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02

 レニの身に異変が起きたのは、彼女が眠りに落ちてから二時間ほどが経過したところでだった。

(……これも、首筋の痣と同じ)

 傍らにいたミーアは息を呑みつつ、それがレニ自身の魔力によって引き起こされている事を看破する。

 あの時は、なにか意図があるのかもしれないと思いあえて治療しなかったが、今回はそういうわけにもいかない。損傷の度合いが違いすぎる。

 肉が爆ぜて、血が飛び散り、骨を晒しているのだ。放っておけばすぐに命を落としてしまうだろう。

「……失礼します」

 あっという間に真っ赤に染まった白いシャツを裂いて、レニの上半身を裸にする。

 顔の傷は見ればわかるが、それ以外の箇所は目視しなければ損傷の度合いが計れないからだ。今有る傷だけなら全身に魔法を垂れ流すだけでいいが、これがいつまで続くか判らない以上、余分な魔力は使えない。

(怖いのは肋骨ね)

 罅が入るくらいならいいが、派手に折れた場合は他の臓器に突き刺さる。

 だから、その辺りは神経質にケアをしつつ、まだ大丈夫だと頭では判っていても痛々しくて目を逸らしてしまいたくなる顔の傷にも魔力を流す。

 開幕から意志薄弱だが、過度なストレスは魔法にも悪影響を及ぼすものだし、これは必要経費だと言い訳を並べて、ミーアは秒ごとに現れる傷と向かい合う。

(今の所、傷の種類は全部打撃によるもの。内側からは発生していない)

 なら、突然心臓が潰れるような事はないはずだ。潰れる前に、胸部に外傷が出来る。それを即座に治してしまえば、致命傷との距離は保てるだろう。

(上半身に比べて、下半身の損傷も少ないな)

 ズボンが殆ど汚れていないのが証拠だ。

 元より重要な臓器があるわけでもないので優先度は低いが、気にしなくていいのは幸いだった。

 ただ、この偏りは一体どうして起きているのか……

(……本当に、内側で殺し合いをしているということか)

 それも互いが憎しみに振り回されているかのような、稚拙な殺し合いだ。

 傷が出来る順序を見るだけでも判る。戦闘の駆け引きがまったくない。つまり、英雄たるレニ・ソルクラウの強みが機能していないという事だ。ミーアの知るレニが優勢に事を進めている。

 これは非常に有益な情報だ。

 とはいえ、諸手をあげて喜べるというわけでもない。

 先程、どの程度続くかわからないという不安を覚えたが、この感じだと間違いなく決着は長引く。

(彼女も巻き込んでおけば良かったな……)

 ここにリッセがいれば、マーカスなりなんなり他の治癒師を手配する事も出来ただろうに、だがここにはミーアしかいない。

 自分の感情に甘い判断をした事が、早速後悔として襲ってくる。先程の僅かな無駄が、下手をすると今目の前で眠っているこの身体の命運を分けるかもしれないのだ。

「…………聞こえていますか? もし聞こえているのなら至急此処に治癒師を派遣してください」

 悪趣味なリッセ・ベルノーウなら、もしかしてラウの力を借りて盗み聞きしているかもしれない、という苦い期待を口にしつつ、レニの身体に注意を戻す。

 そうして五分ほどが経過したところで、玄関口からノックの音が響いた。

 その瞬間、非常に複雑な気持ちが過ぎったが、今はとりあえず水に流すことにして、ミーアは声を張り上げる。

「今手が離せないので、勝手に入ってきてください!」

 鍵は掛けた気がするが、特別性というわけでもなし壊すのは簡単だろう。

 なんて思った矢先に、この部屋の窓を叩く音が響いて、

「泥棒のような真似をするつもりはないから、ここを開けてくれるかしら?」

 という声が、窓の外から聞こえてきた。

 ちなみだが、そちらにハシゴの類はない。というか、今の今まで窓の外に気配なんてなかった。

(……つくづく、特異な魔法ね)

 これが知らない誰かだったら警戒心に支配されていた事だろうが、相手が誰なのかはすぐに判ったので、安堵の方がずっと強い。

「そこから入ってくる方が、よほど泥棒じみていると思いますけどね」

 軽口を返しながら窓のロックを解除すると、真っ先に煌びやかな亜麻色の髪が飛び込んでくる。

 次に視線を惹きつけるのは、軍服めいた服と帽子。……レフレリで初めて会った時と、まったく同じ格好だった。

「気分の問題だからね。気にしなくていいわ」

 涼しげな笑顔でそう言いながら、ナアレ・アカイアネが部屋の中に降り立つ。

 そして、口元に手をあてながらレニを見下ろして、

「想像していた以上に不味い状態のようね。……まったく、手を貸すつもりなら、いっそ自分で解決すればいいものを。それくらい簡単でしょうに」

 てっきり、リッセが呼んだのだと思っていたが、どうやら違うようだ。

 でも、だとしたら誰が……?

