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02

 日本からこの異世界に落とされた人の数は三千人ほどであり、そのうち生き残ったのは千人前後というのが、全てが終わった後に、この世界の貴族と呼ばれる者から発表された情報だった。

 そしてその約千人は今、上地区と呼ばれる貴族たちの邸宅に住まわせて貰っているらしい。

 らしいというのは、特に確認をしたわけではないからだ。

 まあ、少なくとも倉瀬鶫は情報通りの環境に置かれており、衣服や食事、衛生回りにも困ってはいなかったので、大きく嘘をつかれているという事もないのだろう。

 もちろん、まだ一週間しか経っていないので、これから先もそうだという保証はない。

 実際、事が起きた翌日に、こちらの言葉を話せる異世界人が先述の説明をした際、彼等は責任の所在を追及した莫迦な男(高級時計をつけていた、三十前半のいかにもな成金)の舌を切り落として、

「これで、そちらが置かれている立場は理解出来たと思う。我々が与える施しは慈愛から来るものであり、それは気紛れに等しいものだ。故に、我々は諸君に上品な振る舞いを期待する」

 と、口から血を吐いてのた打ち回るその莫迦を尻目に、のたまった事からもよく判るものだった。

 その後、莫迦な男の舌は時間を巻き戻したみたいに簡単に修復されたので、それは取り返しのつく暴力にはなったのだけど、逆にいればそれだけ気軽に彼等はこちらに暴力を揮えるという事でもある。

 これほどおぞましい平和もないだろう。

 まさに薄氷の上だ。いつまでこの状況が続くのかもわからないし、この屋敷から出る事もまた許されていない。

 閉塞感は日に日に増していっていて、当然のように苛立ちも膨らんでいる。

 そんな状況で、頭の悪い弟と同じ部屋で過ごす時間というのは、それはもう火に油を注ぐようなもので――

「――なぁ、俺たちって、いつ帰れるんだろうな?」

「そんなの、私が知るはずないでしょう? 自分で調べたら?」

 ベッドの上に腰かけて、バッテリーが切れてもう使えなくなったスマートフォンを手持無沙汰に弄りながら、心底くだらない事を訊いてきた朱鷺弥を前に、鶫は突き放すように吐き捨てた。

「調べるって、殆どの奴には言葉通じないんだぞ? 文字だって読めねぇし、それに――」

「煩いから黙れって言ってるの」

 遠まわしな発言では駄目だったようなのでストレートを叩き込んでやると、朱鷺弥は一瞬むっとした表情を浮かべたが、

「文句があるなら出てけ」

 と、畳み掛けるように続けると、

「……別に、ねぇよ」

 こちらから視線を逸らして、押し黙った。

「それが出来るなら初めからして欲しいものね」

 いつもなら、心の中だけで済ましている事を、ついつい口に出してしまう。

 結果、露骨な舌打ちを聞く羽目になった。

 苛立ちが一気に加速する。

 鶫は衝動的に手近なテーブルの上に置かれていたコップを手に取り、入っていた水を朱鷺弥に浴びせようとして、

「たかが家に帰れないくらいで、ずいぶんと余裕のない奴ね。少しはパパを見習ったら?」

 部屋のドアを開けると同時に投げかけられた言葉によって、制止させられた。

 二人して同時に音源に視線を向ける。

 そこには二人の父親である倉瀬隼人と、朱色の髪をポニーテールで纏めた少女の姿があった。

 初めて見る顔だ。そして、不愉快なくらいに整った顔立ちだった。

 間違いなく、日本にいるどのタレントよりも、そして自分よりも、この少女は美しいと誰もが認める事だろう。

 そんな奴が父の隣にいる。胸がざわつかないわけがなかった。

「お父さん、このヒト誰?」

 朱鷺弥に向けるものとはベクトルの違う、苛立ちを滲ませた声で、訪ねる。

 すると父は少し困ったような表情を浮かべながら、

「リッセ・ベルノーウさんだ。私の命の恩人だよ」

 と、答えた。

 瞬間、殺されたとばかり思っていた父が戻ってきた時の事を思い出す。

 最初は疑いと恐怖の眼差しを向けた。また、目の前で無残な姿になって、鶫の精神を抉り採ろうとする誰かの悪意に思えたからだ。

 でも、事細かな質問に正しく答えてくれたおかげで、その不安は取り除かれた。

 彼は本当に自分の父親であり、視覚を翻弄する魔法と身代わりの肉人形の二つの要素によって命を救われていたのである。

「このヒトが……」

「そう、あたしがあんたの大事な人の命を助けてやったの。魔法を使ってね。今こうしてあんた達と会話が出来ているのも魔法のおかげ。まあ、これはあたしの魔法じゃないけどね」

