03
仕事時、毎度のように顔を合わせる門番二人の驚く表情を尻目に、俺達は城門をくぐってトルフィネの中に入った。
下知区は今酷く慌ただしい事になっているんだろうけど、中地区はいつも通りの喧騒に包まれている。それは血塗れの人間がいたところで変わらない。まあ、冒険者や騎士が怪我をして帰って来るなんて事も日常の一部でしかないので、当然と言えば当然だが。
「それで、いつまで待たせるつもりだ?」
基本的に周囲を信用していないという姿勢のままに、森を抜ける前にはもう完全武装していたレニが、兜越しにくぐもった声で苛立ちを滲ませる。
それに対し、リッセは面倒そうにため息をついて、
「転移の儀式を完璧に成功させたいなら、星の位置は重要だ。あんたの国ではどうか知らないけど、うちではそうなってる。まあ、あんたが星の動きにも干渉できるっていうなら急ぐ意味もあるんだろうけどね。……で、あんたには出来るわけ? 出来ないなら喚くな。さっきも言ったと思うけど、こっちは色々と水分無くした所為で喉が渇いてるんだ。あんたと違って清潔が好みだから、着替えもしたいしね」
と、ドライな口調で言った。
そして、近場にあった水屋にふらっと立ち寄って、三本ほど飲み物を購入し、ラウとミーアに一本ずつ寄越してから、
「物欲しそうな顔だな。急いでるんじゃなかったのか?」
小馬鹿にするように笑って、もう一本を購入し、それをこちらに投げ寄越してきた。
なかなかに嫌味の効いた、それでいて何ともリッセらしいイニシアチブの取り方だ。
実際、それを拒むでもなく受け取ってしまったレニは、複雑な表情で数秒ほど飲み物を見つめていて、まんまと彼女のペースに巻き込まれているのがよく判った。
(……毒は、なさそうだな)
葛藤の末に、レニは兜だけを解き飲み物に手を付ける。
おかげで、先程から続いていた喉の渇きが解消されて、少し気が楽になった。
あとはシャワーを浴びて、綺麗な服に着替えれば、傷の痛み以外の問題は片付いてくれそうだが……さすがにそこまで悠長に振る舞う気はないようだ。
「それなりの時間を置く必要がある事は判った。だが、それは貴様たちの準備が間に合う保証にはならないだろう。重要な項目は今すぐに証明してみせろ。でなければ、話は此処で終わりだ」
右手に魔力を込めながら、レニは強く口調で言う。
判りやすい脅し。この女がいかに暴力に頼って生きてきたのかが窺える。
「……そうね。じゃあ、儀式の成立に必要な奴等との話だけは、先に済ませてあげるわ。まあ、きっと上手く行くでしょう? なにせ大貴族さまだ。生まれた時から傍にいた側近が殺されたくらいで、拗れるなんて事もないだろうしな」
貴族に対するこれ以上ない嫌悪を冷めた笑顔で表現しながら、リッセはイル・レコンノルンの邸宅に向かって舵を切る事にしたようだ。
先程、取り返しのつかない殺し合いをした相手。
少しだけ、そこで犠牲になった、鎧を纏った顔も知らない男性の事を考える。
彼を殺したのはレニだ。俺じゃないし、あの時俺に出来る事はなかったと思う。でも、それでも奪われた者にとっては同じ事だろうし、罪悪感というものも、こうして望んでもいないのに滲んでくる。影を操るあの女性の眼差しを想像するだけで、憂鬱になる。
まったくもって性質の悪い連帯責任だ。あげく、それを僅かでも紛らわせてくれたかもしれない溜息すら今は自由に出来ないのだから、本当に嫌気が差す。
この思考や感情が、少しでもレニという腫瘍にも伝播してくれていればいいんだけど、こちらに対する反応というか思考が聞こえてこないあたり、まだ一方通行なんだろう。……まあ、伝わるようになったらなったでデメリットの方が多そうだから、この昏い願望は今この瞬間だけのものにしておくのが正解だ。もしこれが引き金になって現実に反映されてしまったら、それこそたまったものじゃない。
そんな神経質さを杞憂と言えないくらい、今この身体の状態は不安定でもあるのだ。
だからこそ、なんとか前向きに、少しでも未来が良くなる可能性をもった建設的な思考をしたいところだけど……うん、やっぱり一番大きな突破口は、ミーアの魔法によって傷が癒されて、この身体が感じていた危機的状況からある程度脱した今でも、変わらず干渉が出来そうな左腕の存在だろうか。
此処だけ、レニの支配から大きく外れている気がする。
その原因は一体なんなのか……?
