03
向こう側での優劣は、決定的にこの身体の主導権に影響する。
右手を抑え込み、舌を動かせた事実を前にそれを確信しつつ、俺は改めて周囲を見渡した。
血塗れの室内に、想定外の人物。
前者は容易に想像出来るが、後者は不可解かつ不穏だ。少しの間トルフィネに残るとは聞いていたけれど、一体どうしてアカイアネさんが此処に――
「――私に、干渉するな!」
落ちつきたい状況だっていうのに、勝手に口が動く。
やっぱり、完全には主導権を取り戻せていなかったようだ。
現状、六対四といった感じだろうか。抑える事は問題なく出来そうだけど、抵抗されたらこちらも自由には行動できないといった状態。
あと少し向こう側に居られたら確実にへし折る事が出来たと思うだけに、この目覚めは残念だけど、まあ及第点だ。
今ここでもう一押しすれば、こちらが何もしなくてもある程度大人しくさせる事は出来るだろうと、俺は右手に短剣を具現化して、抵抗される前に自身の首を掻っ切る。
向こう側で痛みと向き合い続けて感覚が麻痺していたおかげか、本当に躊躇なく頸動脈を切れたのは幸いだった。
「レニさま!?」
ミーアが驚愕に目を見開きながら、慌てて傷口に触れてくる。
治癒の魔法。普段よりも少し弱い。どうやら、思った以上に消耗させてしまっていたみたいだ。それだけ、向こうでのダメージがこちらにも響いていたという事なんだろう。
そんな事を思いながら、俺は強い意志を込めてレニに告げる。
「心中したくなければ、考えて動けよ」
(――っ、この、屑がっ……!)
弱々しい罵声が漏れてくる。
表情に怯えが滲んだのも、はっきりと理解出来た。
その結果に、ほどほど満足しつつ、俺はひとまず手綱を手放す。
目覚めたばかりで、まだ向こう側に戻るのには時間がかかりそうだし、この身体は自分のものだと主張し続けるのも現実的じゃないからだ。
だから、要所でしっかりとこちらの意志を通せるようにするためにも、休めるところで休んでおく。
「相変わらず、こういう場面では思い切りのいいみたいね」
くすりと微笑みながら、アカイアネさんが言った。
傍から見たら自殺をしようとした相手にこの返しをしてくるあたり、彼女も普段通りの彼女のようだ。だからこそ、レニにとっても無視できない存在になったんだろう。
「貴様、誰だ?」
と、掠れた声で訪ねる。
「そうね、今は堕ちた神の使いっぱしりかしら。非常に遺憾な話ではあるけれどね」
これは俺に向けた答えだ。
つまり、不穏な予感は的中していたという事である。彼女がここにいる背景には、あのリフィルディールが絡んでいる。
「堕ちた神、だと?」
「気にしなくてもいいわ。貴女には関係ないから」
冷めた口調でそう言って、アカイアネさんはくるりとドアの方に身体を向けた。
「帰るわ。貴女もこれから忙しそうだしね」
その言葉を聞いた直後、玄関のドアが開かれる音が届いた。
気配一つない突然の来客。それだけで相手が誰なのかは判る。
「――ん、なんで、あんたがこんなところにいるのよ?」
アカイアネさんが部屋のドアを開けた先にいたリッセが、眉を顰めた。
「貴女たちの件に関わるつもりはないから、気にする必要はないわ」
「あ、そ、ならいいけどね」
無駄な問答を嫌ってか、リッセはあっさりと納得してアカイアネさんに道を譲って、そうして玄関のドアが閉められる音が届いたところで、
「……生贄の話がついた。儀式を調律する奴も用意した。あとはあんたがあの二人を殺すだけ」
と、言った。
微妙な間に、含むものを感じる。
リッセとしては時間稼ぎをしたい筈だから、話を纏めるのに手間取っていると報告した方がいい気がするけど、レニの顔色を見て決めた感じからして、そう言うのが一番自然な流れで進行を緩やかにするという判断だったんだろう。
それがこの上なく正解だったことを物語るように、レニは言った。
「言葉だけでは信用できない。その調律を担うものに、まず会わせろ。これも、重要な項目だからな」
今、戦う事に不安を覚えている証拠だ。
それは俺にとっても悪くない流れだけど……その所為でというべきか、ここで重要の問題に向き合う猶予が生まれてしまった。
リッセの思惑に乗るかどうかという話だ。ラクウェリスとディアネットという二人を、レニに殺させるかどうか……。
正直、乗り気にはなれない。
ラクウェリスもディアネットも厄介な存在ではあると思うけど、殺さなければならないほどなのかは不明だからだ。なにより、殺しという行為を簡単なものにしたくはない。
でも、それが一番被害の少ない方法だというのも判っている。
嫌な天秤。皮肉な現状だった。
もし俺がまだ、ただ見ていることしか出来ない立場だったら、こんな事を考える必要もなかっただろうに、今は明確に干渉できるからこそ共犯者になってしまう。
本当に、どうするべきか…………答えが出ないままに、その時は訪れた。
次回は四日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。




