07
「……これは、私が想定していた流れとは違うな。どうやら予定が変わりそうだ」
広場の傍にある料理店で、分厚い骨付き肉を骨ごとかみ砕いていて豪快な音を響かせていたラガージェンが、目を瞑りながらグラスの水をゆるやかに飲み干したところでそう呟いた。
「そういう食べ方をするものではないのだけどね」
と、向かいの席に腰かけていたナアレが批難を込めるように目を細める。
その感情を愉しむように、くつくつ、と喉を鳴らして笑って、ラガージェンは言った。
「ずいぶんと慎重だな。いつものナアレ・アカイアネなら、単刀直入に疑問を口にするだろうに。恐れているのか?」
「貴方に恐れを抱かなかった事はないわ。私は臆病な人間だもの」
至極真面目な表情で答えて、ナアレは骨にまとわりついた肉をナイフで綺麗に削ぎ取り、それを二つほどに折って、上品に口の中に収めた。
それからお酒をちびちびとグラスの三分の一程呑んだところで、
「……それで、想定外の流れというのは、具体的にどういう事なのかしら? 私は貴方のような特別な情報収集器官をもっているわけではないから、出来れば何が起きたのか教えて欲しいのだけど」
「だが、想像はついているんだろう? わざわざ言う必要性があるとは思えないが」
「推測と確信は別物よ」
「ふむ、確かにその通りだな。何事も確認は必要か。この料理というものの処理の仕方と同じで」
そう発言した矢先に、掌の上に乗せたグラスをなにかしらの魔法によって液状化させて、ラガージェンはそれを長い舌で掬い取る。
おおよそ人間の作法とは程遠い行いだ。もし傍に店員がいたのなら、仰天していた事だろう。だが、此処にいるものが彼に気付くことはない。
こんな怪物を一般人と安易に関わらせるほど、ナアレは無神経ではないからだ。
「それにしても、相変わらず便利な魔法だな。そして見事な腕前だ。私を安心させるには十分なほどに」
最後の言葉は、ミーアに掛けた魔法の事を指しているんだろう。治癒効率に施したものとは別の、本命の方に。
「満足してくれたのなら、いい加減焦らすのは止めて頂けないかしら?」
「焦らされるのは好きじゃなかったか?」
「時と場合によるわ。人の機微を貴方に求めても無意味なのかもしれないけれど、今は違う」
「そうか、では答えよう。――と、その前にもう一つ貰っても構わんかね?」
ラガージェンの視線がナアレのグラスに向けられる。
溶かしたそれがどのような味なのかは不明だし確かめる気もないが、どうやら気に入ったらしい。
「……どうぞ」
「どうも」
くつくつと、いつもの不穏な笑い声を漏らして、ラガージェンは先程と同じようにそれを溶かして飲みほし、小さく恍惚のような息を吐いてから、
「倉瀬蓮をこちら側に連れてきた目的は、生贄となってレニ・ソルクラウに不足している部分を埋めてもらう事にあった。あの次元昇華の魔法はレニ一人では完成出来ないものだったからな」
「次元昇華? 私にも曖昧にしてきた魔法にようやく名称がついたの?」
「私が勝手につけただけだ。ないと不便だろう?」
「つまり確定的な特性ではないという事ね」
「完全に掌握出来るものならば、そもそもこのような手間を掛けてはいないさ」
「たしかにそうね。でなければ、私がこんな風に使われる事もなかった。あの御使いに継承させて全部やらせればいいだけだものね。ごめんなさい、話を戻して」
つまらなげにそう言って、ナアレはまだ残っている料理を丁寧にナイフで切り取るという作業を行う。行いながら、彼の言葉を整理する。
(昇華ということは、やはり狙いは龍種なのね)
あらゆる魔力の頂点に位置するとされる、その存在は、この世界を維持する楔だとリフィルディールは以前に言っていた。
要はそいつがいるから、この世界はやり直せないのだと。
(でも、本当に殺せるのかしら?)
ナアレも長い人生の中で一度だけ遠目に見たことがあるが、あれは完全に別物だった。存在の密度がまるで違っていて、まさに異次元だったのだ。レニの魔法の特異性は肌で感じたが、それでもあれと同じ舞台に立てるほどのものだとは到底思えなかった。
それは、まだ足りないという事なのか、それともそもそも複製体にそこまでの力は引き継げていないという事なのか――
「倉瀬蓮は既にこちらが求める条件を達成している。あれは他者にそれを用いる事が出来ていたからな。活かす方にも殺す方にも、見事に機能させていた。ならば、あとは副産物を消してそれが抱えていた記憶を手に入れれば、拒絶の恐れも消え、融和に必要な手順は全て完了する筈だった」
淡々とした口調で、ラガージェンがこちらの要望に答える。
「けれど、そうはならない流れになっているのね。……副産物の方が勝ちそうという事?」
「そのような結果になる魂なら、そもそも選ばれてはいない。器との適合が容易である魔力を持たない向こう側の人間なら誰でも良かった、というわけではないのだからな。あれは特別だよ。おそらく、向こう側でも相当にな」
……この手放しの賞賛を倉瀬蓮が聞いていたら、果たしてどのような感情を抱いただろうか。
ふとそんな事を気にしながら、ナアレは小さく吐息を零して言った。
「つまり、彼は殺さない事を選んだのね。或いは、殺し方を知らないという線もあるかもしれないけれど――」
「それはない。両者が対面する世界の法則はそれほど難しいものではないからな。精神が摩耗しきれば主導権は完全に失われ、いずれその人格も消える。根気はいるだろうが、簡単な作業だ。そして奴はその最終段階まで辿りついていた」
だからこそ意外で喜ばしいのだと、ラガージェンは言った。
「喜ばしい?」
「我々が求めているのは英雄ではない。戦いが上手いなどという才能は龍種には殆ど無意味だからな。最低限があれば十分。それよりも冷静に先への保険を考えられる頭の方が好ましい」
そこで、彼はくつくつといつもの笑い声を漏らして、
「たしか、こういうのを人の社会では出世というのだったか? ただの生贄が龍殺しを担う本命に成り代わるかもしれないのだから、なかなかに愉快な話だ。……もっとも、まだ最低限にも届いていない身に、その言葉を贈るのは早計なのかもしれないがな」
「片腕を失ったばかりの英雄の実力が最低限だなんて、ずいぶんと厳しい話なのね。私も怪しそうだわ」
「珍しい謙遜だな。お前の方が幾分は上手いだろうに。まあ、勝てはしないだろうが」
「最後の一言は余計だし、ついでに言えば足りてもいないわ。だって、負けもしないでしょう? 私は。……それはそうと、天秤がそちらに傾いた場合、彼の結末はどうなるのかしら?」
「倉瀬蓮という名前を、私が忘れる事は無くなるだろうな」
「酷い話ね」
本当に酷い話だ。ぶち壊したくなる程度には。
「気に入らないのなら抗えばいい。私の思惑くらいなら、お前でも潰せるかもしれないしな」
どこか愉しげにそう言って、ラガージェンは席を立った。
直後、周囲に展開していた結界が音を立てて崩れさり――
「…………さて、私はどうしたものかしらね?」
瞬き一つの間すらなく忽然と姿を消したラガージェンの影を追うように、強い争いの気配の方に視線を流し、ナアレは短く息を吐き出した。
次回は三日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。




