05
狙い通りの異変が起きたのは、その道中でだった。
ちょうど中地区の広場に差し掛かったところで、レニが立ち眩みを起こしたのだ。足にも力が入らなくなって、そのまま倒れそうにもなった。
これは、重度の貧血の症状だ。
(……やはり、あの程度の休息では足りなかったか)
治癒の魔法は傷を癒すが、血液までは補充してくれない。むしろ、血液を糧に行うのが治癒魔法だ。
だから、こうなるのは必然だったわけだけど、ここまでその問題が表に出なかったのは、ひとえにレニの魔力の使い方が上手かったからだった。
血液の流れや身体にかかっている痛みなどの負荷を、この女は遮断や緩和といった魔力操作を用いて誤魔化していたのである。イルの屋敷を出るまでは。
でも、出たところでコントロールが徐々に効かなくなっていった。俺が義手に小さく開けた穴から肘に触れて浸食を開始していたドールマンさんの魔法が――影の女性の返り血に紛れて俺の左腕にも付着していた彼の血が、レニの魔力制御に軽い機能不全を起こしていたが故に。
気付かれないように魔力でコーティングして、そこまで運べたのもそうだし、そもそもドールマンさんがここにいる事もそうだけど、本当に完璧なお膳立てをしてもらった。こちらの状態をわざわざ伝える必要なんてなかったって痛感させられるくらいに。
そのおかげで、いくつかの箇所を自由に動かせそうな気配がある。
ただ、今はしない。今はレニに、この貧血を真っ当な方法で解決してもらう必要があるからだ。
「なんだか、お疲れみたいだな。話はこっちでつけておくから、部屋で休んだらどうだ? 間違っても、逆に殺されたら困るしね」
要望通り、リッセが休息の流れに話を振る。
先程までなら頑なに国に帰る事を優先していただろうが、自身の不調を自覚してしまった以上、レニもそれが最善だという事は判っている筈。
(……たしかに、その方がいいか)
と、それを物語る思考を漏らしつつ、レニは不愉快な視線をミーアに向けた。
その視線から逃げるようにミーアが俯く。
レニに殺されかけたところからずっと、彼女は無言だった。そこになにか狙いがあるのならいいんだけど、そうじゃなくて、ただその痛みを堪えているんだとしたら――
「なにをしている? 屑が、早く案内しろ」
「……はい」
か細い声で頷いて、ミーアが自宅に向かって歩き出す。
案内を求めたという事は、家の情報はまだ手にしていないという事だ。或いは、知った上でこちらがどこに案内するのかを確かめようとしているのかもしれないが、どちらにしても向かう場所に変化はないだろう。
足早に歩きだしたミーアの背中を追い駆けながら、レニは周囲への警戒を強める。
尾行の線を疑っているのかと最初は思ったが、多分そういうのではなく性分のようなものなんだと思う。こんな女が、恨まれずに生きていられるわけもないのだから。
「……どうぞ」
自宅の鍵を開けて、ミーアが中へと促す。
そこで、脳裏に仕事を終えて此処に戻ってくる俺の記憶が過ぎった。なんてことはない日常の一幕だ。
でも、そんな事すら許せないのか、レニは眉間に皺を強く刻みながら、ズカズカと俺の部屋に向かって足を進めて、
「もういい、用があるまで消えていろ」
乱暴にミーアを突き飛ばし、ドアを閉めた。
不意を突かれた事もあってか尻餅をついた彼女の姿が、その間際に映った。
「……ふん」
数秒後、離れ始めた気配に鼻を鳴らして、レニはクローゼットの前に立ち、鎧を解いて、服の物色をはじめる。
俺が着ている服なので、基本的にはシャツにパンツというシンプルなものばかりだ。それはこの女にとっても、馴染みのあるものだったんだろう。
上下とも黒色のものをさっさと選んで、ついでに下着も黒でまとめて、風呂場へと向かう。
まだ、片腕での生活には慣れていないからか、服を脱ぐのに少し手間取りつつ裸になって、熱いシャワーを頭から浴びた。
身体にこびりついていた渇いた血が、じわじわと溶け、流れ落ちて行く。
そうして鏡の前で素肌を露わにしながら、どういうわけかまだ首筋に残っている青痣を前にしながら、レニは真っ直ぐに俺を睨みつけ、決意をもった強い声で呟いた。
「この身体は、私のものだ。……忌々しい異分子が、必ず消してやる」
次回は二日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。




