05
殆ど条件反射で二人分の姿を消しながら、レニの忠告を無視して一緒についてきていたミーアの手を掴み、リッセは戦闘地点から大きく距離を取る。
取りながら、
(無法の糞が物事を掻き乱すのは毎度の事だとしても、まさかラクウェリスの奴がここで仕掛けてくるなんてね)
と、自身の読みが外れた事実に、苦々しい表情を浮かべた。
どこぞの不死身と大差なく無軌道な女ではあるが、同時に自己保身にもそれなりに長けているという印象があっただけに正直少し解せないが、まあ、そこまで興味を持っていた相手というわけでもなし、こういう事もあるだろうと気持ちを切り替えて、こちらが取るべき次の手について考える。
レニは手出し無用と言っていたが、おそらくその余裕は長く続かないだろう。
(立て続けに死んだあとで、厄介じゃなかった事はないしな)
しかも、その厄介にも結構な格差があって、最悪を引いた場合は普通にレニが負ける可能性がある。
まあ、乏しい可能性だとは思うが、三体一となれば高い可能性にもなるだろう。
(出来ればそうなる前に一人は潰しておいて欲しいけど、どうするべきか――)
「――終わりましたね」
静かなミーアの声が、思考を遮った。
直後、無法の王の胴体から上が弾けて、奥の建物の壁を真っ赤な残骸で染め上げる。
ラクウェリスに視線を向けていたほんの少しの間で、老婆は殺されてしまったようだ。
「これ以上、手間取らせるな」
淡々とした呟きと共に、レニが右手に巨大なハンマーを具現化し、まだ原型の残っていた下半身に向かって振り下ろす。
結果、地面は陥没し、周囲十メートルに亀裂が走った。
ほぼ十割の生物が、確実に絶命するような暴力。
レニもこれで片付いたと思ったか、即座に迫っていた残り二人に視線を戻す。
「……想像以上だな。私よりも強いか。ふふ、いいぞ。滾ってきた。もっと私の血を温めてくれ」
「貴女、本当に殺し合いが好きなのねぇ。まあ、少しは判るけれど、その気持ち」
ディアネットもラクウェリスも、奇襲を取り止めはしたが、引き下がるつもりはないらしい。
どちらにも言える事だが、つくづく貴族として壊れている。あげく、それがどちらも大貴族というのだから、ある意味末期の光景だ。
だが、今、こんな奴等に意識を向けている暇はない。
「おい、まだ終わってないぞ! 距離を取れ!」
レニに忠告してから、リッセは再度移動して自身たちの位置を変えて静観に入る。
従うかどうかは少し怪しかったのだが、相手の不気味さは既に感じていたからだろう、思いのほか素直にレニも距離を取って、その異常を目の当たりにする事となった。
「……なるほど、人に化ける集団だったか」
潰れた肉、溢れた血、それらが全て炎に変わって一つに集束していく様を前に、レニは眼を細めて歯を軋ませる。
こちらが不死身だと言った意味を、過不足なく噛みしめているんだろう。
(けど、集団っていうのは面白い認識だな)
案外的を射ているのかもしれないと思いつつ、リッセはディアネットたちに視線を向けた。
ラクウェリスの方は無法の王がどういうものかを知っているので今更驚きもないだろうが、初見であるはずのディアネットはどういう反応を見せるのか。
(……問題ないって感じね)
レニに向けていた感動の類もないようだし、彼女にとって無法の王は脅威ではないという事らしい。
それは、この化物を打開できるだけの絶対的な魔法を有しているという事なのか、それともただ不死身であるだけの奴が、このトルフィネで『王』などと呼ばれるほど特別なものになれるとでも思っているのか。
もし後者なら、笑い話もいいところだが――
「――ごふっ」
血を吐くような咳き込みから数秒後、無法の王が完全な復活を果たした。
当然だが、元に戻るのは身体だけで、服などは失われたままだ。
乳房もなければ性器もない。ついでに言えば、肛門もなければ首から下には体毛も一切ない。人間としては明らかに不自然な肉体。
その異常さにレニが眉を顰めたところで、全身に鳥肌が襲ってきた。
無法の王の魔力の純度が、劇的なまでに変化した所為だ。
魔力が持つ色は指紋のようなもので基本的に変わる事はないが、濃度の違いによって見え方や感じ方は変わる。ただ、ここまでの違いを生み出すのは、もはや技術の域ではない。
(……どうやら、最悪を引いたみたいだな)
魔力が切り替わった瞬間、大人びた青年の姿がちらついた。それは、二年前に騎士団が半壊させられた時にも見た幻影だ。
「あぁ、人間か、そうか、まだ終わっていなかったか。……では、滅ぼさなければな。世界の為に」
無法の王は淡々とした口調でそう呟いてから、
「ルベル、やれるの?」
と、女性に聞こえる柔らかく高い声色で、自問するような事を口にした。
さらに、それに対して「あぁ、問題ない」と淡々と答えて――
「――途切れるまで、あまり時間はないぞ」
次に放たれたのは、壮年の男のような口調だった。
「判っている。私はもういない。だが、私は為すべきことを為すしかない。欠陥品とはそういうものだ」
両手に炎を宿して、無法の王はラクウェリスに視線を向ける。
きっと、この中で一番殺しやすい奴が彼女だと判断したんだろう。
「駄目ね。外れになったわ。あれは話が通じないのよねぇ。なに言ってるのか判らない事ばっかりだし。まあ、他の人格も大抵そうなのだけどねぇ。基本的に前後不覚みたいだから、仕方がないのかもしれないけれど」