 妖しく濡れた金色の瞳を愉しげに細めながら、リッセは微笑む。

 可憐な妖艶という相反する魅力に、背筋が震えた。これは自分が女だからこその反応なのか……莫迦な弟は、まるで一目ぼれをしたみたいに呆けていて、本当に滑稽だった。

「そんな魔法の存在は、もう受け入れることが出来た?」

「……ええ」

 そもそも異世界なんて場所に今自分たちはいるのだ。否定する材料がなさすぎる。

「これは、この世界の人間なら誰もが一つは持っている力だ。それこそが人の価値だって言ってもいいくらいに重要な要素でもある」

 自身の顔の真横の辺りの高さに上げた左手の人差し指に、螺旋状の光を躍らせながらリッセは言う。

 なかなかに皮肉の利いた物言いだ。

「……なら、私達はとっても希少ね。大事に扱った方がいいと思うわよ?」

 誰かに舐められるのは死ぬほど嫌いな性分が、鶫にそんな言葉を使わせた。

 それに対し、リッセは悪戯っぽい笑顔を返して、

「虚勢を張るのは上手いみたいだな。そして、その認識も間違ってはいない。喜びなさい。あんたちには正しく価値がある。異世界の知識以外にもね。なかったら大半を処分しなきゃならなかったから、面倒が減ってあたしも嬉しいわ」

 と、ぞっとするような事を、実に滑らかな口調で並べ立ててきた。

 あまりにさらりと言うものだから、父も朱鷺弥もすぐに呑みこむことが出来なかったみたいだが、鶫はすぐにその言葉の意図が理解出来た。

「つまらない脅しね。そんな稚拙な真似をして、私達になにをさせたいの?」

「色々よ。魔力があるからこそ成立しない実験とか、魔力がない生命だからこそ活動できる場所への派遣とか」

「お、おい、待てよ。それってモルモットになれって事かよ?」

 最悪の想像がちらついたのだろう、怒りと恐怖をない交ぜにした声で朱鷺弥が訪ねた。

「モルモットってのが何かは知らないけど、実験体の一種を指すならその通りよ。それだけで一定の自由と権利を得ることが出来る。まったくもって貴族様は慈悲深くて素敵よね」

 くすくすと、口元に手をあててリッセは上品に笑う。

 ただ、その目はまったく笑っていない。おそらくだが、素敵という部分にはおぞましいほどの嫌悪が込められている。この女は貴族を嫌っているのだ。

 問題は、その理由が彼等の温さに拠るものなのか、それともこちらが想像している以上の残酷さに拠るものなのかだが――

「ふざけんなよ! てめぇ!」

 思考を遮るように、朱鷺弥が切れた。

 よりによってこのタイミングで、ストレス値が我慢の限界を超えたのだ。

「――じゃあ、今死ぬか?」

 声のトーンが一気に冷えて、部屋の温度まで下がったような気がした。

 それが本物の殺気というものだと気付いた時「ダメっ!」と思わず悲鳴が出たが、その悲鳴と同じ類の反応として朱鷺弥もまた既にリッセに殴りかかっていた。

 ……そのさまが、やけにスローに映ったのは、自身の未来にも死が見えて、それこそ車に撥ねられた瞬間に等しい神経の張り詰め方をしたためか。

 驚愕に目を見開きながら咄嗟に朱鷺弥を抑え込もうと手を伸ばす父と、まったく表情を変えずに自分に迫る拳を見つめるリッセもはっきりと捉えることが出来ていて――でも、その次に彼女が取った行動は、極限状態のこの眼をもってしても何一つ認識することが出来ないものだった。

