04
室内にはシャワールームとトイレが完備されていた。
ベッドは二つ、クローゼットは一つで、他に家具はない。見る限り、どこまでも簡素な客室といったところだろうか。良く利用されているのか掃除も行き届いており、埃一つない。
なんとなくクローゼットを開けて、中を確認する。
入っていたのは男女どちらが着ても問題なさそうな絶妙なサイズの半袖のシャツと、伸縮性のあるズボンだった。ズボンはともかく、シャツは着替えてもいいかもしれない。
なんて思ったところで、
「ひゃあ!」
と、悲鳴が上がった。
発したのは無法の王。ずいぶんと高い声だった。
見ると彼(いや、今は彼女なんだろう)は、胸を両腕で隠し、その場にへたり込んで、
「な、なんで私、裸で……い、イニタぁ……!」
涙を滲ませながら、フィネさんに助けを求めた。
そのフィネさんはというと、困ったように俺の方を見てきて、でも、それは厚かましいと思ったのかすぐに目を逸らし「あぁ、ええと……」と言葉に詰まっていた。詰まりながら、自分の服を貸すかどうか迷ったのか、上着をつまんだり離したりを繰り返していた。
もしかすると、誰かに頼るという事が苦手な人なのかもしれない。あるいはどんな些細な内容であっても、不要な貸し借りを恐れているのか。下地区という場所は、酷い理由で簡単に人が死ぬ世界でもあるから、その線は十分考えられた。
けど、まあ、どんな事情だとしても、こちらが取るべき事は変わらないだろう。
クローゼットから服を取り出して、それをフィネさんに渡し、
「先に浴室で身体を清めた方がいいと思うけれど」
と、シャワールームの方に視線を流しながら、俺は言った。
直接、裸の彼女と会話しても良かったんだけど、それをしなかったのはあまり近付きたくなかったからだ。どういうきっかけで人格が変わるか不明な以上、最低限の距離は保っておきたい。
「あ、ありがとうございます。……ええと、こっちに来て」
こちらに一度頭を下げてから、フィネさんは無法の王の手を掴んで、部屋の左隅にあるコンパクトなシャワールームへと消えて、三十秒後一人で出てきた。
多分、使い方の説明なんかをしていたんだと思う。
「終わったら、叩いてね。服を渡すから」
「う、うん」
か細い無法の王の声。
出会いが出会いだっただけに、正直何とも言えない気持ちだが、とりあえず無害そうな人格もいるのが分かっただけでも十分だろう。
「フィネさん、無法の王について、色々と訊いてもいいですか?」
当人が席を外している間に済まそうと、俺は口を開いた。
「は、はい」
強張った頷き。
これまでレニが見せてきた言動を前にすれば当然の反応といえるだろうか。まずはこのマイナスから解消したいところだけど……まあ、こういうのは焦っても仕方がない。
「そういえば、自己紹介をまだしていませんでしたね。私はレニ・ソルクラウです。貴女は?」
「わ、私は、フィネ・ルールー、です」
「イニタではないのですね」苗字の線も少しは考えていたんだけど、これで完全にその可能性はなくなったわけだ。「愛称の類ですか?」
「いえ……イニタというのは、ルベルの大切な人の名前、です」
微かな苦痛を滲ませて、ルールーさんは答えた。
「ルベルというのは?」
「……もう、どこにも居ない人」
どうやら、それが無法の王という器の主人格のようだ。
それがなにかしらの原因(おそらくはラガージェンが絡んでいるんだろうけど)で消えてしまった結果、今の無秩序な存在になったという事なんだろう。
ルールーさんの雰囲気からして大事な人だったのは間違いなさそうだし、正直これ以上立ち入るのは気が引けるけど、ここで引き下がるわけにもいかない。確定的な情報に出来るものは、出来るうちにしておく必要がある。
「何故、彼等は貴女の事をイニタと呼ぶのですか?」
「私の魔力の色が似ているからだと、思います。顔も、似てるのかもしれないけれど」
「そうですか。……貴女に危害を加える人格はいますか?」
「私の言う事をきいてくれない人はいます」
「人格が切り替わる条件のようなものは判りますか?」
「それは、私にも判りません。私自身、全員に会っているわけじゃありませんし、名前も知らない人も多いですから。……ただ、そうですね、人によって活動できる時間が違うみたいです。長い人は話が通じる事が多いかな」
「今、表に出ている人はどうですか?」
「彼女は長い方です。一時間くらいは彼女だと思います」
一時間とは、なかなかにえげつない情報だった。
つまり、最低でも日に三十回以上は人格が切り替わるという事だ。これでは目を離す暇すらない。フィネさんには、どうあっても無法の王の傍に居てもらう必要があるだろう。
「大人しい印象を受けましたが、実際のところはどうなんでしょうか? 気を付けるべき点などはありますか?」
「触らない事ですね。彼女は、その、私以外に触れられると我を失うところがあるから」
