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第三章/殺し合い 01

 レニ・ソルクラウという人物に対して、俺が最初に抱いた感情は憐れみだった。

 国に裏切られた傷だらけの英雄という情報は、不謹慎かもしれないけれど実にドラマ的で、このうえなく他人事だったから、それに疑いを持つこともなかった。むしろ、断片的に顔を見せた幾つかの記憶を前に、確たるものになろうとさえしていた。

 その、ある種の幻想に罅が入ったのは、彼女の本心が聞こえるようになってからだ。視覚と聴覚の情報だけなく、その時彼女が抱いた感情や思考が届くようになってから、認識は大きく揺らぎだした。

 極めて独善的で歪んだ価値観と、全てに向けられていた憎悪に似た苛立ち。そして、その本質に引っ張られるように零れ落ちてきた非道の数々。

 彼女の記憶を見るたびに憂鬱な気持ちになったものだし、国に裏切られるのも当然だと思うようになった。

 ただ、それでも、彼女自身に嫌悪を抱くまでには至らなかった。

 非の打ちどころがないくらいに可哀想な人物ではなくなってしまったけれど、彼女が歪んでしまった背景は間違いなく悲惨なもので、その一点に対する同情は残っていたからだ。

 だから、この身体が俺の思うように動かせなくなった当初も、出来れば穏便に解決したいと考えていたし、共存するという選択肢だって一応は視野に入れていた。

 ……もちろん、全部過去の話である。

 俺の目の前にいるこの女はミーアに手を出した。混乱の中ではなく、状況が読み取れる段階になって、そんな事をする必要がないにもかかわらず、明確な悪意をもって彼女を傷つけた。

 思い出すだけで胸の奥が冷えていく。

 頭の中で、詳細に誰かを殺したのは本当に久しぶりの事だった。もしかすると、あの男以来かもしれない。

 この、ドス黒い妄想を現実にしたくてたまらないという欲求。正しく憎しみだ。本来なら上手く隠すべきもの。

 けど、今はそんな理性を働かせる必要はない。

「首がまだ痛いね。そっちはどう?」

 まだ絞められた感触が微かに残っているその箇所に触れながら、俺は言う。

 対峙しているレニは黙ったままだが、その首筋にはシャワーの時に見たのと同じ青痣が残っていた。

「ずいぶんと大人しいな。俺を消すんじゃなかったの?」

「……忌々しい汚物が」

 憎悪を眼差しに込めながらも、レニは襲い掛かってこない。

 こちらが思っている以上に、他人の首を絞めた代償が響いているようだ。まあ、常に鎧に身を纏って自己防衛を優先している女である。左腕を失うきっかけになった戦いでもそうだった。

 普通の軍貴と言っていいのかは判らないけれど、多分ミーアだったら初手であの魔法を使って敵を殺していただろう。でも、こいつはしなかった。許容するべきリスクを嫌って、その所為で追いつめられて、そこでようやく切り札を使った。

 このことからも判るように、こいつは貴族としては出来損ないだ。戦いに身を置いてきたわけだから、極端に痛みに弱いなんてことはないだろうけれど、人並み以上にそれとは距離を取りたがる傾向にある。