 彼女は、瞬きの間すらない刹那で、対面に居たはずの朱鷺弥の真横に移動して、握りしめられて右の手首を掴んでいたのだ。

 そして、ぎちぎち、という嫌な音と共に朱鷺弥の両膝が崩れ、その手が紫色に変色していく。

「いい事を一つ教えてあげる。あんたたちを集めた場で、命知らずな男の口をこじ開けて一方的に舌を切り落とした奴は、あたしよりずっと弱いのよね。でも、そんなあたしもこの街じゃせいぜい中の上。少なくとも、真正面からの殺し合いじゃその程度の戦力でしかない。言いたい事、判る? ――って、人の話を聞ける余裕もないか。軟弱な事だな、おい」

 ため息をついてリッセが手を離すと、握られていた朱鷺弥の手首にはくっきりと手形が刻まれていた。

 痛みに喘ぐ朱鷺弥の息遣いが、酷く気持ち悪い。

「やっぱり、あの場で二、三人バラしておいた方が、今後の関係を円滑に進められたのか……ねぇ、あんたはどう思う?」

 冷ややかな金色の瞳が、父に向けられた。

 父は息を呑んでから、覚悟を決めたみたいに表情を固めて、

「……私は、過不足のないものだったと思います。そして、この子たちも、今ので十分理解できたかと」

 と、冷静な口調でそう答えた。

「そう? それならいいんだけどね」

「心遣い、感謝します」

 深々と、父は頭を下げる。

 そこまでの対応は少し意外だったのか、リッセは一瞬だけきょとんとした表情を見せてから、

「……なるほどね、あんたは少し似てるのか」

 小さく、そう呟いた。

「似ている?」

「なんでもないわ。こっちの話よ。それより、本題に入りましょうか。あんた達には決めてもらいたい事があるの。余所者たちの今後について、とかね」

 父が抱いた些細な疑問を掻き消すには十分な内容を、リッセがさらりと投げつけてくる。

「さっきも言ったと思うけど、あんた達には役割がある。それをこなせば、あんた達の生活は保障されるわ。今まで以上に自由も得られるでしょう。危険はあるけど、死ぬほどの危険性は一部の奴が請け負うだけで済む」

「……その、一部になれと?」

「無駄な恐怖だな。そんなの強要しなくたって報酬で釣れば誰かが自発的にやるわ。だってあんた達って、ただ生活できるだけで満足できるような貧しさなんて知らないでしょう? あんなに発展した場所で生きてたんだから」

 嘲笑とも羨望とも取れる曖昧な微笑で、リッセは言う。

「本題はもっと未来の話だ。あんた達は、元の世界に帰りたい?」

「当たり前、でしょう?」

 他になにがあるのかという問いに、思わず鶫は口を挟んだ。

 そんな娘の感情に憂いを見せながら、

「ですが、それは不可能なのではないのですか? 少なくとも、私達が居た街はもうありませんし」

 と、隼人は俯き加減に言う。

「でも、似て非なる世界はある。そこにはあんたと同じ名前をもち、同じ顔をしている誰かがいる、可能性が高い。パラレルワールドっていうんだっけ? あんた達の世界では」

 その言葉を聞いた瞬間、父は大きく目を見開いた。

「……つまり、乗っ取れ、という事ですか?」

「話が早くて助かるわ。上手く行けば、似たような生活を取り戻すことが出来る。賛同者は間違いなく一定数出るでしょうね。……で、あんたはどうするの?」

 微かに目を細めて、リッセはやや低いトーンで言った。

「それは、すぐに決めなければならない事ですか?」

「いや、あたしたちもすぐに状況を作ることが出来るわけじゃないからね。当分先の話だと思ってもらってもいい。でも、決意っていうのは早いうちにしておいた方がいいもんでしょう? 代表者となる人間なら尚更に」

「代表者って、どういうことだよ?」

 痛みに顔を顰めながらも、ようやく話せる程度の余力は取り戻したらしい朱鷺弥が怯えたような声を漏らした。

 こういう時、莫迦みたいに躊躇いなく素直に疑問を口に出来る事は、美徳なのかもしれないと少しだけ思う。もちろん、相手の反応次第ではボロカスに罵倒することにもなるのだが。

