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04

「ええ、今までありがとうございました」

 自分でも心が籠っているようには到底聞こえない挨拶を終えて、ミーアは騎士団本部を後にした。

 此処で仲良くなった数人との挨拶は既に済ませているので、今のが最後だ。

 最後が一番縁の薄い、一応上司に当たる人物だったのはたまたまだが、流れとしては悪くないだろう。昨日までの労働分の報酬もちゃんと手に入ったし、これで問題なく違う道に進むことが出来る。そうなった経緯はなかなかに突飛だったが、明日からはレニと一緒に行動するのが仕事となるのだ。

 それだけで色々と気分がいい。

(でも、秘書、か……どういう格好をするのが良いのかな?)

 レニもまた今回の件を契機に、狩人という仕事を辞め、貴族たちを相手に商売をする道を選んだ。その道を選んだ理由は、おそらくだがこちら側で生き残った異世界の人達の保証を得るためだろう。街を支配している貴族たちと関係を築き、彼等の待遇をこの先も約束させるためにレンは舵を切ったのだ。そして、彼自身の意志だからか、リッセもそこに横槍を入れてくる事はなかった。

 結果、元々一目置かれており、数多くの勢力が欲する戦力を有していたレニ・ソルクラウの元には、貴族のみならず鼻の利く豪商なども大挙し、瞬く間にスケジュールはパンパンになった。

 これから先もその状況は続くだろう。だからこそ、ミーアが秘書となってそれらを管理する事になったのだ。

 ……まあ、正直、それはミーア・ルノーウェルでなければこなせない役割なのかと問われれば、別に誰でも果たせるような内容ではあると思うのだけど、他でもないレン自身が積極的に求めてくれたのだから、断る要素はどこにもなかった。

「騎士団の治癒師を辞めて、私の傍で手伝いをして欲しい」という真っ直ぐな言葉は、今思い出しても不思議な気持ちを覚える。

 言われた時はドキッとしたし、自室に戻ったあとは色々と悶々とした思考に晒されもした。ああいう下心が自分の中にこんなにもあっただなんて、ちょっと信じられなかった。

 ただ、信じられなかったが、悪い感じでもなかった。

 今こうして、服の事を考えているのもそうだ。

 どんな服が適切かより、どんな服を着たらレンが喜んでくれるかを考えているあたり、重症な気がする。正式に恋人になったという事実は、思った以上に自分の内面に影響しているらしい。

「――」

 不意に、向こうからやってきた唇の感触を思い出して、体温が上がる。

(と、とりあえず、今日は予定通り、服屋巡りに時間を潰すとしましょうか)

 そんなふしだらな自分を頭を振ってもみ消して、ミーアは目標に向かってやや足早に歩き始めた。

 午後にはアネモーとも合流して、一緒にショッピングをする予定なので、今日は普通の女の子のような休日を過ごすことが出来そうだ。

 丁度多くの人が通勤を終えた朝方という時間帯だったからか、周囲に人の数は少ない。

 それが感情の発露を助長したのか、なんとなく弾むように歩いたりしていたミーアだったが、残念ながらその状態は長続きしなかった。

 右手の人差し指と中指の根元に、軽い痛みが走ったためだ。

 視線をそちらに向けると、そこには白い三本の指に混ざって光を一切許さない漆黒の指が二本存在していた。

 龍種との戦闘で完全に設計図が壊された人差し指と中指の代わりに、レンが自らの血を凝縮させる事によって用意してくれた義指である。

 特殊な技法で具現化した故に、長時間存在を維持してくれる上、腰に携えている細剣よりもよっぽど鋭利で硬質なそれは、同時にレニ・ソルクラウとの位置関係や状態を知る手がかりでもあった。

(近くにいる?)

 今日はたしか最後の狩りに大物を仕留めに行くと夜明け前から外に出ていて……まあ、魔域の化物でも相手にしない限りはレニが手間取るような事もないだろうから、これくらいの時間に帰ってきても不思議ではないが…………なんだろう、少し不穏な感じの気配だ。

 怪我の心配はしていないが、近くにいるのなら一応顔は見せておいた方がいいのかもしれない。

 少しだけ気を引き締め、ミーアは気配の方へと歩を進めて――


「丁度いいところに来てくれたね。ミーアが決めて」

「――え?」


 到着するなり、突然そんな風に話を振られた。

 広場の傍にある、馴染みの飲食店の中での事だった。

 レニの対面には上等な身なりをした男が二人腰かけていて、互いへの淡い嫌悪を滲ませながら、レニに向けて笑顔を見せている。

 その不気味と言っても差し支えのない繕われた仮面が、一斉にこちらに向けられた。そこに滲んでいるのは、微かな苛立ちと焦りだ。

「……あの、こちらの方たちは?」

 促されるままにレニの隣の席に腰かけつつ、訪ねる。

 魔力の感じからして、おそらくはニ、三世代継承を済ませた貴族だとは思うが、その程度の貴族にしても感情を表に出しすぎている気がした。

(競合同士といったところかしら?)