微かな憐憫と諦観を宿した声で、フィネさんは言った。
これまた眉を顰めてしまいそうな物騒な情報だったけれど、でも、無法の王の中にいる人たちの環境を考えてみれば、そういう人格が多いのも当然なのかもしれない。
(……くだらない確認はもういいだろう? それよりも、早くあの男を呼び戻せ)
心底無法の王には興味がないのか、うんざりしたような聲をレニが脳裏に響かせてくる。
俺からすれば、この国の状況を急いで知る事の方がよっぽどどうでもいいんだけど……もう少し飴を与えてから鞭を打つべきか、それとも順序を逆にするか。
どちらにしても、完全に飼い慣らすまでには、あと何回かは思い知らせる必要がありそうだ。
俺は胸の内で小さくため息をついてから、ベッドの脇にあった呼石に触れ魔力を灯した。
その十秒後、ドアがノックされる音が響く。
と、同時に、シャワールームの方から「ひっ!」と吃驚したような声が聞こえてきた。彼女にとっては、ルールーさん以外の全てがきっと恐怖や不安の対象でしかないんだろう。
だとするなら、部屋の中で小難しい話をするというのもあれだし、出来ればこの教会地下の世界も把握しておきたい。
ただ、本当にそれをしてもいいのか、という懸念もあって……
「……まあ、大丈夫か」
自分に言い聞かせるようにそう呟いてから、俺はドアを開けた。
「なにか、問題でもありましたか?」
慌てて駆け付けたんだろう、スティングリスさんの呼吸は少し乱れていたが、装われた笑顔は完璧と言ってもいいものだった。
「大きな問題はなかった。だから、次は周囲の確認がしたい。忙しいのなら、私一人で勝手に見て回ってもいいが?」
「お気遣い感謝します。もちろん、私が責任をもって案内させて頂きます」
自身の胸に手を当てて、スティングリスさんは恭しく頭を下げた。
そうして部屋の外に出て、アリの巣のように複雑に入り組んだ地下の道を二人、少しのあいだ無言で歩く。
すぐに話を訊かなかったのは、質問を整理していたからだったわけだけど、纏まる前に急に足音が不自然に反響しだした。
床の材質が変わったのだ。多分、魔法陣が関係している。それがどのような効果を持つ魔法陣なのかは不明だけど、おそらくは妨害の類だろう。普段よりも極端に、感知できる範囲が減っている。
おかげで、ルールーさん達の気配はもう感じ取る事が出来ない。
「この先は機密区画となっています。様々な魔法陣があり、また街の外へも続いています。それ以外の意図は、今のところありませんね」
こちらの思考を読み取ったみたいなタイミングで、スティングリスさんが言った。
つまり、部屋に残した二人を人質として使おうなどという不届きな考えはしていない、という事のようだ。もちろん、それを鵜呑みにするほどの信用があるわけでもないけれど――
『スティングリス様! 至急作戦室にまで来てください!』
突然、壁から甲高い女性の声が響いた。
どうやら、中にスピーカーの類が埋め込まれているようだ。
『銀の神官共が来ました。筆頭までいる。奴等、やる気です!』
ずいぶんと焦った様子。
――銀の神官って言うのは?
(役に立たない治癒師と、取るに足らない逆賊殺しの処断者、その表裏を司る連中だ。どちらも私には無意味の存在でしかないが……貴様には、荷が重い相手かもしれないな)
嘲笑を孕んだ聲で、こちらの質問にレニが答える。
直後、激しい揺れがこの地下世界を襲った。
「……色々と状況を確認したいところだったが、その前に片付けなければならない問題があるようだな」
というか、このタイミング、一体スティングリスさんは誰にレニに関する事を教えられたのか。
一体、どこまでが予定調和の中にあるのか…………いずれにしても、彼等との良好な関係を築くためにも、この国の状況を正しく把握するためにも、ここは引き受けるのが吉だろう。
「なにをぼけっとしている? 手を貸してやると言っているんだ。さっさと案内しろ。教会から出ても問題ないのなら、それでも構わないがな」
「……入口が露見するのは、避けたいところですね。隠した意味がなくなってしまう。――こちらです」
一つ苦笑いを浮かべてから、きりっとした表情で告げて、スティングリスさんが駆けだす。
その後に続きながら、俺はふとミーアとの出会いを思い出した。銀の二等神官だと、彼女が自己紹介の時に口にした肩書きを思い出したのだ。
かつて彼女と同僚だったかもしれない者達と、これから事を構える。
帝国時代の仕事について深く訊くことはなかったので彼女の交友関係は知らないけれど、もしかしたら仲が良かった相手が中にいるかもしれない。
だとするなら、出来る限り最小限の被害で片付ける必要があるなと、俺は頭の中で殺傷性の薄そうな武器をイメージしながら、戦いの準備を開始した。
次回は三日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。