「どうもこうも、異邦人共の代表があんたたち家族になったって話だよ。これからはあんたたちが同郷に、トルフィネの決定を伝える。要は窓口って事ね。その立場を上手く利用すれば、色々と優位に立つことも出来るでしょう。これは、本当に素敵な事だと思うわよ?」

 とんとんと父の肩を気安く叩きながらリッセは言う。

 柔らかな笑顔だったが、それがいっそ恐ろしく感じられた。多分、父も鶫と同じ気持ちだったんだろう。

「何故、私たちなのですか?」

 と、苦渋を噛みしめるような声で訪ねた。

 実際、それは大いなる疑問でもあり――

「神様に選ばれたから」

 どこかつまらなそうに、リッセはそう答えた。

「その点については、おめでとうとは言わないわ。あたしにとっては気分の悪い話でもあるしね。でも、その結果が巡り巡って、あたしはあんたを助ける事になったし、あんた達は人としての扱いを受けられるようにもなった。さっきの脅しでもなんでもなく、最初は百人程度で十分、あとは全部処分しようって話が出ていたのよ? この世界はとても狭いからね、人が増えるって事はそれだけで大きな問題になるの」

 どうやらそれが、彼等が鶫たちの世界に感心を抱いた最大の理由らしい。

 資源ではなく面積というのはやや特殊なのかもしれないが、侵略の理由としては一応理解できる。まあ、神様に選ばれたというのは正直意味不明ではあるが――

「あんたたちは新しい女神を、この世界で手に入れた。その加護がある限り、この街はあんた達に誠実で居てくれる。あたしもそれなりにね」

(女神?)

 ニュアンス的に、最初の神様とは別の存在のようだ。紛らわしい。

 説明が下手な奴、という悪印象が一つ付け加えられる。が、多分、そもそも解ってもらいたいと思って話していないんだろう。この女は、試しているのだ。他人の言動への注意力や、理解力を。

「話は以上だ。明日場を設ける。……期待しているわよ。ハヤト?」

 馴れ馴れしく父の名前を呼んで、リッセはこちらに背を向けた。

 なにはともあれ、これでおぞましい化物を視界から消すことが出来る。その事実に、胸の内で安堵の息を吐いたところで、

「な、なぁ、」

 と、朱鷺弥が躊躇いがちに引きとめた。

 瞬間、本気で「もう喋るな莫迦!」と背中を引っ叩きたくなったが、喧嘩腰というわけでもなかったので、多分大丈夫な筈だと息を呑んで見守る。

「その、なんだ、黒髪の女を知らないか? 大変な時に、少し世話になったからよ、改めてちゃんと礼を言いいんだけど」

「知らないわ。そんな奴」

 突き放すような一言だった。

 でも、引っ掛かる返しでもある。この場合、正しい表現としては「知らない」じゃなくて「分からない」だと思ったからだ。だって、黒髪の女なんてそこら中に居るのである。

 もちろん、このトルフィネでは希少なのかもしれないけれど、朱鷺弥の奴はこの世界の黒髪の人間とは言わなかった。同じ日本人の黒髪の女の可能性だってあるし、それならたくさんいるわけだし、即答するのはやっぱりおかしい。

 つまり、即座に思い当たったからこそ、この女は知らないと言い切ったのだ。

「あぁ、そうだ、もう一つだけ良い事を教えてあげる。下地区には足を運ぶな。死にたくなかったらな。……まあ、あえてその命を天秤に乗せたら、女神様にも会えるかもしれないけど」

 最後にずいぶんと含みのある言葉を残して、リッセはこの与えられた部屋から姿を消した。

 これはある種の親切と捉えるべきなのか。罠と見るべきなのか……肝心の莫迦は、その親切に気付いていないようで、ただ残念そうな表情を滲ませている。

 望ましい結果だった。黒髪の女が下地区にいるという事を、鶫は絶対に誰にも言わないし、そこに足を運ぶ事もないのだから。

 きっと、永遠に。


次回は四日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。

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