最初はそうじゃなかった。ラウがダメージを与えて彼女の支配が揺らいだ時も、そこまで自由が効きそうな状態ではなかった。
つまり、劇的な変化があったのは、レニと夢で対峙した後という事になる。
絞め殺されかけた苦しみだけが強く残っている記憶だが……そういえば、抵抗している時、俺は無いはずの左手も使っていた気がする。
対して、レニは右手一本だった。
あの明晰夢の世界でも、彼女の左腕は存在していなかったのだ。
それは多分、存在の設計図というものが関わってきているんだろう。マーカス先生の所で診断を受けた時に、初めて聞いたこの世界の医学用語。
あの場所の俺は倉瀬蓮だったから左腕があり、彼女はレニ・ソルクラウだから左腕がなかった。
そして、それを無意識のうちにでも認識した事で、あるものとないものの差として、この変化は起きたのかもしれない……なんて推測を軸に、それを用いて何が出来るかを考えている間に、目的の場所に到着する。
上地区のもっとも高い立地にあるイル・レコンノルンの邸宅。蒼を基調とした、この上なく貴族的な屋敷。
遠目に何度か目にした事はあるが、此処が彼の家だというのは今日初めて知った。
「……相変わらず単調な色選びだな」
基本的に貴族というだけで貶しの対象となっているのか、不機嫌そうにそう吐き捨てつつ、リッセは門の脇に設置されている石をトントンと叩いた。俺がよく知っているインターホンと違って、それが音を響かせる事はなかったが、役割は同じものだ。
数秒後、正門が開かれ、燕尾服に似た衣装を纏った執事らしき人が姿を見せて、
「お待ちしておりました。どうぞ、こちらに」
と、極めて事務的な対応と共に、屋敷の中に招かれた。
その執事さんのあとを追いかけながら、レニは中の様子をざっと観察する。要点以外には興味がない言った視線の動き。ただ、微かに眉を顰めたあたり、ここの統一性には無視できない居心地の悪さを覚えているのかもしれない。
それほどまでに、この屋敷の内部は蒼という色で埋め尽くされていた。
外観の落ちついた黒に近い蒼とは違って、海の中に居るような鮮明な蒼とでもいうのか、壁や天井に無数に描かれている曲線が波を思わせるのも、その印象に拍車をかけているような気がする。
俺にとってもやや息苦しい空間だ。
けど、そこに込められている無数の魔力は、レニの感知能力を阻害するには十分なノイズでもあって、なにかを仕掛けるには悪くない場所でもあった。
「……失礼します」
屋敷の二階、最奥の部屋の前で立ち止まった執事が、やや緊張した様子でドアを開ける。
教室くらいの広さの、魔法陣だけが描かれた異質な部屋。
そこに待ち受けていたのはイル・レコンノルンと影を操る女性、そして最も付き合いの長い冒険者だった。ドールマンさんである。
「なんだ、もう代わりを見つけてたのか? 相変わらず仕事の早い事ね。……いや、そもそも想定内の犠牲だったってことかしら?」
「おいおい、さすがにそういう冗談は感心しないぞ? あと、俺まで巻き込まないでくれ。胃が痛くなる」
リッセの皮肉に苦い顔をしつつ、ドールマンさんは一瞬だけ俺の方を見た。
一瞬だけだ。それで、なにかに納得したって感じ。
その直後に、、
(……不快な男)
と、レニは少し強張った思考を漏らした。
彼の魔力の色を見て、そう感じたんだろうか? 或いは佇まいを見て、この状況で戦えば安心できるほどの優位は確保できないと判断したのか。
どちらにしても、ドールマンさんを用意したこの采配は見事だったという事なんだろう。
「そちらの目的はおおよそ把握している。結論から言えば可能だ。そして此処は、それを証明するに十分な儀式場であると言えるだろう」淡々とした口調で、イルは言う。「だが、長距離転移を行うには、これとは別にもう一つ場が必要になる」
「……だろうな。ここは転移そのものの精度を上げる場でしかない」
魔力の流れに眼を向けながら、レニはと吐息交じりに言葉を零し、
(なるほど、そういうことか)
と、相手の思惑を察したようだった。
それを知ってか知らずか、イルは少しだけ憂いを帯びた表情を滲ませて、
「その儀式場は転移門の傍にあるものだが、転移門の傍には騎士団本部がある。そして今、騎士団は貴族の制御下にはない。とても繊細な儀式だ。彼等が邪魔をしてきた場合、失敗の可能性は高くなるだろう」
「……私に、その障害を排除しろとでも言うつもりか?」
威圧的に、レニは吐き捨てる。
だが、そんなものでイルは動じない。
「こちらは、そちらの要望に応えるつもりでいる。だが、そちらもこちらの要望に応える意味はあるだろう? 先程、十分な深手を負った以上、無碍に出来る相手というわけでもないのだからな。……無論、次もこちらが望む通りの、同じ結果になるとは限らないのだろうが」
どこか愉しげな微笑み。
「心配せずとも、こちらを相手にするよりはよほど楽な仕事となるだろう。貴重な戦力を一つ失ってしまったこちらにとっては多少の犠牲を考える必要のある相手であっても、そちらにとってはただの作業に過ぎない。絶妙な力量差によって生じる、素晴らしい脅威の違いといえるな」
小波一つのない怖いくらいに穏やかな眼差しをこちらに向けながら、イルは淀みなく言葉を続ける。
「リッセ、目標の姿を彼女に見せてやってくれないか?」
「――ちっ」
部下を殺した相手に、そこまで無関心でいられることが気に入らないんだろう、舌打ちを零しつつ、リッセは魔法を用いて一人の女性を映し出した。
「ディアネット・ドワ・レンヴェルエール。これが我々にとって共通の害悪となる。あぁ、だが、出来れば生かしたまま無力化してくれたほうが、そちらにとってはいいだろう。間違いなく、長距離転移に必要な生贄としては優秀な部類だからな。犠牲者が一人減るのはいいことだ。……さて、こちらの条件は過不足なく提示出来たと思うが、どうするかね? レニ・ソルクラウ」
どこまでも静かで淡々とした口調を操りながら、イルはこちらに向かって左手を差し出してくる。
握手の催促。交渉の最終段階だ。
レニはそれを睨みつけながら、躊躇いがちに手を伸ばし――そうして、イルとレニの影が繋がった瞬間、影の中から無数の刃が顔を出して、
「このような機会を逃していいと思うなよ!」
憎悪に塗れた声と共に、夥しい鮮血が視界を染め上げた。
次回は四日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。




