)
まずは深呼吸を一つして、相手をよく見る。
再構築が間に合わない箇所が多くてボロボロなこちらの鎧と違って傷一つない。強度の低下も皆無だ。
レニの剣だけで損傷を与える事は出来ないだろう。相手の剣と同じ強度が必要。それはつまり、鎧に割いているリソースをそちらに回す事を意味する。
(こいつは、どこを犠牲にしている?)
数ヶ月という期間によって技術に多少の開きは出ているが、魔力の総量自体には差がないのだ。
なら、目の前の忌々しい女も、必ず防御面の一部を捨てていなければおかしい。
前面部は考えにくい。手を抜けるとしたら背後、かつ仮に突破されても致命傷にならない箇所だ。頭部や脊椎周り、足や腕は必然的に除外されるので、それ以外。
濃厚なのは、脇腹付近だろうか……その辺りを意識して敵の鎧の密度を観察し、その読みが正しかった事を確認する。
確認して、相手が相当に前のめりだったという事にも気付けた。
下手をしたら、素手でも十二分に突破できるほどの脆弱性。
とはいえ、この敵の背後を取るのはほぼ不可能に等しいだろう。反面、片足を失っている今のレニの背後を取る事はそれほど難しくないので、真似をしたところで同じリスクになる事もない。
可能性の低い背後攻めを取るか、この相手に防御の価値を落としてこちらも攻撃に傾けるか、或いは剣を捨てて防御に専念するか……。
逡巡の後、レニは剣を消して、その分を左腕の防御強化に当てる。
「――愚か者が」
凄まじい衝撃と共に、義手の大部分が粉砕された。
攻撃の瞬間に、鎧の使っていた魔力を全部剣に回してきたのだ。まだ残っている肘から上の肉にまで届かなかったのは、奇蹟と言っていいほどの一撃だった。
(こいつ……!?)
驚愕が全身を駆け抜ける。
肉を簡単に裂ける力をもった相手に素肌を晒すなんて、とてもじゃないけどレニ・ソルクラウの行いじゃない。先程自分がとった行為以上の暴挙だ。……でも、目の前にいるのは紛れもなく本物で、技術的なもの以上に、戦いの幅に開きが生じている事を痛感させられる。
その屈辱に歯噛みをしつつ、レニは即座に足元から剣山を具現化した。
それは、さすがにこのタイミングなら鎧の再構築よりも先に届くだろうという直感から来た攻撃だったのだが、オリジナルは瞬き一つに満たない速度で防御を完成させながら、一切遅滞することなく、返しの刃を放ち――耳を劈く激しい金属同士の衝突音と共に、レニの意志とは関係なく再度具現化されていた左腕が、それを受け止めた。
――別に殺してもいいって感じなってきたね。今のタイミングで同時に使えたら、刺せたかな?
倉瀬蓮の聲。
(また勝手に――!)
殆ど条件反射で反発を抱くが、彼がレニの代わりに具現化を使ってくれていなかったら、間違いなく死んでいただろう。
「今のは間に合わないと思ったが、まったく成長していないというわけではないようだな。或いは、もう一人の力添えによるものか。なんにしても気持ちの悪い話だ」
そう呟いて、オリジナルは大きく距離を取った。
そして、鎧を霧散し、簡素な黒のシャツとズボンを露わにして、
「いいだろう。他に選択がない状況を、私がくれてやる」
その言葉と共に、彼女はラガージェンが『昇華』と表したもう一つの魔法を起動させた。
鎧を消したのは、具現化との併用を最小限にするためだろう。つまり、フルで使うつもりという事だ。
――こっちも使う。振り回されないようにね。
こうなる事を読んでいたのか、やけに落ち着いた倉瀬蓮の聲が届いた直後、時間の流れが変貌する。
全てが止まっているかのような超感覚。その中で自然に動ける、圧倒的な身体性能。
レニが使う時のような強い拒絶感はない。
そのおかげだろうか、不思議なほど軽やかに相手の接近に反応する事が出来た。
振り下ろされた剣を受け流し、体勢が崩れたところに斬撃を返す。
手応えはなし。しかし、敵の回避はレニ・ソルクラウとは思えないほどに無様だった。これなら追撃出来る。
(行くべきか? いや、だが――)
元より一つの動作に全てを賭けるような魔法なのだ。連続した行動は未知の領域だし、危険すぎる気もする。
そんな逡巡にレニが足を引っ張られて間に、オリジナルは躊躇なく魔法を継続して、再度攻撃を仕掛けてきた。
埒外に速く、桁違いに強いが、フェイントも緩急もないあまりに直線的な突き。
これなら問題なく躱せると、最小限の動きでそれを実行しつつ、レニはすれ違いざまに右手に顕した細剣を振り抜いた。
残念ながらタイミングが合わず手傷を負わすには至らなかったが、服に切れ目を生み出す事に成功する。もう一度機会があれば、今度はやれそうな手応え。
(……もしかして、勝てる、のか?)
どれだけ強がろうとしたところで拭いようがなかった、勝機なし、という現実。
それがここで初めて、揺らぎを見せた。マイナスの方が圧倒的に強かった倉瀬蓮という存在が、初めてプラスに傾いたのだ。そして、それはレニの人生において二度目の経験だった。
自分を裏切った、あの男以来の。
次回は四日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。