 都市においての役割が微妙に被る貴族同士が、シェア争いに勝つために、同じタイミングでレニとの関係を求めた……そんな読み通りに、レニは二人の関係性をそれぞれ軽く説明した上で、

「どっちがいいと思う?」

 と、再度訪ねてきた。

 詳しい事情などを教えてくれるわけでもなく、どちらか一方をミーアに決めてもらいたいと、レニは言ったのだ。

 正直困った。

(秘書って、そういう事もする仕事なのかな……?)

 二人の貴族の視線が、ちょっと怖い。

 単純に威圧を向けられるくらいなら、それこそ殺し合いに身を置いてきたミーアにとってはそよ風のようなものだが、こういう状況はさすがに稀有もいいところで、戸惑いを隠すことが出来なかった。

 一体、レンはどういうつもりなのか?

 この場で意図を求めたい気持ちで一杯だったが、それはレニ・ソルクラウの顔に泥を塗る恐れがある。

(この二人がそれだけ失礼な事をした?)

 だとしたら、両方とも要らないと答えるだけで済むわけだが、そういったヘイトの矛先をレンが他人に押し付けるとも思えなかった。

(……事情について考えても仕方がない、か)

 気を取り直して、彼等に向き直る。

 見計らったように、そのタイミングで彼等はミーアに対して売り込みを開始した。

 結果、何故ミーアの意見がそこまで重要視されているのかが解った。

 彼等は所持している別荘をミーアたちの新しい住居として提供しようとしていたのだ。要は引っ越し先の候補選びだったというわけである。

 下地区からの移動。これも、大きな変化と言えるだろう。

 あの場所での暮らしは、けして快適というわけではなかったけれど、色々と動きやすくて便利な面も多く、なにより肩肘を張らずに生きるには最適だった。国や義親を裏切ったばかりのミーアにとって、それはある種の救いであり、貴族としてではなく、ただの個人として生きていくことを考えるにも理想的な環境だったためだ。

 そこから離れて、上地区で生活をするというのは、まだぴんと来ないけれど、レンが一緒なら多分なにも変わらない。

 が、もちろん、より良い場所に住むに越したことはないので、吟味は重要だ。なにせ引っ越しというものに関しては一度失敗もしているのである。二度もぬか喜びはしたくない。

「出来れば図面や言葉だけでなく、直に確認したいのですが。よろしいでしょうか?」

「あ、あぁ、もちろんだ」

 二人の貴族が微かに困ったように頷いた。

 普通は、彼等から提案して然るべき展開だと思うのだが、よほど成果が欲しいと言う事なのだろうか。おかげで、家の提供の代価が少し気になったが……まあ、それは別にミーアが知らなければならないという事でもない。

