06
ザグナフが手放した細剣が、レニの喉元目掛けて飛来する。
何度凌いでも、どれだけ遠くに弾き飛ばしても、それは執拗に襲ってくる。その度に、刀身の色は深みを増していき、内包されている魔力の質を向上させているようだった。
(……この色、対と引き寄せの二つか)
どちらもかなり珍しい魔法だ。特に前者は希少で、これだけの強度をもった魔法となれば、レニですら初めて見る程だった。
(とはいえ、ここまでだな)
紫から段々と黒に近付いていき、漆黒にまで手を伸ばそうとしていた刀身だが、その色にまで届くことはなかった。レニの漆黒の魔力と対をなすほどの強度には、なれなかったというわけだ。
それでも、倉瀬蓮が操るレニ・ソルクラウにとっては十二分の脅威といえるだろう。なにせ、そいつは鎧も満足に扱えないのだから。
(まさに宝の持ち腐れだな)
圧倒的な魔力の質と、それを最大限に活用できる肉体をもったレニ・ソルクラウはおおよそ戦いにおいて万能と言ってもいい存在だが、この身が持つ最大の強さは防御性能だ。
魔域の奥に潜んでいた例外中の例外を除いて、レニの鎧を単体で突破できる暴力は存在しない。でなければ、アルドヴァニアの面汚し共が総力をあげてたった一人を相手に戦争する、なんて真似をする必要もなかった事だろう。もちろん、利き腕分の魔力を失っていなければ、その戦争にだって勝てたわけだが。
(そういえば、色冠は何人殺したんだったか?)
俗に色持ちと呼ばれる、帝国の最高戦力にのみ与えられる十二色の特権階位。
あの時は……そう、蒼が最初に仕掛けてきて、そいつの首を撥ねたところで碧と紫が同時にやってきたのだ。で、紫の胴体を両断したのを見て碧が逃げた。追撃で両足を落としたが、おそらく致命傷にはならなかったはず。
それで、追いかけるかどうか迷っている間に、灰色と白も来た。
単体では色冠の中でも下位に位置する奴等だったが、あの二人が一番手間取った。連携が取れていたのだ。周りの雑兵共もしっかりと生贄になってサポートをしていた。結果的には、それが一番の厄介だっただろうか。首都の地下に張り巡らされていたあの魔法陣の所為で、魔力の損耗を余儀なくされた。奴等はきっと、他の色冠と違って、かなり前の段階からレニ・ソルクラウを殺す準備をしていたのだろう。
そうしてこちらの優位が崩れ出したところで、都市に滅びが撃ち込まれた。
ただ一人、レニを殺すためだけに、さらなる生贄をもって、奴等は最大規模の攻勢魔法を放ったのだ。あれで多分、碧も死んだ。
つまり、殺したのは五人。残りは七人。
その中でレニの脅威になりそうなのは、紅と金色くらいだろうか。
そいつらが現れる前に、なんとかして状況を改善する必要がある。でなければ、命がいくつあっても足りないからだ。
(――っ、屑が、いい加減、私に身体を返せ!)
二の腕に走った痛みに苛立ちを覚えつつ、レニは強い聲を向ける。
これは多分、向こうにも聞こえている筈だ。なんとなく、境界線を越える事が出来るラインのようなものは判ってきていた。
ただ、こちらが今出来ることは、聲を届けることだけだ。身体は一切動かせない。勝手に無様な行動を取らされるばかり。
断言してもいいが、倉瀬蓮ではザグナフには勝てない。
仮にレニが親切に的確な助言をしてやったところで、その現実を覆す事は出来ないだろう。
(……まあ、すぐに理解するか)
最悪即死さえされなければ良いと考えれば、この状況はむしろ喜ばしいものだと言える。
上に立った気でいる奴が、ほどなく助けを求めてくるのだ。それは即ち、レニの価値を認めたという事でもある。そして、価値が大きくなれば、こちらの都合を押し付けやすくもなるだろう。殺すという絶対的な選択が取れない以上、こういう些細な積み重ねが重要になってくる。
(まるで、幼い頃のようだな)
どこにも居場所がなくて、自分の価値を証明する以外に光がなかった時代が、ふと思い出された。
そういえば、その元凶だったソルクラウの連中はどうなったんだろうか?