 つまり此処でなら、暴力を用いた一方的な関係は築けないという事だ。俺も自由に自分の身体を動かせるし、当然好き勝手に喋る事も出来る。

 問題は、此処での趨勢が現実にどの程度の影響を齎せるのかだけど、左腕に干渉出来た以上、ゼロという事はない筈。

 それをひとまず妄信しつつ、出鼻をくじいたついでに早速仕掛ける。

「一つ訊きたいんだけど、アルドヴァニアに戻って、君はどうするつもりだ?」

 お前と呼ぶか君と呼ぶか少し迷ったけど、後者の方が目下を相手にしている感じが出ていいだろうという事でそっちを採用した。

「答える必要があると思っているのか?」

 戦闘をするわけでもないのに腰を落としながら、レニは言う。

 やっぱり暴力だけだ。もうそういう状況じゃないっていうのに、空気の読めない女。

「なにを求めたって無駄になりそうだから言ってるんだよ。そういうのって、見苦しいだろう?」 

「それを聞いて少し安心したぞ。下種な覗き魔が、手に出来た光景は僅かだったようだな」

「あぁ、そうだね、君の見たくもない過去は一部しか知らないよ。それこそ、好きな男に背中から斬られた事くらいだ」

「――!」

 レニの瞳が大きく見開かれる。

 続いて浮かび上がるのは羞恥と怒り。

「ずいぶんと新鮮な反応だな。もう十年は前の出来事だと思うんだけど、まさか、まだ引き摺ってるとか?」

「なにも出来ずに、母親をむざむざ殺されただけの男が……!」

 押し殺した声でレニが吐き捨てる。が、それは反撃の言葉としては、ずいぶんと弱いものだった。

 まったくもって、釣り合いが取れていない。

「愛された事もない奴が妬むなよ。照れるだろう?」

「……は?」

 レニはややの抜けた声を漏らしてから、数秒後に右の拳を震えるほどに強く握りしめた。

 射殺すような眼差し。でも、その奥にあるのは悔しさだ。

 この反応から見て、俺と母との記憶も多く視ている事が判る。非常に不愉快な話ではあるけど、でも、まあ、おかげで互いの違いをこの女も理解した事だろう。

「……それは、どういう意味だ?」

 にもかかわらず、そんな問いをしてくるということは、よほど認めたくなかったのか。

「言葉通りだよ。俺は確かに無力な子供だったけど、最初から最期まで一度だって大事な人に裏切られた事はなかった。特別な力があって、それだけの美貌もあって、すでに十分な価値があったのに見限られた、どこかの英雄と違って」

「――」

 奥歯が割れかねないほどに、軋む音が響く。

 それを嘲笑ってみせるために鼻を鳴らして、俺は言った。

「莫迦丸出しだな。少しは考えてから喋った方がいい。今、君の目の前にいるのは、君に怯えて何も言い返せない従順な部下や子供じゃないんだ。……まったく、まさかここまで頭が悪いとは思わなかったな。この分だと、もしかして気付いてもいない可能性もあるのか」

 そこで数秒ほど押し黙ってから、盛大なため息を吐く。

 狙いは感情を逆撫でる事であり、身構えさせて後手に回らせる事だ。

 さっきした発言の通り、対等な口喧嘩なんてした事もないだろうレニは、こちらの意図したままの反応をみせる。あと少し待てば、きっと「どういう意味だ?」とまた聞き返してきた事だろう。

 けど、その手前で俺は口を開いた。

「もう一度訊くけど、君が国に戻る理由はなに?」

 もちろんこの答えは知っている。だから、俺がこいつに求めているのは情報じゃない。

「……」

 レニは沈黙する。

 こちらの意図がなんなのかを考えて、どう返すか吟味しているといったところだろうか。

 急かしてもいいが、それをこちらの焦りと取られるのも良くないから、じっと待つ事にする。

 そうして十秒くらい静かな時間を堪能したところで、

「貴様如きに教えてやる必要はない」

 と、硬い口調で、同じ姿勢を貫く事にしたようだ。

 出来れば、このタイミングでこいつ自身に言わせた方が効果的だったんだけど、まあ百点の展開を望んでも仕方がない。

「そう、じゃあ一方的に決めつけるとしよう。レニ・ソルクラウはアルドヴァニアという国を自分のものにしようとしている独裁者候補だ。つまり、彼女が国に戻って真っ先にする事は、現政権の破壊に他ならない」

