09
「何一つ遜色のない姿に、魔力の色、そして劣化しか見えない気配の緩さか。……吐き気がするな。紛いもの」
性別を隠すようにくぐもった声が、漆黒の鎧を身に纏ったオリジナルのレニ・ソルクラウから漏らされた。
言葉の内容に比べれば、感情に乏しい音。
でも、だからこそ、背筋が震えあがる程の凄味があった。
それに気圧されながらも、レニは腹に力を込めて言葉を返す。
「これから死ぬだけの奴が、よくもまあ嘯けるものだな。まずはその舌、切り落としてやろう」
若干、語尾が震えていた。心構えが、まだ出来ていないのだ。
その揺らぎを嗅ぎ取ったのか、
「止めろ。これ以上私の姿で無様を晒すな」
と、嘆くようなため息と共に、オリジナルのレニは右手に黒剣を具現化した。
みしみしと音を立てそうなほどに凝縮された魔力。
一目で俺とはレベルが違うのだというのが判った。同時に、レニよりも研ぎ澄まされている事も。
正直、想定の遙か上にある差だと感じた。勝てる勝てない以前に、戦いになるのかどうかも怪しい。
なら、重要になってくるのは、ナナントナさんの力量となるわけだけど――
「どうやら、リフィルディールは貴女に大きな変革を与える事はしなかったようですね。些末な変化。これなら、大きな問題にはならないでしょう」
すぅ、と視界の隅に入ってきた人の頭ほどの大きさの菱形の結晶から、そのナナントナさんの声が響く。
やや遅れて、こちらを追ってきたそれは、
『ナナントナ様、目標の指定を。目標の指定を。目標の指定を』
と、機械的な音を続けて放ちながら、肌をびりびりと叩くほどの強烈な魔力を纏いはじめた。
「グラ、急かさないで。今考えているところなのですから。……そうですね、とりあえず追い払う事が出来れば上々です。それ以上は、状況によって貴方が決定してください」
『……決定。決定? ……つまり、制限なし。……制限なし?』
「ええ、そうです。根絶やしにしても構わないという事ですね。あぁ、でも、彼女たちの害になるような事は出来るだけしないように。間違っても、敵と間違えないでくださいね」
『間違える? 間違える? 識別機能に問題なし。誤殺の可能性は低』
機械音声は淡々と不穏な言葉を残す。
おかげで、焦りと苛立ちが胸の内に広がっていく。
それを察知してか、
「私が生んだ管理者は戦闘能力に特化させ過ぎた所為か、ラガージェンなどと比べて意志疎通が難しいですが、その分忠実に設定されています。なので、貴方が望む、どのような役でもこなしてくれるでしょう」
と、フォローの言葉を並べてきた。
――どうする?
戦うのはレニなので、一応訪ねておく。
(私の要求にすぐ応えられるように、魔法を使う準備をしておけ。……忌々しい話だが、一人では難しい相手だからな)
ひとまず、機械音声を放つ結晶体の事は、完全に無視することにしたようだ。
そんな者に気を遣う暇などないという事なんだろう。だったら、補佐に徹底させるのが吉かと、レニの代わりに俺が答えておくことにした。
その間に、レニは全身を鎧で包み、鏡合わせのような状況が完成する。
「鎧の質だけは同程度か。まあ、元よりこれ以上の先もなし。その一点だけが停滞しているのも仕方がないのかもしれないが……まあいい」
どういうわけか大人しく待ってくれていたオリジナルが、ゆらりと姿勢を落とし、左腕を盾にするように高く動かし、右手を腰の位置に落として居合めいた構えを取る。
対するレニは右手に顕した大剣を大上段に、左腕を心臓を守るような位置に置いた。
「では、行くぞ? すぐには死ぬなよ?」
どこか愉しげで、同時に不機嫌そうでもある声と共に、オリジナルが地を蹴った。
瞬き一つの間をもって、三十メートルはあった猶予が消し飛ぶ。
「――ぐっ!」
横一閃の斬撃。
凄まじい衝撃に手首が痺れ、防いだ剣が刃こぼれを起こす。
体勢こそ崩されはしなかったが、立て続けに放たれた連撃をそれで受けるのは不味いと判断してか、レニは左腕で受け止め、反撃の斬撃を放った。
オリジナルはそれを避けも防ぎもせずにそのまま受け止め、左手に巨大な三本の爪を具現化して真下から振り上げる。
咄嗟のバックステップ。完全には躱し切れず、鎧に爪痕が刻まれる。
「――」
ぎりっ、と歯が軋む音が頭の奥にまで響いた。
激しい怒り。……ただ、その対象はオリジナルではなく、もしかしたらレニ自身なのかもしれない。なんとなくそんな事を思いながら、こちらも言われた通り魔法の準備を始める。
といっても、この魔法は一瞬で起動できるものなので、準備というよりは使い道の模索という方が正しいだろうか。
今のところ、自身に用いるという選択はない。手の内を知られている以上切り札としては弱いうえ、現状、相手はそれだけ警戒していればいいからだ。そんな状況で徹るわけもない。だから、別の何かに使うというのがセオリーになってくるんだけど、果たしてオリジナルはそちらの方面に対しても、どの程度の想定が出来ているのか。
ラガージェンが懇切丁寧に情報提供していたらさすがに厳しそうだけど、あの振る舞いからして、オリジナルの事も試そうとしている節が見受けられる。まったく勝機がないとは言えない筈。……まあ、その希望的観測に賭けるしかないのが辛いところなんだけど――