 飲み物代の会計を済ませ店を出る、

 そうして上地区にまで足を運び邸宅の中を見せてもらったが、どちらもさすがは貴族の屋敷というべきか、かなりの広さを有していた。庭もあるし、隣の家との間隔もある。

 天秤に傾きなし。正直、どちらでも良いというのがミーアの感想だったが、だからこそレンも何も言わずにこちらに任せたのだろう。

 なら好みの範疇で選んでも良さそうだと、二つの家の状態をしっかりと確認してから、ミーアは比較的気楽な気持ちで片方に決め、それをレンに伝えた。

 レンは「じゃあ、そちらにしようか」とあっさりと頷いて「彼に契約が成立した事を伝えてきてくれる? 私は、もう一人の方と話を済ませておくから」

「わかりました」

 頷き、ミーアは庭が少し広い方の屋敷を所有していた貴族の元に向かう。

 足取りは心のままに軽い。……だが、それ故に、その背後でどこか憂いを帯びたレンの表情に気付くことが出来なかった。


§


「……本当に、あの男との契約で良かったのだな?」

 向こうに結果を提示しに行くミーアの表情で判ったんだろう。契約を結ばなかった方の彼が、神妙な面持ちと共に口を開いた。

「それは脅しでしょうか?」

 二つの屋敷の距離は、魔力を込めない肉眼で見渡せるほどに近い。

 もしかしたら、利害関係である以上に、近隣トラブルなんかが両者の空気感を生み出しているのかもしれないという邪推をしつつ、俺は相手の反応を窺う。

「まさか? そちらの背後にいるイル・レコンノルンと事を構える力など我々にはない。ただ、事実を口にしたまでだ」

 淡々とした口調に、含むものは感じられなかった。

 上手く隠せていると言った印象もあるが、それ以上に、言葉通りだからという部分も大きいんだろう。

「では、別の契約をしますか? 貴方がこの件とは別に望む事を、私なら達成できるかもしれませんし」

 今日の本題に入る事にする。

 元々、彼等のどちらかだけを仕事相手に選ぶつもりはなかった。どちらも、この街での安心に影響する存在だったからだ。

「……見返りは何だ?」

 向こうにとっては意外だったのか、やや表情を曇らせながら訪ねてくる。

「貴方の方が彼よりも顔が利くというのは知っています。そして、それはイルとは違って私たちにとって身近な人達です。生活をする上では、そちらの方が重要になってくる」

「地固めというわけか」

「ええ、新生活に必要な事ですから」

「確かにそうかもしれないが……一つ訊いても良いか?」

「なんでしょうか?」

「以前の貴方はそこまで積極的ではなかったはずだ。事実、ヘキサフレアスとも一定の距離は保っていたし、身動きのとりやすさを優先しているように見えた。むろん、それらは遠目からの情報でしかないわけだが……何故だ?」

 鋭い、真剣な眼差しだった。

 ここで当たり障りのない言葉を並べた場合、おそらくこのやりとりは破談する。

 俺はどこまで話すべきかを少しだけ考えてから、

「……もう取り返しのつかない後悔は、絶対に、したくないと思ったからですよ」

 そう、答えた。

 具体性には少し欠けているのかもしれないけれど、これ以上ない本心だ。

 今まで、俺は何事も踏み込み過ぎないように気をつけて生きてきた。それは、特別だと思えるようになっていたミーアに対してもそうだし、義父たちに対してもそうだった。大切にはしてきたけれど、それを護る努力においては七、八割程度に、仮に何かが起きてしまった時には仕方がなかったと受け入れられるような隙間を残してきたのだ。

 結果、皮肉にもまた亡くしてしまった。

 その亡くした人が最後に託してくれたのが、この心境の変化だ。

 だから、中途半端な姿勢も、自分を誤魔化すのも、もう終わり。これから先、俺はこの世界で得た大切なものを失わないために、万が一だって殺していく。

 環境の整理はその中で一番大きな改善点だ。どれだけレニという存在が強大だとしても、それはミーアを完璧に守ってくれる抑止力にはならないし、下地区自体、本来は危険な場所なのである。力がなくても安全を確保できる場所を、周囲の加護を、その根幹をまずは築き上げる必要がある。

(……私の力もその一要素という事なんだろう。判っているさ。貴様が約束を果たしているうちはな、従順でいてやってもいい)

 脳裏にレニの聲が響いた。

 どこか媚びるような声色は、ここ最近になって感じられるようになった彼女の変化だ。多分、こちらの精神に触れての事なんだろう。

 別にまだなにもしていないのだから恐がらなくてもいいのに、とは思うけれど、その方がコントロールするには都合がいい。

 ありがとう、と胸の内で言葉を返しながら意識を目の前の人物に戻す。

 彼もまた、その瞳に臆するような色を滲ませながら、しかしそれを噛み殺すように表情を引き締めて、

「わかった。そちらの申し出を受けよう。それが一番、貴女の敵にならない方法でもあるだろうしな」

 と、こちらに手を差し出してきた。

 握手を交わす。

「後程に、連絡をさせてもらおう」

「ええ、ありがとうございます」

 くるりと背を向けて、彼はさながら怒ったように颯爽と去っていく。

 丁度そのタイミングで、向こうの話も終わったようだ。

 少しだけ隣にいた貴族の口元が緩んだのが見て取れた。おおよそ、予定通りに事は済んだというわけである。

 俺たちは二人の貴族と別れ、恙なく帰路につくことになった。

 閑静な住宅街を二人で歩く。

 なんとなく右手が寂しいと感じたので彼女の左手に触れると、一瞬びくっとした反応が返ってきたが、すぐに小さく握り返してくる感触が届けられた。

 誰かと手をつないで歩くというのは、幼い頃を思い出させる。

 でも、この温もりから与えられるのは、あの時のような不安じゃない。そして、誰かに安らぎや幸福を覚える事は、けして悪い事じゃない筈だ。

 俺は、母のようにはならない。あそこまで倉瀬蓮以外の全てを蔑ろにはしないし、他の誰かもちゃんと大事にしたいと思っている。けれど、彼女と同じくらい、自分の中にあるこのどうしようもない独善的な気持ちを、今は受け入れてもいる。

 それこそ、理不尽でどうしようもない神様のように、俺はこの手のぬくもりを縛り付けて生きていくんだろう。それが、彼女にとっても幸せであればいいと願いながら。



 


『神を殺すまで』はこれにて完結となります。

なかなかに癖のある面倒くさい登場人物たちの面倒くさい物語になったものだと作者自身思っておりますが、こうして最後まで書き切る事が出来るくらい愛着を持てた子たちでもありました。

読んでくださった方も、そう言った感情を抱いてくれていたのなら幸いです。


ここまでお付き合い頂き、ありがとうございました。


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