03
ラガージェンが用いたそれとは違い、不安定で穴ぼこだらけだった道を抜けた先にあったのは、教会のような場所だった。
中央に見上げるほど巨大な女神像のようなものがあり、高い天井に嵌められた色取り取りのステンドグラスから差し込む光が、室内を神秘的な雰囲気に仕立てている。
(……どれもこれも屑ばかりか)
その像を取り囲むようにこちらを迎えたフードつきの黒いローブを纏った者達をざっと見渡して、レニは侮蔑を露わに吐き捨てた。
魔力の優劣(より正確に言うなら国にとって利益になるか力をもっているかどうか)で物の価値を計りたがるのがこの女の本質だというのは、もうよく判っているけれど、それにしても強い感情だ。どこか八つ当たりじみているというか……まあ、今は気にする事でもないし、その感情に引っ張られない事が重要だろう。
それを意識しながら、俺は口を開いた。
「ここは?」
「ヘブラスカの教会です」
男がそう答えた瞬間、眉間の皺が勝手に動く。
そして、
「用件はなんだ? さっさと話せ」
と、レニが会話の主導権をかっさらって、強い口調でそう言った。
気を引き締める場面でもなかったとはいえ、まんまとやられたというわけだ。けど、そんな危険性をこのどうでもいいタイミングで再確認できたのは、痛みを伴わない幸運な教訓であるとも言えた。
さらに言えば、ここがレニにとって因縁のある場所だというのが分かったのも大きな収穫だろうか。次に事を構える時、その情報がもしかしたら有効な暴力になるかもしれない。
「なにも。私達はただ、貴女様の目的の助けになりたいだけですから」
穏やかな微笑を湛えて、男が答える。
要はレニを神輿に担いで、反乱で勝利した暁に地位を得たい勢力という事のようだけど――
「……初対面の他人風情が、まるで私の事を知っているかのような物言いだな?」
「――っ」
視界の隅にいたフィネさんの身体が強張った。
ローブを纏った面々も同様だ。
それだけの殺気が、この身体からは溢れ出ていた。
しかし、それをもろに喰らった飄々たる男は、その第一印象を崩すことなく、
「この帝国に、貴女様を知らないものはいないでしょう? ええ、私が語っているのは、そういう表面的な部分。揺らぎなき、貴女様の功績と姿勢に纏わる部分です」
と、言葉を返してきた。
なかなかに役者な人だ。意識しやすい顔周辺の落ち着き払った感じと違い、足元の方はやけに強張って見えたところなんかも、頑張って恐怖を噛み殺したみたいで良かった。感性がズレている狂人の類じゃなく、こういう相手なら、ちゃんとした交渉も出来る事だろう。
「貴様、名前は?」
と、俺はレニから主導権を取り戻して訪ねた。
レニの奴が攻撃的な姿勢を見せなければ普段通りの『貴方』呼びで通したかったんだけど、ここでいきなり柔らかな口調に変えるのは、それはそれで怖い話だと思うし、またレニの奴が勝手をしないとも限らないので、こちらで統一した方がいいだろう。……まあ、これはこれで、向こうに主導権を一つ譲った事になる気もするので、もしかしたら思った以上の悪手になる可能性もあるけれど。
「ドネ・スティングリスと申します」
胸に手を当てて、彼は良く通る声で答えた。
「ではドネ、早速だが部屋を一つ用意しろ。当然、その程度の誠意は示せるのだろう?」
「はい。もちろんでございます」
にこやかな笑顔で殆どノータイムに返し、スティングリスさんはこちらに背を向けて、女神像に触れ――ごごご、という音と共に石像が後ろに下がり、そこに地下に続く階段が姿を見せた。
(教会の下に、よくもまあ……)
どこか呆れるようなレニの聲。
何でもかんでも怒り散らすのが性分みたいな奴だと思っていたので、これは少し意外な反応だ。
なんにしても、いつ帰れるか判らない状況の中、見知らぬ地で早々と落ち着ける場所を手に入れる事が出来たのは不幸中の幸いと言えるだろう。どの程度のあいだ落ち着けるのかは、まだ不明だとしても。
