第一章/影との対峙 01
本日も恙なく狩りは成功した。
あまり高額な獲物を見つける事は出来なかったが、なんとなく粘ってもいい結果にはならなそうだったのでさっさと街に戻って、解体場で清算を済ませる。
そこで一息をついて、懐中時計で時刻を確認すると、ちょうど昼食時をさしていた。
ミーアは新しい騎士団長の就任式とかで遅くなるかもしれないと言っていたし、今日は一人で食事を摂る事になりそうだ。
懐中時計を仕舞って、とりあえず広場に向かって歩を進める。
が、どうやら贔屓にさせてもらっている店は休店日だったらしく、店頭にそれを告げる看板が置かれていた。
では代わりに出店で済ますかと考えたが、広場には甘い肉しか売っていない。あれは、まあ、言うほど不味くはないのだけど、好き好んで食べたい類でもないし、このさい飲み物だけで済ますのもありかな、と思ったところでお腹が、くぅ、となった。
まるで、こちらの思考が拒絶されたみたいな感じ。
そんな事を思うのは、昨日見たレニの夢の所為かもしれないが、そこにあまり引き摺られても仕方がない。
「……ミザリーさんのところで食べるかな」
この街に来た当初にお世話になった宿屋の、恰幅のいい女性の顔を思い出しながら、俺はそちらに舵を切った。
宿屋でもあり酒場でもあるそこは、夜が本番なところもあるので基本的に昼に客はほぼいない。
本日もその例に漏れる事はなく見事に閑古鳥が鳴いていたが、出迎えてくれたミザリーさんの声は夜と変わらず快活なものだった。
「いらっしゃい! 一人で来るなんて珍しいわね。いつものでいいの?」
「ええ、お願いします」
入口から一番近い席に腰を下ろして、俺は差し出された水をちびちびと飲みながらメニューが届くのを待つ。
五分ほどで焼肉とスープが届けられた。
此処に来たばかりの頃は不味いという評価しか出来なかった料理。でも、今は、自炊するようになった事で、十分値段以上の質である事が判っている。
実際、上手く調理しないと、喉を通らないレベルの肉なのである。まあ、だからこそ、この上なく安価なわけだけど。
「ねぇ、他に注文がないなら、あたしも座っていいかい?」
片手に酒瓶をもったミザリーさんが、とんとん、と対面の席を人差し指で叩きながら言う。
「もしかして、暇なんですか?」
「暇以外の何に見えるんだい? 宿の方の客なんて基本滅多に来ないし、来たとしても馴染みの客しか残ってないからね。でも、ルーゼの仕事だから休むに休めないし」
「そういえば、酒場の方は副業なんでしたっけ?」
「客が来なくともルーゼから金は入るから、やる必要もないんだけどね。でも、しないと退屈で死んじまうからさ。あたしが」
自身を呆れるように笑って、ミザリーさんはお酒をぐいっと飲んだ。
それに合わせて俺も水を一口飲み、腰を据える。
特に急ぎの用もないし、彼女は色々な人と交流があるためか話題の幅が非常に広いので、こういう機会は素直に楽しいし、勉強にもなる。
今日は広場の出店のルールについていくつか新しい情報を得る事が出来た。なんでも、ミザリーさんは以前に出店を開いた事があり、その時にルールをよく知らずトラブルになったらしい。
もっとも、トラブルになった一番の原因は知らなかった事ではなく、ルーゼから来た余所者が余計な事をするなと馬鹿にされた事に腹を立てて、嫌味な騎士の頭を叩いた事にあったわけだが……まあ、なんともミザリーさんらしいエピソードと言えばエピソードだろうか。
「……ごちそうさまでした」
話を交えつつ食事を終えて、会計を済ませる。
「今度はミーアちゃんと一緒に来なよ。あの子は一杯食べるからね、見てて気持ちがいいし」
「普段は私と変わらない量しか食べないんですけどね」
だからこそ、ミーアをここに連れて来るのは結構好きだったりした。上品なくせに、黙々と凄い速度で皿を重ねて行く様が、不思議であると同時に、なんというかほっこりもするからだ。
「それは初耳だね。まあ、余所は高いから、そうなるのが自然なのかもしれないけど――」
と、ミザリーさんが呟いたところで、外から怒号が響き渡った。
「下地区の汚物が! ただで済むと思ってんのか!」
野太い男の声だ。
他にも、それに助勢するように複数の男の荒々しい声が聞こえてくる。