レニ・ソルクラウが逆賊に仕立てられてしまったのだから、その関係者である奴等も今まで通りというわけにはいかないと思うが……
(処刑でもされていたら、美味い酒が飲めそうだな)
忌々しい屑共。想像するだけで気分がいい。
いつか、倉瀬蓮という男にも、この想像と同じ歓喜を献上してもらいたいところだが……それにしても、無駄に粘る。
過去に思いを馳せている間に、満身創痍だ。
銀の色冠もまさか魔法陣を起動する前に、ここまで優位に事が進むとは思っていなかったんだろう、逆に警戒心を増している始末。
追いつめられてくれるのは有難いが、さすがに本当に死ぬ手前で交代されては、いくらレニといえど対処は難しい。
とはいえ、もう一度急かすというのもあれだ。こちらが焦っているように取られかねないし、それはそれで屈辱。今後の関係性にも影響が出かねない。
だから、ここは我慢比べだ。
あの男が得意そうな分野ではあるが、ここで死ぬのは本意ではないだろうし、問題はない筈。
そう結論づけて、戦いの行方に意識を戻す。
倉瀬蓮は変わらず劣勢のままだ。
ただ、なんだろう、負ける事もなさそうな感じ。
(反射的な動作は、身体が勝手にやっているからか)
まあ、そうでなければ、レニが目覚める前にこの身体は死んでいたんだろうが、こちらとしてはあまり望ましくない習性だ。
それにこの男は、戦いこそ下手糞だが、駆け引きに関しては侮れない。ただジリ貧になるような展開を許すはずがないのだ。こんな奴を評価するのは吐き気がするが、最大の敵だからこそ、そこを間違えてはいけない。
(魔法陣はもう起動してもおかしくない筈だが、どう動くか……)
「――ちっ」
焦りを舌打ちとして漏らしながら、倉瀬蓮が強引に前に出る。
それはレニからすれば露骨すぎるほどの誘導だったが、この男を知らない者からすれば、今のレニ・ソルクラウがここで焦りを見せるのは自然に感じられたのかもしれない。
「やれ」
スティングリスの短い合図と共に、魔法陣が起動する。
その起動時に伝わってきた色と波長で、それが周囲の魔力を吸い取る類のものだというのが分かったが、どうにもバランスがおかしい。
魔法陣を構築している騎士共の一人が、明らかに異常な魔力を放出していて、それは暴発の危険性を孕んでいたのだ。即興で行う賭け事でもあるまいし、このような不具合が起きる事は普通考えにくい。
だとするなら、これは倉瀬蓮が行った事であり――
「――っ!?」
微かな驚きを店ながらも冷静にレニの接近に対応しようとしたスティングリスの眼に、驚愕が過ぎった。動きが急に鈍ったのだ。
だが、どうして?
一瞬、レニには原因が判らなかった。それほどまでに、毛嫌いしているもう一つの魔法への理解が自分には乏しいのだという事実を、これまでの苦戦が嘘だったみたいにあっけなくついた決着と共に理解する。
(……そうか、空気抵抗か)
本来魔力一つに掻き消される、この世界では脆弱なその性質を、こいつは重力以上に強固な法則として昇華させたのだ。
魔法陣を構築していた一人の魔力が極端に膨張したのも、同じ方法だろう。
恐るべきは、それをレニがまったく感じ取れなかった事だ。多分、他の者達も感じ取れなかった。この魔法が特殊な色を用いるものだというのは知っていたが、こんな運用方法がある事は知らなかった。
「……助けに入る者はなし。どうやら、私と戦えるのは一人だけだったようだな」
右手の大剣を防ぐために全ての力をもってなんとか防御をとったスティングリスの労力を嘲笑うように、前蹴りで鳩尾を打ちぬき、くの字になったことによって晒された後頭部に左腕を叩き落とし、殺すことなく無力化する事に成功した倉瀬蓮は、淡々と確認をするようにそう呟いてから、
「消えろ。殺す価値もない」
と、残りの雑兵共に、つまらなげに言い放った。
色冠を失ったのだ、言われるまでもなく彼等は逃げるしかない。
そうして散り散りに離れていく気配を感知しながら、倉瀬蓮は小さく吐息を零し、武器を消し去って、
「代わる必要はどこにもなかったな。君に頼らなければならない機会は、どうやら思ったより少なそうだ。……この調子で、生かしておく価値が減っていかなければいいんだけどね」
(……黙れ)
強張った聲でレニはなんとか言い返すが、最後の一言に背筋が冷えるのを抑える事は出来なかった。
次回は三日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。