§
そうして長い階段を下り、細い通路に差し掛かったところで、最後尾を歩いていた無法の王が突然鼻歌を歌い始めた。
呑気で、場違いで、どこまでも楽しそうな旋律。
飄々と掴みどころがない姿を見せていたスティングリスさんも、これには面食らったのか振り返る。
その視線を、咎めているものだと受け取ったのか、
「あ、あの、ごめんなさい。この子は、その、こういう子だから」
と、手を引いて無法の王の前を歩いていたフィネさんが恐縮そうに言った。
そんな彼女の腕を引いて、胸に抱き寄せ、
「つれない物言いだね、イニタ。これは僕の今の気持ちを表現しているというのに。――あぁ、それにしても、いつ見ても君は美しい。周囲の不出来な汚物共とは出来が違うな。目障りだから殺してもいいかい? こいつら」
優艶な表情をこちらに向けながら、無法の王が軽やかに物騒な言葉を並べてくる。
恐いのは、それが簡単に出来そうなくらい鋭利な魔力へと変質したことだろうか。
「駄目に、決まっているでしょう? ……そんな事をしたら、貴方の事が、嫌いになるわ」
一つ一つの言葉が綱渡りであるかのような慎重さで、フィネさんが言う。
それに対して、無法の王は小さく肩をすくめて、
「それは怖いな。あぁ、それだけは本当に怖い。わかったよ、姉さん。どうせ、もうすぐ奪われてしまう自由だしね」
次の瞬間、無法の王の身体がぐらついて、
「……あ、あぁ、ま、また場面が飛んだのか……ここは、どこだ?」
と、老人のような声色と共に、無法の王が不安そうに視線を彷徨わせた。
「ず、ずいぶんと狭いな、それに空が見えない。怖い場所だ。初めて見る顔もいる気がするし、儂はもう嫌だぞ。なぁ、イニタ様、いつになったら、儂は死ねるんだ? いつ死なせてくれるんだ?」
大きく目を見開いて、微かに濡れたその目で懇願する様は、酷く痛々しくて――
(つくづく気持ちの悪い破綻者だな。こんなものがどう使えるというんだ?)
蔑みを露わに、レニが呟く。
先頭を歩いていたスティングリスさんも、それを無視できない不安材料と判断したんだろう。
「あの、そちらの方は、その――」
「貴様は気にしなくていい。それよりも足を止めるな。早く案内しろ」
そんな彼の言葉を遮って、俺は強めの口調で言った。
どういう存在なのか訊かれたところで、俺にもまったく判らないのだ。それに深入りしたところで、彼に実りもないだろう。或いは、こちらにとっても今出てきた情報以上のものはないのかもしれない。
もっとも、その情報だけで十分とも言えたけれど。
それくらい、無法の王の中にいる二人の人物が齎してくれた情報の価値は大きなものだと思えた。
フィネさんは、イニタとして無法の王の中にある全て人格に好意的な存在として認知されている。少なくとも今のところは、その仮説が成り立っている。
つまり、それが彼女がここに巻き込まれた理由だという事だ。彼女だけが、無法の王の行動全てに干渉できる。
それを踏まえて、彼女とどう関わっていくのが正解なのか、ほぼほぼ完全な被害者である彼女を、どの程度関わらせていいものなのか……考えれば考えるほど、ラガージェンという男に対する嫌悪が増していくのを抑えられなくなっていくのがわかった。
その感情を沈める意味でも少しの休息は必要なのかもしれないと、今の状況を楽観的に受け止める事にしつつ、
「やや手狭かもしれませんが、ここでは一番広い部屋です。なにかあったら、ベッドの脇にある呼石をお使いください」
「あぁ…………ありがとう」
案内された部屋に入ったところで、レニは言わないと思うが、さすがに感謝の一つも口にしないのは生理的に気持ち悪いと言葉を付け足して、俺はドアを閉めた。
次回は四日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。