音源からして店の左手前くらいだろうか。結構近い。少し呂律が回っていない感じからして、喚いている方は酔っているんだろう。
昼間の酔っ払いというのはなかなかに珍しい。故に、一般的な職種の人間ではなく、冒険者とかそのあたりというのが推測出来た。
会計も終わって、これから外に出ようという時に、あからさまな面倒が傍にあるというのも憂鬱な話だけど、ここで時間を潰すわけにもいかない。
なにせ他に客がいないのだから、ミザリーさんが首を突っ込まない筈がないのである。
その予想のままに、彼女は「煩いねぇ。揉め事は人気のない場所で静かにやれってんだよ。まったく」と愚痴を零しながら、ずんずんという音が聞こえてきそうな大股歩きで、店を出て行った。
「……大事にならなければいいけど」
ため息を一つ零しつつ、俺も後を追いかける。
外に出ると、曇天の空と野次馬たちが迎えてくれた。その中心にあるのは、案の定の冒険者たちと、六、七歳くらいの下地区の少年だった。
一番顔を赤くしている十代後半(それでも彼等の仲では一番年上に見える)くらいの冒険者の格好は、魔物を想定しているとは思えない金属製の重たい鎧で、傷一つ見当たらないところから見て新調したてか、そもそも冒険者になりたてといった感じだった。
それ故に、一点だけ汚れている箇所が酷く目立つ。泥と魔物油の混じった汚れ。ただの水で落とすには手間がかかりそうだ。ただとはいかない。
だからこそ、冒険者の青年は怒り心頭なんだろうけど、そもそも鎧なんて放っておいても痛むし汚れる代物である。気分が悪くなるのも判るが、小さな子供を取り囲んで怒鳴り散らすというのはどう見てもやり過ぎだ。
とはいえ、下地区の少年に見覚えがあるわけでもないし、冒険者の装備自体はかなりいいものだ。彼等自体にはなんの脅威も感じないが、だからこそ背景が気になる。
……気になるが、まあ、仲裁を躊躇うほどの相手とも思えないし、ここはミザリーさんが動く前にこちらで片付けた方が良さそうだ――などという小さな葛藤があった所為で、出遅れた。
「みっともないねぇ! 餓鬼苛めて冒険者気取りか? 鬱陶しい!」
肌を叩くほどに響きのいい、容赦のない感想。
ちなみにだけど、ミザリーさんは戦闘に向いた魔力特性をしているわけではないので、冒険者の暴力には絶対勝てない。
だというのに、一切の揺らぎなく目の前にいた冒険者を突き飛ばして彼等の輪を崩し、下地区の少年を庇うのだから、本当に度胸がある。
客商売をやってれば自然に身につくものなのか、或いは俺に多少は期待しているのか……いや、仮に俺がこの場に居なくても、彼女は彼等に喧嘩を売った事だろう。
それが判るからこそ、こちらも気兼ねなく動ける。
「なんだ、ババァ? こっちは大事な話してんだ。消えろ!」
「あ、そう、大きな仕事を運よく成功させて、祝杯でもして気が大きくなってるわけね。大した実力もない奴にありがちな話だけど、それあたしには関係ないわよね? そもそも餓鬼の件抜きに、大声だされて迷惑なの。判る? 少しでも頭まわってんなら解るはずなんだけど、その様子じゃ無理そうだねぇ」
「てめぇ――!」
捲し立てるようなミザリーさんの挑発に、冒険者が腰の剣を抜く。
瞬間、彼女の眼差しがその刃以上に鋭く細められた。
「抜いたな? あんたは今、ルーゼに喧嘩売ったわけだ。つまり外交問題になるわけだけど、当然その覚悟があるんだろうねぇ?」
低く、押し殺した声。
魔力もなにもないのに、はっきりと感じる凄味。
そこにたじろぐ辺り根は小心者なんだろうが、酒を飲んでいるというのが良くなかった。
「や、安い脅し並べやがって! ぶっ殺してやる!」
激昂した冒険者が剣を振り上げる。
瞬間、レニ・ソルクラウの身体が臨戦態勢に入ったがわかった。
全てが驚くほどに緩慢に染まっていく感覚。
まずは手足を切り落として、次に喉に孔でも開けてしまおうか。そうすればすぐに静かに――
「――っ!?」
物騒な思考に促されるように、いつのまにか右手に剣を具現化しようとしている自分に気付き、戦慄を覚えた。
どう考えても、そこまでやる必要のない相手だ。
なのに、どうしてこんな衝動を覚えたのか。