『行動の詳細設定、完了。完了。これより援護を開始する。開始する』
戦いが始まってから体感で十秒弱、特になにもしていなかった結晶体――たしか、グラだったか――が、その身をぶるぶると痙攣させ、四つに分離した。
形は全部同じ菱形で、大体拳くらいの大きさだろうか。それが不規則に飛び交って、尖った部分をオリジナルに向け、目も眩むほどの派手な魔力の砲撃を撃ちだす。
四連続で響く、凄まじい爆発音。
炎と光、そして雷を混ぜ合わせた暴力だ。
レニの鎧は敵の攻撃に合わせて構造を変えて最大限強さを発揮するものなので、こういう複合された魔法にはそこまで絶対的な性能を発揮する事は出来ない。
加えて、威力自体も爆音に勝るとも劣らないもので、
「……小賢しいな、貴様」
と、オリジナルに不快を与える程度の効果はあったようだった。具体的に言えば、鎧に微かな罅を生むことに成功していた。
小さな瑕疵だが、突破口としては十分。そこにタイミングよく攻撃を当てる事が出来れば、手傷を負わす事も可能だろう。
(思ったよりは使えそうだな。おい、あれの性能に行使しろ。対応される前に仕留めるぞ)
やや弾んだレニの聲。
確かに、それは有効かもしれない。が、強いる代償を考えると安易に頷く事は出来なかった。あの魔法は対象に激しい負荷を与えるものだ。もし、それによってグラに致命的な問題が発生した場合、ナナントナさんと敵対関係になる可能性がある。
いや、それ以前に、こういった考えが既に想定されていて綺麗に躱されてしまった場合、この数的優位すら手放してしまう恐れがあるのだ。今、そういったリスクを犯してまで取る行動とは思えない。
それよりも、オリジナルに直接触れた瞬間に、心拍数であったり血流であったりに干渉してやった方が、決定打になりそうな気がする。もちろん、それはそれで同じ魔法を有している相手故に、対処される可能性があるが、失敗のリスクは前者より少ないだろう。
その事を伝えると舌打ちが返ってきたが、ある程度の説得力は獲得出来ていたのか――いや、というよりは、このやりとりの間にも披露されていたグラの厄介さのおかげというべきか、レニはその意向に従ってくれたようだ。
絶妙な距離間で、纏わりつくようにオリジナルの周りを不規則に高速でぐるぐるとまわりながら砲撃を撃ち続けるグラに合わせるように、レニが斬撃を乱舞する。
生物的な動きとは明らかに違うグラに、オリジナルもやや翻弄されているようで、対応があまり良くない。とはいえ、グラの攻撃の効き目も初手に比べて明らかに悪くなっていた。オリジナルが防御への意識を更に高めた証拠だろう。
まあ、それでもこちらの攻撃はちゃんと剣で防ごうとしてくるあたり、まだ脅威としては機能しているようだが、優位には立てそうにない。グラの補佐込みで、ほぼ互角の鬩ぎ合いをしている感じ。
結果、息が詰まりそうな膠着状態が続く。
(鎧越しに機能させられないのか?)
それに我慢が出来なくなったのか、口早にレニが言った。
というか、焦りすぎだ。
――自分の魔法の特性も忘れたのか? 具現化は自身から切り離されている魔法だ。行使者に直接異常を与える事は出来ないし、解除も一瞬で出来る。そんな魔法を暴発させたところで、意味なんてない。もちろん、解除した瞬間に、触れる事が確実に出来るっていうなら、やってもいいけどね。
(……気が散る。黙れ!)
子供っぽい反応が返ってくる。
まあ、自身の命を脅かす相手との戦いは経験したことがあっても、明確な格上と戦った事はなさそうだし、戦いのプロだからこそ俺が感じている以上に現状の不味さを痛感しているなんてこともあるだろうから、その感情も理解出来なくはないんだけど――
『状況変化、状況変化。最優先事項の確認』
突然、グラがオリジナルから大きく距離を取った。
そして、
『主の危機を察知。これより急行、急行、急行』
そう告げた瞬間、二つの結晶がオリジナルの斬撃によって両断された。
だが、それを一切気にすることなく、グラは空間を開いて姿を消してしまう。
「不出来な管理者だな。不出来な紛い物の埋め合わせには相応しいか」冷ややなオリジナルの呟き。「いずれにしても様子見は終わりだ。十二分に私は私の成長を感じ取る事が出来た。もういいぞ。最後に貴様が生かされている理由を示して、そのまま死ね」
彼女は右手に携えていた剣の鞘の先端に左手を添え、まるで握りしめるように具現化されたそれを変形させて大上段に構え、真っ直ぐにこちらに向かって踏み込んできた。
咄嗟に距離を取って剣を盾にするが、間に合わない。
全身の力を乗せて放たれたオリジナルの一撃は、剣もこちらが添えた左腕も容赦なく粉砕し――その直後、まるでこれが渾身ではないとでも言わんばかりの迅速さで放たれた二撃目によって、俺たちは右足の膝から下の感覚を失い、あっけない膠着の終わりを痛感する事になったのだった。
次回は三日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。




