07
……際どい、戦いだった。
もし向こうがレニ・ソルクラウの事を何も知らなければ、きっとこんなにも上手くは行かなかっただろう。具現化の強さだけをよく知っていて警戒の方向がそちらに偏っていたからこそ、この魔法は素通りで通ったのだ。
おかげで、俺一人でなんとか死人を出さずに片付ける事が出来た。まあ、正直、当初の目的に含めていた最小限の被害で済んだというのは少し出来過ぎな気もするけれど、たまには思った以上の成果だって出てくれる事はあるだろう。
そんな風に、この戦いの結果を総括しつつ、俺はレニに向けて言葉を続けた。
「冗談だよ。君の記憶のおかげで、ここまで器用に使う事が出来るようになったんだからね。居る価値はある。少なくとも今はまだ」
自分でもうんざりするくらいに、優しい声が出たものだと思う。
レニはそれを聞いて一体どういう感情を覚えたか……はっきりとは伝わってくる事はないけれど、何も感じないという事もないだろう。なにせプライドが高い上に、他人を過度に畏れているような奴だ。自分が無能と評価されて黙っていられるわけがない。これから先、積極的に自分の価値を示そうとしてくるだろう。つまり、こちらが使いたいタイミングで、その暴力を使わせやすくなった。それがいつになるかは不明だけど――
「見事な勝利でした。まさか、鎧すら纏わずに倒してしまうとは」
戦闘が終わったのを見て大急ぎでこちらにやってきたらしいスティングリスさんが、またも荒い呼吸をしながら口早に言った。
待たせる事を極端に嫌っているようなこの感じは、レニ・ソルクラウの性格をある程度把握しての事なのか単純にそういう性分なのかは判らないが、独り言が訊かれていたのだとしたら少し恥ずかしい。声を使ったほうが、こちらのニュアンスをよりレニに伝えやすいし楽でもあるんだけど、変に邪推されたりしても面倒だし、このコミュニケーション方法はもう少し慎重に行った方が良さそうだ。
「その男はどうしましょうか?」
「違う立場の重要な情報源だ。そちらの話の信憑性を高めてくれる要因でもある。それを、今殺す理由があるのか? 尋問は私がやる。終わるまでは丁重に扱っておけ。戻るぞ。早く案内しろ」
「……了解しました」
微笑を装って、スティングリスさんが頷く。
そのタイミングで、他の仲間たちがぞろぞろとこの場にやってきて、怪我をしている人達の救助なんかを始めた。その中の一人にザグナフの扱いを指示し、スティングリスさんが歩き出す。
「今、帝国の状態はどうなっている?」
隣に並びながら、俺は流れてしまっていた質問を口にした。
「各地で内乱が起きています」
「この街もその一つという事か。他との繋がりは?」
「もちろんあります。だからこそ、それは同時に起きた。貴女様への暴挙が引き金となり、先に始めてしまった者達もいますが」
「そいつらの掌握はまだという事か?」
「そうですね。ですが、貴女様がいればすぐに片付く問題でしょう。といっても、貴女様にとってはどうでも良い話だと思いますが」
「そうだな。今、帝都は手薄にある。この機会を逃してまで、優先する価値のある事ではない。……もっとも、それ以上に優先するべき事もあるがな」
「それは、一体なんでしょうか?」
「私があの場所に現れる事を、誰に聞いた?」
スティングリスさんの問いに答えず、俺はそう訪ねた。
すると、一瞬彼の表情が強張ったが、微笑を張り直して、
「我らがナナントナ様は、多くを見通す目をもっているのです」
と、答えた。
どこかで聞いた事がある名称。ただ、それはトルフィネで得たものであり、ここでも同じ意味を持つとは限らない。
――ナナントナっていうのは?
(シシと対をなす、帝国が祭る神の一柱だ。どちらも、今となってはさした影響力もないがな)
――それだけ皇帝の力が増したって事?
(そんなわけがあるか。勝手に信仰が薄れただけだ)
やや不機嫌そうに、レニは答えた。
そういえば、トルフィネもある時期を境に急速に神という存在が権威を失ったらしいけど、それと同じような事がアルドヴァニア帝国でも起きたということなのか。
なんにしても、そのナナントナという存在が只者でないのは確かだろう。それがラガージェンの別名義とかなら問題が増える事もないんだけど、名前のままに違う神だとするのなら、状況の混迷は避けられなくなってくる。
「その神にはいつ会える?」
そう訪ねた直後、目の前に巨大な孔が現れた。
空間の裂け目。まったく魔力の発生を感知できなかった。それだけで、常人の所業ではない事が判る。
「どうやら、今すぐでも問題がないようです」
どこか安堵したような表情でそう言って、スティングリスさんはその孔の先にこちらを促すように芝居がかった仕草で頭を垂れて手招きをする仕草をみせた。
(……どうするんだ?)
やや硬い、レニの聲。
もし孔の先に罠が仕掛けられていた場合、彼女であっても対処しきれないという不安が、そこには滲んでいた。
でも、行かないという選択はありえない。
なにせ、黒陽リフィルディールという神の事を知る絶好の機会かもしれないからだ。
「客を待たせないというのは、良い心がけだな」
とりあえずレニが言いそうな皮肉交じりの軽口を並べつつ、俺はその孔へと向かって足を踏み出した。
次回は四日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。