胸を占める嫌な感覚を振り払うように具現化を取り消して、かわりに冒険者の手首を掴む。
かなり意識して力を抑えたので、骨を潰すという事態にはならなかったようだ。とはいえこの場合は、罅の一つくらいは入れておいた方が判りやすかったのかもしれない。
まあ、それはそれで少しやり過ぎな気もするけど、最初の発想よりはずっとマシだろう。そんな事を考えつつ、俺は魔力を込めた声で静かに言った。
「それくらいにしておいた方がいい」
「――」
ミザリーさんの威勢には屈しなかった冒険者が、その目を大きく見開いて凍りつく。
そこまで露骨に見せた覚えもないが、十二分にこちらの脅しは届いてくれたようだ。彼の仲間たちも見事なくらいに青ざめてくれている。
魔力の差を見せつけるという行為は、やっぱり一番スマートな脅しだと思う。
なにせ、この世界の人間の個体差はおぞましいのだ。猫と虎どころの騒ぎではない。蟻と象ですらまだ近い存在と言えるだろう。
だからこそ、劇的に機能する。
劇的すぎて、少し複雑な気持ちにもなる事があるけど、そのあたりは初心を忘れないように心掛けるしかない。或いは、それが薄れてきているから、暴力を是とするような思考が顔をだしたのか……なんにしても、この騒ぎはこれで片付くだろう。
それを物語るうように「く、くらだねぇ。もう行くぞ!」と微かに震えた声で、冒険者たちはいそいそと立ち去っていった。
「……酒の力と、相手がガキだってことををちょっと舐めてたね。あたし一人で解決できると思ったんだけど、あんたには迷惑かけちまったみたいだ」
首のあたりを右掌で抑えるようにしながら、ミザリーさんが少し苦い顔をする。
こういう後悔を見るのは、あまり好きじゃない。
「いえ、あれはさすがに度が過ぎていましたし、目障りだったのは私も同じですから」
「そう、それなら良かったよ」
ふっと、淡い微笑を浮かべて、ミザリーさんは荒事に合わせて微かに強張っていた身体を脱力させて、下地区の少年に視線を向けた。
「それはそうと、あんた大丈夫かい? 親はどうしたのさ?」
「わかんない。遊んでたら、迷子になって――」
そこで緊張の糸が切れたように、少年はぼろぼろと涙を流し始めた。
それでも声をあげて泣かないのは、それが許されない環境で生きてきたからなのか、そのあたりは判らないけれど、掠れた声で「ありがとう」と言える少年は、きっといい子なんだろう。
だからこそ、ミザリーさんも柔らかな表情を浮かべて――でも、そこに水を差すように背後から声がかかった。
「お久しぶりです。ミザリーさん。長期の宿泊をしたいんですけど、交渉いいですか?」
「こんな時に限って客がくるのは、なんでなのかしらねぇ」
舌打ちを一つ零すあたり、こっちが想像していた以上に彼女にとって悪いタイミングだったようだ。
それを肌で感じ取ったのか、それとも舌打ちをしっかりと聞いてしまったからか、、
「あー、どうやら取り込み中みたいですね。後にした方が良いかな……」
と、馴染みの泊り客(多分商人)は気まずそうに言った。
すると、今度はミザリーさんがバツの悪そうな表情を滲ませる。まあ、大事な客を無碍に扱うのは、彼女にとっても本意ではないだろうし、こちらは仕事終わりの暇人だ。彼女がしようとしていた事は、問題なく引き受けられる。
「下地区まで行けば、家に帰れる?」
片膝をついて少年の目線に合わせて訪ねる。
少年は、少し迷うように視線を左右に泳がせた後、小さく頷いた。
「それじゃあ、私はこの子を送っていくので」
「すまないね。今度来た時は割引しとくよ」
「そこは奢るでいいと思いますけど?」
なんとなくミザリーさんに軽口を返してみる。
すると彼女は右肩をすくめて、悪戯っぽく笑った。
「こっちも商売だからねぇ、そういうわけにはいかないのさ。それに、どの道あんたも絡んでたんだろう?」
「……格好、つけるんじゃなかったかな」
苦笑を浮かべつつ、俺は立ち上がって、
「行こうか、ついてきてね」
と、少年に告げて下地区へと帰る事にした。
平和な時がそこで終わる事なんて、欠片も想像していなかった。
次回は三日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。