「それも気にしなくてもいい、と言いたいところだけど、きっとそういうわけにも行かないのでしょうね。どうやら彼は、貴女にも注目しているようだし。さて、どう説明したものか……あぁ、だから私に押し付けたのかな。彼はそういう面倒が嫌いみたいだし」

「一人で納得しないで欲しいのですが……というか、その辺りの説明は別にあとでもいいので、まずはこの状況をなんとかしてくれませんか? それが出来るから、此処に来たのでしょう?」

「……そうね、今優先するべきは彼女の維持。といっても、私に根本的な解決は出来ないわ。治癒師でもないしね。でも、貴女の方の問題を解決する事は出来る。副作用はあるけれど――」

「やってください」

「素敵な即答ね。好きよ、そういう愚かさって」

 くすりと可笑しそうに微笑んでから、ナアレは右手を真っ直ぐこちらの胸に伸ばしてきた。

 たおやかな手が、ミーアの心音を捉える。

「今から、魔力の回復に必要な手順を最短なものに変えるわ。結果として、貴女は消耗と同時に、同程度の魔力の生成を行えるようになる。ただし、先程も言ったけれど、これには大きな代償が伴う。具体的に言うと、明日以降しばらくのあいだ、一切魔力が生成できない状態になるといった感じかしら。それがどれだけ危険なのかは、説明をしなくてもわかると思う」

 つらつらと言葉を並べながら、ナアレが『距離』の魔法を発現させる。

 瞬間、枯渇気味だった魔力が一気に息を吹き返したのが、心臓を圧迫する痛みと共に理解出来た。

(核に魔法を使ったという事か)

 別段無防備を晒していたわけではないのだが、あっさりと干渉されたところに、この魔法の強度の高さが窺える。

 或いは、今の自分の魔力の弱さと言った方がいいのかもしれないが……

「――ぐう、あ、ああ、、」

 思考を遮るように、レニの口から呻き声が漏れた。

 直後、激しい出血が室内を汚していく。

「内側で起きている事が肉体に反映されるまで、どの程度かかるのかはちょっと視えないけれど、ある程度堰き止められていたものが一気に溢れてきたといった感じね。ここからが正念場よ。貴女の体調に合わせて、少しは距離を調整してみるけれど、私の魔法でも直接的な干渉はほとんどできないから、これ以上の補佐は難しい」

「ええ、判っています」

 治癒の魔法は基本的に害として認識されるものではないので一応は機能するが、それでも強すぎるレニの魔力の色にかなり効果を落とされているくらいなのだ。元々、そこに期待はしていない。

(……レニさま、どうか負けないで)

 祈りを込めながら、出血した直後のまだ生きている血を触媒にする事によって損失を最小限に、ミーアは治癒に専念していく。

 ただ回復するだけではないので神経に掛かる負担も大きい所為か、早速眩暈に襲われたが、気にはしない。

 彼女だってきっと精神力の削る戦いをしているのだ。だったら、こちらだってたとえ意識を失おうとも魔法を注ぎ続けるまで。

 ……その覚悟の元、果たしてどれだけの時間が更に経過しただろうか。

 頭痛と吐き気まで追加されて、いよいよ身体が悲鳴を上げ始めたところで、ぴたりと出血が止んだ。

 行ったり来たりしていたレニの状態が安定する。

 それに伴って、呼吸が浅いものへと変わっていく。

 小さな身じろぎと、微かな呻き声。それらは目覚めの予兆だ。

(勝負がついた、ということ……?)

 当たり前に不安が最初に顔をだすのは哀しい性分に、ちょっとした自己嫌悪を覚えつつ、固唾を呑んで事態を見守る。

「……ん、んん」

 レニの目蓋が、ゆっくりと開かれた。

 緩慢な動作で上体が起こされる。

「近すぎるわ。なにかあった時に対処できない」

 静かな声と共にナアレがミーアの腰を抱いて、距離を取らせる。

 彼女の方も、どちらなのかまだ確信が持てないという事か。

 その事実にまた不安が増していく最中、目があった。

(……あぁ、違う)

 ミーアのよく知る、彼女ではない。

 じわじわと滲み出てきた憎悪が、全てを物語っていた。

「忌々しい女が……!」

 レニの右手に魔力が込められる。

 殺意に満ちた具現化の魔法が、発現しようと猛り狂う。

 でも、それが形を為すことはなかった。

 突然、レニが頭を抑えて苦しみだしたからだ。そして、

「……リッセは、伝えてくれなかったみたいだから言うけど、しばらく私からは離れていて。まだ、少し時間がかかりそうだからね」

 と、とてもよく知っている落ち着きと優しさを宿した声が、胸に染みるように響いた。



次回は三日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。

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