第四章/内乱の渦中 01
アルドヴァニア帝国を総べる皇帝、ラハト・エイル・アルドヴァニアは今年で二百三十二歳となった。
艶のある金色の髪に、透き通った空のような蒼色の瞳。すらりとした長身は佇まい一つに美を抱かせ、張りのある声は心地良くも支配的な存在感を宿している。
一般的には高齢に入る年齢の彼だが、前述した通りその在り方は未だ三十前半にしか見えないほど若々しいものだった。それだけ、彼は世界の理に反抗出来る強い魔力を持っていたのだ。
まあ、当然といえば当然の話である。かつてはただの貴族でしかなかったエイルという血が、継承に継承を重ねて辿りついた一つの境地こそが、ラハトなのだから。
彼は歴代の皇帝の中でも特に多くの功績を築き、帝国をより強大なものにした者として認知されていた。誰より強く、なにより壮麗で、かつ人心を心得ている賢帝だと。
(……二十五年ほど前ならば、その評価に疑いを抱く者などいなかった事だろうに)
王の寝室の前に立った男は、小さくため息をつく。
耳を澄ますまでもなく、部屋の中から女の喘ぎ声が漏れだしていた。それも一人ではない、最低でも三人。
子を産む行為が何よりも重要であり、それ故に偏執的なほどに慎重であるべき貴族――まして、その代表である王がそのような戯れを行うなど、この王宮の外の人間が知れば大スキャンダルだ。下手をすれば、それが理由で戦争にだってなりかねない。
だからこそ、そのようなリスクが外に漏れる事はなく、全ては迅速に処分される。
今喘いでいる女たちもそうだ。孕む前に殺してしまえば、子供という名の爆弾の心配をしなくて済むから、簡単な作業でもあった。気が重くなることも、もうない。
不可解な人の死など今の帝国では日常茶飯事だから、もはや誰も気することすらないのだ。
その、どうしようもない現実に気が重くなる前にドアをノックしようとしたところで、バタバタと駆けよってくる音が届いた。
右と左の両方からだ。ほぼほぼ同じタイミングで到着するだろうか。
(それにしても、騒がしいな)
優雅さは王宮に務める者の必須項目である。
王宮の品位を落とすものに居場所などない。よほどの事がない限り、それは罪なのである。
つまりは、よほどの事が起きたという事なのだろうが、三つ同時にというのは気が滅入る話だ。
とりあえず、魔力を部屋の前に貼り付けて寝室に音が行き来する事を防ぎ、王の機嫌を損ねないように気をつけつつ、
「報告は私がまとめて行う。なにがあった?」
と、やってきた二人の男女にそう言い放つ。
すると、彼等は揃って言葉を躊躇するように息を呑んでから、微か震えた声で答えた。
「レニ・ソルクラウの存在が、確認されました」
「レニ・ソルクラウの存在が、確認されました」
一言一句、まったく同じ言葉だった。
普通に考えれば、情報伝達が上手く行かなかった事による二重報告だが、この二人が担当している地域は極端に離れていて、
「確認された時刻は?」
その問いに、二人は十分程度の誤差しかない時刻を口にした。
口にして、同時に混乱を覚えたんだろう。不安そうな表情を浮かべ、
「これは、一体どういうことなのでしょうか? オイゲン様」
と、左側にいた女の方が訪ねてきた。
そんな事自分で考えろと普段の彼なら吐き捨てるところだが、今は自分も情報を整理したかったので、このおかしな報告についての見解を口にする。
「可能性はいくつかある。一つはなりすましだ。誰かがレニ・ソルクラウという汚点を利用して、さらなる混乱を招こうとしている」
「ですが、それは――」
「分かっている。そこまで精度の悪い情報がここに届くことはないだろう。だからこそ、現れたレニ・ソルクラウは本物だと受け入れるべきだ。結局、あの戦火の中で死体は見つからなかったのだからな。やはりあれは生きていたという事なのだろう」
故に、他の可能性は最悪といえた。
少なくとも、レニ・ソルクラウに空間を跳躍する魔法は使えなかったからだ。都市間を跳躍できるだけの力をもった危険な(或いは相当数の)協力者がいるのは間違いない。
(その候補が多すぎるのも問題だな)
オイゲンがこの場に来たのは、ある都市で発生した反乱の対処を窺う為だった。
二十年前なら一大事だが、今となってはそれほど珍しくもない出来事だ。他の都市にも火種は多く存在している。
それを、これまではレニ・ソルクラウが排除してきたので、彼等にとって彼女は絶対の恐怖の対象でしかなかったわけだが、同じ立場となれば話は変わってくる。共通の敵を前に、手を組むというのは至極自然な流れだからだ。
そうでなくても、レニ・ソルクラウには反逆者となる前から奇妙な後ろ盾があった。目に余る暴挙を行う事も珍しくなかった彼女が比較的順調に昇格出来ていたのも、それが大きいといわれている。
そして、そいつらはまだ生きているのだ。国家の中核に潜んでいる。
(国が割れるな、今度こそ)
千載一遇のチャンスを取り損なったこちらは、戦争の用意を済ませたかつての英雄を前に、けして優位を取る事は叶わないだろう。長期戦になる。長期戦になれば嫌でも国の疲弊は加速して、どちらが勝つにしても、もう栄華は取り戻せない。
今、この国に差し迫っている問題は、それほどまでに大きいのだ。……だというのに、未だ王は女遊びに耽っている。
「もう下がっていいぞ、報告は私が行っておく」
そう言って二人の部下の姿が消えるのを待ってから、オイゲンはドアをノックして、それでも止むことのなかった喘ぎ声を前に、かつての王の姿を思い描き、
(どうして、こんなざまになってしまったのだろうな……)
と、失望と諦観に満ち満ちた感情を、深い深い眉間の皺として表した。
それがもう、気付かれる事すらないと判っていても、止める事は出来なかった。
次回は三日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。