「国家の害となっているのは奴等だ!」

 強い感情を持って、レニが叫んだ。

 自身の崇高な目的が歪められるのは、よほど我慢ならないらしい。

「そして、誰かが全てを正常にする必要上がる。なによりも迅速にな」

「でも、君は一度負けている」

「私が失ったのは利き腕だけだ。奴等の戦力は既に半壊している。もはや、私に敗北はない」

「予定外の事が起きなければ、そうなのかもね」

「それも貴様を始末すれば片付く事だ」

 少し手間取ったけど、ここで狙い通りの言葉を引き出せた。

 それに少しだけ安堵を覚えつつ、俺は言う。

「やっぱり気付いていないんだな。予定外っていうのは俺の事じゃない。君の事だよ、紛い物」

「……紛い物、だと?」

 微かな戸惑い。

 でも、それは程無くして受け入れがたい現実へと変わったようだ。

 突然の頭痛に襲われたようにこめかみを抑えて目を閉じたレニは、その表情をみるみるうちに混乱と恐怖に染め上げていった。

 おそらく、俺がこの世界に落とされる直前の記憶を手にしたんだろう。

 正直、このタイミングで記憶の断片が刺さってくれたのは出来過ぎではあるけど、『紛い物』という言葉はその情報を手にする切っ掛けとしては十分なトリガーともいえたし、遅かれ早かれではあったんだと思う。

 まあ、なんにしても、この好機を逃すつもりはない。

「本物のレニ・ソルクラウは今頃、左腕という損失を覆すだけの力を手に入れて、戦争の準備を進めているんだろう」

「……止めろ」

 掠れたレニの声。

 それを無視して、俺は言葉を続ける。

「俺たちが活用している身体は複製品だ。俺はレニ・ソルクラウの身体を乗っ取っているわけじゃない。その前提を知ってもらった上で、もう一度だけ話を戻そう。君はなんのために国に戻る? いや、なんのために存在しているって訊いた方が――」

「――止めろっ!」

 耳鳴りがしそうなくらいの怒号と共に、レニが踏み込んできた。

 直後、視界を埋める右の拳。

 咄嗟に身体をのけぞらせながら、両腕でガードしたけど、崩れた姿勢を立て直す事が出来ずに、足を引っかけられてそのまま地面に倒される。

 受け身も取れなかったから、呼吸が少し止まった。

 その隙をつくように、レニは肺に刺さった苦しみを堪えるように強く歯を食いしばりながら、俺の上に馬乗りになって、何度も何度も右の拳を振り下ろす。

 ……不思議な光景だった。

 暴力を振るっている側の顔がどんどん酷い事になっていくのだ。まあ、鏡を見たら自分も同じ面構えになっているんだろうけど、女性が痣をこしらえていく様を見るのは、たとえ快くない相手であっても嫌なもので、そういう意味ではなかなかに堪える攻撃だった。

 もちろん、純粋な痛みというものも厄介なもので、嫌でも涙が視界を歪めていたけれど……でも、これは耐えられる。痛いのはお互い様だからだ。

 なにより、目的のある我慢は得意だった。待ち過ぎて失敗するくらいには。

「う、ぐぅ、はぁ、はぁ……」

 右の拳が止まる。

 それはつまり、こいつのターンが終わった事を意味していて――

「――がっ!?」

 握りしめた左の拳が、綺麗に目の前の女の鼻っ面に直撃した。

 間髪入れずに右拳の追撃も叩き込んで、馬乗りを解除させる。

 そうして自由を取り戻した俺は先に立ち上がり、驚愕に目を見開いていたレニを見下ろした。

「間抜けな面だな。他人を殴っておいて、自分は殴られないとでも思ってたのか?」

 その言葉を並べながら、爪先で思い切り蹴飛ばす。

 さすがに警戒された状態ではガードされてしまうが、右腕に届いた手応えはなかなかのものだった。

 なら、このまま畳み掛けるのがいいだろう。

「……そういえば、俺の方はまだはっきりと宣言してなかったね」

 無様に地を転がって距離を取り、慌てて立ち上がったレニを眺めながら、俺は告げる。風呂場の鏡の前でこの女が向けてきた殺意を塗りつぶすくらいの強い意志を込めて。

「必ず殺してやる。お前の心をな」



次回は四日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。

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