苦笑いを浮かべながら、ラクウェリスが覚悟を決める。
珍しい潔さ。それだけディアネットという存在の強さを信頼している――いや、というよりは交わした取引に価値があると見るのが正解か。
「無法の王とは、よく言ったものですね。自身というものにすら法がないとは」
隣のミーアがぽつりと呟く。
「喋るなよ、位置がばれるでしょう?」
「私たちに構っている余裕はありませんよ。どちらにもね」
まあ、確かにその通りだ。
だからこそ、セラの避難を済ませてこちらに戻ってきているラウの奇襲は、上手く刺さってくれる筈。
問題は、それで誰を潰すかだが……
(少なくとも、ラクウェリスは除外できそうだな)
この流れだ。きっとレニもルベルと同じ相手を狙う。そして一度でも合わせて仕掛ける事が出来れば、ラクウェリスにそれを凌ぐ手立てはない。決着はすぐにつくことだろう。
(こいつが独占していた利権を誰に持たせるのが一番美味いか、今夜あたりダルマジェラと話した方が良さそうね。そろそろ首輪も増やしたいし)
ヘキサフレアスの首領としての思考を覗かせつつ、その流れをより確実なものにするために、リッセは小細工を一つ仕掛ける。
「――っ、ちょっと!? これは酷くないかしらぁあ!」
網膜にぐるぐるとまわり続ける斑色の映像を貼り付けられたラクウェリスが、動揺に声を荒げた。
それを合図にするように、レニとルベルの二人がほぼ同時に地を蹴る。
「さよならだな。まあ、嫌いじゃなかったわよ。あんたの事」
一応、ほどほどに長い付き合いだった糞女に別れの言葉を述べて、これでもうこいつに用はないなとリッセは清々しい気持ちを手に入れるが、その先走った感情に現実が追い付く事はなかった。
最高峰の化物二人が適度に合わせて放った回避不可避の攻撃を、ディアネットが身を挺して防いだからだ。さらに、その隙をついてディアネットに放ったルベルの炎撃も、ラクウェリスが身に纏うの風で何とか軌道を変えた事によって凌がれた。
といっても、どちらも無傷というわけにはいかない。ディアネットは受け止めた武器を失うと共に手首を折られていたし、ラクウェリスに到っては余波の熱によって身体の右半分を炎に呑まれ、肌を真っ黒に炭化させていた。
「見苦しい延命だな」
不快げにレニが吐き捨てる。
だが、その声には警戒の色が滲んでいた。
ルベルの方もそうだ。間髪入れずに追撃してもいい状況の筈なのに一度間を置いて――そこで、ぷつり、と息が切れたように、突然その場に前のめりに倒れた。
一瞬、なにか反撃を受けていたのかと思ったが、違う。
「ぐが、ぐぅ、ぐぅう、がぁああああああああ! ぐぅぅ、あああ、ああっがががああ、ぉおおおおおお!」
地面を爪で掴み、四足歩行の姿勢をとって威嚇をするそれの精神は、もはやルベルどころか人間ですらなかった。
(忙しい事だな。もう切り替わりやがった)
まあ、そういう奴なのは重々承知なので、そちらを気にしても仕方がない。
それよりも重要なのは、ラクウェリスとディアネットの二人が極めて洗練された連携で、決定打になるはずだった攻撃を凌いだことにあった。
技術や能力だけでみれば不可能ではない結果だが、こいつらはつい先ほどに結託したばかりの二人なのだ。まして片方はラクウェリス。軍貴でもなければ、貴族としても怪しいエゴイストだ。それが、下手をすれば自分が死ぬかもしれないリスクを冒してまで赤の他人を守るというのは、どのような背景があったとしても、いくらなんでも――
「リッセ!」
レニの――自分のよく知っている彼女の鋭い声が飛ぶ。
直後、ラクウェリスの目を潰した際に念の為また移動をしていたリッセ達に向かって、獣が駆けだしてきた。
(――匂いか!)
咄嗟にナイフを構えて防御の構えを取りながら、気付かれた理由に辿りつく。
足音もほぼ完全に消していたんだから、それ以外には考えられない。レニが気付いたのは、獣の視線を見てだろう。
というか、速すぎる。
瞬き一つの前に、そいつは目の前にいて――
「この、屑がっ!」
憎しみに満ちた悪態と共に、飛びかかってきた獣の首が空に舞った。
レニが振り払った左腕の斬撃が背後から直撃したのだ。よく間に合ったもんだと愚かしくも最初に感心なんてものが過ぎったが、視線を彼女に向けたところで悪態の訳を理解した。
今度こそはと同時に迫っていた二つの影。
それは、間隙を突くにはこれ以上ないほど完璧なタイミングだった。
あげく、レニは何故か未だに鎧を展開していなかったので防ぐことは困難な状態で、
「……よくやった。褒めてやろう」
迎撃に突きだされた右手の剣によって腹部に風穴を開けられたディアネットが、唇の端から血を垂らしながら満足げに呟き……そうして前のめりに倒れる彼女に倣うように、ラクウェリスの魔法によって全身を切り刻まれ鮮血を噴いたレニの身体もまた、力なく崩れ落ちた。
信じられない光景。それに衝撃を受けているリッセに、さらなら衝撃が襲い掛かる。
いきなり突き飛ばされたのだ。
当然、今そんな事が出来るのは一人だけで。
「――」
条件反射でそちらに流れたリッセの眼が捉えたのは、首を失った事など意にも介さずに再度飛びかかってきていた獣が、ミーアの右肩に噛みつき鎖骨ごと肉を食いちぎる場面だった。
次回は三~四日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。




